霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一節 予審終結決定

インフォメーション
題名:第1節 予審終結決定 著者:
ページ:341 目次メモ:
概要: 備考: タグ:長沢雄楯(永沢雄楯) データ凡例: データ最終更新日:2018-10-14 09:23:03 OBC :B195503c2201
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]大本教団所蔵
予審終結決定
本籍及住居京都府何鹿郡綾部町大字本宮村
小字本宮下三十二番地
無職
出口王仁三郎
明治四年七月十二日生右治安維持法違反並不敬被告事件に付予審を遂け決定すること左の如し主文
本件を京都地方裁判所の公判に付す
理由
被告人は左に掲くる事実に付公判に付するに足るべき犯罪の嫌疑あるものとす。
被告人出口王仁三郎は京都府南桑田郡曽我村大字穴太農業兼醤油小売商上田吉松の長男にして偕行小学校卒業後家事手伝の余暇漢籍及神道国学に関する書籍を繙読し明治三十一年四月静岡県清水市下清水稲荷講社総本部総理永沢雄楯に就き鎮魂帰神の法を習ひ神道教授病気平癒の祈祷等を為し居りし処明治三十年頃より同府何鹿郡綾部町字裏町に於て金神の大本と称し艮金神を祀り祈祷禁厭等を為し居りたる出口直事出口なかより援助の依頼を受け、明治三十二年七月なか方に赴き、大本の宣伝機関として金明会を組織し、其の会長となり同人を擁して大本教主と為し、之を補佐し宗教類似の団体を結成し病気平癒及開運の祈祷禁厭等を始め明治三十三年一月なかの五女出口すみと内縁を結び、同年二月頃金明会を金明霊学会と改称し、大本本部を同郡綾部町本宮に移し大石凝真素美の言霊学、古事記、日本書紀、万葉集、平田篤胤、本居宣長の著書、仏典、聖書等を研究し、明治三十九年九月京都皇典講究所分所に入学し、明治四十年三月同分所を卒業し神職試験に合格して建勲神社主典及御嶽教主事となり、同主事奉職中明治四十一年八月金明霊学会を大日本修斎会と改称し機関紙直霊軍を発行し、次て同敷島新報を発行し明治四十三年十二月ナカの婿養子となり、明治四十四年一月スミと結婚し、同年十二月出口家の戸主となり、大正五年四月二十二日大本を皇道大本と改称して、大正六年一月より機関紙神霊界を発行し、同年二月皇道大本教主となり、ナカを教祖又は開祖と称し、予てより同人か筆先と称し平仮名にて意味不明瞭なる辞句を手記し居りしに乗じ、我国体を変革して、自ら日本の統治者たらむとする不逞の意図の下に古事記及日本書紀の国常立尊、豊雲野尊、大国主命及少名毘古那命に関する記事に曲解を施し、之に弥勒下生経の弥勒菩薩下生の予言、基督教の基督再臨等の思想を取入れて、国常立尊及豊雲野尊の退隠及再現等を説きたる不敬不逞の大本教義を案出し、之をナカ及自己か神の霊代として手記したる神諭なりと詐称し、大正六年二月以後発行の神霊界等に掲載発行して宣伝し、ナカか大正七年十一月六日に死亡するや更に、其の頃より古事記の神代の記事に曲解を施し、地球は素盞嗚尊及大国主命の統治すべきものなる旨、及、至仁至愛の神霊素盞嗚尊の再現を説きたる不敬、不逞の大本教義を案出し、之を自己か同神等の霊代として手記したる神諭なりと詐称して神霊界等に掲載発行して宣伝し、天照皇大神(大本皇大神)を主宰神とし、大正八年八月スミを二代教主と為し、被告人は教主補として事実上皇道大本を統轄し其の拡大強化に努め、大正十年二月には信者約一万人支部約百二十個所を算するに至りたり。
 然るに神霊界に不敬の記事の掲載したること発覚し、大正十年二月不敬並新聞紙法違反罪に依り起訴せられたる為、皇道大本の名称を単に大本と改め、同年十月五日京都地方裁判所に於て同罪に因り懲役五年の言渡を受けたるに拘らす、依然当初よりの不逞の意図を改めずして、同年十二月三十日以来神界、霊界のことに仮託し、前記不敬、不逞の大本教義の敷衍補充して著述したる霊界物語数十巻を発行し之を神書、神示なりと詐称して宣伝し、大正十一年二月大本修斎会を大本瑞祥会と改称して之を大本の活動機関と為し、其の後同府南桑田郡亀岡町亀岡城趾を大本天恩郷と称し、大正十四年六月大本の外廓団体補助機関として人類愛善会を創立し、昭和二年五月十七日大審院に於て同年勅令第十一号大赦令に依り前記事件に付免訴の言渡を受けたるより、之を利用し、役員、信者等に対し同事件は大本に反対する者の策動に基因したるものと信せしめ、同事件の為離散したる信者を復帰せしめ信者の結束を固むる目的を以て、昭和二年五月二十七日同府何鹿郡綾部町本宮のみろく殿に信者を召集して、開窟奉賽祭を執行し其の頃より右綾部町本宮を主として祭祀の中心地亀岡町天恩郷を主として教義宣伝の根拠地とし前掲大本教義を宣伝して、現世の立替立直し、みろく神政成就を強調すると共に皇道の美名の下に信者の獲得に努め来りたるものにして、該教義に於て強調する立替立直、みろく神政成就即ち国体変革に関する理由として説く所の要旨は、
(一) 天之御中主大神は天の御先祖、みろく菩薩、至仁至愛の神にして同大神の御精霊体の完備せるを天照皇大神、撞の大神と称ヘ天照皇大神、伊邪那岐尊、伊邪那美尊は三神即一神にして之を撞の大神、みろくの大神、天の御三体の大神又は天の御先祖と称ふ撞の大神は国常立尊を大地球の先祖として大地の修理固成を命じ給ひたるを以て、同尊は地上の主権を帯ひ国土を統治し給ひたるも其の施政方針、霊主体従、厳格剛直に過きたる為部下の万神は衆議の結果撞の大神に国常立尊の退隠を奏請するに至れり。仍て撞の大神は巳むなく国常立尊に対し艮へ退去すへしと厳命し、且潔く退辞せは時節を待ちて再ひ主権者に任し汝の大業を補助すへしとの神勅を下し給ひたれは国常立尊は無念を忍ひ退隠して艮金神となり。同尊の妻神豊雲野尊も坤へ退隠して坤金神となりたり。
 然るに国常立尊の退隠後支那に生し給ひたる盤古大神即ち瓊々杵尊日本に渡来せられ国常立尊の後を襲ひ給ひ爾来瓊々杵尊の御系統に坐す現御皇統に於て日本を統治し給ひたる為体主霊従、悪逆無道の現社会を招来し優勝劣敗、弱肉強食の惨状を呈するに至れり。
 茲に於て国常立尊の出現を要する機運到来し撞の大神は艮に退隠せる国常立尊に対し再び地上の王権を付与し給ひしかは同尊は豊雲野尊と共に綾部に再現し現代の混乱世界を立替立直して至仁至愛の世と為し、又撞の大神は前示神勅実行の為地上に降臨して国常立尊の神業を補佐することとなり、右三神は出口王仁三郎を機関として顕現したるを以て、王仁三郎は国常立尊、豊雲野尊及撞の大神の霊代として現御皇統を廃止して日本の統治者となるへきものなり。
(二) 伊邪那岐尊の神勅に依り天照大御神は高天原即ち太陽界の主宰神素盞嗚尊は大海原即ち地球の主宰神と神定まり、天津神と国津神との間には歴然たる区別あり。太古日本は素盞嗚尊の御子孫にして国津神なる大国主命か武力を以て統治し居られたる処、天照大神は天孫降臨に先立ち大国主命の許に三回迄天使を派遣せられ、遂に武力を以て同命の権力を制し給ひしかは大国主命は力尽きて日本の統治権を天孫に奉還して隠退せられたり。其の後日本及世界を統治せられむか為天孫降臨し給ひたるも未完成の世なりし故、天の大神の御大望は完成するに至らず従て弱肉強食の修羅の世と化し去り、地上は全く崩壊せむとするに至れり。茲に於て至仁至愛の大神は命令を下したる為盤古大神即ち天孫瓊々杵尊は地上の統治権を国常立尊即ち大国主命に返還するの巳むなきに至りたるに現御皇統は今猶日本を統治し給へり。
(三) 伊邪那岐尊の神勅に依り天照大御神は高天原即ち太陽界の主宰神素盞嗚尊は大海原即ち地球の主宰神と定まり、天津神と国津神との区別歴然と神定まりたるを以て、日本は勿論全地球は素盞嗚尊之を統治すべきものなること右神勅に依り明瞭なり。従て同尊及其の御神系に於て日本を統治せられたらむには天孫瓊々杵尊御降臨の必要なかりしものなり。然るに素盞嗚尊は諸神の反抗を受け神逐に逐はれ次て同尊の御子孫なる大国主命も亦天孫に帰順し、天津神なる瓊瓊杵尊降臨し給ひ爾来同等の御系統なる現御皇統に於て日本を統治し来り給ひたるも、元来国津神の御系統の統治すべき日本を天津神の御系統に於て統治し給ふは、右伊邪那岐尊の神勅に背反するものにして之か為現代の如き優勝劣敗、弱肉強食の紛乱状態を呈すに至りたるものなり。
因て至仁至愛の神及素盞嗚尊は出口王仁三郎を機関として顕現し、現代の紛乱世界を立替立直して至仁至愛の世と為すこととなりたるを以て、王仁三郎は至仁至愛の神及素盞嗚尊等の霊代として現御皇統を廃止し日本の統治者となるべきものなり等と謂ふに在り。

而して被告人王仁三郎は、
第一 自己の五十六歳七カ月にはみろく菩薩として出現し、みろく神政を成就せしむべき旨予言し居りたるを以て、昭和三年三月三日は恰も之に相当する日なりとしみろく大祭を執行し、被告人かみろく菩薩として諸面諸菩薩を率いみろく神政成就の為出現したるものとし其の儀式を行ひ、被告人及大本教義の真相を了知せる出口すみ並左記十数名の大本の幹部を基礎中心として我国体の変革を目的とする結社を組織して該目的達成の為本格的活動を開始せむことを決意し、
同年二月上旬より其の準備を為し同年三月二日夜右綾部町本宮の教主殿に出口元男、出口遙、出口伊佐男、井上留五郎、高木鉄男、岩田久太郎、御田村竜吉、東尾吉三郎、湯川貫一、四方平蔵、梅田信之、中野岩太、湯浅斎治郎、出口慶太郎、桜井同吉、栗原七蔵、西村昂三の十七名を招致し同人等に対し、
一、同月三日愈みろく菩薩として諸面諸菩薩を率ゐ此の世に下生しみろく神政成就の為現界的活動を為すこととなりたる旨、
一、諸面諸菩薩は参集者十七名なるを以て明日至誠殿に昇殿すべき旨、
一、明日以後の大本は立替立直したる大本なるに付自分及参集者十七名は従来の役職を返上し同月三日一日間無役となるべき旨、
等を告け暗に同結社を組織せむことを慫慂し同人等に於て之を承諾したるを以て同年三月三日右綾部町本宮の至聖殿及みろく殿に於てみろく大祭を執行し、すみ、元男、遙、伊佐男、留五郎、鉄男、久太郎、竜吉、吉三郎、貫一、平蔵、信之、岩太、斎治郎、慶太郎、同吉、七蔵及昂三の十八名を随へ右至誠殿に昇殿し、被告人がみろく菩薩として諸面諸菩薩を率ゐて出現したるものとなし、昇殿者一同神前に於てみろく神政成就の為一致団結して捨身活動せむことを誓ひ茲に被告人は右昇殿者十八名と共謀の上万世一系の天皇を奉戴する大日本帝国の立憲君主制を廃止して、日本に出口王仁三郎を独裁君主とする至仁至愛の国家を建設することを目的とする、大本と称する結社を組織し、
 爾来被告人は大本総裁、大本教主補佐及大本総統等として同結社を統轄主宰し、昭和十年十二月上旬迄の間に各地の分所、支部を巡廻して役員、信者等に対し同結社の目的達成の為捨身活動すべく激励し、随行の役員をして前記大本教義の宣伝を為さしめたる外、同期間内に右綾部町本宮及亀岡町天恩郷等に於て前記目的達成の為、
一、同結社の重要なる組織方針及活動方針を樹立して幹部役員をして実行せしめ、
一、各種建造物を増築して同結社の設備を充実し、
一、同結社の最高幹部、総務及大宣伝使等を任命し、
一、駐在宣伝使及特派宣伝使を選任して各地に派遣し分所、支部等の宣伝活動を指揮監督せしめ、
一、幹部役員をして天恩郷大祥殿に於て大本教義の講義、講演を為さしめ、
一、信者より同結社の活動資金及建築資金を徴収し、
一、機関紙神の国、真如の光、瑞祥新聞、明光及人類愛善新聞其の他大本教義を掲載したる霊界物語、出口王仁三郎全集等を発行し、
一、昭和八年一月大本瑞祥会を廃し同時に大本を皇道大本と改称し、
一、同結社の活動機関として昭和青年会、昭和坤生会を同結社の補助機関、外廓団体として昭和神聖会を各創立する等、
 同結社の拡大強化に努め別院二十七個所、分院三十九個所、主会約三十四会、聯合会約百四十数会、分所支部約千九百数十個所、信者約十万人を数ふるに至らしめ、
第二 前記大本教義を宣伝して同結社の拡大強化を図る目的を以て同府南桑田郡亀岡町天恩郷に於て北村隆三外数名をして
一、昭和七年六月三十日霊界物語、第六十巻の再版を発行するに当り其の第四百二十七頁以下に、
「天の岩戸開が段々と近寄りたから是までの如うな事には行かんから、一か八かと云う事を悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の番頭のフナフナ腰では兎ても恐がりてコンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸はありは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違は無いぞよ、一の番頭の守護神が改信が出来たら肉体に胴が据わるなれど到底六ケ敷いから今に番頭が取替へられるぞよ。モウ悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ」
なる畏くも天皇陛下を称し奉るに「悪の頭」なる語を用ひて現御皇位の断絶を暗示したる記事を、
二、昭和七年十月三十日同物語第七巻の第三版を発行するに当り其の第六十一頁に、
「月の光り昔も今も変らねど大内山にかかる黒雲」
なる畏くも現御皇室を呪咀して詠したる短歌を、
三、昭和八年四月十日同物語第三十八巻の第四版を発行するに当り其の第九十四頁に、
「千歳経し聖の壷も地震の荒ひに逢はばもろく破れむ」
「つかの木の弥つぎつぎに伝はりて宝の壷もひびぞ入りぬる」
なる畏くも御皇統の断絶を暗示したる短歌を、
四、同年六月十日同物語第六十一巻の第四版を発行するに当り其の第百九十七頁に、
「現世の君より外にきみなしとおもふ人こそ愚かなりけり」
なる畏くも天皇陛下の外に猶天皇あるか如きこと暗示したる短歌を、
五、昭和九年十二月二十五日同物語第十五巻の第三版を発行するに当り其の第二百八十五頁に、
「日の光り昔も今も変らねど東の空にかかる黒雲」
なる畏くも現御皇室を呪咀して詠したる短歌を
六、昭和八年七月一日皇道大本機関紙瑞祥新聞を発行するに当り其の第七頁及第八頁に畏くも天皇陛下を称し奉るに「日本の上の守護神」又は「日本の上に立ちてをる守護神」なる語を用ひて現御皇室の御施政を誹謗せる記事を、
七、同年十月一日同新聞を発行するに当り其の第五頁に畏くも天皇陛下を称し奉るに、「上」なる語を用ひて現御皇室の御施政を誹謗せる記事を、
八、昭和九年九月一日同新聞を発行するに当り其の第七頁以下に畏くも天皇陛下を称し奉るに、「上の守護神」なる語を用ひて現御皇室を誹謗せる記事を、
九、昭和十年三月一日同新聞を発行するに当り其の第七頁に畏くも御皇統を称し奉るに、「いやな方の血統」なる語を用ひて歴代天皇の御施政を誹謗せる記事を、
十、同年四月一日同新聞を発行するに当り其の第六頁及第八頁に畏くも天皇を称し奉るに、「上の守護神」又は「道具に使はれる肉体」
なる語を用ひて現御皇室の御施政を誹謗し、天皇陛下の御退位を暗示せる記事を、
十一、昭和九年十一月九日昭和十年日記を発行するに当り其の第三百四十七頁の欄外に、「言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ山河海の神もなげきて」
なる畏くも現御皇室を呪咀して詠したる短歌を、
 各掲載せしめて之を信者等に配布せしめ、以て該結社を組織し其の役員たる任務に従事すると共に、天皇陛下に対し奉り不敬の行為を為したるものにして、右不敬の行為は犯意継続に係るものとす。
 上掲被告人の所為に付ては治安維持法第一条、第一項前段刑法第七十四条、第一項前段第十条、第五十五条を適用すヘきものと思料するを以て刑事訴訟法第三百十二条に依り主文の如く決定す。
昭和十三年四月三十日
京都府地方裁判所
予審判事西川武
(大本教団所蔵)
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