霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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地裁公判速記録(12)

インフォメーション
題名:地裁公判速記録(12) 著者:
ページ:466 目次メモ:
概要: 備考: タグ:セーデン・ボルグ(スエーデンボルグ、スエデンボルグ、スウェーデンボルグ) データ凡例:長いので12ページに分割した。行頭●記号で始まる小見出しは底本にはない(うろーの狭依彦氏作成)。底本は漢字と片仮名だが、読みづらいので片仮名を平仮名に直した。 データ最終更新日:2020-07-04 19:17:23 OBC :B195503c220212
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]大本教団所蔵
●争点 「素盞嗚尊は再び世に現はれて…」

午後二時二十五分開廷
出口 あ丶しんどい。
裁判長 三千六百六十八号の証拠品の二枚目に、「素盞嗚尊は再び世に現はれて、大海原を治さめ給はむ」と云ふ歌が書いてありますね。
 是は検挙当時、島根県の別院で書いたのか。
答 お祀りをした時に書いたのです。
問 白石麗子と云ふ女に渡したのか。
答 筆記さしたのです。
問 どんな意味です。
答 矢張り、今に、世界戦争が起つて来るから、其の時に御守護遊ばすことです。
問 誰が。
答 素盞嗚尊が霊界から御守護遊ばす。
 「世に現れる」と云ふことは、姿を以て現れるのではない、「あの霊徳を以て現れて来て、日本を助ける」と云ふのです。皇国を救けられると云ふことを言つたのであります。
 戦争が起ると云ふことは、支那どころぢやない、ロシヤも世界戦争が是から起ると云ふことを見て居るのであります。
 素盞嗚尊の推進力を以て、此の世界に日本が勝つと云ふ意味です。
問 是は、素盞嗚尊の王仁三郎が霊代となつて、世に現れて、世界を治める、と云ふのぢやないだらうな。
答 それは違ひます。
 神様がなさると云ふのです。


●争点 十二段返しの歌

問 中野与之助に対する治安維持法違反、並に不敬事実の証拠品の一号証ですが、此処に十二段返しの歌がありますが……。
答 見せて貰ひました。
問 王仁三郎が作つたのですか。
答 私は知らぬです、初めて見たのですもの、大本に時々色々のものが出て来て拵へる者があるのです。
 それで、「大本には秘密があるやろ」とか何とか言うて、それに書く者がある……初めてそれは見たのです。
問 十回の一問答に於て、「私は、大正六年十二月頃に、綾部の西町の大槻鹿造方に行つた時に、近所に四十歳位の女の人が居りまして、其の人が天理教の筆先を持つて居て、『今の天子様は外国から来られたのである』と云ふ趣旨のことが書いてありました。又、其の時、其の女が、『天理教の管長様の中山新次郎さんが日本の心、即ち中心になるのである』と言つて居つた。其の天理教の筆先及女の話からヒントを得て、大本に帰つて、私が別荘と言つて居つた六畳敷の部屋で、白紙に縦横に線を引いて、二十二字宛字が書けるやうに……四段目に」
答 それは大分違ひます。
 それは私の意思ぢやありませぬ。実は斯うです。私は引つ掛つたのです、「天理教は怪しからぬものだ」と言やはられたのです。
 「『日の本の真の柱は唐人や』と云ふことを天理教は言うて居る。斯う云ふ怪しからぬことを言うて居る」と言はれたので、「それは怪しからぬ。私もさう云ふことならば聞いたと思ひます──大槻鹿造の隣に宿があつて、其処に四十歳位の人が飴売りに来て居つた。さうして、『新次郎と言つて天理教の管長さんが、心になる人だから』と言つて居りましたから、怪しからぬ」と云ふことを認めて居りました。
 さうしたら……其の時はそれで済んで居つたが、十日程してからそれをお書きになつて、「お前は加藤にそれを書かしたのやろ」と言やはりましたけれども、私は七年頃にはそれに会ひましたけれども、加藤には十年初めて会うたのです。
 仕方がないから、「へえ」と言うて居りました。
 どんなことがあつても聴かはりまへぬもの。
 証拠も無し、神様が知つて居らはるのだから、と云ふので向ふの仰しやる通り認めて置いたのです。
 併しながら、そこに妙なことには、
  いつの日か如何なる人の解くやらむ
     此の天地の大いなる謎
と云ふのがある、是はあさのが十一年に作つた歌です。
 それが七年にそんな歌がありさうなことがありまへぬ。
 十二年頃に作つた歌が「神の国」の十二年発行の五月号の十五頁に、確かにあさのが其の歌を書きまして、色紙に書いてちやんと出して居ります。
 七年頃に書いたと云ふことも嘘ですし、「七年頃に其の者が居つた」と云ふ話はしましたけれども、私はそんなことは書いて居りまへぬ。
 或は、今考へて見るのに、ひよつとしたら、静岡県に妙な奴が居つて、其の連中が私の蒙古へ行つた留守の間に其の神霊界を見居つて、其の歌を書いて居つてそんなものを作つたのぢやないかと云ふやうに思ふのです。
問 静岡……。
答 神霊界ぢやない、神の国に出て居つた、十二年の五月号に……
問 其の歌が。
答 「大いなる謎」と云ふあさのの歌が。
問 此の歌の読み方は──。
答 歌は別です。
問 あさのが……。
答 歌つて居るのは別です。そんなのとは違ふ。
 此の意味は、私がああ云ふことになつたりして、自分がもう是程神さんを信仰して居るのに、斯んな目に遭ふのは何故か判らぬ、と言つて悔んで居つて作つたのだから──何とか云ふ男が……
 是は知らぬ人でございますけれども、与野何とか云ふ男が、誰に貰うたか知りまへぬが、其の貰うた人を調べて貰うたら判るのです。
 私は書いた覚えはないのです。見た覚えもありませぬ。
問 それでは、予審で言うて、作つた時の顛末を書いたのは嘘だと云ふのだな。
 斯んな歌を作つたのは誰か判らぬと言ふのだね。
答 さうです。或は、湯ケ島の者が作つたのやないか、と云ふことを思ふのでありまして、それは何故かと云ふと、筆先を──偽の筆先を書く人がありまして、色々のことを書いて居りまして、私はそれを見付けたから、破らして燃やさしてしまつたのであります。
 後から書いて居つたかも知れないが……私は誠の為に「偽の筆先」と書いてどつかに書いて置いたことがあります。
問 此の意味合のことに付ては、第十回の一問答に於て詳しく説明して居るが、此の歌を見たことがあるか。
答 初めて見たのです。
 今迄見たことがありまへぬ。
問 それにしては能く説明して居るのぢやないか。
答 「斯うやろ斯うやろ」と言つて字を書いて……皆是は向ふから書かれたので、私は説明してやしまへぬ。
問 ぢや訊ねるが、四段目の右から左に読むと「綾部に天子を隠せり」、又、八段目を左から右に読むと、「畏多くも、今の天子偽者なり」と書いて居る。
答 さうです。初めてそれを見た。
 今迄そんなことを書いた覚へもありまへぬ。やつた覚えもありまへぬ。若しもなそやつたら、綾部の者が持つて居つたならば綾部の者が書いたに違ひないが、私は初めて見たのであります。
 最前の長いものと是は大変やと思つて迷惑して居るものです。


●争点 三種の神器

問 それからね、四十九回の一問答の(一)に依りますと、昭和十年の十一月上旬に亀岡の透明殿の二階の一室に三種の神器に擬した、鏡と璽と劔を置いて居つたと云ふが……。
答 是等は、
問 何ですか。
答 貰うたのです、藤井と云ふ人が、三種の神器を木で拵へたのです。
 鏡も木で作り、劔も拵へたりして、之を穴太で神聖神社を拵へて居る時に、「此の三種の神器を祀るのはいかぬ、天照大神の大霊だからいかぬ」と云ふので、何を持つて来たのです。
 藤井と云ふ人が…ちよつと気の変つた人です。
 又、其処へ鶴殿さんと云ふ九条公の妹さんが三種の神器を持つて来て、「神聖会のお宮を建てるならば、之を御神体にして呉れ」と言つて持つて来た。
 それは、三種の神器をお祀りして、穴太に残つたのを置いて置いたのです。


●争点 大本の旗を付けた軍艦

問 (二)の所の、昭和五年頃から高天閣の一室に、艦首に更始会の紋の付いた旗、マストに十曜の紋の付いた旗を立てた軍艦の模型を置いてありましたが、透明殿の出来た時、其の模型を同殿のに階に移したと云ふがそれはどうぢや。
答 貰うたのです。
 是は海軍の士官が夢を見たと云ふのです──。五、六人の人が、日本の軍艦と米国の軍艦とが戦うた時に、最後の時に、帆柱の上に白衣の観音さんが現れて、さうして其の人から光が出て敵艦が亡びてしまふ──斯う云ふ夢を見たと云ふのです。
 是は考へて見ると、大本かも知れない、と云ふので、皆寄つて拵えて──百何十円か掛つたさうです。
 大本に持つて来た其の時には、畏多くも菊の紋が付けてあつた。是はどうもいかぬから、せめて大本の紋に変へて貰はなければ困ると言つて変へて貰つたのです。


●争点 白馬に乗つた王仁三郎

問 それから、(三)に依ると、豊生館内に白馬に御召になつて居られる大正天皇さまの御写真と、其の向つて左横に王仁三郎の白馬に乗つた写真を並べて掛けて置いたと云ふことだが──。
答 それは嘘です。
 私が行く時には、何へ行く出雲へお祀りに行く時ずつと一遍廻つた。其の時に何処にも掛つてやしまへぬ。
 それに、大正天皇さまの白馬に御召になつて居る写真と云ふものは大本にはありまへぬ。大きなものはありまへぬです。
 それが、写真にちやんと載つて居るから、大変不思議に思つて居るのです。
問 それを予審で見せて貰ひましたか。
答 見たことがありませぬ……
 見せて貰うたが、「私はそんなことは知りまへぬ」と言つた。
 「私が知らぬ間に誰ぞ青年会の者が」……、「そんなことを言ふならば、青年会の者が罪になるぞ」と言はれたから、黙つて居つたのであります。
問 ちよつと畏多い話だがね。
答 私もさう思つて居ります。
問 大正天皇とありますが、今上陛下の御写真ですね。
答 さうですね、初めて見たのです。
問 今上陛下の御写真と、白馬に乗つた王仁三郎の写真を竝べて掛けてあつたことは……。
答 掛けてなかつたのです。
 後から誰か掛けたか知らぬと思つたが、私は知らぬ。私はちよつとも知りまへぬ。私の白馬に乗つて居る、そんな大きなのも知りまへぬ。
問 関知せぬと云ふのです。本当に知らぬならばそれで宜しい。
 四の事実は、「昭和八年の八月に亀岡の東光苑に於て白馬に乗つて昭和青年会の査閲分列式を行つて、式後岡部と云ふ退役軍人の信者が居つて、それが旗手となつて昭和青年会の騎馬隊の三角旗を立てて先頭に進んで、其の次に、王仁三郎が白馬に乗つて昭和青年会を率ひて亀岡から穴太迄行進した。其の時の写真及記事等は真如能光及同年九月発行神の国に掲載してある」とあります。又、「右以外にも、二回程、白馬に乗つて昭和青年会の査閲を行つたことがあるが」と言つて居るが、是はどうぢや。
答 それはあるのです。
 けれども、是は、蒙古に行つた時で、向ふでは宗教家は全部白馬に乗るのです。
 宗教家と見たら敵が撃たぬのですから、蒙古では喇嘛は白馬に乗りますが、喇嘛を皆信仰して居りますから、敵の中へ入つても白い馬だつたら撃たない。
 それで、私は、向ふで白馬に乗つて居た。私の白馬に乗つて居る写真はこつちへ持つて来た。又、白馬の赤い奴を取り下げて、詰り、言うたら、自分の方から下げて貰つたのです。
 さうした所が、もう廃馬になつた赤い馬ですから、ちよつと穴太に行つたら二度目にはへたつてしまつた。そんな馬を買はされた。乗つたのは本当です。
問 陛下の三角旗を立てて、儀仗警衛に真似て、分列式の査閲を行つたのはちよつとげせぬぢやないか。
答 それは軍人さんが皆居つたものだから……私は知りまへぬもの。
問 陛下の観兵式と同じだらう。
答 ちよつとも、三角旗があつたことも、何も知らなんだのです。

●争点 天皇に酷似した服装

問 それから此の点はどうだ、大正九年頃に福知山の装束屋衣川と云ふ者に……。
答 衣川です。
問 黄櫨染の袍こうろぜんのほう。天皇が祭儀のときに着ける。明治以後は即位礼にも着用する。と云ふものを拵へさせて居つたと言ふが、今天皇陛下が御召になるものぢやないのか。
答 それはクウロンの活仏から……黄色のが一番上なんです。紅教と言ひまして、紅教の方は紅の着物を着、黄教と云ふのは黄色の着物を着る。其の布を呉れた。布を是程(と手真似しながら)呉れた。それが、方式です。
 それを蒙古に行く時分に、其の時に、「之を着て行かなければならぬ。此の布の色の何を拵へて呉れ」と言つて置いた。
 処が、そんな物を拵へて来た。色はちよつと違つて居ります。けれども、あれを衣川が持つて来ました。
 「是はちよつとおかしくないか」と言ひましたら、衣川の言ふには、「其の代り、大本の十曜の紋とか松とか梅とかが書いてあるから差支ない。私は有職故実を学んで居る。先祖代々のことだから気遣はおへぬ。」と言ふのです。
問 おかしいとは思つたのか。
答 私は判りまへぬけれども、何だとか彼だとか大層に言ふから、ひよつとしたらさうやないかなと言つたら、霊が懸つて来て、「大本の御祭をする時には、稚宮さん即ち仁徳天皇さん、綾部の八幡さん即ち応仁天皇さん、此の神がお出でになるから御懸になつた時にはどうしても着なければいかぬ」と云ふことだつた。着るのは嫌やと言つたら……
 それで一遍着たのですわ。それがどうしても着まいと思うても、体が硬ばつて仕方がないから着た。そしたらすつと直つたのです。二度より着て居やしまへぬ。

●争点 神聖会での王仁三郎の護衛

問 それから昭和神聖会の統管として、統管服を着て天恩郷を出入りする時とか、或は地方本部へ行く時とか云ふ場合には、統管旗を持つた旗手を先頭に立てて、王仁三郎の乗つてる自動車の前駆後駆として神聖会員が、自転車又は自動自転車に乗つて護衛して居つたと云ふが本当か。
答 それはさうです。それは下位さんが指図してさしたのです。
問 前後駆を……統管旗を立てゝ出入することをか。
答 「或る人が、東京であんたを狙うて居る者がある。あんたを暗殺しようとして居る者がある。あんた要心して後、先を守つて貰はなければならぬ」と云ふので、守つて貰つた。
 それで、自分の先へも行き、後へも行くと云ふ具合になつたのでずるずるべつたりになつたのです。
 参謀長と云ふのが下位ですが、下位が、「構やしまへぬ、伊太利で私がやつて来たのや」と言つて……。
問 是が統管旗か。
(此の時統管旗を示す)
答 さうです、是は歩いたから汚れたのです。

●争点 六合拝

問 斯う云ふことは余り面白くないのぢやないか。前駆後駆を設けると云ふやうなことは。
 それから、七番を抜いて八番に行きませう。
 大正八年頃から毎年の旧正月、夜明前に祭祀課長及幹部の五、六人を連れて、綾部の黄金閣の三階に上つて六合拝と云ふのをやつて居つたのか。
答 はいやつて居りました。
問 後から止めたのか。
答 止めたのであります。
問 是は、宮中の四方拝を真似たのか。
答 神さんの命令で、天地四方を拝むと云ふことになつて居りますから、四方拝を真似たらそれをやるのですが……
 四方拝の時は皆朝起きて拝みます。お祀りを致します。
 是は旧の正月に神様が綾部へ下つて来るから拝め、と云ふことだつたのです。
問 其の六合拝の時に、
  天が下四方の国々ことぐく
    我が言霊に靡き伏すらむ
と云ふ歌を唱へて居つたのは、是は何時頃か。
答 一遍だけでした。
問 十四年頃からですか。
答 毎年違ひます。
問 是はどう云ふ意味だ。
答 詰り私の口から出た教が、風に草木の靡き伏すが如くに、世界中に拡まるであらうと云ふ意味です。
 「らむ」ですから弱い言葉です。

●争点 王仁三郎便所の装置

問 それから王仁三郎の、便所の装置は、ちよつと大分高貴の方の便所の構造装置に似て居るのだと云ふぢやないか。
答 そんなことは知りまへぬ。
問 設備構造をどなたかのに真似たやうなことは……。
答 そんなことは知りまへぬ。存じまへぬ。
 此処が似て居るか似て居ないか、なにがやつたのですから……大工がやつたのですから、別に立派な装置とも思つて居りまへぬ。そんな立派なものだと言はれるやうな便所ではありませぬ。
 唯変つて居つたのは、二畳位の座敷を拵えまして、前に机を置いてl忙がしいのですから尻を捲つてなにして居る間に、眼鏡を掛けて、前に仏書とか基督教の本を置いて読むことが出来るやうになつて居りましたが。
 併し、ちよつとそこらの宿屋に行つたら……刑務所の第五房の便所の装置でも立派なものです。縁から水が出て来て立派なものです。あれよりも悪いのでございます。

●争点 憑霊

問 よし、それから今井弁護人から註文のあつた霊に関することは余り調べて居りませぬので、此の点に関しては、今被告人から段々訊いたのですが、大審院に於ても、此の前の事件に於ては大審院でもお判りにならぬで、鑑定を二回程さして居るやうですね。
 鎮魂帰神の関係やら、色々、之に出て来ますが、一つ御覧下さい。
 実は私等も霊のことは余り……鎮魂帰神のことも余り判らぬ、大体のことなら──。
出口 今村博士は精神家〔科の誤り〕の何で、神懸りのことは判らぬ人で、私は嫌です。
 杉田直樹と云ふ人が調べて呉れました。
裁判長 是は今村博士の鑑定書です。杉田博士も能く書いて居ります。
 神書とか何とかに出て居りますが、それを医学の方面から全部は信用しないが御覧になつては──。
今井弁護人 有難うございます。
足立弁護人 何号ですか。
裁判長 四千九百九十五号の十一号、十三号となつて居ります。
今井弁護人 松なんとか云ふ人が鑑定して居ります。
 「神が憑ると云ふことは確かにあります、其の他のことは知らぬ」と云ふやうなことが書いてあります。
裁判長 探して見ませう。
今井弁護人 鳥の鳴声を知ると云ふ名高い人です、浅野和三郎に付ての検事の聴取がありますが、参考にしてお調べを願ひたいと思ひます。
出口 此の浅野の調べられたのは聞かせて戴きました。
裁判長 弁護人の方から註文があつたから。
答 私に下等の霊が掛つて居る、と馬鹿にして居ります。下等の動物霊が懸つて居ると……。
問 専門的のことは……王仁三郎のことは千五百六十一丁以下に詳しく出て居ります。之も御覧なすつて下さい。
出口 私は済んだのですか。

●争点 下位

裁判長 裁判所の訊かうとする所は是で大体……一番終ひに又検事に対する意見も訊かなければなりませぬから、一応裁判所としては是くらいに止めようと思ひますが、補充訊問は此の際なさいますか。
清瀬弁護人 休の時に此処で協議をして見たのですが、補充訊問として。
裁判長 (出口に向ひながら)腰を掛けて居つて宜しい。
清瀬弁護人 四、五大きいのがありますけれども、被告も大変疲労を致して居るやうでありますし、又関聯して他の被告の陳述を訊いてから後が便宜のことがありませうから、それは他日に致したい。
 唯、此の席が遠くして聞へなかつたこともありますし、又御見受けする所、裁判長は記録のお出し入れ等に意をお取りになつて被告の言つたことが耳に入つたかどうか知らぬと思ふやうな点がありますから、簡単なことばかり一、二だけ、それは補充訊問ぢやなく釈明訊問と云ふやうな……。
裁判長 どつちでも宜しうございます。
清瀬弁護人 それで今日は終りたいと云ふ皆の意見であります。
 宜しうございますか。
裁判長 宜しうございます。
清瀬弁護人 私から逆になりますけれども、今の統管旗の説明をした時分に、「下位が構はぬ構はぬと言つて伊太利でも、やつて来た」と云ふことをちよつと言つたやうに思ひましたが。
裁判長 言つて居りましたね、無論さう聴いて居ります。
清瀬弁護人 下位が伊太利で誰がやつたと云ふのでありませうか、下位自身がやつたのか、誰か他の人がやつたのか。
出口 ムツソリーニがやつて居つたですわ。自分等も一緒にやつて居つたと云ふのです。
清瀬弁護人 其の方だから構はないと云ふ意味ですね、それだけのことですね。書類をお繰りになつて居りましたから……。
裁判長 ……。
清瀬弁護人 それから。
出口 「総て向ふは斯うするのや、あゝするのや」と指図したのです。

●争点 悪の頭

清瀬弁護人 もう少し前に遡つて、今の「悪の頭」と云ふ御訊問に、高木と言ひましたか私も聞へなかつたのでありますが、「高木が『悪の頭』に見せるのぢやと言うて見せました」と云ふ真似を、ちよつと其処でして居られたやうですが、あのことをもう一遍──。
裁判長 確めて置きませうか。
出口 其の時は「悪の頭」に書いて見せてやらうと云ふので弥仙山の上へ持つて行きましたのは、後の出口慶太郎、四尾、山の上へは中村竹造。
 中村竹造は何の方へ元伊勢へも持つて行きました。さうして、戻り掛に気狂になつてしまつた。二日月が出た。六日月は聞いたことはあるが、二日月は聞いたことがない。それから気狂になつて糞を喰ふやうになつて死んでしまうた。
 又、慶太郎はそれから後睾丸が腫れて、それが因で病気になつて死んでしまつた。
 矢張り、「神さんの言ふ通り度胸がなければいかぬ。命掛や」と言つて置つた位であります。さう云ふたことはあつたのであります。
裁判長 あつたからどうだつたと言ふのだ。
答 それで矢張り悪霊が斯んなことをやつた。
 悪霊を改心せいと云ふことの為に見せに行つた山へ……。
裁判長 悪霊を。
清瀬弁護人 悪霊にでせう。
出口 悪霊に見せたのです、悪霊に見せるやうに持つて行つた、戻りに矢張り気狂になつたり、病気になつた。
清瀬弁護人 筆先ですか。
出口 筆先です。教祖が書いたのを皆持つて行つたのです。
 それは、誰も恐がつてよう行かなかつたのです。
清瀬弁護人 此処の「今の番頭のふなく腰ではとてもこはがつて、こんなものを見せてやるだけの度胸はありは致すまい」と云ふのが、それの所ですね。
出口 大本の番頭なんです。
裁判長 それから……そのことは判りました。
清瀬弁護人 そのことと合して「悪に見せる」と云ふことが意味が通ずるのであります。
清瀬弁護人 それから。
出口 於与岐の弥仙山にも吉崎仙人と云ふのが居りまして、それも矢張り枝に掛けまして、「天に見せて天魔に知らして改心さす」と言つて書いて居りました、それと同じことをやつたのです。

●争点 国体と政体

清瀬弁護人 昨日のことに遡りまするが、「大本の教義は国体の変更はさらさら考へては居らぬ。政体のことに付ては変へなければならぬ」と言つたやうな話が交換されたが、其の言葉は判つたのだけれども、裁判長並に私共は法律の意味で使用する言葉と諒解しますが、併し法律家の間には決つた意味でありますが、被告の言ふ後先を訊くと、出口被告は国体は成る程天立君主立憲国だと言つて、誠に其処は国体の意味ははつきり且又法律家と同じに使ひましたが、政体と云ふ意味が我々の使ふ意味と違ふのぢやないか。
 政治のやり方は風俗とか、或は腐敗とか言つたやうな風に言ふべき所を、政体と言つて居られるやうにも聞いたのであります。
 昨日言はれた政体と云ふことをもう一度言ひ直して貰ひたい。
裁判長 政休と云ふことは、どう云ふことですか、腰掛けて居つて宜
しい。
出口 近衛内閣以前のやり方と……
 近衛内閣になつてから総動員になり、又、色々やり方をお変へになりまして、之を政体が変つたのやと思ふのであります。
 近衛内閣になつてから、戦争にぶつかると変つて参りました。やり方がすつくり変つて参りました。それで経済の統制やとか何とかあゝ云ふことを、私は一つの政体が変つて居るのやと思つて居ります。
 自由経済が統制経済になつたのは、今迄自由経済だつたけれども、それは今度は国民精神総動員になつて一つになると云ふことになつた。
 斯う云ふことになつたことを政体が変つたのやと思ふのであります。
裁判長 法律上の……。

●争点 霊代

清瀬弁護人 我々は先入主がありますから、其のことを調書に……速記がありますけれども、それからですね、霊界のことも経験がないから理解しないかと思ひますが、霊代のことです、霊代です。
 或る場所には、「小松林命は腹に始終居る」と云ふことを言つて居られました。
 さうすると、出口さんは生涯を通じて小松林命の霊代であられるやうです。
 それを訊くと、何時も其処から見れば小松林命が宿つて居られる。
 併し、素盞嗚尊のことを承はると内流された其時だけが霊代のことのやうにも見える。
 尊い神さんと云ふのは、或は一時的にお宿りになつた時だけ、小松林命なんどは継続的の霊代と云ふことでありませうか。其処を一つ──。
裁判長 訊いて見ませうかね、どうぢや王仁三郎。
答 小松林命は私が鎮魂を修業した結果、体中に収つて居るのです。
 さうして、始終、それが耳に触はられたりして、其の霊を通じて素盞嗚尊或は国常立尊がそつと私に物をお教へになつたり、お告げになつたり、或は精霊の目を通し、耳を通して……
 我々はそれを霊代と言うて居るのです。
裁判長 今、弁護人の言ふことと違ふぞ。素盞嗚尊の如きえらい方は通常憑いて居られないのか。
答 始終居られませぬ。
 小松林命が媒介天人になつてお願ひするから、精霊を通して素盞嗚尊がお降りになると云ふのです。それは間接になります。
 小松林命と言へば直接内流、私は間接内流と云ふ神様から来るのを──外から来たのは外流です。
裁判長 霊代と云ふのは、さう云ふ関係の霊代か。
清瀬弁護人 それが、矢張り、本件に大変関係する。
出口 霊代のことを能く判るやうにするのには、セーデン・ボルグの「天上と地獄」を読んで貰つたら書いてあると思ひます。
清瀬弁護人 関係しますのは、ちよつと予審決定だけを見ると一方的には、永続的に教祖乃至王仁三郎が天之御中主で、王仁三郎が素盞嗚尊であつて、稍々是が相反するやうな意味になる。
 其の素盞嗚尊の神徳で世界が統一される、と云ふことになるから、大分誤解を生じて来る。
 霊代と言つても、小松林命の精霊に依つて移つて来られる間だけが霊代ですね。
出口 さうです。
清瀬弁護人 大変重要なことですから。
裁判長 其の次は──。

●争点 外流と内流

清瀬弁護人 それから被告が勾留されて居りますから、弁護人でありながらちよつと面接の遑がありませぬので神憑の……筆先と云ふものは、是は原則として移られた霊の意思を手で伝へるものだ、が併し、平生の人間としての体験から自分の知つて居ることが先行する。私の意思も交つて居ると云ふことを言つたが。
裁判長 言つて居ります。
清瀬弁護人 処がね、もう一遍之をお訊きを願ひたいのであります。それはどう云ふ意味だか。
裁判長 どう云ふ意味です。
出口 それは神が憑つて来るのに付ては、自感、他感、神感と云ふ銘々に深い浅いがありまして、自感は自ら感ずる、他感は他から感ずる、神感は直接内流です、他感は直接外流です。
 それから、さう云ふ具合に神の移る場合が違つて居ります。
 今なんですか、ひよつと忘れて……。
清瀬弁護人 それで、自分の意思も交つて居ると云ふのですか。
答 それは意思と云ふ意味ではありませぬけれども、意思と云ふものではないけれども、詰り外流と云ふ方は、今迄総てにあるから、自分の頭に何時と云ふことなしに入つて来て居るのが、それが時に依ると、言うたら潜在意識とか、今日の学者が言ふやうに、其処に入つて居る。
 それが入つて居る奴は、何時とはなしに神憑り時に一つ緒くたに混つて居る、と云ふやうな私は意味やと思ふのです。
清瀬弁護人 さうすると混つて出るのは混ぜようと欲して混ぜるのでなく、自ら体にあるものだから混ざると云ふ意味ですな。
答 さうです、混るのは、所謂良い酒は飲んでも後に何も残らぬ、沢之鶴と云ふやうな酒は所謂二日酔などをして仕様がない。
 それと同じやうに、良い事はずつと頭へ入つてしまつて覚えて居ない。悪い事は入らないので後で頭に残つて居る。それで覚えて居る。
 併し、何時になつても妙なことを覚えて居るのは、それは悪いことが残つて居るので、良い事は霊魂の餌食になつてしまうて居る。
 良い事は其の儘入つてしまつて忘れてしまふ。併し、矢張り中に入つて居るのだから神さんの喋つたことを聞いたりなんかして見ると、何時やら、何時か自分も聞いたことがある、想ひ起すと云ふさう云ふ意味なんでございます。
裁判長 自然に出て来ると云ふのですな、詰り。
出口 意思を以てやるのぢやありませぬから。
裁判長 それも現れると云ふのだね、何時と云ふことなしに……。
清瀬弁護人 さうだらうと聞きましたが、意思と云ふ言葉が邪魔になつて……。
出口 用語が余りはつきりせぬものですから──。
裁判長 判つた判つた。

●争点 大本祝詞

清瀬弁護人 難しいことぢやないのですが、昨日……一昨日の終りか、大本教の一番根本の要諦と云ふお問に対して、教義、祝詞等と言つて祝詞の一節を誦んじて説明して居りましたが、あの祝詞の全文を詳細に註釈を付けてお手許に……
 私も受取りましたが、此処で訊きたいのは、あれは何時出来たかと云ふことなんです。
 ちよつとそれも言ひましたけれども、是は私がどうかしてよう聴き取れませぬでした。
出口 善言美詞でせう、之に載つて居るでせう。
清瀬弁護人 昨日あなたが言つて居たのを移さしたのですから──。
出口 是は善言美詞の中の一節です。
裁判長 それは何時出来た。
答 それは私が皇典講究所へ行きまして、さうして明治四十年、それ迄は祝詞を上げて居りました……大祓の祝詞、禊の祝詞──皇典講究所ですつかり神道を教へて貰ひまして、古事記やとか万葉集とか色々の古典を集めまして学校で卒業論文の代りにそれを出した、非常に能く出来て居ると言つて褒められました。
裁判長 さうですか。
答 今迄誰も判つて居なかつたのを、古典ばかり集めて大本の精神を詠んだのであります。
問 四十一年か。
答 四十年です、私が学校を卒業したのは四十年です。
清瀬弁護人 さうして。
裁判長 四十年。
答 四十年に出来て印刷するやうになつたのは四十三、四年頃です。
 それ迄は信者も少ないから、写して読んで居つたのです。
清瀬弁護人 さうですか、神前に朝夕奏するやうになつたのは、何時からですか。
答 それは毎日、四十年から毎日です、信者の少ない時から──。
清瀬弁護人 独り大本の本部別院等の所で奏上して居るのみならず、信者は朝夕之を奏上するのですね。
出口 はい、さうです。之に依つて出雲に行つた時に、此の祝詞を上げて──此の祝詞を見て国学者の湯川貫一さんは、それを見て、是でなければ日本の国はいかぬと云ふので信者にお入りになつたと云ふことを聞いて居りました。
 それは嘘か本真か、知りまへぬが、そそなことを言つて居る人がありました。
清瀬弁護人 私が承りたいのはそれだけです。
裁判長 それでは又補充訊問もありませうが、今日は王仁三郎に付ては是だけにして置きます。
 五分間ばかり休んで伊佐男を三十分ばかりやりませうか。
清瀬弁護人 どうでせうか、此の程度で五分間休憩すれば三、四十分しか時間がありませぬが。
裁判長 経歴ぐらいちよつと訊いて置きませうか、ぢや五分間ばかり休憩致します。
午後三時十五分休憩
(大本教団所蔵)
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