霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三章 神道の本義

インフォメーション
題名:第3章 神道の本義 著者:出口王仁三郎
ページ:59
概要: 備考: タグ: データ凡例:2017/9/20校正。 データ最終更新日:2017-09-20 02:30:16 文字数:2120 OBC :B121801c12
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正8年4月15日号(第84号) > 皇道我観(二)
 吾人(ごじん)は進んで神道(しんだう)の本義に移らむとす。即(すなは)ち神道とは、世界各国に行(おこな)はれつつ在(あ)る宗教に対しての名称なり。今茲(ここ)に論題と為(な)したる目的は、日本(にほん)皇国(くわうこく)に於(お)ける神道の事を以(もつ)て、先(ま)づ標的となすものにして、古来神道宗教家なるものの本尊として、敬拝(けいはい)尊崇(そんすう)せる神々の御性格が、各別々に発揮せられ、明確に説明せられ、的確に実行されあるや、大(おほい)に疑問とすべき所なり。現今(げんこん)日本国(につぽんこく)に於(お)ける、神道宗教の十三派を通(つう)じて、各奉斎する神々の本質を闡明(せんめい)して、真個(しんこ)国体(こくたい)の精華(せいくわ)を発揮せるものありや、頗(すこぶ)る疑はしき次第なり。彼(か)の天理教(てんりけう)は、十柱(とばしら)の神を主神(しゆしん)として、之(これ)を天理王尊(てんりわうのみこと)と称(とな)へ、八埃(ほこり)の教(をしへ)を説き、神の御活動を説くと雖(いへど)も、寧(むし)ろ現代に活躍すべき神理に薄き感あり。黒住教(くろずみけう)は、皇祖(くわうそ)天照大御神(あまてらすおほみかみ)を主神(しゆしん)とし、金光教(こんくわうけう)は、天地金(てんちかね)の大神(おほかみ)と総称する三神(さんしん)を本尊となし、御嶽教(みたけけう)は、国常立尊(くにとこたちのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少名彦命(すくなひこのみこと)の三神(さんしん)を主神として敬拝すと雖(いへど)も、未(いま)だ以(もつ)て神々の御本質を明確に説かず。其他(そのた)の神道宗教の教理及び祭神も、亦(また)個々別々にして、一も統一せるもの無(な)く、却(かへ)つて神道の尊厳を汚濁(をだく)するものと謂(い)ふべし。
 抑(そもそも)皇典(くわうてん)古事記の内容を、解説せる宗教的神道とも称すべき、安心立命的天理の本源を顕示し給へる、御本文(ごほんぶん)を左(さ)に摘録(てきろく)せむか、古事記上巻、
『故(かれ)、其(その)兎(うさぎ)大穴牟遅神(おほなむちのかみ)に白(まを)さく、此(この)八十神(やそがみ)は必ず八上比売(やがみひめ)を得(え)じ、袋を負へども汝(なんじ)命(みこと)之(これ)を獲(え)たまはむ。(八十神(やそがみ)とは諸(もろもろ)の神道宗教又は耶蘇教(やそけう)の意)茲(ここ)に其(その)太刀弓(たちゆみ)を持ちて其(その)八十神(やそがみ)を追避(おひさ)く時、坂の御尾(みを)毎(ごと)に追伏(おひふ)せ、河の瀬(せ)毎(ごと)に追ひ揆(はら)ひて国作り始め給(たま)ひき。(是(こ)れ皇道(くわうだう)大本(おほもと)の出現にあらずや)』
 以上の神文(しんぶん)を以(もつ)て、俗説(ぞくせつ)大国主神(おほくにぬしのかみ)の御遭難の神話と称しつつありと雖(いへど)も、其(その)本義たるや天津(あまつ)日継(ひつぎ)天皇(てんわう)の総攬(そうらん)し給(たま)ふ、天理人道の教義を、説示し玉ひし明文にして、即ち天地の大造化力に伴ひたる、世の経綸(けいりん)を行ふ大本(たいほん)より説き起(おこ)し、人の世に顕(あら)はれ出(いで)たる、天職と天賦の徳、ひとしく易(かは)る国の天賦と天賦の言語と、人質(じんしつ)の関係、地質と人の性質の関係、言語と性質と手指(しゆし)の活用の関係、気界(きかい)(原子(げんし))と人質(じんしつ)の関係、天賦の地を経綸すべき原理倫理の本源、人の生死往来して無限の寿(いのち)を保つ原理及び生死往来の道理を明示し、人の霊魂作用、人の世に処する根本律則(こんぽんりつそく)、一国を主神(しゆさい)する者の宗(しう)とする根本法理、世道(せだう)人心(じんしん)を平(たひら)かに治むる大基本を教へ給(たま)へる神文(しんぶん)なり。
而(しか)して、
『故(かれ)、阿治志貴(あぢしき)高日子根(たかひこねの)神(かみ)は怒(いか)りて飛去(とびさ)る時に、其(その)伊呂妹(いろも)高比売命(たかひめのみこと)、其(その)名(な)を顕(あら)はさむと思ふ故に歌(うたひ)曰(たまは)く、
あめなるや、をとたなばたの、うながせる、たまのみすまる、みすまるに、あなだまはや、みたにふたわたらす、あぢしきたかひこねのかみぞや』此(この)歌は夷振(ひなぶり)也(なり)。
 此(こ)の夷振歌(ひなぶりうた)の本義は、人の世に処する精神によりて、徳の基(もとゐ)を結ぶ天理の法則を、示し玉へる神歌(しんか)なり。古来我国(わがくに)神道家の唱導する教義なるものは、至粋至純なる、皇祖の教示し給ひたる真正の教理に非(あら)ず。実に一千有余年間に、輸入せる儒仏(じゆぶつ)の教義を、国体的に純化したる人工的教義なれば、実際的に世道人心を、利益する能(あた)はざる教理にして、世界各国の宗教と殆(ほと)んど異(ことな)る処(ところ)なし。実に奉齋(ほうさい)し奉(まつ)る神霊に対し奉(まつ)りて、畏(おそ)れ多き次第と謂(い)ふ可(べ)し。要するに、神は各(かく)其(その)異(ことな)りたる御名(みな)を有し給(たま)ふが如く各自(かくじ)皆天賦(てんぷ)の活用妙機を保ち玉ふにあり。此(こ)の神々の保たせ給(たま)へる御神格を活用し奉(まつ)るは、日本国民の宗(しう)とする所の天職ならざる可(べか)らず。故に吾人は、如斯(かくのごとく)感(かん)ぜざるを得ず。天運循環して、茲(ここ)に日進の聖代に遭遇せる、現在の国学者及び十三派の神道宗教家は、宜(よろ)しく神道(古神道)の大本(たいほん)を闡明(せんめい)し奉(まつ)りて、皇祖の御稜威(みいづ)を照らし顕(あら)はし奉(まつ)らざる可(べか)らず。然(しか)るに現代の宗教なるものを見るに、往々(わうわう)にして、安寧(あんねい)秩序(ちつぢよ)を害するものあり。皇国固有の神道には非(あら)ずと雖(いへど)も、朝鮮に於(お)ける天道教(てんだうけう)然(しか)り。後援の地位に立てる、某々国(ばうばうこく)キリスト教の宣教師の行動も、亦(ま)た然(しか)るに非(あら)ずや。帝国憲法は、明(あきら)かに此(かく)の如き信教を禁ぜり。将来一般宗教に対する批判は、詳細に説述すべき吾人の覚悟なり矣(い)。
 彼等(かれら)の徒(と)が、安寧(あんねい)秩序を害するの根元(こんげん)たるや、彼等は、神仏の解剖的意義を多少覚知せるならむも其(その)実際の活動に思ひ到らず、救済、摂取を口にするも、事実之(これ)に伴(ともな)はず、根本的の神誓(しんせい)神約(しんやく)に着眼するもの無きは、実に思想界の暗黒時代と謂(い)ふべし。真実世道(せだう)人心(じんしん)を、利導(りだう)啓発(けいはつ)するに適したる宗教は天下に唯(ただ)一あるのみ。是(これ)を天津(あまつ)誠(まこと)の道と謂(い)ひ、皇道(くわうだう)大本教(おほもとけう)と称す。是(これ)即(すなは)ち、我(わが)皇祖(くわうそ)及び神祖(しんそ)の教示し給へる、天理人道の根本義にして、大日本国教の真髄とする所なれば、正(まさ)に以(もつ)て教育の大本(たいほん)となす可(べ)きものたり。唯(ただ)単(たん)に哲学と空想とに基(もとづ)ける世界一般の宗教に対しては、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の教義を照示し、以(もつ)て其(そ)の迷妄を開発離脱せしめ、彼等の理想を満足せしむるは、日本神道家は更(さら)なり、吾人の双肩(そうけん)にかかれる職責なり、任務たる可(べ)し。『亦(マタ)以(モツ)テ爾(ナンヂ)祖先(ソセン)ノ遺風(ヰフウ)ヲ顕彰(ケンシヤウ)スルニ足(タ)ラム』と示させ給へる、明治天皇の御勅語(ごちよくご)に奉答(ほうたふ)するは、一に皇典古事記及び皇道大本神諭の研鑽(けんさん)に待たざる可(べ)からざる次第なり。要するに皇道とは、世界を統轄して、平(たひら)かに安らかに治(をさ)むる教政(けうせい)を総称するの義にして、神道とは、世道人心を教導すべき根本的教育の本源なり。然(しか)りと雖(いへど)も、現代に行(おこな)はれつつある政治教育とは、根本的に異(ことな)れるの感(かん)無き能(あた)はざるなり。
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