霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四章 神祇の奉斎

インフォメーション
題名:第4章 神祇の奉斎 著者:出口王仁三郎
ページ:63
概要: 備考: タグ: データ凡例:2017/9/20校正。 データ最終更新日:2017-09-20 02:31:18 文字数:5689 OBC :B121801c13
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正8年4月15日号(第84号) > 皇道我観(三)
 皇国(くわうこく)の大道(だいだう)は、神祇(じんぎ)を奉斎(ほうさい)するを以(もつ)て最要とす。而(しか)して斎(さい)に二法あり、曰(いは)く顕斎(けんさい)、曰く幽斎(いうさい)、之(こ)れなり。道の大原(たいげん)に曰く『幽斎は霊(れい)を以て霊に対し、顕斎は形(かたち)を以て形に対す。故に幽斎は神像(しんぞう)宮社(ぐうしや)無し、而(しか)して真神(しんしん)を祈る。顕斎は神像宮殿有り、而して神像を祭る俗学蒙昧(もうまい)にして古義(こぎ)を知らず、混じて以て一と為し、岐(き)して以て万(よろづ)と為し、停止する所無し。実に祭儀の大疵(たいし)なり』と。然(しか)りと雖(いへど)も、顕斎にして幽斎ならざるも非(ひ)なり。幽斎にして顕斎ならざるも亦(また)非なれば、祭祀の大道は、一方に偏執せざるを以て中道(ちうだう)と謂(い)ふ可(べ)し。吾人は茲(ここ)に慎んで、顕斎即ち祭祀、幽斎即ち祈願の大道を講明(かうめい)し、以て大方(おほかた)の参考に資(し)せむと欲(ほつ)す。
   祭祀
 人は祖(そ)に本(もと)づき、祖は神に本(もと)づく。故に人の道たる報本反始(はうほんはんし)を貴(たふと)ぶ、報本反始(はうほんはんし)、是(こ)れ祭祀の由(よ)りて興(おこ)る所なり。恭(うやうや)しく、上古(じやうこ)祭祀の興(おこ)りを稽(かんが)ふるに、天祖の天孫を下土(かど)に降(くだ)すや、之(これ)に宝鏡(ほうきやう)を授(さづ)け、以(も)つて斎鏡(さいきやう)と為し給ひ、また天之児屋根(あめのこやねの)命(みこと)、天之太玉(あめのふとたまの)命(みこと)に勅(ちよく)して、神籬(ひもろぎ)を持ち、以(も)つて下土(かど)に降(くだ)して、天孫の為めに之を奉斎せしめ給ふ。是れ祭祀の興(おこ)る所なり。天孫既(すで)に宝鏡(ほうきやう)を奉(ほう)じ以て下土(かど)に降(くだ)り、児屋根(こやね)、太玉(ふとたま)二神をして各其(その)職を奉じ、天上の儀に遵(したが)ひ、以て祭祀の礼を行はしめ給ふ。此の時に当(あた)り、天祖天(あめ)に在(をは)して下土を照臨(せうりん)し玉ひ、天孫群臣(ぐんしん)を牽(ひき)ゐて誠敬(せいけい)を下(しも)に尽す。祭政維一(さいせいゐいつ)治むる所の天職、代(かは)る所の天工(てんこう)、一として天祖に事(つか)ふる所以(ゆゑん)に非ざるもの無く、天を敬ひ祖(おや)を尊(たふと)び、以て其の民(たみ)に臨(のぞ)み玉ふ。是(ここ)に於(おい)て乎(か)、君臣(くんしん)の分(ぶん)定(さだ)まり、父子(ふし)の親(しん)敦(あつ)し。至恩(しおん)内(うち)に隆(たか)くして大義外(そと)に明(あきら)かなり。是(こ)れ天孫の国を建て、基(もとゐ)を開(ひら)き玉ひし所以(ゆゑん)の太端(はじめ)なり。神武天皇の御宇(ぎよう)に及びて、親(みづか)ら天下を平定し給ひ、霊疇(れいちう)を鳥見山(とりみやま)に立て、以て皇祖天神を奉祭し給ひ、崇神(すじん)天皇は深く神祇を敬畏(けいゐ)し、殿内(でんない)より之を外(そと)に移し、天祖を笠縫(かさぬひ)の邑(いふ)に祭り、天下蒼生(さうせい)と共に是(これ)を敬事(けいじ)尊奉(そんぽう)し給ひ、垂仁(すゐにん)天皇位(くらゐ)を嗣(つ)ぎ玉ひ、詔(みことのり)を下(くだ)して曰(のたまは)く、『先皇(せんくわう)神祇(しんぎ)を礼祭し以て昇平(しようへい)を致し玉ふ、朕(ちん)が世に当(あた)りて祭祀を怠(おこた)るを得ず』と、乃(すなは)ち倭姫命(やまとひめのみこと)に命じて、天祖鎮座の地を求めて、笠縫(かさぬひ)の邑(いふ)より諸国を経て、以て伊勢に至り、神勅を奉じ、宮殿を五十鈴川(いすずがは)の上(かみ)に創建し玉ふ。此の事、今を距(はなる)る既に一千九百五十有余年なり。而(しか)して宮城(きうじやう)移らず、殿閣(でんかふ)巍然(ぎぜん)として神徳愈(いよいよ)高大無限なり。嗚呼(ああ)盛(さかん)なる哉(かな)。垂仁帝(すゐにんてい)の後(のち)列聖相(あひ)承(う)け、敬事(けいじ)怠り玉はず、祭祀の礼倍々(ますます)備(そな)はれり。光仁(くわうにん)天皇の勅(みことのり)に曰(のたまは)く『神祇を祭祀するは国に大典なり』と。禁秘御抄(きんぴごせう)に曰く『禁中(きんちう)の作法、神事(しんじ)を先にし他事(たじ)を後にす』、右大臣(うだいじん)石川麻呂曰(いは)く『先づ神祇を祭り、而して後(のち)政事(せいじ)を議(はか)る』と。此(これ)を以て、皇室歴世(れきせい)祭祀を崇重(すうちよう)し玉ひしを見る可(べ)し。皇室既(すで)に祭祀を尊重し給ふ故に、其の祭祀を掌(つかさど)る者、亦(また)天児屋根(あめのこやね)、天太玉(あめのふとたま)二臣(にしん)の後裔(こうえい)なり。児屋根の後(のち)は中臣(なかとみ)氏(うぢ)たり、太玉の後(のち)は齊部(いんべ)氏(うぢ)たり。祭祀の日、中臣天神(なかとみてんしん)の寿詞(ほぎごと)を奉じ、齊部神璽(いんべしんじ)の鏡劔(きやうけん)を奉ず。其他(そのた)百執事、亦(また)皆(みな)其の職を嗣(つ)ぎ、連葉(れんえう)替へず、駿奔(しゆんぽん)事(こと)を承(う)け、当初の礼儀に依(よ)り、毫(がう)も天祖、祚(そ)を伝ヘ玉ひし日に異(ことな)ること無く、而(しか)して君臣(くんしん)皆その初(はじめ)を忘れざるなり。且(か)つ群臣の祖先、亦(また)皆(みな)天祖天孫に事(つか)へ、民生(みんせい)に功徳(くどく)あり、列して祀典(してん)に在り、而して宗子(そうし)族人(ぞくじん)を糾輯(きうしふ)し、以て其の祭儀を主(つかさ)どり、入(いり)ては以て其(その)祖に孝を述べ、出(いで)ては以て大祭に供奉(くほう)し、子孫継述(けいじゆつ)、万世一日(いちじつ)忠孝一に出(い)で、而して政教岐(わか)れず、不言(ふげん)の教(をしへ)、無為(むゐ)の化(くわ)、自(おのづか)ら天下に行はれ、家には忠厚の風(ふう)あり、人には孝順の俗あり、民(たみ)は唯(ただ)天祖を敬ひ、天胤(てんいん)を奉ずるを知るのみ。嚮(むか)ふ所(ところ)一定して異物を見ず、是を以て民志(みんし)一にして、而して天人合一す。是れ皇統の天壌(てんじやう)と与(とも)に、相(あひ)終始して易(かは)らざる所以(ゆゑん)なり。報本反始(はうほんはんし)の義、それ大(だい)なる哉(かな)。
 祀礼(しれい)の数(すう)五有(あ)り。其(その)天祖を祭るは、天を敬ひ祖を尊ぶ所以(ゆゑん)なり。其の国祖(おほとこぬし)及び豊受姫(とようけひめ)を祭るは、国土を鎮護し、民生(みんせい)を厚くし玉ふ所以(ゆゑん)なり。其の山海草木(さんかいさうもく)、風火金水(ふうくわきんすゐ)、百物(ひやくぶつ)の神、及び皇子(くわうし)皇孫(くわうそん)、忠臣烈士、世を幸(さいはひ)し国家に功労ある者を祭るは、其の功徳(くどく)に報(むく)ゆる所以(ゆゑん)なり。宮中(きうちう)の八神(はつしん)、座摩(ざま)等の祭(まつり)は、天位(てんゐ)を保護し、国家を安静ならしむる所以(ゆゑん)なり。祀典(してん)の目(もく)に至つては、即ち践祚(せんそ)大嘗祭(だいじやうさい)等、是(これ)を大祭(だいさい)と為す。天皇位(くらゐ)に即(つ)き、大(おほい)に天祖に報じ玉ふなり。元始祭(げんしさい)は天皇親(みづか)ら、天祖天神及び列聖を祭り以て宝祚(ほうそ)の元始(げんし)を祝し玉ふなり。祈年祭(きねんさい)は時令(じれい)順序を、天下の諸社(しよしや)に祷(いの)り玉ふなり。月次祭(つきなみさい)は庶人(しよじん)の宅神祭(たくしんさい)の如(ごと)し。新嘗祭(にひなめさい)はその義、大嘗会(だいじやうゑ)の如くにして、歳々(としとし)之(これ)を行ひ、以て祈年(きねん)の祭(まつり)に報賽(はうさい)し玉ふなり。神宮(じんぐう)は亦(また)別に、神衣(しんい)神甞祭(かんなめさい)あり、以て天祖の嘉穀(かこく)を頒(わか)ち、養蚕(やうさん)を教(をし)ふるの徳に報ゆるなり。亦(また)皆中祭(ちうさい)と為す。他(た)の大忌(おほいみ)、大殿(おほとの)、鎮花(ちんくわ)、鎮火(ちんくわ)等の祭(まつり)皆之(これ)を小祭(せうさい)と為す。凡(すべ)て此(かく)の如きもの、皆(みな)天に事(つか)へ祖を祀り、孝を申(の)べ民(たみ)を愛する所以(ゆゑん)にして、一として報本反始(はうほんはんし)の大義に出(い)でざるは無し。夫(そ)れ所謂(いはゆる)報本反始は、唯(ただ)に皇室のみに非ず、庶民と雖(いへど)も、亦(また)宜(よろ)しく然(しか)るベきなり。如何(いかん)とならば、即ち人は祖に本(もと)づき、祖は神に本(もと)づく、故に人の道たる、報本反始より貴(たふと)きは無かるべし。吁(ああ)庶民も、亦(また)豈(あに)人の子孫に非ざらんや。父母は我(われ)を生み、我を育てて、我を長じ、我為(わがため)に焦慮(せうりよ)し、我為に苦労す。夫(そ)れ誰(たれ)か父母なからんや、誰か愛慕の心なからんや。父母没(ぼつ)して而(しか)して之(これ)を祭るは、其の愛慕の心に因(よ)りて、以て之が礼を制し、以て其の無極の恩に報ゆるなり。祖宗(そそう)を祭り父母の心を体(たい)し、以て其の恩に報ゆるなり。神祇を祭り祖宗の先に溯(さかのぼ)り以て其の恩に報ゆるなり、夫(そ)れ子孫有(あ)れば、即ち必ず父母あり。父母有(あ)れば則ち必ず祖宗あり。祖宗有(あ)れば則ち神祇有り。試(こころみ)に思へ、末(すゑ)より本(もと)を推(お)すに、本(もと)亦(また)本(もと)有り。本(もと)の本(もと)を為すものは神祇なり。故に庶人(しよじん)の本(もと)、亦(また)皆(みな)神に出(い)で、一民(いちみん)として神祇の胤(たね)に非ざる者(もの)無し。況(いは)んや神徳至大にして、神恩の至厚(しこう)なる、人の世に在る一事一物、悉(ことごと)く神の恩徳に頼(よ)る。斯(かく)の如くんば、何ぞ夫(そ)れ敬祭せざる可(べけ)んや。蓋(けだ)し神の数(かず)たる八百万(やほよろづ)在(おは)しませり。而(しか)して何(いづれ)の神を祭るを以て可(か)となすか。曰く、庶民宜(よろ)しく祭るベき所のもの三有(あ)り。曰く天祖なり、国祖なり、産土神(うぶすながみ)なり。夫(そ)れ神は、天祖より尊きは莫(な)く、天祖より霊(れい)なるは莫(なか)らん乎(か)、古往今来、天子庶民を問はず、皆(みな)天祖を敬祭せざるは莫(な)し。
 漢人(かんじん)天子に非ざれば、天を祭らずとの見(けん)を以て、庶民の天祖を祭る者を論難(ろんなん)して、朝典(てうてん)を僣(せん)する者と為す。何ぞ知らん、人は祖に本(もと)づく。祖は神に本(もと)づく、故に神を祭らざる者は、祖宗父母を祭らざると其理(り)を同(おなじ)うす。皇国の習風、漢人の如き陋習(ろうしふ)無し。その大公至正(だいこうしせい)や斯(かく)の如し。
 庶人(しよじん)亦(また)宜(よろ)しく之(これ)を知り、以て天祖を敬祭す可(べ)し。国祖(こくそ)は、地球修成の大功(たいこう)有る神なり。凡て地上に生(いき)とし生(い)けるものは、其鴻恩(こうおん)を感謝し、以て之を敬祭せざる可(べか)らず。産土神は、諸国土地に鎮まり、各(かく)其(その)土地に功徳(こうとく)ある者なり。故に其の土地に住(ぢう)する者は、必ず祭らざる可(べか)らず。
 又氏神(うぢがみ)あり、古(いにしへ)の時、各(かく)其の氏(うぢ)の祖先を祭り、之を氏神と謂(い)ふ。近世に至り、氏神、産土神相(あひ)混合して弁別(べんべつ)し難(がた)きものあり。要は皆(みな)其(その)土地に功徳(こうとく)ある者(もの)、故に産土神に挙げて之を概括するなり。
 庶民亦(また)宜(よろ)しく、之を知りて以て産土神を敬祭すベし。凡て祭祀の序(じよ)たる天祖を先(さき)とし、国祖是(これ)に次ぎ、産土神之(これ)に次ぎ、祖宗父母亦(また)之(これ)に次ぐ。
 凡(およ)そ祭祀の礼には固(もと)より其式(しき)あり。天祖国祖、産土神及び祖宗父母、各(かく)其の祭る所(ところ)既に異(ことな)り、故に其の式又(また)同じからず。且(か)つ人には貴賤(きせん)あり、家には貧富(ひんぷ)あり。その儀物(ぎぶつ)に於(お)けるや、精粗厚薄(せいそこうはく)、各(かく)その分(ぶん)に随(したが)ふを可(か)とす。凡(すべ)て祭祀の儀は、恩徳を報謝する所以(ゆゑん)にして、福祉を求むる所以に非ず。然りと雖(いへど)も、祭祀を怠らざる時は、即ち福祉(ふくし)求めずして自(おのづか)ら至る。祭祀を勤めざる時は、即ち禍殃(わざはひ)亦(また)求めずして自(おのづか)ら至る。祭祀の道、夫(そ)れ忽諸(こつしよ)に附す可(べけ)ん哉(や)。凡そ祭祀の日には、机席杯皿(きせきはいべい)必ず清潔にし、清酒、稲梁(たうりやう)、果物、蔬菜(そさい)、魚鳥(ぎよてう)必ず清鮮なるを要す。然して後、斎戒沐浴(さいかいもくよく)、斎明盛服(せいめいせいふく)以て其の礼を行ふ。而(しか)して其の要(えう)は、即ち誠敬(せいけい)の心を尽すに在り。誠敬の心を尽さずんば、即ち神必(かなら)ず諾(うづな)ひ玉はず。苟(いやしく)も能(よ)く誠敬の心を尽す時は、則ち神祇、祖宗父母の霊、各(かく)其の祭る所に随(したが)つて、感応来格(かんおうらいかく)し、洋々(やうやう)乎(こ)として其の上に在り、其の左右に在り。而して其の福を降(ふち)し、祉(し)を賜(たま)ふこと疑ひ無し。嗟(ああ)夫(そ)れ人は祖に本(もと)づき、祖は神に本(もと)づく。故に人の道たる、報本反始より貴きは莫(な)し。然らば即ち報本反始の義は、庶民たりと雖(いへど)も、亦(また)宜(よろ)しく遵奉(じゆんぽう)すベし。焉(いづくん)ぞ独り、皇室のみならん哉(や)。
   祈願
 祭祀や、祈願や、二者混(こん)じて明(あきら)かになし難(がた)きが如し。請(こ)ふ別(わ)けて之を論ぜん。宮殿あり拝所ありて儀物(ぎぶつ)を供奉(ぐぶ)し、以て神恩を報謝す。之を祭祀と謂(い)ひ、儀物を供奉(ぐぶ)すると否(いな)とを問はず、唯(ただ)其の願望する所を、宇宙万有の主宰に在(ま)します、真神(しんしん)、天之御中主大神始(はじ)め天祖、国祖、並(ならび)に八百万神に求むる、之を祈願亦(また)は祈祷(きたう)と謂ふ。祭祀の礼たる、最も重大にして、祈祷の意たる切実なり。吾人(ごじん)は既に前段に於(おい)て、祭祀を論じたれば、今又此処(ここ)に祈祷の大意を説かんとす。
 夫(そ)れ人誰(だれ)か罪穢(つみけがれ)無からん、即ち解除を受け祭祀を勤(つと)むと雖(いへど)も、宜(よろ)しく誠敬(せいけい)の心を尽し、以て真神(しんしん)に祈願すべし。凡(およ)そ道を奉ずる者は、始めより終(をはり)に至る迄、唯々(ただただ)真神に祈願を為すに依りて徳を成す。その日将(まさ)に没せんとするに及んでや、至清至美至善至楽の、高天原(たかあまはら)神園(しんゑん)に上(のぼ)るを得(う)る者、尤(もつと)も祈祷の大徳(たいとく)に頼らざる可(べか)らず。是(これ)の故に祈祷は、実に吾人の急務にして、少時(せうじ)も、忽諸(こつしよ)に附す可(べか)らざるものたり。祈祷の義は、唯(ただ)誠敬の心を尽し、以て神に求むるに在(あ)る而已(のみ)。伏地(ふくち)叩頭(こうとう)発声(はつせい)哀願(あいぐわん)の如きは、是(これ)特に其の外貌(ぐわいぼう)のみ。徒(いたづ)らに其の外貌を飾りて、中(うち)に誠敬の心無き者、固(もと)より既に、慢神(まんしん)の罪を犯すものなり。況(いは)ん乎(や)邪心妄行(ばうかう)の徒(と)を以て、非理の福を願ひ非分の利を望む者、神豈(あに)之(これ)に災禍を降(くだ)さざらんや。是故(これゆゑ)に祈祷の法(のり)は、其(その)求むる所、一に公正の願望に出(いで)しむ可(べ)し、然(しか)る後(のち)、其の精誠を以て、上(かみ)は天に通じ、下(しも)は地に徹(てつ)す。則ち伏地叩頭発声哀願を待(また)ずして、神既(すで)に之を享(う)け給ふ矣(なり)、且(か)つ夫(そ)れ祈願は、独り己(おの)が躬(み)の為に非ず、又当(まさ)に国家師友(しいう)父母兄弟妻子の為に、祈願す可(べ)きなり。国家師友兄弟妻子の為にする者は、大抵公正の願望と為す。但(ただ)其(その)己(おの)が躬(み)のためにする者は、動(やや)もすれば、名利逸楽(いつらく)の求(もとめ)に出(いづ)るを免(まぬ)かれず。若(も)し果(はた)して然(しか)らんか、則ち必ず神の罰を受けむ。故に己(おの)が躬(み)のためにする者は尤(もつと)も宜(よろ)しく公正の願望に出(いづ)べし。公正の願望其(そ)の目(もく)二有(あ)り。一は則ち、生前の安寧を求むるに在り。吾人の愚昧(ぐまい)にして微弱なる、たとヘ神前の懺(くやみ)解除の力(ちから)有らしむるも、亦(また)其の日々犯す所の罪悪、固(もと)より又尠(すくな)しとせず。故に宜(よろ)しく夙夜(しゆくや)神祇に乞ひ、以て其の我(わが)罪を、宥恕(いうぢよ)し給ふことを冀(こひねが)ふべし。又宜(よろ)しく、我(われ)の悔悟と信誠を堅くし、而(しか)して異端邪説に惑はざるを請ふべし。又宜しく、我の智識を明かにし、而して神典の主旨に通達し得ることを冀(こひねが)ふべし。又宜しく、我をして敬神の大道を践(ふ)み、而して岐路に陥いらざらしめ給はんことを請ふべし。又宜しく、我をして反躬(はんきう)自省(じせい)し、而して事物当然の理(り)を失(うしな)はざらしめ給はんことを冀(こひねが)ふベし。又宜しく、己(おのれ)の胆勇(たんゆう)を壮(さかん)にして、己をして障害艱難(かんなん)に遇うて、其志操(しさう)を変(へん)ぜざらしめ給はんことを求むべし。誠に能(よ)く、此(かく)の如くならんには、神明必ず之に感じ玉ひて、以て福祉を其の人に賜(たま)ふ。是之(これこれ)を生前の安寧を求むと謂ふ。一は即ち、身後(しんご)の永福を求む。身後の永福は、尤(もつと)も求め難きものと為す。故に独り悪を改め、善を行ひ、功を立て、過(あやまち)を補(おぎな)ふ可(べ)し、又唯々(ゐゐ)として懇願痛望(こんぐわんつうまう)、以て神の我(われ)を救ひ我を憫(あはれ)み、我をして根底(ねそこ)の国の苦刑(くけい)を受けずして高天原(たかあまはら)に安住するの恩栄を蒙(かうむ)らしめ玉ふことを冀(こひねが)ふべし。是之(これこれ)を身後の永福を求むと謂ふ。此(この)二者己(おのれ)の躬(み)の為になすと雖(いへど)も、亦(また)皆公正の願望にして、名利逸楽の請(こひ)に非ず、是(これ)実に祈祷の要義なり。凡て祈祷は、唯(ただ)に天主、天祖を主とし、国祖之(これ)に次ぎ、他神(たしん)を主とせず。而して天主は幽邃(いうすゐ)の地、閑静(かんせい)の家を撰(えら)み、且(かつ)神心(しんしん)を澄清(ちようせい)にして、一意専念我(わ)が心魂(しんこん)の上帝の御許(おんもと)に到ることを、暗祈黙祷すベし。亦(また)天祖国祖を祈るは、宜(よろ)しく至誠の地を首(はじ)め、各自の神床(かむとこ)に於(おい)て為すべし。凡て祈祷は、誠敬の心を専(もつぱら)とすと雖(いへど)も、而(しか)も身の礼儀、実に心と相(あひ)応ずるを以て、其の式亦(また)講明せざるべからず、而して其儀式たるや、唯(ただ)に簡易なるを貴(たふと)び、而して繁雑なるを卑しむ。既に幽斎則ち祈願の場に於ては、先づ身体を整へ、瞑目静坐すベし。身体衣服を清潔にすベし。而して後、感覚を蕩尽(たうじん)し邪念を断滅すべし。最初先づ再拝し、次(つい)で手を拍(う)つこと二回、天主、天祖、天皇、国祖、産土神の尊号を唱ふるもの三回静粛に、其の願望する所を陳(の)べ畢(をは)り、数分間の後(のち)、我(わが)心魂の神明に感合せしを覚(おぼ)ゆると同時に、又両次(りやうじ)拍手(はくしゆ)し、而して後(のち)二拝して止(や)むべし。また祈願の時は晨昏(しんこん)を可(か)と為す。晨時(しんじ)には、則ち神の吾(われ)に当日を幸(さいはひ)し、吾(われ)をして其分(ぶん)を守り、過失無(な)からしめんことを請(こ)ひ、昏時(こんじ)は即ち、神の吾(われ)の当日を庇護し給ふを謝し、亦(また)当(まさ)に自(みづか)ら省み、以て其罪愆(ざいえん)を懺(く)ゆ可(べ)し。凡(およ)そ祈願幽斎(いうさい)の度数たるや、多々益々(ますます)善なりとす。故に晨昏(しんこん)に止(と)めず、余時(よじ)と雖(いへど)も事業の閑暇(かんか)には、又宜(よろ)しく祈願幽斎を執行すベし。余時は必ずしも礼式に拘泥せず、造次(ざうじ)にも顛沛(てんぱい)にも、又皆(みな)暗祈黙祷し、而して斯須(ししゆ)間断無く、久しきを以て倦(う)まず撓(たゆ)まず、真心を捧げて祈願する時は、神の我(われ)を佑助(いうじよ)し給ふや必然なり。或人(あるひと)難(なん)じて曰く、子(し)の祈祷を論ずるや善(よ)し矣(い)。然るに人間万事、悉皆(しつかい)神明の御旨(ぎよし)に由(よ)る。今乃(すなは)ち祈祷以て其の願望する所を求むるは、豈(あに)神旨(しんし)に悖(もと)らずと為す乎(や)。神旨(しんし)に悖(もと)りて祈祷を勤(つと)むるは、恐(かし)こからずやと。曰く是(これ)徒(いたづ)らに其一を知つて、其二を知らざる者也。天祖の天之窟戸(あまのいはと)に入(い)り給ふや、六合(りくがふ)の中(うち)、闇黒(あんこく)にして昼夜を弁せず、而して万妖悉(ことごと)く発(おこ)りき。茲(ここ)に八百万神(やほよろづがみ)惶(かしこ)み惑ひて、殆ど為す所を知らず。是(ここ)に於て乎(か)、思兼神(おもひかねのかね)の智慮に因(よ)りて、始めて祈祷を行ひ、以て能(よ)く、天祖の怒(いかり)を解き和らげ、天之窟戸(あまのいはと)を出(いだ)し万妖を伏せ、六合の中(うち)再び照明を得たるは、是(こ)れ祈祷の明験と謂ふベし。然(しか)らば則ち、祈願は神旨に戻らず、又何の不可か之(こ)れ有らんや蓋(けだ)し天地の変、猶(な)ほ祈祷に頼(よ)りて以て其常(つね)に復(ふく)す。況(いは)ん乎(や)人事に於てをや。故に曰く、急務にして少時(せうじ)も忽諸(こつしよ)に附すべからざるものは、幽斎乃(すなは)ち祈祷なり。
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