霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第十章 皇国の神蹟

インフォメーション
題名:第10章 皇国の神蹟 著者:出口王仁三郎
ページ:90
概要: 備考: タグ: データ凡例:2017/9/24校正。 データ最終更新日:2017-09-24 04:04:44 文字数:3567 OBC :B121801c19
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正8年6月15日号(第88号) > 皇道我観(七)
 我が皇国は古来神国と称し、独一(どくいつ)の真神(しんしん)なる、天之御中主之大神の主宰(つかさ)の下(もと)に、天津神八百万、国津神八百万在(おは)し坐(ま)して、国土を守り幸(さち)はひ給へば、古往今来、外国に優(まさ)りて神異神蹟極めて多く、僕(ぼく)を更(か)ふるも数(かぞ)ふべからず。余は今日唯(ただ)に一(いち)二(に)の神蹟を挙げて、以て皇国固有の大道(だいだう)の信仰遵奉(じゆんぽう)せざる可(べか)らざるを徴(ちよう)せむとす。中古称徳(しようとく)天皇[※奈良時代の女帝。第46代・孝謙天皇、重祚して第48代・称徳天皇。]は、元来深く宇佐八幡宮を信奉帰依し給ひて、大神の憑語(ひようご)と言へば虚実を問ふの暇(いとま)無く、事々物々其(その)神憑(しんぴよう)の語に従ひ給ふを奇貨と為し、時の妖僧弓削道鏡(ゆげのだうきやう)なるもの天皇の殊寵(しゆちやう)を得て、心行(しんぎやう)共に日と共に増悪の域に進み、出警入蹕(しつけひにふひつ)僣(ひそか)に乗輿(じようよ)を擬(ぎ)し、自(みづか)ら号して法王と謂(い)ふに至れり。時に太宰府(だざいふ)の神主(かんぬし)にして、中臣(なかとみ)の習宜阿曾麻呂(すぎあそまろ)なるもの、権勢(けんせい)並(なら)び無き自称法王(はふわう)妖僧弓削道鏡(ゆげのだうきやう)に媚附(こびつ)き、己(おの)が勢力を得んため、畏(おそ)れ多くも矯(た)めて、宇佐八幡大神の教言(けうげん)なりとて朝廷に奏(そう)す。即ち曰く『天皇若(も)し、道鏡をして天津(あまつ)日継(ひつぎ)の位(くらゐ)に即(つ)かしめ給(たま)はば、天下は永遠無窮に太平なる可(べ)し』と、茲(ここ)に天皇は、殊寵(しゆしやう)殊愛(しゆあい)の道鏡と雖(いへど)も、事(こと)余(あま)りに重大なるを以て、御神慮(ごしんりよ)決し兼(か)ねたまひ、密かに和気清麿(わけのきよまろ)[※和気清麻呂]を召(め)し出し、往(ゆ)きて宇佐大神の神教(しんけう)を請(こ)はせ給ひぬ。発するに臨(のぞ)み、妖僧道鏡(だうきやう)亦(また)清麿(きよまろ)を招き、目を瞋(いか)らし劔(けん)を按(あん)じ清麿に謂(い)ひて曰く『八幡大神深く我が忠誠を嘉(よ)みし、我(われ)をして天津日継の位を践(ふ)ましめむと欲し給ふ。故に今汝(なんぢ)をして再び神教を乞はしむ。汝克(よ)く神教を奉じ、我(われ)をして欲する所を得せしめなば、即ち我は汝をして太政大臣の官を授(さづ)く可(べ)し。若(も)し我(わが)言(げん)に違(たが)ふあらば、即ち必ず重き刑罰に処す可(べ)し』と。茲(ここ)に誠忠無比の清麿は固く意を決し、直ちに往きて宇佐八幡に詣で、厳粛なる祀典(してん)を修し、心神(しんしん)を清めて、恭(うやうや)しく神教を乞ひ奉(まつ)る。大神即ち清麿に神懸(しんけん)して具(つぶさ)に教へ覚し給へり。清麿更(さら)に祈りて曰く『今大御神(おほみかみ)の教へ給ふ所の語は、是(これ)国家の一大事なり、大神の憑語(ひようご)信じ難(がた)し。願はくは神異(しんい)を示して其真否(しんぴ)を決せしめよ』と。自己(じこ)審神者(さには)の神術を修するや、是(これ)に大御神(おほみかみ)は忽然として神形(しんけい)を顕示し給へり。其(その)身長三丈に余り、光輝満月の如し。神勅に曰く。
『我(わが)国家開闢以来君臣(くんしん)の大義明分定(さだ)まれり、未だ臣(おみ)を以て君(きみ)と為し、君を以て臣(おみ)と為せし事あらず、天津日継は必ず皇緒(くわうちよ)を立てよ。道鏡の悖逆(はいぎやく)素(もと)より天地容(い)れざるの大罪なり。宜(よろ)しく速(すみやか)に剪除(せんぢよ)せよ汝(なんぢ)道鏡を怖(おそ)るる勿(なか)れ、吾(われ)は必ず相(あひ)済(たす)けむ云々』
 清麿(きよまろ)還(かへ)りて具(つぶさ)に神勅を奏(そう)す。道鏡事(こと)の成らざるを以て大(おほい)に怒(いか)り、遂(つひ)に清麿を大隅(おほすみ)に流謫(りうたく)[※大隅国(鹿児島県)に流罪]し、人を使(し)て之を途中に追殺(つゐさつ)せしめむとす。俄然(がぜん)大雷雨(だいらいう)来(きた)りて、天地晦冥(くわいめい)咫尺(しせき)を弁(べん)せず。使者未(いま)だ発せざるに、勅使来(きた)りて免(まぬが)るるを得るに会ふ。次(つい)で光仁(くわうにん)天皇[※第49代天皇]位(くらゐ)に即(つ)き給ふに及んで、道鏡の大逆を悪(にく)み、直ちに之を下野(しもつけ)に竄(ざん)し、和気清麿を召還(めしかへ)し給ふ。清麿時(とき)に脚(あし)を病み起(た)つこと能(あた)はず。強(し)ひて病を輿(よ)して途(と)に上(のぼ)る。忽(たちま)ち宇佐を過ぎ大神を拝するや、脚即(すなは)ち起(た)ち、遂に馬に乗りて還る。観(み)る者(もの)神威神蹟の顕著なるに、歎異(たんい)せざるは無し。夫(そ)れ道鏡妖僧之(この)神器を覬覦(きゆ)するや、凶焔(きようえん)人(ひと)に逼(せま)り勢(いきほひ)当(まさ)にあたる可(べか)らず。事の成否は、即ち使臣(ししん)和気(わけ)氏(うぢ)の一言に決するなり。国家存廃の分水嶺上(ぶんすゐれいじやう)に立てる清麿の責任や、実に大(だい)なりと謂(い)ふべし。皇道の本義を体得せる、誠忠無比の和気氏(うぢ)、乃(すなは)ち毅然(きぜん)として撓(たゆ)まず屈せず、一身の安危を度外に措(お)き、直ちに神教を朝廷に奏上す、其の志操や、国家を匡救(きようきう)し、気節(きせつ)、姦侫(かんねい)の心胆を震愕(しんがく)せしむ。是(これ)固(もと)より和気氏忠義の節(せつ)、天地に貫徹せるに由(よ)る可(べ)しとは雖(いへど)も、神明皇祚(くわうそ)を護佑(ごいう)し玉ふに非ずんば、焉(なん)ぞ能(よ)く、此(かく)の如くなるを得むや。実(げ)に皇道の大本(おほもと)毅然として、万古に卓立(たくりつ)する所以(ゆゑん)を知るべきなり。
 胡元(こげん)宋国(そうこく)を滅(ほろぼ)し、次(つい)で諸多(あまた)の隣国を征服し、四百余州に君臨し覇(は)を称(とな)ふるや、独(ひとり)我(わが)皇国のみ使聘(しへい)を通ぜず。元主(げんしゆ)韓人(かんじん)を使(し)て、書(しよ)を皇国日本に致さしめて曰く『我(わが)要求に服せざる時は、即ち尋問の師(し)を出(いだ)さむ』と。朝廷忽(たちま)ち、令(れい)を鎌倉に下(くだ)して議(ぎ)せしむ。時の執権北条(ほうでう)時宗(ときむね)大(おほい)に怒(いか)つて曰く『書辞(しよじ)以て甚(はなは)だ礼を失(しつ)す。報復するに及ばず』と。則ち使者を追ふ。其後(そののち)元(げん)の使者、幾度(いくたび)来(きた)りしと雖(いへど)も、悉皆(しつかい)拒否して納(い)れず、且(か)つ一々其(その)使者を斬る。其後(そのご)元主(げんしゆ)大(おほい)に怒(いか)り、文永(ぶんえい)十一年冬元軍(げんぐん)西境(せいきやう)に仇(あだ)す[※1274年、元寇。文永の役。]。鎮西(ちんせい)の猛将勇士、拒(いど)み戦ひ且(か)つ之を退(しりぞ)く。建治(けんぢ)元年[※1275年]夏、元の使節「杜世忠(とせちう)」等(ら)復(ま)た来(きた)る。時宗(ときむね)怒(いか)つて之を鎌倉竜(たつ)ノロ(くち)に斬る、乃(すなは)ち北条実政(さねまさ)を以て筑紫の探題(たんだい)[※幕府の機関]と為し、鎮西(ちんせい)の将士を監し、辺海(へんかい)を鎮戍(ちんじゆ)し、大(おほい)に戦備を為し急変に備ふ。未だ幾何(いくばく)も経ざるに、元の使節復(ま)た来(きた)る。時宗また之を斬る。元主「忽必烈(くびらい)」我国(わがくに)の再び元使(げんし)を誅(ちう)せるを聞き、大(おほい)に憤怒し、大に舟師(しうし)を興(おこ)し「茫文虎(はんぶんこ)」を以て之に将(しやう)とし入侵(にふしん)す。弘安(こうあん)四年[※1281年、元寇。弘安の役]七月。博多に抵(いた)り舳艫(ぢくろ)相(あひ)銜(ふく)む。実政(さねまさ)が部下の将士等(ら)、克(よ)く拒(ふせ)ぎ戦ひ殺傷相(あひ)当(あた)る。時宗(ときむね)爰(ここ)に宇都宮貞綱(さだつな)を遣はして之を援(たす)く、未到(いまだいたらず)。是時(このとき)に当(あた)つて朝野(てうや)心(こころ)を一にし、全国の神社並びに仏宇(ぶつう)に祈薦を修(しう)す。畏(かしこ)くも亀山上皇は、躬自(みみづか)ら徒洗(とせん)して石清水(いはしみづ)八幡宮に詣で、精疇(せいたう)一夜、従臣(じうしん)をして神楽(しんがく)を奏(そう)せしむ。また権大納言(ごんだいなごん)藤原経任(つねたう)を伊勢に遣はし、幣帛(へいはく)及び宸筆(しんぴつ)宣命(せんめい)を皇大神宮(くわうだいじんぐう)に奉(たてまつ)り、身を以て国難に代(かは)らむことを請ひ給ふ。閏月(うるうづきの)朔太(ついたち)陽蝕(やうしよく)[※日蝕]に当(あた)る。天陰(てんいん)見えず。黒雲(こくうん)一点石清水宮(いはしみづのみや)より起(おこ)り、雲中(うんちう)隠々(いんいん)白羽(はくう)の鳴矢(めいし)あり、西の天に向(むか)つて飛び去る。皇大神宮の摂社たる風神(かぜかみ)の社殿内より、忽(たちま)ち一道(いちだう)の神光を発し天地に照耀(せうえう)す。大風(おほかぜ)暴(すさ)び起(おこ)る、西海(せいかい)最も激烈なり。雷迅竜跳(らいじんりうてう)、怪異百出、海水篏蕩(かんたう)し、賊艦(ぞくかん)四千艘悉(ことごと)く皆(みな)覆没(ふくぼつ)破壊し、虜兵(りよへい)全部滅亡し、十万人中脱(のが)れ帰る者、僅(わづか)に三人なりと謂ふ。是より元(げん)再び、我(わが)皇国の辺境を窺(うかが)はざりき。
 夫(そ)れ胡元(こげん)、強大の武力を以て我国(わがくに)に臨(のぞ)み、一挙にして忽(たちま)ち我(われ)を併呑(へいどん)せんとする、其(その)猛勢(まうせい)や恰(あだか)も巌(いは)を投げて卵を打つ如し。然(しか)りと雖(いへど)も、皇道の大本に、惟神的に合成し、奮然として撓(たゆ)まず屈せず、数々(かずかず)其(その)無礼極まる使節を斬り、以て彼(か)の兇威(きようゐ)を挫(くじ)き、民志の団結を固め、死を決して之を待つや、天下の志気大(おほい)に振(ふる)ひ、戦はずして敵を呑み、仇(あだ)に勝つの慨(がい)あり。是(これ)固(もと)より時宗(ときむね)が、国家の一大事に際して少しも騒がず、悠然として志(こころざし)を決し、防禦(ばうぎよ)宜(よろ)しきを得たるに由(よ)るとは雖(いへど)も、神明の霊威皇国を護佑(ごいう)し給ふに非ずんば、焉(いづくん)ぞ能(よ)く斯(かく)の如き大勝を得、以て国威を万世に伝ふるを得んや。抑(そもそも)道鏡の徒(と)が姦曲(かんきよく)殆(ほとん)ど皇祚を移さんとし、胡元(こげん)の仇(あだ)、殆ど皇国を傾けんとせり。然(しか)るに皇国の神明、深く国家を保護佑助(いうじよ)し、大(おほい)に威霊を顕示し給ひて、妖鬼(えうき)沮喪(そさう)し黠虜(きつりよ)殲滅(せんめつ)し、今日に至る迄纂奪(さんだつ)の禍害(くわがい)無く、対外戦に於ける敗(はい)なし。其(その)神蹟の彰々(しやうしやう)たるや此(かく)の如し。
 嗚呼(ああ)皇国は、天神地祇の佑護に成れる、建国以来の歴史によりて、克(よ)く其の国粋を保ち、時に精華を開(ひら)きたりと雖(いへど)も、現代の風潮は、漸(やうや)く妖蘖(えうけつ)の兆(てう)を醸成(じやうせい)し、国民思想の根底(こんてい)は、油水(いうすゐ)の浸潤(しんじゆん)するが如く、腐敗蝕(しよく)すること、元寇(げんかう)の禍害(くわがい)に幾百倍し、外来思想の伝播は妖僧の如く、皇道を無視し且(か)つ軽侮(けいぶ)し、祖神が以て、天壌無窮(てんじやうむきう)なりとして依(よ)さし給へる神国の基礎、また以て不測の禍根(くわこん)なきを保ち難(がた)からむとす。見よ、上下生活難を絶叫するは何の為ぞ、安分(あんぶん)の念なくして、虚栄浮華(ふくわ)に奔(はし)るを以てなり。六親(ろくしん)相(あひ)怒(いか)り、郷呂(きやうり)相(あひ)鬩(せめ)ぐは何の為ぞ、誠敬(せいけい)の心(こころ)無くして、自他相(あひ)欺(あざむ)くを以てなり。父子(ふし)の情(じやう)殆(ほとん)ど絶え、君臣(くんしん)の大義将(まさ)に滅(めつ)せむとす。於是乎(ここにおいてか)社会共産主義あり、自然主義あり、民主主義あり、共和主義あり、厭世(えんせい)主義あり。曰く吾人の意志は自由にして、人権は平等なり、故に共和政治は、最も人生に適すと。曰く、天は人を平等に生み平等に愛す、須(すべか)らく共産主義を行ふ可(べ)し。曰く、人は自然に生(うま)れ、死するも亦(また)自然なり、故に自然的情欲を恣(ほしいまま)にして、無政府たるべし。曰く、人生は猶(な)ほ火宅(くわたく)の如く、身を焼いて止(や)まず、甚(はなは)だ厭(いと)ふべしと。或者(あるもの)は豺狼(さいらう)の如く、或者は羊豚(やうとん)の如くにして、民心(みんしん)常に薄氷(はくひやう)を践(ふ)むが如く、国家は日に月に、深淵に臨(のぞ)むが如し。噫(ああ)思ひを此処(ここ)に馳(は)する時は、現代は是(これ)一大乱世に非ずや。古語に曰く、家(いへ)貧(ひん)にして孝子(かうし)出(い)で、国乱れて忠臣現はれ、天下無道にして、聖人起(おこ)るとは宜(むぺ)なる哉(かな)。我(わが)皇国は、神の建て給ひし国なり。神の開きし国なり、神の作りし国なり、神の守り坐(ま)す珍(うま)し国なりと曰ふ。茲(ここ)に国家の一大危機に頻(ひん)し、畏(かしこ)くも国の大祖(おほみおや)国常立尊、豊雲野尊の二神、下津岩根(しもついはね)の高天原(たかあまはら)に、変性(へんじやう)男子(だんし)変性(へんじやう)女子(ぢよし)[*ルビの「だんし」「ぢよし」は底本通り]の二霊を降(くだ)し、神如(しんによ)の慈教(じけう)を宣伝して、此(この)漂蕩(ただよ)へる民心(みんしん)を修理し、此(この)漂蕩(ただよ)へる国家を固成し、以て世界をして、神祇(しんぎ)聖代(せいだい)の徳沢(とくたく)に鼓腹(こふく)せしめ、此の世界の各国土をして、五六七(みろく)の神世(かみよ)に転化せしめ、此(この)蒼生(さうせい)をして、高天原(たかあまはら)に安住せしめむが為に、去る明治二十五年正月、大本開祖出口直子刀自(とじ)に、国祖の神の憑依(ひようい)し給ひ、前後通じて二十有七年の教莚(けうえん)を開き給ひ、国家国民の針指を発表し給ひて、顕幽両界に跨(またが)り、皇国を護佑(ごいう)し給ふも、全く皇道大本の、確固不変なる所以(ゆゑん)なり。嗚呼(ああ)忝(かたじけ)なき哉(かな)、国祖の殊恩。嗚呼(ああ)尊きかな、天津日嗣(ひつぎ)天皇の、天壌無窮の皇運を保全し給ふ皇国。金甌(きんおう)無欠(むけつ)の我(わが)国体(こくたい)。
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