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第六章 皇国の言語と神胤

インフォメーション
題名:第6章 皇国の言語と神胤 著者:出口王仁三郎
ページ:76
概要: 備考: タグ: データ凡例:2017/9/22校正。 データ最終更新日:2017-09-22 20:17:04 OBC :B121801c15
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正8年5月1日号(第85号) > 皇道我観(四)
 言語は、国土の疆界(きやうかい)を弁別すベき自然のものにして、(わが)皇国(くわうこく)の如く、言語(ただ)しく清く円満にして、言霊(ことたま)に権威を伴ふもの無し、皇国以外の総ての国は、何事も一切用語を先にして、体語(たいご)(あと)にす、印度、和蘭(おらんだ)其他の外国、皆(しか)らざるはなし。独り(わが)皇国のみ、体語を先にして用語を後にす。「書物を読む」と()ひ「酒を呑む」と謂ヘば「書物」及び「酒」は体語ここで言う「体語」とは一般に言う「主語」のことで、「用語」とは「述語」のことだと思われる。にして「読む」又は「呑む」は用語なり。「読書」又は「飲酒」と言へば「(よむ)」及び「(のむ)」と云ふ用語を先にして「(しよ)」及び「(さけ)」の体語は後にす。体語は(もと)にして君主(くんしゆ)の如く、用語は(すゑ)にして臣民(しんみん)の如し。(わが)日本(につぽん)皇国にのみ如斯(かくのごとく)正しき言語を以て万事を弁ずる事は、即ち(わが)皇統の万世一系にして、天壌(てんじやう)と共に(きは)まり無き宝祚(ほうそ)()して、太古より(きみ)(きみ)として立てたる、坤輿中(こんよちう)冠絶(くわんぜつ)して、(たふと)御国体(おんこくたい)なる事を、(この)言語の妙用にて(わか)ちたる自然のものなり。()(わが)皇国は、昔より(もろもろ)の事物を、万国(ばんこく)に採りて用ひ(きた)りし事は、和光同塵(わくわうどうぢん)御深慮(ごしんりよ)とは云へ、一は以て、必然の理由(そん)するが故なり。(たと)へば貴人高位の人の身は、(みづか)ら一切の事物を営作(えいさく)すること無く、唯々(ただただ)臣下(また)は庶人に命じて(これ)を造らしめ、之を採りて用ゆるが如く、(また)視聴言動(とう)の機会を為す耳目口鼻(じもくこうび)等の、頭上に()りて、(しも)胸腹(きやうふく)四肢(しし)根本(こんぽん)と成るが如く、(わが)国体の(おほい)に万国に冠絶せる所以(ゆゑん)も、(また)是等(これら)の例を以て準知(じゆんち)()るにあらずや。(しか)るを(みん)宋景廉(そうけいれん)本名は宋濂(そう・れん)で字が「景濂」。1310~81年。明の政治家・儒学者で、『元史』を編纂した。(はい)が、日東(につとう)(きよく)難聞分逆読(ききわけがたきさかさまよみ)()ひしは、(おの)が国を中華中国など自称し、他国を(いや)しめる逆心(ぎやくしん)より、(これ)(さか)なりと()はむを、(あなが)ちに(とが)むべき事にも非ざれども、(わが)皇国の臣民たる物茂卿(ぶつもけい)江戸中期の儒学者である荻生徂徠(おぎゅう・そらい)のこと。「物茂卿」は号。太宰純(だざいじゆん)江戸中期の儒学者である太宰春台(だざい・しゅんたい)のこと。「春台」は号。などの似而非(えせ)学者(はい)が、(みだ)りに漢土に左袒(さたん)して、(これ)(もく)して回環(くわいくわん)顛倒(てんたう)の読みと言ひしは、(おほい)なる僻言(たはごと)にして、(かへつ)て皇国の言語は正しくして、異邦の言語の顛倒せる所以(ゆゑん)を知らざる、狭き心より(おこ)りしものにして、論ずるに足らざる事共(ことども)なり。
 豊臣太閤(かつ)朝服(てうふく)を、闕下(けつか)施薬院(せやくゐん)に着けし時、屡々(しばしば)天顔(てんがん)を拝し(たてまつ)るに感激し、人に(いひ)(いは)く、()微賤(びせん)より(おき)人臣(じんしん)(くらゐ)(きは)むること、天恩(てんおん)(じつ)に深し、(けだ)(わが)母、むかし朝家(てうか)式微(しきび)「式微」とは「国勢などが甚だしく衰えること」(広辞苑)にならせ給ひし時に(あた)つて、後宮(こうきう)に仕へて一賤役(せんやく)を勤め(まつ)りしが、一日不図(ふと)、竜体に近づき(たてまつ)りて(はら)み、その(まま)(いで)て尾張の人に(とつ)ぎて(われ)を産みたるなりと。(おも)ふに豊臣太閤は、我国(わがくに)古今無双の大英雄にして、(その)行事(かうじ)の凡人に卓絶せしことは、日月(じつげつ)と光を争ふが如くなるに、瞹昧(あいまい)なる托言(たくげん)を作りて、自身の(たふと)(たね)なりと()ふが如き、卑劣(ひれつ)魂性(こんじやう)寸毫(すんがう)も無かりし大人物なりき。世に豊太閤(ほうたいかふ)の母、(かつ)日輪(にちりん)()が懐中に()り給うと夢みて、(われ)を生みたりと(のた)まへる(よし)を伝へしは、隠然(その)皇胤(くわういん)なることを云へど、豊太閤のそれと(のた)まはざりしは、朝廷を(はばか)り給ひし忠良の御精神にて、国家への礼儀を思ひ給ひての事なりき。施薬院(せやくゐん)()ける太閤の話は、(たまたま)感激喜悦(きえつ)の余りに()でて、思はず(その)(じつ)(もら)されたるなるべし。(そもそも)また太政所(おほまんどころ)の日輪の夢は、(かこつ)けて言へる(げん)か、(あるひ)は夢に(その)瑞兆(ずゐてう)ありしにや、(いづ)れにしても豊公(ほうこう)興起(こうき)せしは、僅々(きんきん)数年間の短時日(たんじじつ)に、天下の大乱を鎮定して、皇上(くわうじやう)輔翼(ほよく)拝戴(はいたい)し、諸侯(しよこう)糺合(きうがふ)し、以て(のり)を将来に垂れ、武将万世(ばんせい)の模範と成りし、大智(たいち)大勇(たいゆう)を兼備したる事の(おほい)(すぐ)れたるを観れば、(その)(たね)在りし事必然なり。我皇国は、外国の国状とは非常に相異ありて、天下は即ち一人(いちにん)の天下にして、皇上は実に、天上の現人神(あらひとがみ)()()し、王侯将相(わうこうしやうしやう)といへども、(ことごと)く皆、その(たね)あるなり。故に古今の豪雄の、将相(しやうしやう)(くらゐ)に至つて天下の(けん)を執りし人の、微賤(びせん)(たね)なるは、明治の御代(みよ)に至るまで、(かつ)て在りしこと無し。平相国清盛(へいしやうこくきよもり)平清盛のこと。「相国(しょうこく)」とは太政大臣・左大臣・右大臣のこと。の如きも、(もと)より皇胤(くわいいん)なり。鎌倉の右大将(うだいしやう)源頼朝(およ)び北条氏、足利将軍、織田右府(うふ)信長の如きも皆、桓武(かんむ)清和(せいわ)皇裔(くわうえい)なり。故に豊公(ほうこう)の系統も、(また)貴き方の(たね)なる(こと)前述の如し。世に豊公は凡種(ぼんしゆ)奴隷の出身なりとするは、大誤解たるを思ふべし。余輩は思ふ、豊太閤の、此事実を(みだ)りに言はざりしは、天皇の太政所(おほまんどころ)に堅く(いまし)めおかれし為に、是を言ふ(あた)はざりしものなるべし。また一説に、太閤は後奈良院(ごならゐん)落胤(らくいん)にして、母は持萩(もちはぎ)中納言(ちうなごん)保廉(もちやす)(きやう)の尾張国へ配流せられし(ころ)同国御器所村(ごきしよむら)の猟師の娘に逢ひて、(うま)せたりし由縁(ゆえん)を以て宮中(きうちう)に奉仕し、遂に竜体に近づき(たてまつ)りて懐孕(くわいたい)に成りしと云へり。(わが)大本開祖も一時は時運(じうん)非にして、賤業(せんげふ)就事(じゆうじ)し給ひしかども、祖先を尋ぬれば、矢張り尊き人の後裔(こうえい)にして、山陰(やまかげ)中納言(ちうなごん)より()で給ひしことは、桐村家の系図に()りて、明白なる事実なり。故に我国は、(すべ)王侯将相(わうこうしやうしやう)大賢至聖(だいけんしせい)、皆その(たね)ある事を知るべきなり。
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