大正八年七月二十六日
[#『神霊界』ではここに3頁半ほどの文章があるが、『大本史料集成』では省略されている。]
浅野会長の行り方に就て、種々の批評をする人もありますが、誰が何んと云つても神界の大使命を受られた人と云ふ事だけは、王仁は深く信じて居ります。王仁も教祖様の御在世中は、浅野先生のやうに会長の職に就て居りましたが、総て何に由らず、一つの頭になると色々の風が当るものである。王仁はしみじみ浅野先生の御立場と御苦心とに万腔の同情を寄せて居ります。其の他の幹部の役員諸氏の御苦心も、充分に察して同情を致して居るのであります。本部に来らず、遠隔の地に在つて、修斎会の行り方を見ずに聞く斗りの人は、大抵誤解を免れませぬから、慨世憂国の至誠ある人士は、万障繰合して度々御来綾の上、実地の御研究を願ふ次第であります。浅野会長が王仁の鎮魂を終つて帰られた後で、午前の一時頃と思ふ頃、二三人の人の介抱を受けて居ります際、王仁の眼に故教祖様が梅の木の枝を衝いて、涼しさうな草色の帷子の羽織と衣物を召して、統務閣の下の間からニコニコしながら御出になり、王仁の身体一面に神息を吹掛けて、優しい御声を出して、是で直ぐに治まりますと仰せられました。私は嬉しく懐かしくて堪らず、苦痛も何も忘れて、有難う有難うの一点張りで在りましたが、フト我に帰ると、モウ其所に教祖の御姿は見えず、蚊帳の中に横はつて居るのでありました。
三日目の午後九時頃であつた。黒い顔した妙なものが、葬礼の輿の立派なのを舁いで沢山出て来た。其輿の中から馬の顔を二ツ三ツ合した如うな妖怪が、口は耳まで引裂けて出て来た。王仁の胸元を〆付ける。俄に全身が震動して冷汗が流れて出る。すベて悪霊と云ふものは、人の弱身に附込んで害を加へるものであるから、私が一生懸命に吃責すると、忽ち跡形も無く消え失せた。暫時すると前夜の如く故教祖の御姿が現はれて、仰せられるには、祖霊社に葬式の輿があるが、ソレヲ直ぐに行つて打毀はせよと警告せられた。
王仁は直ちに十人余りの役員信者を伴なひ、祖霊社の東裏手へ廻つて見た。果して立派な輿が、新たに建出しをして其の所に安置されてあつた。赤穂の義士が芝部屋から吉良を引摺り出すやうに、大ほきい輿を五六人が外の畑へ運んで出る。各自に掛矢や杉丸太を以て所構はず打たたく。其の勢い、祖霊社の人達も俄に祝詞を中止して不思議そうに一行の夜討を注視して居たのである。余り大きい音響が発するので、近隣の人々が何事の椿事が起つたかと、各自家の内からとんで出て、是も同じく注視して居る斗りである。
浅野浩司氏も現場にはせ付けられたが、最早破壊の目的を達した後であつた。同氏は其夜数回妖怪変化にをそわれたが、夫妻の鎮魂力で退治して了つたのである。抑も此の輿は去る頃、某氏役員の養子某が○病で死去された時に新調したものである事が後に分つた。他の死人の専用の輿を、立派なものであるから惜いと云て、祖霊社の田中氏が某氏に交渉して譲与されたものであつた。死と云ふ事は余り結構な事でないのに、死人の輿を大切に保存して、次の死者に利用せんとしたのを、神界から御忌になつた事と思ふ。輿を破砕すると同時に、不思議にも王仁の顔面全部の傷も痛も忘れた様に全快したのであります。
世界の風潮に順応せよと訓示する為政者が出来た。今やデモクラシーの風潮は全世界を風靡して居る。併かし何程全世界の思潮でも、我国に決して斯かる思潮を採用する事は出来ない。万世一系の皇統を戴き、天壌無窮の皇運を扶翼し奉つて、祖先の遺風を顕彰し、世界万国を神皇の徳沢に浴せしむる如う、各自に努力せねばならぬのである。
大本の世界改造説は二十八年前から、教祖の筆に口に唱導されて居るのであるが、俗人は行き当るまでは分らぬので、行きも戻りも、上げも下しも成らぬ如うに成つてから、世界改造を叫んでも、余り功能が薄いのである。我大本は二十七八年前より、微弱ながらも世界改造に対して、物質上は兎も角、精神上に於いては相当の準備が出来て居るから、決して世間の学者や政治家の如うに周章狼狽せず、悠々として改造に対する覚悟が固つて居るのである。大本に教祖の手と口を通じて、現一万冊の神諭も、詮じ約むれば世界改造の四文字に帰着するのであるが、静岡の○○先生は経綸改造を主唱する大本の神諭を、荒唐無稽だと評された相であるが、王仁は○○先生に会見して、神霊学研究をした事があり、本年で前後廿二年の間交通して居るなれど、未だ一回も王仁の口から、大本の神諭や神策や改造にかんする談話を試みた事はない。到底先生の頭脳に、守護神の因縁上、納まらない事を看破したからである。併し数年ならずして真否が判明するから、今は何も書かぬが花である。活眼の在る人は目今と雖も、大本の改造説の既々に実現して、其進行の途上にある事を認識して居るのである。
筆先に三千世界の大化物が現はれて云々と言ふ事があるが、斯大化物に就て、非常に心配をなし居られる方も在るそうだ。又た神諭に弁解的、弁護的の文意が出て居るから、疑問とするとか、体主霊従の鼻高さんが小言を仰せられて居るさうだが、神界を人界と同一視したり、自己本意の人々でない限り、大本の神諭を信じられないものは無い筈である。兎も角大化物が満五十六年七ケ月に成つた暁を視て居れば良いのである。
現今は人心腐敗の極度に達し、神道家や、仏教家や、基督の牧師や、道義先生の御説法も、屁のツッパリにも成らぬので、上の守護神も手段に尽き果て、終には浪花節の親玉に奏任官の待遇まで与へて、人心改善を依頼すると云ふ事に成つた。是を現今の各教各宗の歴々は、何と考がえて居るであらうか。是でも現今の社会の状態を袖手傍観して、益々無能を天下に表白するであらうか。皇道大本を宗教と認めるとの当局の御沙汰であつたが、何んと認められても構はないが、斯る宗教家の部類と同一視されるのは聊か迷惑である。
大本が隆盛に成れば成る程てきが殖える。大本を破るものは大本から現はれるから注意せよ。何程反対致しても神には叶なはぬから、反対した其の人が可哀想なから、神が気を付けるぞよと、筆先に毎度現はれて在るが、御神諭の如く、モハヤ反対者が現はれて来かかつて居る。本人は至誠至直の肉体でも、悪霊が憑ると皆変な心に成つて神界の大本に反旗を飜えす如うになるから、各自に御注意を願ひたいものである。
本田師と王仁との会見の時日が違ふから、虚言であるとか、根本に大本は欠点があるとか、色々の言辞を弄する人があるさうな。神界の経綸の分らぬ似非霊学者の窺知し得られるべきもので無い。何程人格の立派な人でも悪霊に左右しられると忽ち嫉妬心が起つて、友人でも弟子でも主人でも構はず、中傷誣言を放つものである。
東京で仕組をスルガ美濃尾張りと曰ふ神諭がある。大本の大橋こえて未だ先へ、行衛判らぬ跡戻り、慢心すると其とうりと云ふ神諭がある。吾人は此の神諭を見て感慨無量である。
神諭でない人諭だと罵る人があるが、神諭でも人諭でも構ぬではないか。事実さえ合致せばそれが神徳の発動である。人は神の生た宮居だと曰ふ、神諭を御覧にならぬ方の言と見受る人は、天地経綸の司宰者也と曰ふ以上は神人合一であり、神人合一となれば、神は人也人は神也、此の間の消息が判れば、別に小理窟を云ふ必要はないのである。
教祖の神諭に旧暦の七月七日は、毎年天上にて神々の御集会があつたが、世がかわりて、地の高天原で明治二十五年から、神々の御集会遊はす様に成りたぞよと出て居ります。其の霊地は綾部町本宮村の神宮坪の内であると誌されてあるが、其の坪の内と云ふのは、現今の大本の西石の宮が建設されてある場所である。古来坪の内と称し、平素空地であつて作物もせず建物もせず、人々の手の出さぬ所であつたが、教祖様の主人政五郎氏が、始めてこれを幾何かに買取り、我屋しきと一つにして、住宅を建てられたのである。
其の霊地に於て教祖の肉体に艮金神国常立尊が神憑あそばしたのである。其の後毎年七月七日は、特別に清浄にして神々の御来集を待つ事に成つて居るのである。
修斎会幹部の役員の行動に就て、種々の悪言を吐く会員が、地方には少し斗りあるさうであるが、今後はいざ知らず、今日迄の我々の見る所では、少しも非難すべき点を認めませぬ。勿論意見の相違した点は間々有りませうが、各自の器相応にょり、神界の事柄は判らぬものであるから、教理に就て多少解釈の相違する点はあつても、是は各自時の力で無ければ一致する事は出来ませんが、大局に明にさえあれば、末梢部の事位いは次に廻して置いても、自然に判る時が来るものです。
中には修斎会幹部の役員に対し我の意見が容られないのを憤慨して故意に中傷したり、或は道庁途説を妄信して、幹部攻撃を行る人もありますから大本の会員諸氏は各自に注意して貰はぬと、ウカツに誤聞を信じては成りません。王仁三郎の居ります間は大丈夫ですから、安心して幹部の役員を信任されん事を望みます。
人は各自に我身の上の事は気の付かぬものである。之れに反して、他人の事は塵のやうな小さい事でも、其の失が見えるものである。
鎮魂帰神の修業が少し進んだかと思ふと、直ぐに野天狗に成つて了ひ、会長の説が何うの、会監の話が何うのと判りもせぬくせに判つたつもりで、自由行動や反対行動を取つて、終には大本へも寄り附かぬ人が出来て来る。大本の役員さんが不行届なのか、其人が慢神して居るのか。兎も角も傍から見て居ても面倒い事である。神様は結構だが、教主は信じない、又信じては行かぬとか、教主は信ずるが、会長は信じないとか、会長は信じても他の役員の云ふ事は信じないとか、誰の云ふ事が本当だとか、嘘だとか、誤解だとか、種々の批評が出る相であるが、今日天下の形勢に注目したら、ソンナ気楽な下らぬ事を云ふて居る場合ではあるまい。些細な小言は中止して、国家のために一大団結力を養はねばなるまいと思ふ。
今の日本の上に立ちて働く守護神に、神国に生れて神国の政治を致し乍ら、神国の精神を忘れて、外国の石屋の計略に陥り、薩張り四ツ足に成り切りて了ふて居るから、幾度守護神を立替て見ても、牛を馬に入れ替るだけの事で、矢張り何所までも四ツ足の守護神であるから、一日先の事も見えず、其の日暮の政治の行り方斗り、何もかも一切万事が行詰り、世界中食物が不足致して居るのに、未だ気が付かず、気楽な事を申して居る守護神が上に立て、苦労や難儀をチツトも弁知ヘぬから、下の人民の今の困難、何時神諭の通り、何所から何事が破裂するやら、判らんやうに成つて来たのである。伸張すべき国威は日に月に失墜し、国民の生活は日増に困難に陥る斗りであるが、モウ此の行先きは、二進も三進も行けぬ様に成るのは、火を見るよりも明らかな事実である。神国天賦の天職を、上の守護神が無視して了ふて、薩張り石屋に知らず知らずに抱き込まれ、抱落しに懸られて、外国に対しては神国の威勢を惰し、多数の人民に対しては深き恨を買い乍ら、利己主義の精神を立貫かうと致して、臭い物に蓋をする如うな、頭を隠して尻をかくさぬ、向ふ見ずの世の持ち方、是では国が潰れるより仕方が無いではないか。吾々は二十余年来所在艱苦に堪えつつ社会から狂人扱ひにされつつ、至誠至忠、素志を飽く迄も貫徹し、現代の窮状を救はむ為めに、一切の体慾にはなれて、以て斯道を天下に拡充しつつあるのであるが、今日は上の守護神の力では、到底これを修斎して、神国の天賦的国体の活用を全うする事は出来ぬ。此上は神明の加護と、皇上の御稜威と、下国民の忠良なる至誠に依るより、外に道はないのである。
王仁前号に、杢兵衛の肉体を守る本守護神は、杢兵衛の肉[#レ一]体[#二]に宿る霊魂である。父杢兵衛の霊を守る物は、杢兵衛の肉体であると書いて置きました。夫れに就て或人から、杢兵衛の本守護神と、杢兵衛の精神とは何ういふ関係であるかと尋る人がある。本守護神と云ふのは、所謂霊魂である。精神といふのは、杢兵衛の体の要求により、活動する心象である。譬ば胃腑が空虚を訴えると、直ちに食物を欲求する心が起る。咽喉が喝すると湯や水を欲求する心が起る。眼に美しきものを見ると、之を愛する心が起る。是等は皆体の欲求や必要に応じて起る精神であつて、是も或る意味に於ける体主霊従である。霊魂即ち本守護神なるものは、肉体の根本を守る神霊であるから、体の欲求には関係がないのである。併し肉体は空腹を感じたり、喝を覚たり、其の他に種々の感覚を興す、其本元は矢張り本守護神の神力である。若し悪霊が肉体を守護する場合は、感覚を蕩尽させたり、意念を断滅させたり、種々の奇怪な事をするものである。催眠術に掛つた時なぞは、全く邪神の活動斗りであつて、肉体を守るベき本霊、即ち本守護神の活動を妨げられた時である。腕に烙鉄を当てても、針を刺しても、火中を跣足で渡つても、少しも痛熱を感じないのは、全く邪霊に本守護神の牙城を占領された時である。併し普通一般の世俗は、斯る邪神の誑惑を非常に有難がつたり、感心したりするものである。昔から正法に不可思議なしと云ふ事がある。現代は一寸変つた事でさえあれば、凡俗の多い世の中であるから、大いに持てるのである。
私は七歳の時から神憑状態で、突然に身体が中空にとび上つたり、種々の予言をしたり、人の病気を直したり、人の知らぬ事を知つたり、里人からは不思議な子供じや、神つきじやとか、神童じやとか言はれたものでありました。私の郷里穴太の老人連中に御聞きに成れば事実が判ります。其の後十三歳の年に、或る神道家か私の家へ来まして、この子供は神界の御用をする児であるから、我が教会の弟子に成つて呉れぬかと、懇望された事が在りましたが、両親が許ぬので、農業其他の雑役に従事して居りましたが、十八歳の春王子の梨木坂にて神人に出逢ひ、夫れから私は神軍の一兵卒として御用を勤る可く、御綱が懸つたのであります。併し極貧の家庭を支えて行かねば成りませぬので、止むを得ず種々の労働を行つたり、獣医学を研究したり、牧畜業を営なみつつ、一方に神理を研究して居たのであります。然るに天運循環し来つて、明治三十一年の如月九日、不図した事より、鎮魂帰神の御用を勤めねば成らない事になり、郷里に於て多数の信者を集めて、鎮魂や帰神を人々に宣伝して居りました。其年の四月三日、長沢氏の部下三ツ屋喜右衛門と曰ふ、六十斗りの老役員が訪ねて来て、私は静岡県下清水の稲荷講社の役員三ツ屋と申す者ですが、不二の芙容峰さんの帰神で、上田喜三郎(王仁の旧名)と云ふ人の家へ出張せよと仰せられ、亦た貴下の霊が感じましたのであるから、私と一所に至急静岡ヘ上つて、先生に逢つて、講社の為に御尽力を願ひたいとの勧めであつた。私は稲荷講社と云ふと稲荷下げを聯想されて、不快で堪らなかつたのである。併し一々思ひ当る節もあり、一ツは研究に行つて見て、長沢氏と一議論を行つて見たい如うな心もするので、同月十五日東上して、長沢氏に合ふたのである。そこで私の幼時からの帰神状態を話すると、始めて長沢氏が、それは神界から任命された真正の神憑りであつて、神界の御思召に依つて、貴下が茲ヘ御出に成つたのだと云はれました。私でさえも自分の帰神を神経病ではないかと疑がつて居た際、一見して正しき神憑じやと断言されたのが、私の非常に気に入つたので、長沢氏を師と仰ぐ事になつたのである。併し先生から授かつて、神憑りに成つたのではない。七歳の時からの神憑であつたのである。其の証に、長沢氏より四月十六日、先生に逢つた翌日、直ぐに「鎮魂帰神の高等得業を証す」と云ふ辞令を頂いて、今に大切に保存して在ります。
註、長沢氏は帰神も神憑も神懸も同一に見て居られるから、帰神と書かれたのでありますが、私のは神憑であり或点は神懸でありました以上、三者の区別は後日説明致します。
長沢氏の母堂に豊子さんと曰ふ賢明な御方が在りまして、本田先生からの遺言なり、遺書なり、天然笛なり玉なりを授かり、又色々の私に対しての約束なり、注文もありましたが、今は故人と成られましたから、私くしも非常に落胆いたして居ります。長沢氏の母上より、本田先生の種々の関係の出来た事は、明治四十二年に私が発行した、直霊軍と云ふ小雑誌に記載して在りますが、後に高和臣と云ふ丹州時報の記者が、両丹の人物と云ふ冊子に、長沢氏から何も彼も伝つた様に誤つて記載したのを、次の記者が又其の通りを伝たから、少しの間違が出来たのでありますが、長沢氏の母堂から伝はつたのを、同氏から伝つたと記して在つた所で、格別の邪魔にも成りませぬから放任してをいた次第であるが、ソンナ少さい問題を捕えて、彼れ是れ云ふやうな人物では、到底何の役にも立つものでないから、是も一つの神の選抜法と思ふて、捨てあるのであります。
教祖の御神諭に、世に出て居れる神様には、今度の二度目の世の立替立直しの御用に立つ神は一方もない。是だけ斯世が乱れて、天も汚がし、地も泥海同様になり、悪神が覇張り散して人民を困しめて居るのを、高見から見物して居られては、神の役が勤まりますか。「チツト改心して神国の神なら御活動なされ、御働き次第でそれぞれ艮の金神が相等の位を付て上げますぞよ」と仰せに成つて居りますが、今度の世の立替は、世に出て居られる神様は御存じのない方が九分九厘占めて居られるのである。約り無能力の名斗りの神様が多いと云ふ神勅であります。先生の奉仕されて居る稲荷神社は、矢張世に出て居る神様であつて、眷属さんは白狐である。神諭に白狐でも稲荷でも何神様でも、今度の神界の御用に、改心さえ出来たら使かふとあるから、別に世に出た神様を排斥するのではないが、世の立替の経綸を御存知がないから大本の経綸は分る筈は無のである。肝心の奉祭神が知つて居られぬ位であるから、其眷属として奉仕して居る神職に分る筈がない。それ故艮金神と曰ふ如な神は皇典に無いから認めぬとか、世の立替説は荒唐無稽だとか曰つて、疑ふのも無理はないのである。延喜式にも、世に名の隠れて現はれない神様が、粟粒三石の数ほど在ると記されてある。亦天津神八百万、国津神八百万とあるでは無いか。それに皇典には古事記、日本書記、古語拾遺等を合算しても、二百余柱より神名が載つて居ないのである。それを皇典に記してないから無い神じやと曰ふのは、大なる誤解であり、神界ヘ対して不敬極はまる逆論である。況んや神職の口から斯ふ言ふ話が出ると云ふのは、実に言語同断、迂愚千万の沙汰と云はねばならぬのである。綾部の大本の教は太古から神名帳に漏れ玉ふた神力の在る神々様を、一々世に現す地の高天原であるから、外間者の分かるべき事ではない。億兆無数の神々が、現代の人々の守護神となり、此の大本へ肉体を引き寄せ、神界から各自に神名を賜ひ、二度目の世の建て替や、改造の御用に御立ち遊ばす神霊地であるから、人心小知の窺知し得る所ではないのである。
現界で云ふと、世に出て居れる守護神と云ば、貴族や富豪や大政治家の連中であるが、一人として真に国家の前途を憂ひ、百年の大計を企つる者がない。否な一日先の世界の出来事も分るものがないではないか神界もそれと同様に、世に出て居れる神様には、世界の修理固成も、国土常立の神策も分つて居ないのである。実に大本は神界と現界と幽冥界との、三千大千世界の改造であるから、大望な神業の策源地であります。
瑞雲東海の天に靉靆し、金烏玉兎は皇国の神園に清く麗はしく輝き渡る。天孫二々岐尊、斯土に御降臨あらせられて以来、幾億万の星霜を経たり。大希望と大光明と大歓喜と大責任とは、将に七千万同胞の前途に充満して居るのである。顧りみれば天地初発の時、大地の未だ凝固せざるに当り、天津大神は先づ吾国祖に世界建国の大任を命じて、漂ヘる大地を修理固成せしめられたのである。
我国祖大国常立尊が始られたのである。諾冊二神の大神の勅を奉じて、先づ世界の中心淤能碁呂島(日本国)を根拠地として、修理固成の大神業に着手遊したのである。日本帝国先づ成り、次で万国発生するを得たのである。由来日本民族は、第一に神勅を遵守し、以て祖先の大志を継承し、天の下四方の国を平けく安らけく治ろしめさんと、静に日本神国に正を養ひ、徳を修めて君臨し玉ふ事幾千年間、万世不易の天津日嗣天皇の赤子たる同胞は此の時、此の際、奮励努力を以て、其の天業を輔翼し奉らねば成らぬ天賦の大責任を、唯神に負ふて居ると云ふ事を忘れては成らぬのである。今や天運循環して、吾等神国民の世界の大舞台に大活躍すべき時代と成つたのである。
併し神国の使命と国民の天職を夢だにも知らない体主霊従の世に出て時めき玉ふ守護神の今の精神状態なり行り方では、到底神国の使命を全ふするだけの能力が伴ふて居らぬのである。吾々は一日も早く真正の日本魂を集めて、千載一遇の好機に際し、神諭のまにまに、実行方面に掛らねばならぬのである。目下神国上下の思想状態に想到すれば、故教祖の二十八年間の御苦心の程が偲ばれて、実に感慨無量一言も発する事も出来ぬやうに成つて来るのであります。
大本皇大神と奉称すれば、天地八百万の神々の総称でありますから、一々神名を称へたり、一々特殊の神を祭つたりする必要は無いやうなものですが、併し是は普通一扁の理窟であります。皇道大本に現れた大国常立の尊様の御神示には、今度の二度目の天の岩戸開きに御用遊ばす神様から、一々神名を現はして、丁重に御祭つり申上げ、神界も人間界も共に勇んで暮す神国に致すぞよと在りますから、始めからの大本の役員信者は、重なる神々を祭祀し、且つ朝夕御神名を称ヘて居るのであります。先日修斎会副会長小牧氏より、重なる神名を発表されたいとの希望でありましたから、左に大略記しておきます。
第一に御三体の大神を教祖様が御唱へになりました。御三体の神名は、
高皇産霊大神……伊邪那岐大神……日之大神。
壱 天之御中主大神……撞榊向津姫尊……天照皇大神。
神皇産霊大神……伊邪那美大神……月之大神。
以上三列九柱を御三体の大神様と、教祖が奉称されました。天に在します大神様なれど、今度の二度目の世の立替に就て、地上の高天原ヘ御降臨遊ばして大国常立の命様の御神業の御手伝を遊ばすのであります。
明治二十五年正月元朝寅の刻に、始めて教祖に神憑あらせられたのは、艮の金神大国常立尊様でありました。次に竜宮の乙姫玉依姫命が神憑せられ、次に禁闕要の大神(正勝金木神)澄世理姫尊が御憑りになつたので、最初の間は教祖様が、
丑寅之大金神……大国常立尊。
弐 禁闕要之大神……澄世理姫尊。
竜宮之乙姫神……玉依比売尊。
以上の三柱の神を祭つて居られましたが、漸次に出現神が次の如く現はれたのであります。
雨之神……天之水分神……国之水分神。
風之神……科戸彦神……科戸姫神。
参 岩之神……岩長姫神……岩戸別神。
荒之神……大雷男之神……別雷男之神。
地震之神……武雷之神……経津主神。
万の金神。並に大本塩釜大神。
以上の神々も祭られたのであります。
明治三十一年正月より、
坤之大金神……豊雲野之尊。
木花咲耶姫尊……弥仙山祭神。
彦火火出美尊……同上。
四 豊受姫大神……伊勢外宮。
稚姫岐美尊……伊勢烏の宮。
大国主大神……出雲大社。
次に明治三十三年四月八日より以後。
大島大神……丹後冠島。
小島大神……仝沓島。
五 元伊勢神宮……丹後加佐郡。
一宮神社……丹波福知山町。
神島大神……播州牛島。
其他に未だ沢山の神様が現れて居られますなれど、何れも御活動中でありまして、一般に神名を現はし祭るのは、神政成就後の事になりて居りますから略します。亦た役員や信者に憑依りして活動されて居る神様もあり、其の人々の守護神で、各自に活動して居られる神が、沢山に現はれて居りますなれど、是等も神政成就後に夫れ夫れ御働きの多少に依つて、神界より許されて、国家の守護神と祭られ玉ふ事になるのであります。
兎も角通俗的に教祖の奉称された御言葉は、次の通りでありますから、吾々始め大本の元からの役員信者は、教祖の御称なされた通りに、今に守つて居るのであります。
御三体の大神様。
日の大神様。
月の大神様。
艮の大金神……国常立の大神様。
坤の大金神……豊雲野の大神様。
竜宮の乙姫様……日の出の神様。
禁闕金の大神……大地の金神様。
弥仙山の木花咲耶姫命様。
中の御宮の彦火々出見命様。
大本塩釜御夫婦大神様。
雨の神様。
風の神様。
岩の神様。
荒の神様。
地震の神様。
八百万の金神様。
取分け神風の伊勢に鎮まります。
天照皇大神宮様。
豊受大神宮様。
於加良洲大宮神様を始め奉り、
日本国中に鎮ります、世に出て御座る神様御一同様。
昔から世に落ちて御守護遊ばし下さりました、八百万の生き神様。
総産土の大神様の御前に、日々の広き厚き御守護を有難く御礼申上ます。
此度の三千世界の二度目の天之岩戸開きに付きましては、千騎一騎の御働きを願ひます。天下泰平国土安穏、世界の人民一日も早く改心致しまして、神国成就のために働きますやう、御守護を御願申上ます。大本皇大神守り玉へ幸へ玉へ。惟神霊幸倍坐世。以上
大正八年八月旧七月、いよいよ大本の理想通り、官吏のフロツクコートの廃止と、学生の制服を廃する事に、政府が仕たのは、実に妙である。段々と四ツ足服の重んぜられない如うに成るのは、純日本主義、神政の先駆とも見れば見られる。
世界各国共に、教祖の明治二十五年からの御神諭通り、生活難の声が喧ましく成つて来た。日本人もそろそろ気が付て来て、馬鈴薯の試食が主唱される様になつた。大本では故教祖の教訓を守り、明治三十四年から実行して居たのである。其の他、木の根、草の葉、何んでも彼んでも食えるものは食つて来た実験があるから。如何なる粗食でも苦しく無いだけの修業が出来て居るのは、全く神様の御神示の賜であると、今更感謝の念を深くする次第である。馬鈴薯の本年度の収穫は約四億万貫の予想で、作附段別は全国を通じて十五万町歩、昨年より段別に於て、七八千町歩を増て居る。併し日本は豊葦原瑞穂の中国であるから、特別の神恵の多い事を、国民は天神地祇に感謝せねばならぬ。
日本全国民が、一日に一粒宛の米を倹約しても、六千五百万粒、一升の米粒を七万とすれば、一日に九石余りに成る。実に倹約位い大きな物は無い。
大本の機関紙、敷島新報を一部十銭にて配布しつつ在りし所、大正六年一月より、神霊界と改題し、一部拾弐銭に値上げする事と成つた。暫くすると同じ名の附た莨の敷島が忽ち神霊界と同価の十二銭に上つた。神霊界は更に物価騰貴の影響を受けて、一部十五銭に価上げした時、或る会員から神霊界(元敷島新報)が十五銭に上がつたから、又々莨の敷島も上るであらう。其時機は間もあるまいが、一体いつ頃になるだらうと、冗談半分に尋ねた時、王仁も何心なく来年の旧七月じやと曰ふた事が在つたが、悪い事の当つたものである。烟草好きな吾人には忽ち苦痛を感ずるのである。
七月十二日が来ても、別に世界に変動がない。神諭と云ふものの其実は人諭である。当にならぬと小言が出るで在らうが、沈思黙考、天下の大勢を見れば、毫末も間違つて居らぬ事が首肯されるのである。大本の内部は本月から大変な易り様である。それも悪い方では無い、漸次神界経綸の完美を示しつつあるのである。大八洲の水火、言霊七十五声の鈴の音清く大本に鳴り響き、天下国家の前途を報じつつあるは、将来の為に大に祝すべき事であります。
浅野会長一行の各地遊説に就て、会員の中には時機尚早論者も在る様ですが、神界にては一日も猶予の出来ぬ時機と成つて来て居ります。王仁の霊魂の一部は、一行に附随して大活動をして居る事は、講師一行の認められる事と信じて居ります。世界大救済の神界の大望に翼賛すべき役員信者は、此際に各自の天分に由つて、大々的活動を行つて、神国成就の為に尽されん事を、切に希望致す次第であります。
東京の活版職工同盟罷業の為、数日間帝都をして精神的暗黒界と化せしめた事実は、果て何を語る者で有うか。上下に押並べて邪神の感化を不知案内の間に受けて居るのである。悪神に使はれて暴動せる、石屋の手先に使はれて居るのであるが、未だ未だこれから石屋の活動、邪神の暴動は、激烈になるから、日本国民は皇道を遵奉し、神と君と国との為に、至誠神通的の大活動を忘れてはならぬのである。
新畳でも打てば、少々は塵埃の出るものであるが、大本教の畳は二十八年間の古い畳である。何所からなりと打つて見玉へ、埃一ツ出ない確信があると声明した所、当局者は新聞の中傷的記事で、大変な疑いの眼を以て、日本全国の大本教信徒の言行を再三再四調査しられた結果が、矢張り何一ツ出て来なかつた。万々一にも一人や二人位い叛則者があつたにしても、夫れは箇人の行動が悪いのであつて、大本教に対しては、何も影響がないのである。俗人者の中には、一人の信者の行動がよくないと、大本教や大神の御名を汚すと云ふ人があるが、三人や五人の為に名が汚れたり、神徳が落ちる様な小さい教や神様なら、何も役に立たぬ筈だ。大海の水は濁流を呑んで濁らぬのと同様である。山田憲が大悪人じやから、農学士は皆大悪人でも在るまい。官吏や新聞記者の中に一人や三人悪人が現はれたから、一般の官吏や新聞記者が皆悪人と云ふ道理は無いと思ふ。
大本へ来つて幽斎の修業をすると、各自の憑神が霊地の神威に恐れて、畏縮したり、門外で肉体と分離したりして、神霊地を逃出す工夫を為るものである。故に大本で鎮魂を受ける人は、十中の九迄静粛であるが、他の地方へ行つて鎮魂でも帰神でも執行すると、忽ち発動が猛烈に成つて来るものである。そうして大本より早く口が切れて来る。恐いものが無い。神眼の開けた審神者が無いからである。故に地方に於て、無暗矢鱈に鎮魂帰神の修行を為すと云ふ事は、最も危険である。地方で発動したり口を切つた守護神は、大抵自由行動を採つて、大神の経綸に内心妨害を加へんとするけれ共、本人の肉体は、守護神の口車にのせられ、何時の間にやら邪神の捕虜になつて了つて居るのである。吾は天之御中主大神なりとか、高皇産霊大神とか、神皇産霊神なりとか、或は天津神、天照大御神、大国常立尊、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、大国主大神とか、其他種々の神名を詐り、審神者までも欺かむとするものであるから、況して審神者の心得なき人は、概して邪神に誑惑されて了ふものである。それ故神憑や神宣に対しては、十二分の注意を払はないと、とんだ目に遇ふ事が出来て来るのである。
(「神霊界」大正八年八月十五日号)