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随筆『神霊界』大正9年1月15日号掲載

インフォメーション
題名:随筆『神霊界』大正9年1月15日号掲載 著者:
ページ:77 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-04-13 19:00:57 OBC :B195502c110710
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正9年1月15日号(第102号) > 随筆
大正九年一月一日稿
 「元日や神代の事も偲ばるる」と新春否な新年を謳歌しつつある間に、世界の大勢は時々刻々に進展し来り、労資協調人間建築世界改造デモクラシーなぞ目出度くも無い悪思想がムクムクと頭を上げて来て、我神国の国体の如何にせば完全に保持する事が出来やうかと、真心より心配する国民は遺憾乍ら極めて少数であつて、殆んど九牛の一毛だにも如かざるの状態である。アア斯の如き天下に向つて、一木一枝の能く支ふる所にあらずとして放任して置かれやう乎。皇道大本は現代に処して、尊厳なる我神国の国体を世界に発揮せむと欲して、至誠通神的の大活動を開始し、五畿七道否八道に布教宣伝を為しつつあるので在る。併し内務省の訓示の如うに世界の大勢に順応せむとするも、今日の世界は到底我皇国の国体を堅固にし以て敬神尊皇の大義を主唱する皇道大本の主旨とは全く氷炭相容れざるの有様である。大本の唱ふる敬神とは彼の宗教家輩の唱ふる如き神を崇敬せよと云ふのでは無い。皇祖皇宗の大神即ち実在の神々を崇敬せよと曰ふのである。今日の世界の大勢と大本の敬神の観念とは全く其根本からして相違して居るのである。世界の大勢に順応する事は或る一方から見たる点に於て可なるやも知れぬ。然りとて世界の大勢に順応せむが為に尊厳無比なる我国体を覆す様な事は断じて不可である。神聖無比なる我日本の国体に付ては何物と雖も之を云為する事は許されぬ筈である。之れ我神国の世界に冠絶せる所以である。「元日や親の譲りの大刀佩かむ」とは是れ我国体精華の反影である。祖先以来家宝として伝はれる神剣を佩いて恭して新春を迎ふる其意気軒昂として千丈の光焔を吐く、是ぞ祖先崇拝を示す所以のものである。我祖先崇拝の大義は則ち外国に其例を見ざる所である。斯くの如き行為はやがて敬神の観念を強固ならしむるものである。我国の神は他の宗教家の唱ふる神とは大に相違して居て、現実の祖先を祭るのである。一家の祖先一国の祖先天の祖先地球の祖先を敬祭するのである。第一に祖先を崇拝する為に神として祭祀するのである。斯の観念が遂に凝結してやがて、敬神と成るのである。敬神の観念と祖先崇拝心とは合致して居る。これが即ち日本神国の精華であつて、万国に比類なき点である。斯の精華が世界に卓越したる我国体を創造したとも云へるが、天地開闢の太初から特に天地の祖神より神定されたる大義明分に外ならぬ次第である。故に日本神国の臣民は一日も祖先崇拝と敬神の道を忘れてはならぬ。殊に新年の歳頭に際しては宗教の如何を問はず、都会も田舎も押並ベて神祇を祭り、祖先を礼拝すると曰ふ事は日本人の当然の行事である。従つて元旦に於ける神々しき儀式を行ふ事は永遠無窮に神を敬ふの大義を遺忘せざらむが為である。森厳にして神々しくて元旦の気分を平生に念頭に置く事は我国民の切に留意せねばならぬ処である。
 「蓬莱に聞かばや伊勢の初便り」皇祖天照皇大神の永遠に鎮り坐ます伊勢大神宮は実に我国体の中心であつて、一種森厳なる霊気神秘荘重の神域であつて、尊厳無比なる国体の基礎は茲に存し玉ふ事は我国祖国常立尊の出口大教祖の御手を通し口を通して、日夜訓諭されたる所である。
 「何事のおはしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」と詠じた古人の歌は、乃ち臣子の至情であつて、我国民としては実に当然である。古来我日本国の儀式典礼等は総てに於て敬神尊皇の大道を基礎とし、古往今来曾て変らざる所である。中世以来仏教渡来して幾分かの影響は蒙つたとは雖も敬神の基礎は決して動揺はして居ない。古代に在つては敬神は乃ち政道である。祭政一致の政体であつたが、其後に至つて神道なるものが起つたのである。頼山陽は日本政記に「神道衰へて王道興る」と論じて居るが、之れぞ祭と政との区別の生じた事を言つたものである。
 仮令王道なるものが興つて神道が衰へたとは云へ、敬神の基礎は千古決して変じない。我国の古典古儀を調べて見れば、我国体の尊厳無比なる事が諒解されるのである。従つて我国は現代の大勢に順応せむとする以前に於て、飽く迄も国体の尊厳を発揮すべき事を考ヘて置かねば成らぬのである。世界の大勢に順応する事も、或は大に努むべき点も有るであらうが、亦た国体固有の精華を保継して不健全なる思想などは、絶対的に排除せなければ成らぬ。此点に付ては、我国民の切に反省を要する問題である。新年は凡ての気分をして神〔森の誤りか〕厳荘重ならしむるものである。我大本教信徒は更なり。日本国民は将に此の時に於て充分に敬神崇祖尊皇の念を深からしむる而已ならず、実現実行以て永久に神国の民風を作興し、五六七神政の臣民として世界に範を示さむ事を切望する次第であります。
  新年の春の心を常に持てば世に災の来ることなし
 本年は庚申の廻り年であるから、申に因んで神代真勇の代表者たる猿田彦命と真柔の代表者たる天之宇受売命の事跡を書いて見やうと思ふ。
 神話や伝説なぞは太古史や古代史の欠けたる所を補ひ、且つ其真相を物語るものである。併し多くの年所を経るに従ひ、色々様々に牽強附会された結果は全然間違つた意味に伝へられたのもあるが、太古史や古代史を研究する人は何しても神話や伝説を等閑に附し去つて了ふと云ふ事は出来ないと思ふ。王仁は神典研究者の一人ではあれども、元来の学者でないから、余り深く切込んだ太古史などの真相は解らない。神界より伺つた点なぞは非常に現代国学者の疑問の種となり、種々の質問を持ち込まれると神務多忙の折答弁する暇が無いから、茲には只単に伝説の上から観察した所の猿田彦命と天之宇受売命とを叙べて見やうと思ふ。本年は庚の申の歳に属して居るから其為に猿田彦命は各方面に於て大変に歓迎される事であらう。今年は天狗さんの当り年であると云ふ人があるが、大本金竜殿又は五六七殿の幽斎修業にも天狗の守護神が可なり多勢集つて来る事であらうと思はれる。天下の混乱騒擾に際して今日の日本人は武勇絶倫なる神代の英雄猿田彦命を想起するは当然の事である。
 抑も天孫二々岐命の天照大神高木の神の神勅を奉じて豊葦原の中津国へ降臨し玉ひ、万世一系の皇基を立て玉ひ、地上に君臨さるるに当り、天の八衢に迎へ奉りて日向の国へ先導申上げたる真剛の英雄猿田彦命を得玉ひしは、偉業創成に就て多大の輔翼ありし事と思はれる。然れば後世に成つても命の剛健峻烈なる流風余韻を追慕して崇仰に堪へぬのであるが、日本神話の伝ふる所に由ると、鼻の高さ五尺六寸丈の高さ七尺で、其眼は八咫の鏡の如しと出て在る。五六七と八との数字が順列して居るのも妙と曰へば妙とも思へぬ事も無いのである。鼻が七尺も在るので天狗の親分なぞ誤り伝へ牽強附会されたのである。世俗の心に画く所の天狗なるものは、実に神変不可思議の術を有するものとして伝へられたるものである。徳川時代の有名なる儒者、物徂徠は曾て天狗の説を叙べて大に論議した事があつたが、今日でも霊学修業者を除く外は矢張り絵図で見て居る斗りで其本体の如何なるものなるかを実際に見たものは極めて尠くない。そして絵図に現はれた天狗は則ち猿田彦命の風姿を想像して、之を画いたに過ぎぬ。蓋し天狗は猿田彦命であるか、猿田彦命は果して天狗で無いか、又は所謂天狗の如き神怪のものが在る乎と云ふ事を疑問に為て居る人間が頗る多いやうである。併し命が皇国創造の際に当つて、容貌魁偉欠くべからざる英雄で早くも日向地方の平定を完全に遂行されたのは全く猿田彦命の力の預つて多きに帰因せる事は実に尊き次第である。今日の世にも我国民が到る処に奉祀して崇敬の念を表するは、一に其威烈を追慕しての事であらうと思ふ。次に平和と愛の女神御多福の神として崇敬されて居られる天之宇受売命は猿田彦命の天狗所謂鼻高さんに対して鼻低さんであつて、何時も甘酒屋の看板を勤めて居られる神である。天孫の命を受けて猿田彦命を招致し、天孫の先導を為さしめ、又天岩戸開きに際し俳優を為し神楽を奏し、高天原を一度に笑動させた真柔真愛の代表である。猿田彦命の真剛に対して誠に好い調和を得たものである。然れば国民が天之宇受売命を以て福の神として尊敬し、お多福として愛嬌あり、和気靄々たるを欣ぶのも決して偶然では無い。大本に於て毎年節分祭に甘酒を頂戴する事に教祖が定めて置かれたのも何かの因縁が有りさうに在ると思はれる。夫れにしても本年は大本の大天狗も小天狗もお多福さんも、世界和平の為に大々的活動を続けて、天の岩戸隠れの暗黒世界を晴明に導き、天孫二々岐尊の先導に奉仕せねば成らぬ。
 本年は畏くも神武天皇御即位の前年に当る四十四回の庚申の年である。
 又た基督降誕の前年に当り、井伊掃部守が桜田門外にて志士の為に首を切取られた年である。亦た耶蘇基督の霊が至聖所に入御されたと称する西暦一千八百四十四年の秋から、七十六年目に当る年であつて、大正十年の秋は将に七十七年目に当る大正十一年の秋こそ基督の再臨を見るべき天数であらうと思ふ。
 兎も角も神霊界に対しては妙な年であつて一月一日号が一○一号に当り、太陰暦の一、一月一、一日に相当し「神よし」と云ふ日である。一は則ち日、霊、火の言霊で一と訓じ、オサムと訓む。弥々皇道大本の内外が神霊的に統一されて一天万乗の大君の為に終始一貫、至誠一徹一大神業を勤行すべき年であると思ふ。併し今の一月一日は西洋人の私作にかかる太陽暦に従つて生ずる所の元旦である。太陽暦は我皇国の天地に対して春も春ならず、秋も亦秋ならず、二月に二十八日の不具数を生ずるなど、不満不便の点が最も多い。凡そ暦と云ふものは要するに天地の自然に基づかねばならぬものである。古の釈迦にしろ、孔子にしろ、聖徳太子にしろ、将た又た日蓮にしろ、何れも皆北斗暦に拠つたものである。太陽太陰の両暦に対照して見れば、北斗暦の万世不易なる点に於て大に勝つて居ると思ふ。北斗暦に依れば大正九年の二月一日は太陰暦の十二月十二日に当る。吾人神国民は惟神の大道に従ひ以て東洋文明の権威を示し併せて天地の真理に浴すべく、一日も早く北斗暦(恒天暦)を正暦として正真の正月元旦の用ゐられ、日蓮の唱へたる艮(日の若宮)の義の顕れんことを祈る次第である。扨て昨年は太陰暦の七月が二つ在り、所謂閏年なり、又今年は太陽暦で二月が二十九日あつて、ウルサイ閏年である。昨年の大本は漸次にウルサイ事件が続発したにも拘はらず、それが反つて神界の経綸と見ヘて非常に発展したのであ〔る〕も亦たウルサイ閏年である。天下にはウルサイ事が大変に多いことと思はれる。皇道大本は成るべくウルサイ事〔であ〕る。本年の出来ぬやうに上下一致して注意を怠つては成らぬ。国家危急の場合であるから、守護神も役員信者も第一に小我を捨て小異を捨て大同に合一し、可成的一致の行動を採らねば、天下統一の神業に第一支障を来たす恐れがあるから、断然一本立ちの行動は改めねばならぬ。
 
大正九年一月十日
 弥々大正九年の節分祭は霊主体従の御魂と体主霊従の身魂との、立替立別けが厳格に神界から行はれる誠に結構な日の恐い日である。大本の旧い役員信者の体主霊従の守護神が永らく御神諭を拝読して居り乍ら、欲と曰ふ悪魔の為に結構な身魂を汚され曇らされて、全然四ツ足の身魂に化り切り、大切な天下の宝とも曰ふべき御直筆の神諭や御神号を沢山に秘蔵して、之を私有物のやうに考へ、折角大神様が天下の人民を救はすべく与へて置かれた其の大御心をも汲まず、私有秘蔵して居れば大きな手柄が出来るやうに誤解して居る人が沢山にある。斯の如き四ツ足の守護神に使はれて居る肉体は一日も早く改心して、之を神様に返納し、充分の御詫を申上げて許して貰ふが良かろうと思ふ。余り判らぬ肉体や守護神は、節分の鬼が来る迄に一日も早く改心をして貰はぬと、後日に成つて何んな事が在つても神様は御聞済みが有りませぬから、一寸注意して置きます。教祖の神の筆先にも直々の筆先を以つて居つても手柄は出来ぬから、直筆は大本に一時も早く返納せよと幾度も示されて在るのに、四ツ足の守護神に誑された肉体が一寸も実行せないから、弥々今度の節分に審判の日が来たのである。神号を一人にて五枚十枚、中には数十枚も秘蔵して居て、是を後来の信徒に見せて天狗になつて居る方々が沢山にあるがモウ良い加減に鼻を折り腰を折つて改心したら何であろう。悪と慾とに強い守護神と肉体に気を注けておきます。
 ミロクの大神様と曰へば至仁至愛の神、世界万民を平安無事に安楽に暮さして下さる神様の総称であつて、第一に宇宙の主宰に坐します天之御中主大神の別称であり、此神の全霊徳の完全に発揮されたる天照皇大御神も乃ちミロクの大神様である。天下万民の為に千座の置戸を負ふて、世界に一旦流浪された神素盞嗚命もミロクの御霊性であつて、所謂月読尊である。之は地のミロク様であつて、天照皇大神様は天のミロク様で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛尊と曰ふ別称の大神である。此の御神命を教祖の神諭には総合的に頭の字一字を取つて撞の大神と仰せられたのであつて、決して月界守護の月の大神様の事ではありませぬ。又五六七と書いて大本ではミロクと読んで居る理由は、之も別に深遠な意義が在るのでは無い。只仏典に五十六億七千万年の後に弥勒が出現されると曰ふ文句の数字を殊更に略して応用したに過ぎぬのであります。要するに、ミロクと云ふ言霊は仁愛と云ふ事になるのであつて、天地万物の根元は皆天の御祖神の仁愛と、地の祖先の仁愛との大精神より創成されて居るのである。皇道大本を仁愛の結晶にしたのは変性女子の御魂であつて、其根元を開かれたのが変性男子の身魂である。即ち大国常立尊と神稚姫君命と、惟神真道弥広大出口国直霊主命の三神一体の厳の御魂の大活動であります。此の神々の活動によりて地の高天原の基礎が開かれ、其処へ変性女子の御魂が現はれて皇道大本が光輝を放つ事に成つたのである。皇道大本は艮の金神国常立尊が神政成就の神策地であつて、二代の教主が大地の金神禁闕要能神の身魂で厳の御魂の御用と神定されたのである。
 就いては天のミロク様は神代の神誓神約を実行すべく地上に降臨し初代二代三代の補佐を為すべく、瑞の霊魂の宿つた変性女子の肉体を御使ひ遊ばして神界経綸の完成を期し玉ひつつ在るのである。地系の神が主となり、天系の神が国祖の神業を補佐し玉ふのも「天の神様地に降りて今度の二度目の天の岩戸開きの御手伝を遊ばすぞよ。地の神上へ上りて一旦は守護致すぞよ」との神諭の一分の実現であります。
 敦賀駐剳の露国副領事フエロドフ氏はマツソン結社の陰謀を語り、露国の滅亡したのは米国から来た赤三角の業である。日本にも此の倶楽部が国家を呪ふ秘密結社であるとの意味を吐露した。曰く「露西亜の大革命を起したるはマツソン秘密結社の所業だ。革命の起るズツト前から其紐育の本部から派遣されて入露したるもの私の計算でもザツト二千名以上である。これ等の連中が過激派騒ぎをこね上げたのだ。何分五千年の歴史を有し、世界の四分の三の富を有して居ると称せられた秘密結社の事であるから、曩には七十万の生霊を仏国の革命の為に捧げ、今は我露国から幾多の血肉を奪ひつつある、其の徽章は赤の三角の上にコンパスの形を書いたものYMCV即ち基督教青年会の赤三角はこのマツソン徽章より胚胎して居るあの赤三角はリシエフエルを表して居るリシエフエルは悪魔といふ言葉で、リシは火をフエルは造るを意味して居る。真赤な赤三角は火の燃えて居る徽章で精神、心体等を赤三角の一辺にひきつけたのは実に甚だしき附会だ。何ぞ知らん彼等はマツソン結社の別働隊だ。何時も国家の不祥事は彼等の団体から起るのを見てもわかる。日本の官憲では日本に過激思想伝播を警戒して居るが、神戸横浜と斗りで見当が付かぬらしいが、マツソニア・クラブが立派に組織されて居る。
 日本は是までは彼等から全く除外されて居たが、ボツボツ朝鮮等に其黒い手が延びたらしい。警戒しないと大事になる云々」
 フエドロフ氏は日本は是までは彼等の秘密結社から全く除外されて居たと云ふて居るが、それは氏の誤解である。マツソンの最後の目的は矢張日本に在つたのである。只だ時期が到来せなかつたが為に今迄手が延び無かつたのである。併し彼等の自由平等四海同胞等の標語は已に数十年以前から、我国へ大河の溢るるが如き勢ひで侵入して来て居つて、彼等の目的の大部分は我国に於ても実現して居るのである。世界中を攪乱して遂に各国の主権者の主権を破壊し了り、最後に○○国へ目を付け、最早彼等悪神の経綸は九分九厘まで成就したのである。モウ一厘と云ふ所に成つて居るのである。大本教祖の神諭を始めから心を鎮めて拝読すれば、彼等悪神の陰謀は鏡に懸けて見る如く極めて明白に成つて来るのである。日本人も知らず知らずに彼等の悪神の奸計に甘々と乗せられ、九分九厘の身魂がマツソン化して尊厳無比なる我国体の精華を疎んじ、外来の悪思想に心酔して了ふて、此上も無き真理の如うに思つて騒ぎ廻り、ヤレ普通選挙だの、ヤレ労働問題だの、華族廃止問題だの、民本主義だの、自由平等だのと得意に成つて騒ぎ廻つて居るのである。日本国には天地開闢の太初より惟神の大道が開かれて在るのだ。今日までは神界の摂理で和光同塵の神策を採つて来た日本国も弥々天運循環して五六七神政の成就に近づいたのであるから、一日も早く真の日本人に立返り、日本神国臣民の使命を自覚して天地に代る大功を永遠に立てねばならぬのである。
 一月十五日号の神霊界に新年元且めいた記事を沢山書くのは、六菖十菊の感がする様ですが、神界の新年は実は未だ到来して居ないのです。
 太陽暦の二月廿日が新年元旦であるから、六菖十菊どころか四菖八菊でありますが、三ツ栗の中執り持ちて、新一月十五日号に記載しました。
 就ては元旦に飾り祝ふところの餅と海老と串柿、松竹梅に付て略解を施して見やうと思ふ。
 皇祖天照大神が皇孫二々岐命を下土に降臨せしめ、大地の主宰と為し玉ふ。時に手づから皇孫命に三種の神器を賜はりました。乃ち叢雲剣と八咫鏡と八坂瓊の曲玉の三種の神宝であります。そして剣を賜はると云ふ事は現在の極東日本国を賜はつたのである。現今極本〔東の誤りか〕日本の地形は全く剣である。鏡を賜はつたと云ふ事は日本人特有の七十五声の言霊を賜はつたのである。玉を賜はつたと云ふ事は、大地上の統治権を賜はつたと云ふ事である。人皇十代崇神天皇の御宇に至つて和光同塵の神策を取らせらるるに至つて、三種の神器を器物に写し奉り、同殿同床の制を改められたのである。然るに後世の歳頭に際し国家の長久を祝し、鏡に代用するに鏡餅を以てし、玉に代ふるに串柿、剣に代ゆるにエビを以てし、且つ門口には松竹梅を樹てて、松は玉に擬し、竹は剣に擬し、梅は鏡に擬し、三種の神器として祝ふ事に成つたのは、神国々体上外国に比類なきを示して居る所以である。詳細の説明は余白なき故省く事にしました。
 
正誤  前号四十三回目の庚申とあるは四十四回の誤植であります。
(「神霊界」大正九年一月十五日号)
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