霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(一)

インフォメーション
題名:(一) 著者:浅野和三郎
ページ:54
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c18
 大正五年の三月の末から四月の初めに懸けて大阪天王寺の高等商業学校に全国の英語大会が開会された。英語大会には書き入れの看板役者として()菊地男爵(および)神田(かんだ)男爵()も無論列席され、その他内外の英語界の名士淑女が無慮(むりよ)数百人東西南北から参集し、そして連日英語の演説が行はれたものだ。何れも雄弁宏辞(くわうじ)といひ度いが、さうばかりも行かぬ。怪しげな草稿の朗読者もあれば、英語らしからぬ発音の持主もある。概して()る人よりは(かへつ)て聴く方が骨が折れ、冷たい汗が流れた。但し稀には見事に有髯漢(いうぜんかん)髯の有る男の意顔色(がんしよく)なからしめる程の才媛(さいゑん)なども演壇に立ちて嬌舌(けうぜつ)(ろう)し、聴者(ちやうしや)の睡魔を駆除して呉れた。しかし是等の人々の間に立ちて流石に老練な手腕と軽妙な俳味(ユーモア)とを以て一段水際立つて見えたのは矢張り司会者の神田(かんだ)(だん)前出の神田男爵のこと。であつたのはいふまでもない。又た開会中一晩中之島のホテルで晩餐会が開かれた。(ここ)でも(いや)といふ程英語演説の大安売があつた。自分は大阪出張といふのは此英語大会に出席を命ぜられたので、自分の外に一人の同僚が連れ立つて来た。
 実をいふと自分は英語大会に出席したい希望などは余りなかつた。頭脳(あたま)の中は他の考へに充ち満ちて居て、発音(プロナンシエーシヨン)が正しいの、正しくないの、英語の教授法が(うま)いの(まづ)いのといふやうな事を考へる余地がなかつた。官命であるから毎日午前か午後かに顔を出すことは出したが、実を言ふと申訳に過きなかつたので、隙間を見ては媒烟(ばいえん)の大阪から一時間でも逃れ出すことばかり考へて居た。で、数日滞在する間に、割合に種々(いろいろ)な所を見物した。一日は有馬の温泉へ行つて(とま)つた。その渋色(しぶいろ)せる温泉()には余り感心しなかつたが、翌日徒歩で六甲山を踏破し御影(みかげ)へ出たのは面白いと思つた。又一日は余り有名なので宝塚の温泉なるものに行つて見たが、その付近の浅草(あさくさ)奥山(おくやま)式の雑沓には(いささ)(きよう)を醒まして匆々(さうさう)逃げ出した。又一日は奈良へ行つて泊り、暮靄(ぼあい)の中からニヨキニヨキ興福寺(こうふくじ)の五重の塔や東大寺の高い(むね)隠見(いんけん)する、昔ながらの優雅な風物を今更の如く興味を以て見た。他にもまだちよいちよい出掛けたやうだが全部(のこらず)は記憶に残つて居ない。兎に角この数日間は遊山(ゆさん)気分を十分に味はつたが、思へばそれが自分の無責任な、暢気(のんき)な、道楽な前半生の最終で、之を境界として真剣な、真面目な、厳粛な後半生に驀地(まつしぐら)に突入した。其後はモウ元のやうに、花を見ても(うか)るる気になれず、景色を見ても感心が出来ず、名所も目に()らず、美味も一向(くち)にしたくないといふ人間になつて了つた。無理にさう(つと)めるのなら辛くもあらうが、天然自然に精神肉体が根本(こんぽん)からさう変化して了つたのであるから別に何とも思はない。これは大本のまことの修業に入つた人なら皆首肯(しゆかう)するであらう。這間(しやかん)の消息はただ知る人ぞ知るのみである。
 四月三日に英語大会が終結を告げたので、自分はいよいよ目指す所の丹波綾部へ出発することとなつた。四日の昼頃梅田(うめだ)の停車場に(おもむ)くと、自分と同様、英語大会へ列席の為めに来合はせて居た戸沢(とざは)姑射(こや)氏が見送りに来た。之に同僚のT氏と三人停車場場外の食堂で西洋料理を食ひ乍ら麦酒(ビール)(さかづき)を挙げた光景は、今でもありあり想ひ(うか)べる。
 いよいよ発車の時刻となつたので自分は二氏に別れを告げ、阪鶴(はんかく)尼ケ崎と舞鶴を結ぶ路線を取りて梅田を出発した。アア梅田々々! 今は梅田の大正日日新聞社の社長室で此記事を(さう)しつつある。当時の梅田停車場に於ける背広姿の自分を想像して、魂は五年の昔に恍惚として飛び去るを禁じ難い。
 汽車は神崎(かんざき)から左に折れ宝塚、篠山(ささやま)、福知山と一つ一つに谷を越え、山をくぐり、午後四時過ぎに綾部の停車場に()いた。鞄と毛布とを赤帽に持たせて構外に出たが、不思議な事には其時の赤帽の顔が自分の記憶に消えずに残つた。今でも其赤帽は依然として綾部停車場で赤帽を勤めて居つて、五年以前とさして変つた様子もないが、変り果てた自分の姿はとても赤帽の眼には当時の自分だと見当はつかぬであらう。
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