霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十二)

インフォメーション
題名:(十二) 著者:浅野和三郎
ページ:97
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c29
 自分は不十分ながらも既に幾分神憑(かみがかり)現象の事実を認めて居たので、宮沢君のあの晩の発動そのものを左程に不可思議とは思はなかつたが、初めての人は随分吃驚(びつくり)もし、以外にも感じたに相違ない。たつた一二回の実験ではあるが、之で憑霊の存在といふ事実は、モウ何人(なんびと)でも認めずには居れぬ点まで持つて行かれた。宮沢君自身の体験の告白から考へても、又側面からの観察によりても、疑ふべからざるは、人間には頭脳(あたま)の働き以外に、モ(ひと)(はら)の働きが別個に存在するといふことだつた。物理専攻の理学士が、発動状態に於て、原子説や電子論でも述べたといふのなら、その当人の潜在観念の発露だとも言ひ得ようが、例の『カラカラクルクル』ではさうは行かない。()う考へても、あの言葉は、宮沢君の人格の一部分から出発したのではなく。全然別個の人格を有するものの意思であらねばならぬといふ事になる。然らば其『カラカラクルクル』の所有者(もちぬし)は誰であるか、何者であるかといふことになると、モウ大本の憑霊説、守護神説より(ほか)に説明の(みち)がない。
 宮沢君の神憑(かみがかり)の性質は霊学上天言通(てんげんつう)といふので、当人自身にも憑霊の姿は見えない。まるきり無形で、ただ声だけ──イヤ声を起させる原動力だけしか判りはせぬ。審神者(さには)の自分やら()の見物人やらには尚更(なほさら)のことである。で、其晩(しん)に就いてから、自分の頭脳(あたま)は更に新しき二つの疑問に(なやま)された。一つは宮沢氏に憑依して居るものは何であるかといふ疑問、他の一つはあの『カラカラクルクル』の文句は何といふ意味かといふ疑問であつた。が、幾ら考へた所で、到底すぐに判るべき性質のものではないので、判らないままで寝に就いた。
 翌朝(よくてう)出口先生に質問して見ると、『カラカラクルクル』の意味()けは少し説明して貰ふことが出来た。
『あれは予言だと思ひます。カラ漢土(かんど)とか韓国とか、すべて外国の事になります。ロクロクといふのは六年六月といふ意味かと思ひますが……』
『何故そんな判らぬ文句をいつたのでせう?』
『高い声で呶鳴るので、(わざ)と謎にして、当りさはりのないやうに神さんが工夫したのでせう』
『一体その神さんといふのはどんな神なのですか』
眷族(けんぞく)さんどす。兎に角悪いものではありますまい』と先生の言葉は(すこぶ)る曖昧であつた。自分は甚だ物足りないので、其後も一二度質問したが、出口先生は毎々(いつも)言葉を濁らして、明確(はつきり)した返答をしてくれなかつた。かく先生がこの事に関して沈黙を守られたのは、一つはそれが霊覚者といふものの守るべき徳義であるのと、又一つには私に対しての深き用意の結果であつたとは、後日に至つて初めて判明した。普通の学問でも教師から教へられて覚ゆることは幾許(いくばく)もない。少々気のきいたことは皆各自(めいめい)の発明に待たねばならぬ。まして霊学上の問題となると、いよいよ其傾向がある。(いやし)くも審神者(さには)としての修業をするなら、自力で憑霊の何であるかを見つけねげ駄目だ。『宮沢さんに()いて居るのを教ふる事は容易(やさし)いが、それでは修業になりませんよつて、可哀相ではあつたが、あの時浅野はんに何も教へなかつた。神様もさうせいと(おつ)しやられた。しかし(わし)としては浅野はんが、これから苦労なはると思ふと、あの時実際涙が(こぼ)れてならなんだ』と、自分が綾部移住後に、先生がしみじみ述懐されたのを聞いたことがあつた。
 第三日目の晩になると、宮沢君の天言通(てんげんつう)は非常の進歩を遂げ、モウ格別の苦労なしにスラスラ言葉が切れ出した。初心の人の必ず(おちい)るやうに、この頃の自分達は(しきり)に未来の予言ばかり請求したものだ。宮沢君の守護神は又盛んにそれに答へた。当時の自分には予言といふことが何故(なにゆゑ)に出来るのか、さつぱり意義が判らす、(はなは)だ面白いもの、重宝なもの位に考へて居たが、今日から振返つて其当時の事を回想すると、一方には赧然(たんぜん)として恥ぢ()ると共に、他方には悚然(しようぜん)として恐ろしくなる。予言といふ事を簡単に説明すれば、それは神界のプログラムの発表なのである。それだから実に大変な事柄なのだ。下らぬ小事件なら、ヘツポコ霊にも(すこ)しは判るが、(いやし)くも天下国家に影響を及ぼすやうな大事件になると、最高級の神霊でなければ到底判りはせぬ。大本神諭の予言の正確無比といふことは、(せん)する所(その)神霊が神界の中央政府の代表(しん)であるからだ。従つて参謀本部が作戦計画を前(もつ)て発表せぬと同様に、大本神諭には、世人の考へて居るやうな予言は極めて(すくな)い。世界の人類の指導の為めに、()むことを得ず、大方針を少々漏らされては居るが、細かい事などは一つもない。世間で大本の予言などと言ひ触らして居るのは、(ことごと)く低級霊の出鱈目予言であつて、取るに足るものは殆んど無い。
 が、こんな事は(にが)き苦き経験の後で初めて悟り得たので、当時の自分は善い気になつて、種々(いろいろ)のことを質問したものだ。例へば内閣更迭問題にしても。大隈内閣の後に寺内内閲、その次ぎに政友内閣、その次ぎに元老内閣が出現するなどどいふ予言は、此時(このとき)宮沢理学士の憑神(ひようしん)の御神託であつて、決して大本神諭にそんな事があるのではない。従つて其正確と否とは保証の限りでないのである。
 世間の大本攻撃の火の手は大概こんな所から起つたので、甚だ取るに足らないが、われわれもうつかり下らぬ神憑者(かみがかり)の予言を発表した罪は免れぬ。呉れ呉れも慎むべきは予言の発表である。枝に枝が出て、末の方に行くと見違へるやうな予言となつて吹聴される。一体大事のプログラムを矢鱈に素破抜かれて了つては、人間でも神様でも仕事がやれたものではあるまい。
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