霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十三)

インフォメーション
題名:(十三) 著者:浅野和三郎
ページ:102
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c30
 出口先生が横須賀着後第四日目のことであつたと思ふ。朝餐(あさげ)を共にして居ると、
『一遍走水(はしりみづ)神社に参拝したいと思ひますがナ』との御注文であつた。(あだか)も其日はすぐれて天気はよし、又土曜の半どんではあるし、早速自分が東道(とうだう)主人(あるじ)となることに約束が決まつた。一行は先生に村野、田中の二氏を加へて、自分ともで都合四人、午後一時頃に中里(なかざと)の自宅を出た。
 田戸(たど)の海岸まで歩いて、其処でガタ馬車を一輛借切(かりき)りにし、大津の海岸伝ひに痩馬(やせうま)を走らせた。行くこと一里余、浦賀街道と(わか)れて長い隧道(トンネル)をくぐると、モウ其処が走水(はしりみづ)の別天地である。今は観音崎の砲台やら、横須賀軍港用の水道設備やらで、余程浮世の風が此処にも舞ひ込んでは居るが、これでも依然三浦半島の勝地(しようち)たるを(うしな)はない。左に猿島、右に富津(ふつつ)(わづか)に二三里の波路の後方(かなた)には鹿野、(のこぎり)等の房総の諸山が手にとる如く浮き(あが)り、付近は砂白く波静かに、背後の断崖は完全に俗界を(さへぎ)り、何時見ても気持のよい所である。ましてここが日本の古代史とは切り離し難き因縁の土地であると思ふと、何とも云へぬ感興が湧き(いづ)るのを禁じ難い。日本武尊の(みじか)き御一代は実に一篇の詩史(しし)である。西に向ひて熊襲(くまそ)を討ち、東に向ひて蝦夷(えぞ)を払ひ、武勇忠誠、真に大和民族の典型として古今(その)右に()づる者は一人(いちにん)もない。が、(みこと)の御生涯に一層の光彩を添へるものは其愛妃(あいひ)弟橘姫(おとたちばなひめ)のあつたが為めである。例へば亭々(ていてい)たる巨松(きよしよう)紅葉(もみぢ)せる(つた)のからめるが如きもので、尊を想ふものは、(ただち)にあの愛の権化ともいひつべき弟橘姫を想はぬ訳には行かぬ。風浪(ふうらう)(なん)──竜神の(いかり)──犠牲の覚悟──漂着せる(くし)──(ああ)何といふ美しい、優しい、(かな)しい物語だらう。そして姫のかざせる櫛が漂着した地点が此走水(はしりみづ)の地で、そして、姫の香魂(かうこん)(とこし)へに祀られたのが此走水神社であるといふのだから、誰しも情思(じやうし)をそそられる筈だ。自分は横須賀滞在十七年の間に幾度(つゑ)を此付近に()いたか知れぬ。何時であつたか親子五人で、神社の上の芝生で行厨(べんとう)を開き乍ら、温かき日光浴をしつつ寝転んだことなどは、ありありと記憶の上に今も(うか)んで来る。名だたる古蹟にして同時に名だたる絶景、過去と現在とが、しつくり揃つて居ること斯くの如きは天下に(まれ)である。
 自分達は神社の鳥居の下の小学校の(へん)で馬車を乗り棄て、社務所に立ち寄つて手を清め、口を(すす)ぎ、そして走水神社に参拝した。従来の自分ならば、脱帽して敬礼する位が関の山だつたが、此日はこれまでになき敬虔の態度気分で、出口先生其他一行と天津祝詞を奏上した。恐らく自分の敬神の念慮は(やうや)くこの時分から萌芽を発したものらしい。
 参拝を終ると、自分は先づ上の芝生の御三体の石の宮の建てられた所に三人を案内しようと思つた。すると出口先生は、ツカツカと玉垣の内に歩み入つた。
『一つ神様にお(ねがひ)して石笛を授けて貰ひませう』
 かく言つて(しきり)に敷き(つめ)てある、きれいな砂利の中を捜して居られる。村野、田中両氏も之に加はり、一つ一つ石を(しら)べにかかつた。
 自分には石笛といふものがまだ十分に(わか)つて居なかつた。鎮魂の時に審神者(さには)の吹く笛が、それである事()けは最近に覚えたが、それが什麼(どんな)(ふう)のものであるかは(がう)も知らなかつた。で、別に仲間に入つて拾はうともせす、ポカンとしてただ一人祠前(しぜん)に立つて待つて居た。が、三人は一所懸命捜索をつづけて、五分待てども、十分待てども中止する模様が見えない。待ち(くた)びれて自分もたうとう一行の居る玉垣の(うち)に歩み()り、そして全然無意識的に、一行のするやうに、自分の爪先にあつた一箇の石を拾ひあげて見た。所が其石は竜の頭に似たる形をなし、そして両眼と見らるる(あな)が自然に二つえぐれて居た。
『いかがですこの石は、変な恰好をして居るでせう』
 自分は(くだん)の石をつまんで三人に見せた。
『や、そりや素的なものだ!』
『立派な石笛ですナ。神様のお授与(さづけ)だ!』
『矢張り審神者さんだけある!』
 口々に三人が囃し立てるのを聞いて、さてはこれが審神者(さには)の使用する、石笛といふそれであつたかと、自分でも意外に感じつつ、出口先生に渡すと、先生は少々泥の着いて居るのも構はず──(くちびる)を当てて強く気息(いき)を送つた。すると誠に(うるは)しい音調でピーイと高く鳴り出した。
 此石笛は自分がその後審神者(さには)として連日使用したもので、五年の間に幾千人がこの笛で鎮魂されたか知れない。自分に取りては実に思ひ出の深い。記念の石笛となつたのである。
 後日に至りて出口先生のお話によれば、この石笛は中里の自宅に居る時に、先生の天眼に映じたのださうで、さてこそ先生は走水神社の参拝を特に注文されたのであつた。
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