霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(八)

インフォメーション
題名:(八) 著者:浅野和三郎
ページ:80
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c25
『いかがで厶いましたか、綾部といふ所は?』
 自宅(うち)へ帰つて旅装を解く間もなく、妻は綾部の模様を自分に迫るのであつた。
『綾部といふ所は中々(するめ)の堅い所だ』
『え……何んで厶います?』
 自分は大本の内部に一泊したことから、大本式食事の話、出口先生。澄子刀自、及び教祖直子刀自などに面会したことをボツボツ物語つた。妻は極めて熱心に釣り込まれるやうに耳を傾けた。
『大本の教祖さんと三峰山(みつみねざん)のお婆さんとは大分(だいぶん)違ひませうネ』
『戯談ぢやない、まるで比べものにならぬ。(うま)れて初めて大本の教祖のやうな、あんな立派な教祖さんに遇つた。』
『土地はいかがですか。随分山の中でせうネ』
『山の中だが()と通り品物の揃つては居る。景色も上等だ。高台へ登つて見たが、きれいな川があつて、松並木があつて、面白い恰好の山があつて、すべてがよく整つて居る』
『いかがですか、綾部がさうお気に召したら辞職なすつてお引込みになつては……』突如として妻がこんなことを言つたので、自分はハツと驚いた。胸の奥深く(しま)ひ込んである、また定形をなして居ない、秘密の考へを言ひ当てられたやうに思つたからだ。
『さうお手軽な訳には行かんさ』と自分は妻を(おさ)へるやうに、『自分にはまだ本当に判らんことばかりだ。神様の真相が判らんし、お筆先の中味が判らんし、信仰といふ所までには大変な距離がある。之から(おほい)に研究に着手するとしよう』
 妻に言つた通り、実際自分は(おほい)に研究に着手すべく決心はしたものの、其端緒の見出し難いのには殆ど当惑せぬ訳には行かなかつた。参考書としては、当時大本の機関雑誌であゐ『敷島新報』お筆先の小抜萃、及び『皇典釈義』などを綾部から持参したに過ぎぬ。無論(それ)しきのもので大本の真相が捉へ得べくもない。飯森さんが帰つた後で、入れかはつて大本の役員の田中豊潁(とよかい)氏が横須賀へ来ては居たが、この人も大本へ入つてから間もない時分で、判らぬことも(すくな)くない。自分はそれで一方(ひとかた)ならず煩悶焦慮した。明けても暮れても、寝ても起きても胸中の疑問が湧いて来て仕方がない。考へれば考へる程頭脳(あたま)の中がただ混雑するばかりであつた。
 困り抜いた揚句にたうとう一策を案出した。それは使者を綾部に送つて出口先生を横須賀へ迎へ、自宅(うち)で説明なり、修業なりをやらうといふ魂胆であつた。甚だ虫の善い考へのやうではあつたが、官職に縛られて居る当時の自分としては、斯くするのは事情()み難き次第であつた。ただ果して出口先生が斯んな遠方迄出掛けて来て呉れるだらうかといふ事が甚だ懸念に堪へなかつた。(それ)には使者として妻を送るのが至当であらう。(さいはひ)長男が頭脳(あたま)の具合で一年間中学を休学させてあるので、併せて之をも綾部に送ることに決めた。たととう四月下旬二人は西に向つて出発した。
 妻が出口先生と連れ立つて横須賀へ帰つて来たのは、たしか四月の二十八日のことであつた。横須賀に於ける自分の大本研究は実に此時を以て始まつた。
 自分は一二年前、庭の隅の小高い所に八畳一と間の独立家屋を新築してそれを書斎にして居た。母屋から全然離れて居るので、閑静で仕事をするには誠に都合が宜い。此処が出口先生の居室(ゐま)と定められた。自分は(いささ)か落着いた気分になつて、参綾(さんりよう)以来(ため)てあつた疑問の数々を連続先生に質問に及んだ。可なり種々の方面に亘つての質問であつたが、先生の応答教訓は滾々(こんこん)として尽きざること泉の如く、該博(がいはく)で、深遠で、常に第一義的で、ヒシヒシと一々肺腑(はいふ)を突き、一句の無駄もゴマカシもないのには驚かざるを得なかつた。初めて綾部で面会を遂げた時は、時間の不足であつたばかりでなく、自分の質間が余りに貧弱で愚劣で幼稚であつたので、先生の真価が(あらは)れなかつた。撞木(しゆもく)仏具の一種で、鐘などを打ち鳴らす棒。が悪いので鐘も鳴らなかつた。先生の大釣鐘は、常に叩くものの力次第でいろいろに鳴る。強くたたけば大きく鳴り、弱く叩けば低く鳴る。先生に感心する人は叩き方の上手な人であり、又先生を罵るものは叩き方の下手な人、若しくは一度も叩かぬ人であることを物語るに過ぎぬ。これは多少何人(なんびと)の場合に於てもさうあるを免れぬが、殊にそこの顕著なのが出口先生の特色である。賢愚老弱、先生の謦咳(けいがい)に接する者は平生(へいぜい)実に多数に上るが、先生の態度は水が器の方円に従ひて形を変へるが如く、縦横自在を極める。百姓と話す場合の先生は御自分も百姓になつて了ひ、学者と話す場合の先生は御自分も(また)学者になつて了ふ。それで対手(あひて)の人は何者であらうが、『出口といふ人は自分よりは少し偉い』位に先生を見る。
 兎に角自分は此時を以て初めて先生の価値の一端を認め得た。
『こりや途方もない人物だ』と心ひそかに舌を捲いて了つた。(さき)には教祖の人格の高潔なのに驚き、今度は先生の人物の偉大なのに驚いた。成程お筆先の中に、『綾部の大本の二人の大化物(おほばけもの)』となる筈だ。
 二日ばかり殆どノベツ(まく)なしに(をしへ)を乞うたので自分の知識欲は(おほい)に満足したが、()うしても言葉で満足の出来ぬものが後に残つた。他でもない、神及び霊魂其ものの実験体得の問題であつた。
『何ぞそれを知る方法は無いものでせうか』と自分は先生に迫つた。先生は一寸考へてから、
『そりやアあります。鎮魂をやることにしませう』
 いよいよ横須賀で鎮魂の神法を修むる段取になつた。これが自分にとりても(また)大本に取りても、一大転換期を(くわく)すべき重大事件であつたとは後に至りて思ひ知られた。
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