霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(三)

インフォメーション
題名:(三) 著者:浅野和三郎
ページ:61
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c20
『日の(くれ)(うち)にお池ヘ一遍御案内しませう』
 先生は自分を(うなが)して()きに立たれた。什麼(どんな)池かは判らぬが、兎も角自分は其(うしろ)()いて行つた。
 金竜殿といふ、当時大本の唯一の誇りであつた建物の裏手に出ると、成る程池があつた。天然の池ではなくて、近頃掘つたものらしく、余り澄んだとも言ひ兼ぬる水が()つてある。池の中には小島が三ツ四ツあつて、ぎツしり一二尺の小松が(うゑ)られ、祠堂(しだう)らしいものが建ててある。池の彼方(むかふ)は竹藪、他方は農家やら畠地(はたち)やら、これぞと眼につく程のものもない。
 先生は水際(みづぎは)の小舟の(ともづな)を解きて自分を招き入れ、(みづか)(さを)を取つて池の中を回り始めた。
『お()けやす、立つて居ると(あぶな)うおす』
 自分は(ふなべり)に腰を掛けた。丹波の春の夕暮は冷々(ひやひや)する。外套も手袋も帽子も皆置いて来たので、自分は少々寒さを感じた。
『これが沓島(めしま)さんどす。そちらが冠島(をしま)さん……』と先生は島の前で説明されるが、何の事やら自分には全然(まるで)陳紛漢(ちんぷんかん)、お池回りは善い加減にして貰ひたい、風邪でも引くと(つま)らん位の事を心の中で考へて居た。
 が、先生は中々お池めぐりを()めない。グルリと一遍回つて来ると又一遍、都合三四遍回つたであらう。暮色(ぼしよく)が深く四辺(あたり)を籠めるに至りて漸く船を岸へ()けた。ああ其時の事を思ひ出すとまるで夢だ。吾々信者に取つて何よりも意義深く神聖なお池、礼拝(らいはい)せずには素通りの出来ぬお宮──当時の自分には少しも其有難味が判つて居なかつたのだ。猫に小判、未信者に神、相済まぬ次第だつたと思つても追ツつかない。
 その時から五年経つた今日では、余程お池の風致も加はつた。小松は見違へるほど延び茂り、竹藪は切り払はれ、農家と畠地(はたち)とのあつた(へん)は一部は池、一部は神苑に変つて了ひ、教祖殿、言霊閣(げんれいかく)神武館(じんむくわん)、大八洲神社、其他大小の建物が池中(ちちう)池畔(ちはん)に建ち連なり、(なほ)山手を望めば五六七殿の大建物、御三体の神殿等がチラチラ樹木の間に隠見(いんけん)する。それでも単に外観のみに眼のつく人には、まだ立派とも神々(かうがう)しいとも思はるる程のことはない。()して五年以前の大本と来ては、田舎臭く、むさくるしく、不用意の客をして、ややもすれば軽侮(けいぶ)の念を(もよほ)さしめ勝ちであつたのは是非もない。
 此時のお池めぐりは自分に取りて、かく無意義に近いものであつたが、出口先生に取りては意義極めて深遠なものであつたのだ。その(のち)自分が綾部に引越してから、先生が人に向つて其日の想ひ出語りをされるのを一二度聴いた。
『浅野ハンをお池へ連れて行つて内々(ないない)神さんに伺ひました。そしたら此の人は是非引き寄せんならん人だと()つしやられる。此奴(こいつ)困つたナと思つた。英文学などといふハイカラ学問をした人ではあるし、官途(くわんと)には就いて居るし、二三年は見込がないと思ひました。所が案外早かつたには驚きました……』
 神が一旦(つな)をかけたら放さぬと御神諭の(うち)屢々(しばしば)出て居るが、全くそんな事だらうと自分も思ふ。世間では自分の綾部(ゆき)について種々(しゆじゆ)取沙汰(とりざた)をする。『浅野は馬鹿正直な男だから、ペテン師の出口の口車に乗つて捕虜になつたのだ』といふものもあれば、『浅野は中々の策士で、大本をダシに使つて居るのだ』といふ人もある。『子供が病気の為めに迷信に陥つたのだ』といふかと思へば、『近頃は後悔して、王仁三郎と不和になり、大阪へ逃げ出して新聞を始めた』などともいふ。が、要するに是等の想像は、言ふ人の品性を暴露する丈のもので、私の綾部行とは全然没交渉である。物質世界の(ほか)に神界が存在し、霊魂が存在する事を知らぬ人は、人事百般の事柄がただ人間と人間との利害の交渉によりてのみ決するものと思ふ。大きな間違ひだ。自分は出口先生の(くち)からただの一度も引退して綾部に来いと勧告された覚えはない。自分も(また)()の人々に向つてそんな事を言うたことはない。綾部に人が集まるのはそんな薄ツペらな理由に基くのではない。先天的の宿命、身魂の因縁、神のかけらるる不可抗の綱、これが主要の原因である。
 かく言ふと催眠術でも(かじ)つた人は、『それは暗示だ。出口の暗示にかかつたのだ』などといふであらう。暗示なら暗示でも()いではないか。正しき目的を以て或人を引き寄せたいと思ひ、そして其人がヅンヅン集つて来るなら結構ではないか。玄徳(げんとく)は暗示で孔明(こうめい)を引張り、大石良雄(よしたか)は暗示で四十余人の義士を引張り、出口先生は暗示で浅野を引張り、それで仕事が出来るなら何の不可かこれあらんやだ。暗示が決して善いのでも悪いのでもない。問ふべきものは只其目的の正邪善悪のみだ。
 更に暗示を口にする人々に問ひたきは、暗示とは何ぞやといふことだ。暗示といふは一の符牒に過ぎない。其の正体は何だ、何物から発生するのだ。自分は未だ十分の説明を心理学者からも催眠術者からも誰からも聴いたことがない。霊魂の実在を体験し得ぬ人には恐らく其解釈は出来ぬであらう。然し一旦体験するや否や其説明は忽ち出来る。外でもない、暗示とは甲の霊魂が乙の霊魂に対する交渉であり、談判であるのだ。──オヤ又説法が始まつた。悪い癖だと思ひつつツヒ此(くせ)が出たがる。余程説法(ずき)の副守護神と見える。
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