走水神社では神笛の取得の後、尚神秘な話がつづいて起つた。
自分達は間もなく神社の上の芝生の所に上つて行つた。爰には前に記した通り三体の石造の宮がある。中央が天照大御神、左右に大国主命と建御名方命とが祀られてある。出口先生はこれを一見した時に思はず驚歎の声を放たれた。
『昔から御三体の石の御宮が私の目に見えて見えて仕方がなかつたが、矢張これどした。大本に祀つてある石のお宮も、これを型取つたものどす。之を祀つた神官は誰やら知らんが、言霊から解釈すると実によく出来て居ります。』
『矢張り神さんから、させられて居るといふものでせうな』と村野滝洲さん、疎髯をしごいて感心する。
一同は芝生の上に坐して熱誠をこめて祝詞を奏上したが、祝詞が済んでからも、一行はそのまま立ち上るに忍びなかつた。午後の春光は飽までも麗かに、空にはそよとの風もなく、東京湾頭の風光は手に取る如く脚下に展開して、さながら一幅の絵をくり拡げたやう、四辺はシンとして、吾等の澄みきつた、浄らかな胸の思ひをかき乱すやうな人ツ子一人居ない。自分等は申合せたやうに、芝生の上にすわつて、そのまま鎮魂の姿勢を取つた。
鎮魂中に出口先生がいかなる神示に接し、いかなる神霊に接せられたかは知るよしもない。ただそれが済んだ後で、
『今日は有難くて涙が流れて仕方がなかつた』
とただ一言、しんみりと述べられた。
やがて村野さんが鎮魂の姿勢を崩しながら、出口先生の方を向いて、
『先生、只今私の天眼に花木といふ文字が見えましたが、ありや何のことでせうナ』
『花木? 一体あなた、何を神さんに伺つたのや?』
『イヤ浅野氏に石笛を授けられた神様の御名を伺つて見たところです。さうすると横に花木といふ文字が並んで見えて、其下に小桜といふ文字が現はれました。何ぞ其様ナ神様があるのでせうかな』
『花木と横に……』と先生と一寸考へたが、直に『村野はん、あンた読み違ひして居る。花木でなく木花やナ、木花咲耶姫のことやナ。小桜といふのは、それ丈ではまだ判らんが、兎に角木花咲耶姫の系統の御方に相違ない』
『成アる程──イヤ面白いものぢや。モ一遍精しく伺つて見ませう』と言つて村野さんは再び中央の石の祠の前に坐つて鎮魂した。無論その時分のことだから、自分には碌な鎮魂などの出来る筈はない、善い加減に中止して、主に見物がかりになつた。
『天眼通といふことは不思議なものだナ、当方の注文次第で文字が見えるものと見える、重宝なものだナ』などと頻に心の中に感心したりした。
十五六分経つた時に村野さんは鎮魂を終つた。
『いかがでした何か見えましたか?』と待ち構へて居た自分は、早速村野さんの説明を促す。
『ヱー見えることは見えたが、皆浅野さんの事ばかりで、神さんも随分ひどい!』とわざと不平らしい態をする。
『什麼したといふのです?』
『実はあなたが先刻拾はれた石笛は、事によると拙者に授けられたのではあるまいかと、神さんに念を押して見たのです、すると今度はイヤに判然した文字で『木花咲耶姫尊の命により小桜姫之を浅野に授く』と現れてしまつた。神様も随分聞えないと思ひます。私などは、天眼に石笛が見え出してから、漸く半歳目に其所在地を突きとめた位です。然るにあなたは審神者を始めてからたつた一日で立派なやつを授かる! 余ンまり虫が善過ぎますぜ』
『アハ……村野さんの愚痴か』
と出口先生は笑ひ出される『神様のなさる事で、いかに浅野はんをつかまへて不足を並べたところが駄目ぢや』
『これも矢張り身魂の因縁といふものでせうかな。しかし先生小桜姫といふ神さんは何誰でせう?』
『その中、段々判りますぢやろ、歴史に何ぞ其様な名前の人があつたと思ふが……』
『そりやあります、しかも此三浦半島の人間です』と自分はウロ覚えに覚えて居る油壺の勇士三浦荒次郎及びその妻の小桜姫の物語をして『しかし私が什麼して小桜姫から今日鎮魂の石笛を授かつたのでせう』
『追付それも判りませう』と出口先生は何か心当りがあるものの如くであつたが、『しかし日も大分傾きました。ボツボツ出掛けませうか』
自分達は飽かぬ思ひを残して、走水神社を辞し、再びガタ馬車にゆられながら帰途に就いた。途中自分の胸には石笛、小桜姫、弟橘姫、日本武尊、三浦荒次郎、鎮魂、天眼通などといふ事が入り乱れて、それからそれへと夢のやうな考へが間断なくつづいた。