霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(二)

インフォメーション
題名:(二) 著者:浅野和三郎
ページ:57
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c19
 綾部の停車場を出た自分は、(くるま)でガラガラ、間もなく鉄砲屋旅館といふのに轅棒(かぢぼう)を降ろさせた。が、日の(くれ)(うち)に皇道大本の概況なりと見て置くのが便宜であらうと、鞄や毛布を旅館の玄関に卸したまま、靴も脱がずに又俥を急がせた。
 狭い裏通りを()(たび)()(たび)(うね)り回つて綾部の大通りに出たが、今でさへ人の往来(ゆきき)の多くもない綾部の市街(まち)の、五年以前の夕暮の寂しさは又一入(ひとしほ)で、ガランとして殆ど人影がない。所々(しよしよ)に勾配の急な草葺屋根が混つて、(ひさし)の低い店頭に意匠も趣向も何もなく、物品を無雑作に陳列した光景は、成程山の中の田舎町だなといふ印象を深く自分の頭に刻んだ。
 (やが)(くるま)は、とある路次を右へ曲つたと思ふと、綾部の町に不似合な、ドエライ(おほ)きな、天然石で積みあげた石垣の所へ出た。石垣の内部には松や梅が植ゑられて、お宮らしいものの屋根が見える。
『これが大本かナ?』
と思ふと、果して俥は間もなく歪んだ黒門(くろもん)の隣の玄関先へ(とま)つた。その頃此処が大本の大広前であつた。畳数は(わづか)に二十ばかりもあるだらう。大広前は其後金竜殿(きんりようでん)本書において「金竜殿」は全て「きんりょうでん」とフリガナが付いている。「竜」が実際に「りょう」と呼ばれていたのか、「りゅう」の誤字なのかは不明。に移され、更に現在の五百六十七畳敷の五六七殿に移され、すツかり勝手が変つて了つたが、今でも依然として旧態を保存して居るのは歪んだ黒門と素朴な玄関構へである。大本参拝者はこの安つぽい入口を見て一驚(いつきやう)(きつ)し、次いで一歩々々奥の方へ歩み入るに従つて段々立派に成つて行くので再び案外に感ずるのを常とする。何処迄も大本は世間並の筆法では行かん所と見える。
 兎に角自分は玄関に立つて案内を乞うたが返事がない。破れ障子の(あな)から覗いて見ると内部(なか)は空ツぽだ。仕方がないから黒門を入り、キヨロキヨロ四辺(あたり)を見回したが矢張り誰も居ない。空しく四五分も立往生をさせられた。その時分は役員の数も(すくな)く、参拝人もせいぜい一日に五人か七人、今日の雑沓に引換へて誠に閑静な大本であつた。
 (やうや)頭髪(かみのけ)をモジヤモジヤ生やした労働者風の人が奥庭の方からやつて来たので、名刺を出して所謂(いはゆる)『管長さん』に面謁(めんえつ)を求めた。其頃の出口先生は役員信者から一般に『管長さん』の名称で通つて居た。一時(たの)まれて御嶽教(みたけけう)の副管長をして居た関係からこの呼び癖がついたのださうな。今では田舎から昔の信者が出て来て『管長さんにか目に(かか)り度う厶ります』などと挨拶されると、一種の軽い驚きと懐かしさとを覚える。
万望(どうぞ)此方(こちら)へ』との案内に連れて自分は靴と外套とを脱いで座敷へ(あが)つた。広前を横切り、ガタガタする廊下を過ぎて、薄暗い六畳に通された。現在この(しつ)は役員の臨時食堂や更衣室などに使はれて居るが、此処が当時出口先生の居間であつた。(なほ)その以前に(さかのぼ)れば此処が故教祖の居間で、お筆先も此処で書かれた(さう)である。
 (しつ)は一向質素なもので、中央に真鍮の大形の火鉢を据ゑ、左手は元神壇であつたのをそのまま、書籍棚にしたものらしく、雑誌、新聞、書冊(しよさつ)、原稿等、雑然として山をなし、お負けに流木のヒネクレたのや、妙な恰好の石や、刀や()や、種々(しゆじゆ)のものが並べてあつた。悪口をいへば、古本屋と古道具屋兼帯(けんたい)店頭(みせさき)らしい光景であつた。
 室の隅に小形の机を据ゑて、彼方(むかふ)を向いて書きものをして居たのが出口先生であつた。荒い横縞(よこじま)褞袍(どてら)古色(こしよく)蒼然たる兵兄帯(へこおび)をグルグル捲きつけ、いやが上にも濃い黒い長髪を無雑作に(つか)ねて(うしろ)に振り散らした様子は、什麼(どう)見ても在来の『宗教家』の典型に()まつて居ない。筆を(さしお)くと共に、此方(こちら)に向き直つて初対面の挨拶──挨拶の簡単なことにかけては自分も人後(じんご)に落ちぬ所思(つもり)だが、出口先生に至つては(むし)ろ超越して了つて居る。
()うお出でやす……。初めて……』
 大概の場合に客に向つて職業や経歴や、来意等を尋ねられる事が無い。最初の面会者などはいささか(たよ)りなく、物足りないやうに思ふのが常である。が、実は先生としては、斯くするのが当然の事で、一を聞いて百を察し、影を見て形を捕ふることの出来る上は、何を(くるし)んで愚問愚答に(ひま)をつぶす必要があらう。(いは)んや辺幅(へんぷく)を修飾して勿体をつける必要は何所にあらう。しかし薄ツペラな人間からの誤解も、軽蔑も、讒謗も此辺から湧いて来るのは余儀ない次第だ。
 自分はやがて世の立替立直し、霊魂の実在、神の経綸、神諭の真意、其他研究者が大本へ来た時に(きま)り切つて放つ所の疑問質問の数々を連発した。詳しい事はモウ記憶に残つて居ぬが、その時の一回の会見では大部分疑問が依然として疑問のまま残つて居た事丈はよく覚えて居る。理智と常識と多少の学問とで固められた自分には、お(はづか)しい事には到底ただ一回で釈然氷解などといふ放れ業は出来なかつた。いよいよ信仰といふ所まで漕ぎつけるには実に惨憺(さんたん)たる幾箇月かの修業と苦心と血の涙とを要したのである。
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