霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(六)

インフォメーション
題名:(六) 著者:浅野和三郎
ページ:72
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c23
 教祖の居間は、北向きの八畳の、可なり薄暗い(しつ)で、外から入ると一寸(ちよつと)中が判らぬ位であつた。自分は取り(あへ)ず入口から三尺許りの所に座を占めて見た。
 先づ室内の(はなは)飾気(かざりけ)のないのが眼についた。すぐ前には長火鉢が据ゑてあり、その先きには襖に沿ひて大形の(ねずみ)不要(いらず)がある。之と反対の、少し右に寄つた所には炬燵(こたつ)が切つてあつて、それには木綿更紗(さらさ)古蒲団(ふるぶとん)がかけられ、一人のお婆さんが、其白頭(はくとう)を蒲団に埋めて居た。いふまでもなくそれが大本教祖出口直子刀自であつた。
 教祖は自分が座についたのを見て、急ぎ老躯(らうく)を起して炬燵から出やうとせられた。『どうぞそのままに……』と自分はとめにかかつたが駄目だつた。
 教祖は衣紋(えもん)を正し、自分と向き合ひに、二三尺の距離に(すわ)られた。そしていかにも痛み入る程丁寧な、つつましやかな挨拶をされた。
『ようお参りにお出なされましたナ、(たい)さう御遠方のお方ぢやさうで……』襖の蔭から聞いたなら十九か二十歳(はたち)位の少女かと疑はるる位の、さえた、涼しい、やさしい音声で、物静かに話しかけられた。
 何といふ(うるは)しい声だらう。と自分は先づ思つた。
 次第に自分の眼は室内の暗さに慣れて来た。そして初めてはつきりと、去年の暮から想望(さうばう)せる大本教祖の風貌を眼裡(がんり)に刻むことが出来た。声に感心した自分は、今度は其姿に感心した。
『ああ何といふ神々しいお(ばあ)さんだらう!』
 其八十の老躯を(つつ)めるものは、洗ひざらしの極めて粗末な綿服であつた。が、其綿服の(うち)から何処とも知れず放散する一脈の霊光! 其雪を(あざむ)ける銀髪、その潤ひの多い、しかし力ある眼光、針もて刺せば玉漿(ぎよくしやう)(ほとばし)らんするその清き皮膚(はだ)(にほひ)、──自分は生来(せいらい)初めて、現実の穢土(えど)に清らかさ、麗しさ、気高さの権化ともいひつべき肉体を見たと思うた。生来(いま)(かつ)て心の底の底から真に恭敬の念慮を以て、首をさげたことの経験の無い自分が、大本教祖によりて初めて、『敬服』といふ言葉の真味を体験せしめられた。世間の罪深きものどもは、衆を(たの)んで此数年来、嘲笑冷罵の雨を大本の人々に降り(そそ)げばよいと心得、悪垂れのつきくらを開始して居る。出口先生、澄子刀自に対する悪口(あくこう)には自分はまだ左程に感ぜぬ。ただ大本教祖を嘲り罵る片言(へきげん)隻語(せきご)に対しては、自分は常に(もゆ)るが如き憤怒(ふんぬ)を禁じ得ぬのである。
 八十余年の犠牲の生活によりて、男と(けが)れの痕跡だになきまで洗ひ清められた清浄無垢の神人(しんじん)に対して、何といふ無礼、何といふ無作法、何といふ愚鈍、何といふ罰当りと思はれてならぬからだ。してこの教祖に対する自分の憧憬は実に大正五年四月五日の面謁の最初の五分間から始まつた。
 対座中の気分は実に何ともいへぬ心地よき(きよら)かなものであつた。一時間経ちても二時間経ちても、自分は座を立つ気分になれなかつた。たうとう正午も過ぎ、昼飯(ちうはん)の用意の出来だのを報ぜらるるに及んで(やうや)く話を切り上げた。自分がかく三四時間も教祖と会話を交へたのは実にこれが最初であつて、又最終であつた。
 教祖はこの間に、明治二十五年正月神懸りのそもそもから説き始め、長く狂人扱ひを受け、座敷牢にも入れられたこと、御神徳の有難いこと、今が世界の変り目の大事な時であること、露国の悪神の仕組の(おそ)ろしき事、艮之金神の御出動のこと、世界の人民が(けもの)の心になり切つて自覚せぬ為め、神の懲罰を兔れぬこと、一人なりとも多く改心させて一人なりとも多く救はねばならぬこと。其外(そのほか)種々(いろいろ)の話が、娓々(びび)として続きに続いた。話は大部分教祖一人で持ち切られ、自分はただ言葉(みぢか)に返事と質問とを発するに過ぎなかつた。但し自分を動かしたものは教祖の言葉その物よりも寧ろ六千万同胞の為め世界人類の為めに一身を全然神にささげて又他を(かへり)みざる純潔無二の教祖の至誠であつた。大本教祖の心には一身一家の栄達を(こひねが)ふ念慮などの微塵もなきは勿論のこと、名誉も欲しからず、生命(いのち)も用はない。ただ如何にして神の依さしたまへる重任を、遺憾なく果し得るかとの、真心一つが充ち充ちて居るばかりであつた。自分はつらつら思つた。『こんな田舎の、無学のお婆さんの決心覚悟に比べて、自分達は何といふ(きたな)い、さもしい、浅墓(あさはか)なことを、これまで考へて居たのだらう。金銭に縛られ、名誉に捕へられ、生命(いのち)も欲しく、地位にも未練がないでもなかつた。何処に一点人間としての取柄がある。が、既往は悔みても仕方がない。これから一つ奮発して、この人の驥尾(きび)駿馬の後方。に付して、()と肌ぬいで見ようかしら……』
 要するに教祖に会つてからの自分の胸には、一種の烈々たる火焔が燃え出した。こればかりは利害の打算も、理性の指示も、到底打ち消す丈けの力がなかつた。
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