日によりて奇蹟もかたまつて来るものと見え、引つづいて鎮魂をやると、又もや全然予想外なことが起つた。
二度目の鎮魂には出口先生が、自ら進んで審神者の役を引受けられ、妻と、他に二三人が神主となり、自分は見物役といふことになつた。審神者となると自ら気骨が折て、肩が凝るやうに感ずるものだが、見物となると甚だ気楽だ。幾分か手品でも見て居るやうに『何か些と珍らしい事でも起りさうなものだ』位の事を考へて居る。
『天之御中主大神様、高皇産霊神様、神皇産霊神様……』と式の如く低声に神名を唱へ、やがて先生の癇高の声は、次第に加はる夜の静粛を破つて厳かに『一と二た三い四──』と神歌を繰返す。助手の田中氏が傍の方で石笛を吹く。外には万籟皆鳴りを鎮めて、只折ふし軍港の方で小蒸汽の汽笛が思ひ出したやうに響く位のもの。斯うなると鎮魂には大変具合が可い。矢張り鎮魂は夜中に限るやうだ。
神主は何れも静かで動くものも喋るものもなかつた。が、審神者の出口先生の模様が目立つて変調を呈して来た。いつの間にやら其両眼は閉ぢられて了ひ、聊か反気味になつて、軽く動揺するさまは決して尋常ではない。
『オヤオヤ先生はまさか仮睡を始めたのではあるまい』
と思ふ折しもあれ『うむ!』と底力のある、しかし低いうめきと同時に、その十九貫の肉体は、膝組みの姿勢を一分一厘崩しもせず、ゴム球のやうに室中に約三尺許り飛び上つた。同時に其双肩にかけられたる長髪は黒雲のやうにぱつと虚空に散り、袴の裾も高く翻る。
『オヤツ!』と驚いて、眼を見張る間もなく、
『ドシン!』
地響き打つて先生の肉体は元の位置に落着かれた。
吃驚したのは自分をはじめ、他に居合わせた人々だつた。先生の眼は依然として元の如くとざされ、その動揺の状態も、その反身の姿勢も依然としてかはることなく、今し跳び上つたことなどは、一切自身には気がつかぬ様子に見受けられた。
『こりや先生自身が神懸りになつて了つたナ』と自分は後れ馳に漸く気がつく。
其後自分は先生が神懸り状態に於て跳び上つたのを三度許り拝見した。最も高かつたのは四尺位であつたらうと思ふ。先生の外にも霊がかかると跳び上る人は屢々ある。現在大本に居る篠原海軍大尉なども、修業の初期に於ては必ず一尺位は跳び上つたものだ。出口先生の修業の初期にありてはそれどころでなく、屢次頭で天井板を突き抜いたさうで、其痕は現在大本内の一室に幾箇か残つて居る。又時には対坐して居る人の頭の上を幾度も続け様に跳び越たものであるさうな。しかし何と言つても、高跳びのチヤンピオンは先生の実弟の中沢さんで、鎮魂すれば必ず家棟に飛んで行つて、片手で逆立ときまつて居たさうである。一度も実見せぬ人にはまるで嘘見たやうにしか思はれない。
兎に角生れて初めて、かかる意外の光景に接した自分は、少からず驚異の念に打たれて了つた。一体是から什うなるのだらうと、多少心配にもなつて来た。すると此時先生の唇は徐に開いて、何等淀みない、極めてはつきりした調子で言葉が切れ出した。
『小松林命出口王仁に神憑りして神歌を詠む』
自分は電光石火的に机の上の鉛筆を掻い取り、在り合はせの紙を展べたと思ふ間もなく、可なり早い句調で神歌が唱へ出された。
『大君のよはあぢさゐの七がはりかはりし後ぞしらうめの花』
常に二度づつ繰り返されるので筆記するにさして困難はない。
『みよしのに小ざくらひめのかがやきておほうちやまにむらさきのくも』
他にも三首ほどあつたが、今は思ひ出せない。機会があつたら何れ披露する事にもしよう。何れも世の立替立直しに関する暗示に充ちた歌ばかりであつた。兎に角何等考へる余地も何もなく、一首又一首、すらすらと水の流るる如く、口を突いて出るには、実に驚き入る。これも実況を知らぬものには到底嘘見たやうにしか思はれぬに相違ない。帰神中の歌は作るのではなく、神の作つたものが只出る丈だ、高級の神歌となると、咳唾皆珠を成すのだから実に驚く。出口先生が一晩に百首二百首の神歌を出されるのは決して珍らしくない。其様な場合の先生は言はば一の写字生のやうなものである。
先生の帰神状態は約二十分間にして止んだ、やがて先生は自分が筆記した歌を見られながら、
『ははアこんなものが出ました。矢張り肉体で作るよりは幾らか巧い。しかし私は何うも霊がかかり易うてかなはん。鎮魂するのだか、されるのだが判りやせん』と言つて笑はれた。