二代様のおことば「昭和青年」昭和六年一月
これは昭和五年の春綾部分所の大祭に二代様がなされたお話の大要であります。勿論文責は記者にあります。この時二代様の御面は輝きたまひ、御言葉は一言々々に身魂に泌みこみ、何とも云へぬ感激に打たれました。
-幸月記-
近頃この大本の神様の御神徳があらたかになって来ました。御側近くにゐる人は、信仰にコケがはえてゐるので余り気付かないが、遠方にゐると、この神様の御神徳のあらたかなのには驚くのであります。神様も『この方が開く、この方が開く』と、開祖様を通してよく仰せになりました。そこがこの大本は外の教会とは違ふのであります。外の教会の様に信者を集めて喜ぶ所ではないのであります。
小理窟は知らなくてもよい。この誠の人を神様は道具にしやうと探してゐるのであります。うつわさへ研いたら男女にかかはらず一家に荷へん丈の御神徳をやるぞよと神様は仰せになるのですから、この大本はこの誠と云ふのが一番大切であります。
生意気!これが神様は一番に御気障りであります。人の悪口や蔭口は云はなくても宜しい、只自分で自分の身を審判して、心を張り弓にしなければ、とても今度の御用にたつ事はむつかしい。地方からお参りする人は仲々容易で出来るのではないのですから、この本部にゐる人が真実に親切にしてやらなければいけません。何とはなしに暖みのある人でなければいけません。
我を出さず、すなほな心を持って、このすなほと云ふのがよいのです。何事もハイハイと云って、この自分の我、つまり悪い方の我は奥に鎮めておいて、よい方の我はなんぼ出してもよいのです。お互に注意をしあうて御用しなければなりません。神様の御胸を取り違ひしない様、これからは誠、実地で以てお道を開くのであるから・・・・・・又本部にをる人は一生懸命神様の御用をするし、地方にをる人は自分の職業を精出してやって、あれでこそ大本のお取り次であり、信者であると云はれる様にしなければなりません。あの人は大本信者であるから大丈夫だと云はれる様になれば、お道も勝手に拡まってゆきます。道の一方にかたよらず、お筆先には餓鬼、畜生、虫族迄も助けるぞよとあるのですから、この大本にはこれから色んな人が来るのですから、どんな人にも親切に暖みを持つ様にしなげればいけません。陛下をおいて、大臣であらうが、皆来る所ですから、上の人だからと云って頭をペコペコ下げんでもよいし、又下の人だと見下げてはいげないのであります。
この暖みが一番に人を感動さすのですから、何うぞ取違ひをしない様に、これが今晩の私が皆様への願ひであります。
昭和五、四、一七綾部にて誌す