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栄光あれ! 昭和青年 ──第一回総会録記──

インフォメーション
題名:栄光あれ! 昭和青年 ──第一回総会録記── 著者:速志英春
ページ:544
概要:昭和青年会第一回総会の記録。会長出口王仁三郎の訓話。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-06-13 22:38:03 OBC :B195502c2202062
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『昭和青年』昭和7年1月号
第一回総会録記
速志英春記
 昭和青年会第一回全国弁論大会の後をうけて、十一月十三日午後八時半より昭和青年会第一回総会を挙行。
 会場である亀岡天恩郷の大祥殿は立錐の予地も見出し得ない。
 突如として起る大拍手。
 人の波、狂奔した大会衆。万歳のうねり。こゝしばらくは狂乱と熱狂の大交響楽である。即ち出口会長の出場である。
 今夕の出口会長。
 巨山の如き躰軈をあの黒白の青年会服に包み左腕に紫と白の会長章を下げられ、左胸にスマートな会員マークをつけて笑みのこぼれ相な映えた顔。
 鳴りも止まない拍手の中を設けの席につかれる。
 茲に伊藤栄蔵の司会の言葉に、この歴史的第一回総会の開会は宣せられた。
 声一つない。
 立ち上つた会長。
 ドツと起る大拍手。
 会長は登壇された。

出口会長の訓話
 今日は昭和青年会の第一回総会となりました。私はこの間会長に就任しましたが、初めてこの会服を着せられたので首が太すぎて(拍手笑声)窮屈で困つてゐます。もうすこしゆつたりやつて貰はんと(笑声拍手)今から首が廻らん様なことでは、仕様がないから……(笑声拍手)昭和青年会といふ名称を附したのは丁度現在の年号が昭和でありますから、昭和青年会ともいうことが出来ますが「昭和」の「昭」は日月天に昭々として輝き玉ふの「昭」をとつたのでありますし、「和」とは和合、団結力、和魂の意であります。よく無産党の青年会とか何々党とか、なにやら青年等といふのがあるが、これは「昭和」でなくして「陰和」である。吾々は此の日本を初め、世界各国にむかつて堂々と昭らかに主義を主張し、そして団結して日本の為に或は東洋平和の為に,世界平和の為めにあらん限りの努力を尽したいといふ考へから、「昭和青年」といふ名を付けたのであります。そして『我等は前途洋々たる昭和の青年なり』といふ一ツのモツトーをこしらヘたのであります。
 この通り前途は洋々と──然しその言葉をこしらえた時には僅かに天声社〔出版部〕の一部の青年がかゝつて居つたのでありまして、ごく微弱なものであつた。それが自然の変遷と共に盛んにならねばならない様な時期が到来したのであります。
 私が更生祭をして六十一才の赤い着物をきた赤ん坊になりまして、その赤ん坊が愈々青年会に飛び出したのでありますから、余程世の中は必要に迫られてゐることを、これをもつても考へられることゝ思ひます。
 今までの会員は十五才以上卅才以下とかいふ様な制限をつけて居つたのですが、今度はさういふ制限を上に対して、もうけなかつたのは──元来吾々神に奉仕をするものには年齢はない筈であります。神の方から言へば時間空間を超越してゐるのである。只この世の中に早く生れて正月の餅を余計喰つたか、少し喰つたか丈けの違ひであつて、年といふ様なことを考へて居つたならば何も出来ない。
 私は蒙古に行つた。処が蒙古人に年を尋ねた時に蒙古人は『年齢を尋ねて何になるか、又年齢を覚へて居つて何になるか』と答へた。私は蒙古人の中にも、そんな変屈があるかと思つて次々に四五遍位同じことを聞いて見ましたが、四、五人のものがみな同じ答へを致しました。そこで私も大いに資料集成では「大きに」だが初出の昭和青年誌では「大いに」なので直した。得る処があつて、『これは自分の年を考へて居る様なことではいかん。よう考へて見ると廿才の青年でも廿五才でなくなれば──吾々が八十才まで或は百才まで生きられるとなると、こちらの方が若いのである。』さういふ風な考ヘになつたのであります。
 今日の青年会にお願ひしたいことは、いろいろなことが沢山ありますが、先づ穏健な仕事として今日必要に迫つて居ることは私の更生祭までに少くとも三十万或は百万部の愛善新聞の講読者があつてほしいといふ希望であつたが、東京に行つてからどうも殖へない、減る位になつて来てゐる。私は非常に憤慨して、こんなことなら新聞社を天恩郷にもつて帰つたらよい、と、こんなことまでいふたのであります。
 これからは新聞といふものは営利的の目的のものではない。只知らすといふことが肝腎な目的である。知らして目をさまさす、即ち昭かに団結することであつて、私の所謂『昭和の働き』であります。それで一部でも一人でも熱心な人をこしらへて読んで貰ふ様に活動して貰ひたい。
 その後のことは総て『昭かに正しき道』によつて団結して居つたならば屹度これは国家の為になり、世界の為になることはきまつて居ります。
 或団体の様に秘密結社をこしらへ、秘密の団体をこしらヘたりすることは断じて大本はないのであります。大本には決して秘密はないのであります。中によく妙な宣伝使が居つて『私は会長の秘密の役を受けてゐる』とかなんとか勝手なことを云ふ人が折々ある様なことを聞きます。
 秘密の御用であるなどと云ふて居つたならば、これはみな嘘であります。
 決してこれを信じてはいけません。この昭和青年会と雖も秘密の役をする人は決してない。「昭和」の字の如くみな同じ様にはつきりとした仕事をするのでありますから、何処にもはばからず、天地に恥ざる所の活動をするのであります。決して秘密といふことはよいことでない。何かチョツと人に云はれん様なことがあるから秘密といふのである。こちらは神様の教と云ひ、昭和青年の主義と云ひ、秘密やとか、探訪やとか、探偵的の活動とか、そんなことは一切ないのであります。若しも「秘密の用を受けてゐる」とか──「私は昭和青年会の秘密役をやつてゐる」、或ひは「瑞祥会の出口王仁三郎の秘密役をやつてゐる」「大本の出口の秘密をやつてゐる」とかといふ様なことを云ふ人があつたならばみな嘘でありますから、その考へで取り合はぬ様にお願ひ致します。
 新聞紙でも御存じの通り今日は内外共に多岐多難の時であります。日本にも沢山いろいろな団体がある。忠君愛国の団体もある。沢山にいろいろな式の団体がありますが、その実は名許りで実行力は少しもない。
 そして羊頭をかかげて狗肉を売るといふ様なものが多いのであります。
 どうか吾々は神様を頭に戴いてそして日月の如き心をもつて何処までも人類の為めに又国家の為めに、世界の為に大々的活動をしたいものであります。然し今からかうしやう、あゝしやうといふことはまだ出来ませんが、これは塵も積もれば山となる。十人が百人に、百人が千人に、千人が万人になる。この「昭かに和した所の力」といふものは非常な大きなものであります。それで互にいろいろな感情問題などはすつかり捨てゝ了ふて、そしてみんなが本当に青年になつてやつて貰ひたい。丁度年齢を一年に譬へるならば青年は桜の花が咲いてゐる最中である。一方には若芽がもへてゐる時であります。この青年に中にも夏になつた青年も居ります。緑の濃くなつてゐるのもあれば、非常に黄色いのもある。秋になつて山野が紅葉を呈して錦の絵巻物をさらした様な青年も中には居るのであります。今こゝに審査に出られたあの青年は(平松福三郎老人)山野に錦を織つてゐる処の秋の光景であります。(笑声拍手)私は丁度更生祭の頃の山野の景色であると思つて居ります。(笑声拍手)
 嘗て私は只四人程の同志と蒙古に行つた。松村真澄、植芝守高、それから音に名高い名田音吉、これだけ連れて行つた。私が桃太郎を気どつて、松村君が何もかもやつてくれる代理で猿、それから植芝君は勇をもつて守るからこれは犬である。それから雉はなんでも使ひをする役で名田を連れて行つたのである……。
 所が蒙古に行つても鶏はコケコツコーと鳴き、牛はモウモウ、馬はヒゝンと鳴いてゐる。さうすると名田君が云ふのには『蒙古の獣でも日本語を使つて居るのに蒙古の奴は人間のくせに日本語を知らない』と云つて(笑声拍手)大変くやしがつてゐました。
 しかしながら今日は私は何時又蒙古入りの二の舞をやるかも判らない。
 あゝして只四人の同志と、あゝいふことをやつた位でありますから、この際に、日本の大国難とならんとして居る満洲を捨てることは出来ない。
 或ひは蒙古問題を等閑に附することは出来ないのであります。それで行くとも行かんとも未だ明言は出来ませんが、私の心としてはモウすでに魂は向ふに飛んで了ふて居る。胴体だけこゝにのこつて居る。今まではコンロン山脈を公安嶺の麓を越へて、砂漢の方ヘは行かなかつたのでありますが、今度はどうしても大公安嶺を乗り越す所の勇気をもつて行きたいと思ふて居る。ついては青年会の人は内に於て大本の法城を守護し又一方に於ては国家の為に尽すべき素地を造る訓練を経ておいて貰ひ度いことをお願ひして置く次第であります。
(井上照月速記)

 感激に充ちた人々の面は決心と熱と意気に炎えてゐた。
 声一つない。
 只強い何物かが場内に一パイ充ちてゐた。流れてゐた。
 若人の瞳に歓喜の涙が光つてゐる。
 会長は降壇された。
 突!挙る歓声。マグネシユウームのフラツシユ。
 会旗の前に立たれた会長のスナツプが収められる。
 そして再び挙る万歳の声に、双手を挙げた熱狂に、会長は退場されたのである。
 あゝ偉なる哉会長の言辞よ。──会衆は為めに意気と熱と決心の頂上に立たされたのであ る。
 百雷のどよめき、急霰の拍手は止まる時を知らぬ気である。
 会長の姿の暗に消える時、三度起る歓声と拍手のつぶてに会長補の登壇。会長と同じく会服に若さを包んだ会長補のかがやかしい顔を見ろ。
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