俎上の大本教(4)
怪奇の〝言霊学〟
デツチあげた王仁の霊界物語
かくして奈落の底へ
大本教がエス語の普及に力を入れるに至つたのは第一次不敬事件でわが国民に容れられなくなつた苦しまぎれに海外へ延びる一つの手段であつた「エス語独習の手引」を出したり人類愛善のエス語宣伝文をバラ撒ゐたり、大正十五年一月にはフランスで「国際大本」と題するエスペラントの新聞を発刊し、ジユネーヴで開かれた万国エスペラント大会には宣伝使西村光月を特派して内外に活躍したものだ
王仁三郎の著書に「霊界物語」といふのがある、この「霊界物語」は大本の根本宝典で、教祖お直婆さんの「お筆先」を「経典」とし「霊界物語」を「緯典」だと吹聴してわいわいはやしたててゐるが、この物語たるや王仁三郎が大正十年、責付出所後口に出まかせを筆記させたもので四六版一巻約四百ページ、それが積り積つて驚くなかれ全部で百廿巻、八犬伝も大菩薩峠もおよぶところではない、しかもその内容がまた頗る振つてゐる、何でも王仁三郎が郷里の丹後高熊山で一週間の修行中、王仁三郎の魂がふらふらし、霊界を逍遥して見聞きしたといふいはゆる霊界の種々相ださうだ、所詮は夢遊病者の手記のやうなものを捏つちあげて作つた宝典?である
元来王仁三郎は言霊学が大自慢でややともすると言霊学をかつぎ出すが、その言霊学たるや正しい意味のそれではなく、王仁三郎が自分の都合のよいやう勝手に描ゐた空中楼閣的のそれで、自慢の「霊界物語」にも随所にこの似而非言霊学が天狗の鼻をつき出してゐる
中津国の中心に丹波の国がある、丹波の国を上古は田庭国または丹波の国と称へたが世界の中心を人物に縮写する時は、下津岩根、すなはち臍下丹田なる身体の中府であり、高天原である、また丹後といふ声体には赤白、水火、日月、陽陰、幽顕などの意義があり、丹波の丹は日と一すなはち火または霊ならびに神といふ意義で、波とは水またはナミの意、ナは火水を結びし義、ミは水充つるの義である、田庭国の田は口の中に十を現はし、口は固まること、十はナと同じく火水の結びし真象である、庭はニハでこの言霊はやはり日月、火水、天地、陽陰、幽顕の意義である、ゆゑにこの丹波国の言霊は陰陽二神の顕現した国霊である、その中心に綾部大本がある、大本を中心として十里四方の面積が延喜式の祝詞にある下津岩根であり、神々の集ひ給ひて神律を議定し、至善至美の神政を行はせ給ふべき霊地で、いはゆる四方の国中であるといふのである
これが王仁三郎のいふ言霊学の本筋である、何んとややこしいものではないか……かうした神話もどきの出鱈目を綴つた「霊界物語」を、彼等一党は教祖お直婆さんの「お筆先」の真解釈書といつてゐる
王仁三郎は最近自己の予言が容易に的中しないところから常に何とかならぬかの焦燥があり、教団経営にも多少の無理があつたことは岡目にも見えたところ、この無理が王仁一党して奈落に突き落す結果になつたと観察しても恐らく誤りはなからう