自分は夏季休暇の到るのを一日千秋の思ひを以て待ちこがれ、かくて大正五年七月下旬行李を整へて単身綾部に向つて出発した。
四月上旬の綾部訪問、四月から五月六月にかけての鎮魂帰神修業によりて、従来何人も疑問として取扱つて居た大きな謎の幾箇かが解けた。例へば巻物を繰り広げるが如く、次第々々に自分の心眼に映じて来た。其結果自分の日常生活の状態をはじめ嗜好、感情、趣味、思想等殆んど凡てに亘りて従前とは一変して来た。無論持つて生れた奥の奥の気象、性格、骨髄其物に変りはない。こればかりは、よしや死んでも変り得ない。ただ其表面のあらはれ、発展し行く方向には千里万里の差が生じて来た。一寸見ると畏らく自分の前半生と後半生とは別人の観があるに相違ない。常識一点張りの唯物論者から見れば、事によると少々気が変だ位に見えぬでもあるまい。前と後では善悪可否の別標準の上に立つて居る。従来甘いと言つたものが不味くなり、面白いと言つたものが不愉快になり、欲しいと言つたものが詰まらなくなり、右と言つたものが左となつて来たのであるから中々の変りやうだ。大本といふものが、単なる宗教であるなら、自分の修業はこれで一と先づ段落がついた訳だ。俗界に愛想をつかして頭を円めて坊主になるとか、官爵を振り棄てて山林に隠れるといふ位の事は、多分其当時の自分の発心程度で出来たと思ふ。しかし大本の信仰に入るには、あれ丈けではまだまだ不十分であつた。大本以外の宗教には時と場所との明示がない。ある事はあつてもそれほど重大な要素ではない。過去と現在と未来とがゴチヤゴチヤに混線したり、世界各国が一列平等に取扱はれたりする。所が、大本の教へでは、この「時」と「場所」とがキチンときめられて居る。世界を統一すべき中心点が日本、其時期は明治五十年を中心として、前後十年、何も彼もこれを出発点として居る。祭政の中心が何所でも構はんのではない、日本でなければ可かんのだ。世界人類改心の時期が成るべく迅い丈では通用はせぬ。それが大正○○年までに出来るのでなければ間に合はんといふのだ。斯うなると最早在来の宗教の領域内の問題でない。宗教と政治、現在と未来、精神界と物質界、神霊世界と現象世界等総てに亘りての問題である。言はば皇道大本は世界人類に
「時」から「場所」からとの十字火を浴せて居るのである。之がいよいよ本当に相違なければ、世界の人類は一時も早く其教へを聴いて従来の迷夢を覚すの必要あるべく、若し又それが嘘であるなら一時も早く皇道大本などといふものは、叩きつぶすの必要がある。所が大本の真髄骨子は一万巻の神諭に在るといふのだから、之を精査研究する事が先決問題であらねばならぬ。自分が七月下旬を以て第二回の綾部行を決行したのは全然それが為めであつた。
『今度はしつかり査べて来てくださいまし。調査の模様は成るべく度々お音信をお願ひします』と妻も真剣だ。
『ウム宜しい。今度で覚悟を決めるのだから一所懸命にやる』と自分も腹帯を締めた。
自画自讃をやる訳ではないが、現代人として、先づ霊的実験を重ねて、神霊の世界に打ツつかり、之につぎて神諭を調査して大本教義の神髄をさぐるといふのが、ドウも大本を研究する最も正常な順序であるやうだ。自分は今でもさう確信して居る。自分は大正五年に自分が執つた方針につきて何等の欠陥を発見し得ない。世人の多くはこの点に於て其用意が甚だ乏しいと思ふ。神の有無、霊魂の有無さへ判らぬものが、何で神諭だの聖書だのを論評する資格があらう。帝大あたりの教授連さへ比々として、この弊を免れないのは浩歎に堪へぬ。彼等の多くは臆面もなく学究的死学問を振り回はして、今尚ほ悔ゆる色なきものが中々多いとは何たる現象だらう。口でいふ丈ならまだ消えもせう。余り便利過ぎる世の中のこととて、いかなる愚論愚説も印刷して了ふから困る。彼等の言説は一時は無邪気な天下の人々を瞞着するであらう。しかし天下の人々は何時までも欺かれては居ない。帝大辺の学生の中には、ズンズンその師事する人達の無責任なる言説に愛想をつかして、之を離れつつある。徳川時代の朱子学者などいふ連中の末路は実に憐れむべきものであつた。我最高学府の哲学者、心理学者、宗教学者、科学者達の多数も、うつかりすると大正の朱子学者にならねばよいがと思ふ。聊か憎まれ口のやうになるかも知れぬが、自分として、今度は言ふべき丈のことは言ひ、書くべき丈の事は書かねばならぬと思ふ。世運はドシドシ変りつつある。自分は何時筆を投じて立たねばならぬやも知れぬ。異端邪説が異端邪説のままで居る間はまだよいが、それが実体化し、事実化して来ると大変だ。悠長に原稿などを展べては居られぬことに早晩なるかも知れぬ。さう思つて自分は今せつせと筆を走らして居るのだ。