霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十)

インフォメーション
題名:(十) 著者:浅野和三郎
ページ:220
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c61
 兎も角も博奕(ばくち)岬までは無事に進んだが、一旦其突端(とつたん)を回ると、モウ(さき)漫々(まんまん)たる日本海、吹きつける烈風、荒れ狂ふ怒濤が、五艘の船を木の葉の如く翻弄し始めた。二人の船頭は(ここ)先途(せんど)()を操つたが、進退更に自由ならず、風のまにまに波のまにまに、只押し流されるばかり。ものの半時と経たぬ間に、屈強の船頭もヘトヘトに疲れ切つて了つた。
 出口先生は最前から何事をか神様に(うかが)はれて居る様子であつたが、やがて参拝中止の(めい)を発せられた時には、一同の顔に多少失望落胆の色が(あらは)れぬ訳には行かなかつた。
『今度は島の参拝は許されまへん、気の毒だから誰と名前は指さぬが、実は一行の(うち)不浄(よごれ)て居る一人の婦人が(まじ)つて居る。一人でも不注意な人があると、それが一同(みんな)の迷惑になるからかなはん。残念ぢやが致し方がない……』
 たうとう真夜中頃に船首(ふね)をかへした。そしてとある山蔭(やまかげ)仮泊(かはく)し、天明(てんめい)を待つて陸上にのぼり、沓島冠島を遙拝して、元()(みち)を引返して了つた。
 綾部へ着いたのは午後二時頃でもあつたらう。雨も風も収まつて、ジリジリと焼くが如き暑さであつたが、一同はそのまま玉の汗を流しつつ世継王山(よつわうざん)に登つた。沓島冠島の出修が不首尾に終つた時は、必ずこの山に登りて遙拝式を行ひ、祝詞を奏上する事に規定されて居るのである。
 山の高さは七八百尺もあらう。頂上は四つの峰に(わか)れ、その(うち)の右の(はづ)れが一番高い。一同は其最高峰に集まつた。神都の大観は此処へ登つた時に(はじめ)て其全豹(ぜんぺう)を窺ひ得る。四周(ししう)(みな)山脈、さながら摺鉢(すりばち)を起したやうな窪地の中に、チヨンボリと聳えて居るのが此世継王山で、綾部の町は山麓の東から北にかけて(つらな)つて居る。『青垣山こもれる下津(したつ)岩根(いはね)の高天原』と祝詞にある通りの景色だ。風景を(あぢ)はうなら()に幾らでもあるが、神都の真価は(けだ)し世継王山でなければ十分には判らない。沓島冠島へ行かれなかつた遺憾の一半(いつぱん)「一半(いつぱん)」とは「二分したものの一方」〔広辞苑〕は、(たしか)にこの登山によつて(つぐな)はれた。かくて一同遙拝を済ませて大本に帰着したのは、長き夏の日も(はや)夕暮に近い頃であつた。
 第一回の沓島冠島の参拝はかく不結果に終つたが、其後(そののち)自分は三回ほどその参拝団に加はつた。筆の(ついで)にそれを(ここ)で書いて置くことにする。第二回目は大正七年の夏で、冴えたる月光をしるべに(なみ)静かなる日本海を押し渡り、(あかつき)近く無事冠島に到着した。しかし早朝(さうてう)島に(のぼ)老人島(おひとしま)神社に参拝した頃から、風(やうや)くはげしく雨さへ(まじ)り、たうとう一里先きなる沓島までは、この時も行けずに戻つた。
 自分が大正五年(らい)素願(そぐわん)(はた)して、首尾よく沓島参拝が出来たのは、(やうや)(さく)大正八年の夏、第三回目出修の時であつた。全島(みな)削れる如き(いは)から成り、野生の大根の白い花が島の半腹(はんぷく)を飾れる(ほか)には、海風(かいふう)に苦しめられたる倭樹(わいじゆ)の、ただ申訳(まをしわけ)に島の(いただき)に生えて居るばかり。其処(そこ)に幾千とも数へ尽せぬ海鴎(かもめ)の群が、(あるひ)は飛び交ひ、(あるひ)巌角(がんかく)に翼を休め、ギイギイ鳴き続けに鳴く光景は、殊更(ことさら)に絶海の孤島といふ感を深からしめた。
 が、島の中で最も参拝者の心を惹くのは、大本教祖が三十八年戦勝所願の為めに島籠(しまごも)りした行場(ぎやうば)(あと)と、その上の巌面(がんめん)に書きつけられた筆先とである。そそり立てる絶壁の(はし)(わづ)か二三尺の平坦地──それが教祖が十有余日に亘りて端坐された所ださうで、試みに其所(そこ)に坐つて見ると、真下は深い深い碧潭(へきたん)(のぞ)み、眼が(くら)みさうで五分とも居たたまれぬ。()しそれ巌面(がんめん)御真筆(ごしんぴつ)に至りては、今(なほ)墨痕(ぼくこん)淋漓(りんり)として立派に(なかば)以上を読み()るが、何処の痴者(しれもの)か、其一部の(いは)をかき取つて行つて了つた。
 今年の初夏にも自分は又重ねて参拝したが、幾度行つても常に(あらた)なる興趣(きようしゆ)を感じ、(あらた)なる感慨を催すのは沓島冠島の参拝である。神世(かみよ)になれば(ここ)が大本信徒の最も神聖なる行場(ぎやうば)になるのださうであるが、実に浮世(うきよ)(まじ)りて、知らず識らずの間に積み重ねたる身魂(みたま)の罪と(けが)れを洗ひ清めるのには、広い世界にこれ以上の場所があり得ようとも思はれない。現に鎮魂帰神の法を修めても、お筆先を何遍(くり)かへしても、まことの信仰に()り得なかつた者が、一度の沓島参拝で、すつかり往生したものもある。よしや幽界のことの()に落ちぬ人でも、(すくな)くとも大本教祖の肉身(にくしん)を以ての苦労艱難は此処へ来てしみじみと味はひ()る。偽醜悪(ぎしうあく)の悪魔の()には用事はないが、(いやし)くも真善美を(あぢは)はんとする一片の良心の痕跡あるものは、一生にせめて一度はこの島に来て見るのが(そん)ではなからうと思ふ。その人の向き向きで絶好の画題、絶好の詩材(しざい)、絶好の教材を(とら)()ることは請合(うけあひ)だと思ふ。
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