霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(四)

インフォメーション
題名:(四) 著者:浅野和三郎
ページ:196
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c55
 並松から帰つて自分の居間に入るなり早々、澄子刀自がやつて来られて、
『浅野さん、あんた昨晩(ゆふべ)は飯森さん(とこ)へお泊りだつたさうどすが、教祖はんがなア、夜中(よつぴて)眠れんで……』
 自分は吃驚(びつくり)して、
『教祖さんが夜中(よつぴて)眠れぬ? 私が飯森さんの所へ泊つた為めにですか?』
『さうどす。まアお聴きなはれ。今度あんたがお(いで)になつてお筆先を(しら)べるといふのは、皆神界のお仕組で、教祖はんもお待ち兼ねでしたし、又神さんの方では尚更(なほさら)()きになつて居られますのや。それにあんたが』と澄子刀自は自分の顔を覗き込むやうにしてしみじみと『お友達の(とこ)へ行つてお酒などを(あが)つて、泊つて居られるので、神さんが教祖はんをつかまへて、何故早う浅野を呼んで筆先を読ませぬかと、お責めになられて仕様が無かつたのざす。教祖はんも散々おことわりを申上げ、久し振りにお友達の(とこ)で、一晩(くらゐ)はと申上(まをしあ)げても、神さんは中々お聴き入れがない……。浅野はん今日からはみつしりお筆先を腹へ入れてお呉れンされ!』
 自分の両眼にはいつしか涙のにじむのを覚え、ああ悪かつたと衷心(ちうしん)から、神さんと、教祖さんとにお(わび)をする気分になつたのであつた。
『日頃の癖で、ツイうつかりしました。(よろ)しう厶います、今日からしつかり身を入れてお筆先を読ませて貰ひます。お世話様でも、万望(どうか)早速御直筆(ごぢきひつ)を貸して戴きます』
 間もなく御直筆のお筆先が五六冊お三宝(さんぽう)に載せて自分の所に運ばれた。自分は其一冊を机の上に繰広げたが、さアいざとなつて見ると容易の(わざ)ではない。読める字も少々はあるが、読めぬ字の方が(はるか)に多い。又その語脈(ごみやく)、用語、内容、何も()も自分には新奇なことばかりなので、意味の連絡が什麼(どう)しても取れない。自分は暫時(ざんじ)撫然(ぶぜん)として紙面を見詰めるばかりであつた。
『誰かに(きい)て見ようかしら……』
と一旦は思つても見たが『まてまてそれも余りに意気地(いくぢ)が無い。このお筆先も最初は誰かが読み出したに相違ない。自分も人にきかずに読んで見よう。何んとかして読めんこともあるまい』
 帳面を出して読める、読めぬに頓着なく模写を始めた。一行又一行、一枚又一枚と写して居る(うち)什麼(どう)やら少々手がかりがついて来た。読み(にく)いと言つても、多寡(たくわ)がいろは四十八文字に過ぎない。たうとう二時間(ばか)り過ぎた時には、()れが(なん)の字といふことの呼吸を覚え込んで了ひ、覚束ないが、兎も角も拾ひ読みが出来るやうに成つた。半日がかりで(やうや)く一冊を読み上げた時には、一方に多大の疲労を感じたと同時に、他方に於ては何とも言はれぬ愉快を感じた。
 二三日後にはすつかり読み慣れて、すらすらとも行かぬが、一日に五六冊読み、そして其(うち)の重要事項と思はるる所を抜粋して行くのは、()して難事ではなくなつた。
 自分が毎日出して貰つたお筆先は、(ふる)きは明治二十年代もあり、三十年代もあり、又(あたら)しいのは、ツイ四五日前に出たばかりといふのもあり、ホンの数千冊中の見本に過ぎなかつた。()(つき)足らずの滞在中、自分が読み上げた(すう)は、せいぜい二百冊位のものであつたらう。それでも朝から読み始めて、(ひま)さへあれば午後も読み、夜も読み、それで、やつとこの位しか読めなかつた。
 飯森さんは当時信者の(うち)でお筆先の多読家の一人であつた。ある日自分が同君に(むか)ひ、
『あなたなどはモウお筆先の大部分をお読みでせう』といふと『イヤ()うしてそれどころではありません。十分の一も(むつ)(しい)でせう。毎日五六冊づつ読み上げて三年はかかる勘定になります。しかし実際やつて見ましたが、平均五冊はとても読めません。まア十年がかりでないと全部に眼は通せますまい。さうする(うち)にも(あと)がどしどし出ますからナ』
 お筆先の研究──(これ)ほど容易なやうで、是ほど困難なものは無い、()(くち)()ぶれば大本神諭は大なる謎の集合と言うてよいやうだ。浅く観ればその謎がつまらなく浅い謎に解け、深く観ればその謎が何所(どこ)までも深いものになる。要するに之を読む人の器量次第、(あだか)も自然現象に対するが如きものである。山川(さんせん)草木(さうもく)日月(じつげつ)星辰(せいしん)天地(てんち)河海(かかい)、ありとあらゆる人類は平等に之を観る。一人として自然現象に接触せぬ人はなく、これほど何人(なんびと)(したし)んで居るものはない。所が無智(むち)浅慮(せんりよ)の人の眼には自然は要するに自然に過ぎぬ。林檎(りんご)は墜ちるから堕ち、太陽は動くから動き、花は咲くから咲き、天は広いから広い。其所(そこ)に何等の不可思議もなければ、又何等深奥(しんおう)の意義もない。ただ観る人が見れば、この日常平凡の事象の(うち)に天地の原則を見出し、宇宙の神秘を認めることも可能なのである。自然現象を(とら)へてその平凡を笑ひ、大本神諭を(ひら)いてその卑俗(ひぞく)(あざけ)るのは、共に同工(どうこう)にして異曲(いきよく)滔々(たうたう)として衆愚の陥り易き欠点ではあるまいか。一つ(しん)の始皇でも地下に呼び起して、こんな罰当りの連中を(あな)に投げ込むなども一策かも知れない。
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