霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十一)

インフォメーション
題名:(十一) 著者:浅野和三郎
ページ:224
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c62
 自分が引籠(ひきこも)つて(しきり)にお筆先を(しら)べて居る(あひだ)にも、お広前(ひろまへ)の方では間断なく神憑(かみがかり)現象が(おこ)つて居た。悪霊(あくれい)がかかつて来て、ペラペラ下らぬことを(しゃべ)るなどは、世間では(めづ)らしがるが、綾部では毎日の事なので誰も頓着しない。大抵広前(ひろまへ)係の四方(しかた)平蔵(へいざう)さんが、一人で鎮魂して(かた)づけて了ふ。四方さんの、(かた)(はま)つた訓戒の言葉、その態度、その祝詞の調子、その一種異様な気合の声は、(いやし)くも一度大本へ参拝した者の知らぬはない(くらゐ)に、四方さんの勤労は(たい)したものである。かくして無数の人々は、四方さんのお取次(とりつぎ)で精神肉体ともにズンズン救はれて行く。
 自分が滞在中目撃したのにも奇抜なのも一つ二つあつた。一人の男は鎮魂して居ると、イキナリころころと転げ出して(えん)から落ち、お(いけ)の方へ向つて約一丁も転げて行つた。まるで米俵(こめだはら)が坂路を転がり落ちるやうな体裁。そして途中に障害物があると、米俵先生(たちま)ち自動的にポンと其上を跳び越して行く。
 又()の一人は憑霊が発動すると、素的に木登りが上手になる。一寸(ちよつと)手を掛けたかと思ふと、ズンズン大木(たいぼく)(みき)攀登(よぢのぼ)る。又障子の(さん)にも(あが)る。普通ならポキポキ折れる筈であるのに、それが決して折れぬ所が常識では説明の出来ぬ点である。
 ()んなのは(みな)動物霊の仕業である。()し大本が信者を集めるが目的なら、この(しゆ)神憑(しんぴよう)現象を縦覧せしめたり、誇大的に発表したりして、(たちま)ち天下の人気を集中せしめるのだが、其麼(そんな)ことを断じてせぬのが大本の筆法である。大本の遣口(やりくち)は極度にジミで、悪霊に憑かれて居る人が来れば、(ただち)に御神前に連れて行き、出来る丈け早く鎮めて了ひ、出来る丈け早く満足な人間に復帰せしめて了ふ。五年十年苦悩した人が、多くは短日月(たんじつげつ)の間に、ケロリと直つて了ふのは驚くべきものである。それ丈け本人は幸福であるが、世間の人気問題とはならない。客引(きゃくひき)下拙(へた)なこと、イヤ之を無視すること大本の如きは天下に()れである。大本の事が(やうや)く人の(くち)(のぼ)つて来たのはホンの最近一二年だ、これほどの奇蹟これほどの霊的現象が二十余年間全然天下の視聴を惹かずに居たといふ事が、大本の遣口(やりくち)につきて一切を語ると思ふ。
 八月の十日頃村野(むらの)さんが播州(ばんしう)の高砂から(つれ)て来た八重(やへ)ちゃんの神懸(かみがか)りなども、世間に持ち出せば随分耳目(じもく)聳動(しようどう)せしむべき性質のものであつた。八重ちやんは橋本某といふ高砂の漁夫(れうし)()で、その時は十四歳の少女(をとめ)であつた。この少女(をとめ)(かか)つて来たのは、神島の竜神であつたが、其発動状態は猛烈を極め、組んだ両手をパタパタさせ、(はげ)しく身体(からだ)(ゆす)ぶるので、髪などは(またた)(ひま)に振り乱れ、(くし)(かんざし)も二三(げん)も吹き飛ばされて了ふのであつた。そして審神者の質問に応じて、流暢に言葉(くち)を切る。其用語が大本神諭そつくりであるのは実に不思議であつた。
『神島の眷族の竜神であるぞよ。大神様のお指図により、世の立替を知らせ、人民に改心させる為めに、八重(やへ)の肉体に(かか)つたのであるぞよ』
 大体語尾は『ぞよ』で結ばれる。そして人を遠ざけて質問して見ると、世界の大勢、欧洲大戦の帰着点、(これ)につづく日本の世界統一、身魂(みたま)の改心(とう)、驚くべき大問題がすらすらと、其可愛(かはい)い十四の少女(をとめ)(くち)から()れるのであつた。自分も三回審神者(さには)となつて質問を試み、今更ながら驚嘆の声を放たずには居られなかつた。
 自分にこの辺で一寸(ちよつと)神島(かみしま)の説明をして置くのが便利と思ふ。神島は播州高砂沖三里の所にある無人島である。昔から霊地として言ひ伝へられた所で、()し其神聖を(けが)すものがあれば(たちま)ち神罰を受けるので、近海の漁民は畏敬し切つて居た。所がツイ三箇月(ぜん)に、いよいよ此神島が坤之金神豊雲野尊さまの御隠退所(ごたいいんじよ)であるといふことが、神示によりて確定された。大本の神島開きが(おこな)はれたのは、出口先生が横須賀から帰られてからツイ間もない時だ。丹後の沓島(めしま)(あひ)並びて、播州(ばんしう)の神島は皇道大本の無二の聖境(せいきやう)となつたのである。神島は綾部の坤に当り、坤の金神といふ御名称がこれから(おこ)つたのは、今更説明するまでもあるまい。
 神島開きの際に船頭の役目を引受けたのが、右の八重ちやんの父親(てておや)である。村野さんは高砂に居残つて鎮魂の修業をやつて居たが、幾人かの神憑者(かみがかり)があらはれた(なか)に、(こと)出色(しゆつしよく)なのが八重ちやんであつた。八重ちやんはそれまで大本の事などは(ろく)に聞いたこともなく、殊にお筆先に至りては一行すら読みも聴きもしなかつた少女(をとめ)であるのに、それが神懸りで言葉(くち)を切つて見ると坤之金神さまの眷族の竜神の神懸りだけあつて、何も()も皆承知し切つて居るのには、村野さんも舌を捲いて仰天して了つた。
 神島のことについてはまだまだ書きたいことが山ほどあるが、これも自分としては今語るべき余地がない。(われ)と思はん文士が、その霊筆(れいひつ)(ふる)ひて、此天下無二の神秘の扉を開かんことを切望してやまぬ次第である。
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