自分が引籠つて頻にお筆先を査べて居る間にも、お広前の方では間断なく神憑現象が起つて居た。悪霊がかかつて来て、ペラペラ下らぬことを喋るなどは、世間では珍らしがるが、綾部では毎日の事なので誰も頓着しない。大抵広前係の四方平蔵さんが、一人で鎮魂して形づけて了ふ。四方さんの、型に篏つた訓戒の言葉、その態度、その祝詞の調子、その一種異様な気合の声は、苟くも一度大本へ参拝した者の知らぬはない位に、四方さんの勤労は大したものである。かくして無数の人々は、四方さんのお取次で精神肉体ともにズンズン救はれて行く。
自分が滞在中目撃したのにも奇抜なのも一つ二つあつた。一人の男は鎮魂して居ると、イキナリころころと転げ出して縁から落ち、お池の方へ向つて約一丁も転げて行つた。まるで米俵が坂路を転がり落ちるやうな体裁。そして途中に障害物があると、米俵先生忽ち自動的にポンと其上を跳び越して行く。
又他の一人は憑霊が発動すると、素的に木登りが上手になる。一寸手を掛けたかと思ふと、ズンズン大木の幹を攀登る。又障子の桟にも上る。普通ならポキポキ折れる筈であるのに、それが決して折れぬ所が常識では説明の出来ぬ点である。
斯んなのは皆動物霊の仕業である。若し大本が信者を集めるが目的なら、この種の神憑現象を縦覧せしめたり、誇大的に発表したりして、忽ち天下の人気を集中せしめるのだが、其麼ことを断じてせぬのが大本の筆法である。大本の遣口は極度にジミで、悪霊に憑かれて居る人が来れば、直に御神前に連れて行き、出来る丈け早く鎮めて了ひ、出来る丈け早く満足な人間に復帰せしめて了ふ。五年十年苦悩した人が、多くは短日月の間に、ケロリと直つて了ふのは驚くべきものである。それ丈け本人は幸福であるが、世間の人気問題とはならない。客引の下拙なこと、イヤ之を無視すること大本の如きは天下に稀れである。大本の事が漸く人の口に上つて来たのはホンの最近一二年だ、これほどの奇蹟これほどの霊的現象が二十余年間全然天下の視聴を惹かずに居たといふ事が、大本の遣口につきて一切を語ると思ふ。
八月の十日頃村野さんが播州の高砂から連て来た八重ちゃんの神懸りなども、世間に持ち出せば随分耳目を聳動せしむべき性質のものであつた。八重ちやんは橋本某といふ高砂の漁夫の娘で、その時は十四歳の少女であつた。この少女に懸つて来たのは、神島の竜神であつたが、其発動状態は猛烈を極め、組んだ両手をパタパタさせ、烈しく身体を揺ぶるので、髪などは瞬く暇に振り乱れ、櫛も簪も二三間も吹き飛ばされて了ふのであつた。そして審神者の質問に応じて、流暢に言葉を切る。其用語が大本神諭そつくりであるのは実に不思議であつた。
『神島の眷族の竜神であるぞよ。大神様のお指図により、世の立替を知らせ、人民に改心させる為めに、八重の肉体に懸つたのであるぞよ』
大体語尾は『ぞよ』で結ばれる。そして人を遠ざけて質問して見ると、世界の大勢、欧洲大戦の帰着点、之につづく日本の世界統一、身魂の改心等、驚くべき大問題がすらすらと、其可愛い十四の少女の口から漏れるのであつた。自分も三回審神者となつて質問を試み、今更ながら驚嘆の声を放たずには居られなかつた。
自分にこの辺で一寸神島の説明をして置くのが便利と思ふ。神島は播州高砂沖三里の所にある無人島である。昔から霊地として言ひ伝へられた所で、若し其神聖を汚すものがあれば忽ち神罰を受けるので、近海の漁民は畏敬し切つて居た。所がツイ三箇月前に、いよいよ此神島が坤之金神豊雲野尊さまの御隠退所であるといふことが、神示によりて確定された。大本の神島開きが行はれたのは、出口先生が横須賀から帰られてからツイ間もない時だ。丹後の沓島と相並びて、播州の神島は皇道大本の無二の聖境となつたのである。神島は綾部の坤に当り、坤の金神といふ御名称がこれから起つたのは、今更説明するまでもあるまい。
神島開きの際に船頭の役目を引受けたのが、右の八重ちやんの父親である。村野さんは高砂に居残つて鎮魂の修業をやつて居たが、幾人かの神憑者があらはれた中に、殊に出色なのが八重ちやんであつた。八重ちやんはそれまで大本の事などは碌に聞いたこともなく、殊にお筆先に至りては一行すら読みも聴きもしなかつた少女であるのに、それが神懸りで言葉を切つて見ると坤之金神さまの眷族の竜神の神懸りだけあつて、何も彼も皆承知し切つて居るのには、村野さんも舌を捲いて仰天して了つた。
神島のことについてはまだまだ書きたいことが山ほどあるが、これも自分としては今語るべき余地がない。吾と思はん文士が、その霊筆を揮ひて、此天下無二の神秘の扉を開かんことを切望してやまぬ次第である。