霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(五)

インフォメーション
題名:(五) 著者:浅野和三郎
ページ:200
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c56
 何人(なんびと)も大本神諭を(ひもと)く者の最初に眼につくのは其予言的方面であるやうだが、自分なども矢張りその選に漏れず、(しきり)に予言ばかり漁つたものだ。所が在る在る、日清、日露、欧洲大戦、之に引きづく世界的大動乱、地震、雷、洪水、火の雨の襲来、饑饉(ききん)疫病(えきびやう)、綾部が都、日本の世界統一、三十年で世の切替──並べた日には際限が無い。実際大本神諭には、これ()の予言的分子が随所に充ち充ちて、そして全体に陰翳(いんえい)を投げ、気の弱いものをして神経衰弱を(おこ)さしめようとする。生命(いのち)が欲しくて、欲が深くて、(せい)の快楽にのみあこがれ、ひたすら死の(きた)るを呪ふ徒輩(やから)が、大本神諭に(むか)つて血眼(ちまなこ)になつて反抗の声を挙ぐるのは(けだ)し無理もない。
 しかし乍ら大本神諭の何処を什麼(どう)捜したとて、誰が見ても判るやうに明示されて居る予言はただの一箇も無い。前にもいふた通り、予言に関しても大本神諭は矢張り謎式(なぞしき)に出来て居る。例へば(かすみ)を隔てて物を見るが如く、判つたやうで実は判らない。事件が現実に起つて了つてから神諭を見ると、成る程(ここ)にチヤンと予言されてあつたなど初めて気がつくが、未来に属する事は、いかなる形式で、何時(いつ)来るかといふ事は到底判らなく出来て居る。(つま)り鰻屋の前へ連れて行つて、ただ其(にほひ)だけ()がされるやうなのが大本神諭の予言である。予言は予言でも其実体ではない。此点が何人(なんびと)(おほい)に苦しみ迷ふ点で、軽率な人間になると、深くは神慮のある所を察しても見ず、(ただち)に之に向つて苦情や文句を申込みたがる。例へば神慮に反した自由行動は取りたいが、神罰だけは御免(かうむ)りたい連中は『大本神諭はイヤに威嚇的で人類の恐怖心をそそるのは不都合だ』などといひ、予言を投機の道具にでも使はうと思ふ連中は『大本神諭はさつぱり時日(じじつ)が不明だから価値(ねうち)がない』などといふの類で、各自(めいめい)勝手な熱を吐く。
 さらば大本神諭の予言は軽く観て置いて(いい)かといふに、さうも行かなく出来て居る。一年二年と経つ(うち)に、神諭の(うち)に暗示されて居たことがドシドシ事実と成る。(にほひ)(あと)から本物の蒲焼(かばやき)がツキ付けられる。しかも遅いやうで案外(はや)い。百年(のち)とか、千年(のち)とかの問題ではなく、五年十年をも待たずに出て来るから油断は出来ない。近い一例を引けば、現在の危険思想の瀰漫(びまん)と世界各地の動乱状態でもさうだ。大本神諭にはこの状態が欧洲戦争の終熄(しうそく)に引きつづいて来るやうに、極めて軽う示されてあるが、あの正義人道の権化、世界平和の神のやうな顔をしたウヰルソン氏が、巴里(パリー)に乗り込んで国際連盟を呼号した時分には、大本神諭の予言が凡眼(ぼんがん)には(はなは)だ影が薄く、たよりないやうに思はれた。人間は案外慢心己惚(うぬぼれ)が強いもので、其様(そん)な時に吾々が大本神諭を引つ張り出して、いかに警告を与へて見ても、誰も相手にして呉れない。悧巧(りかう)ぶり、学者ぶり、策士ぶり、人材ぶる人ほど一層鼻の(さき)でフフンと(ひや)かしたがる。現に(さく)大正八年の春などの大本攻撃と言つたら何といふ醜態であつたらう。官憲は官憲で、罪人でもしらべる筆法で天地(てんち)の大道、神界の秘密を探偵せんとし、全国の新聞といふ新聞は奇術師の手品の種でもあばく所思(つもり)で、思ふ存分低能振りを発揮したではないか。ところが昨年から今年にかけての世界の現状、就中(なかんづく)お膝元の極東の天地(てんち)什麼(どう)だ。たうとう大本神諭に書いてある通りに(ほとん)ど成つて了ひ、(なほ)その色彩が一日増しに濃厚の度を加へつつある。斯うなつては流石(さすが)内省力(ないせいりよく)のあるものは皆(すこ)しづつ考へて来た。愚昧(ぐまい)なる大本攻撃の飛沫、余波は(なほ)残つて居るものの、人心の奥の方には一道の光明が既に(すで)にキラキラ閃光(せんくわう)を発して来た。時は間断なく進展する、一分一秒の休みもない。大正九年もやがて暮れ、大正十年は眼の前に控へて居る。『人の心』を無視したる組織や制度の改造などの、何の役にも立たぬことは、そろそろ何人(なんびと)にも感ぜられて来た。いよいよ人間の小細工は駄目、(たましひ)を入れかへて、富も、名も、位も、生命(いのち)も皆すててかかるより(ほか)に、吾人の前途には何もないと悟る時期──ああその時期が近づきつつあるではないかと、(いやし)くも血のめぐりのある人は、誰でもひそかに心の底の底に感じて来たやうだ。全く以て油断の出来ぬのは大本神諭の、あのぼんやりした、雲をつかむやうな予言である。嘘かと思へば(じつ)(じつ)かと思へば嘘、虚々(きよきよ)実々(じつじつ)擒縦(きんしよう)自在「擒縦(きんしょう)」とは「捕えたりゆるしたり、自在にあやつりあつかうこと」〔広辞苑〕。、ドウも人間の智慧では()と太刀打ちが(むつ)()い。
 話が少々脱線した。大正五年の夏まで戻る。
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