霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(二)

インフォメーション
題名:(二) 著者:浅野和三郎
ページ:188
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c53
 二十九日の午後には京都で山陰線に乗替へ、(それ)から園部(そのべ)で下車して奥村(おくむら)といふ(いへ)へ立寄つた。これは横須賀の支部長の田中さんの縁家(えんか)で、(すこ)複雑(こみい)つた家事上の用向きを頼まれ、それを果すべく綾部(ゆき)(ついで)一寸(ちよつと)立寄つたに過ぎなかつた。
 一二時間で用向きは済んだが、裏の離座敷(はなれ)保津川(ほつがは)(のぞ)んで涼しくはあるし、又此(いへ)は出口先生が明治三十一年から三十二年にかけて滞在された因縁の深き場所ではあるし、かたがた汽車の疲れを()すべく一泊と決した。当時の先生は(やうや)く高熊山の参籠を終り、盛んにその独特の霊学霊術を実地に試みて居る最中で、まだ綾部の教祖と結びつく以前であるから、恐らく先生の生涯中最も油の乗りかかつた出端(でばな)で、当時の奇蹟逸話は数限りもなく存在するやうである。その晩奥村氏老天妻が、酒間(しゆかん)試みた二十年前の想ひ出語りは深い深い印象を自分に与へた。思ふにそれが他人の受売でなく、自分達が実地に会つたことを、作らず飾らず物語るといふ点に一層の興味があつたやうに思ふ。
『実際管長さんの術には恐れ入つて了ひます』と奥村主人は冒頭して語り()でたのであつた。『あのお方の話は一向私達の腑に落ちません。世界統一たらいふ法螺のやうな事は手前どもにはただ阿呆らしくてきいて居れませんが、(しか)しあの霊術だけは(たしか)なもので厶ります。いつそ、あの世界統一だの、世の立替立直しなどを廃止(やめ)にして、霊術だけで売り出したら成功疑ひなしと手前どもは思ひますが、御当人の身になると、さうばかりも行かんものと見えまして、いまだに世間から笑はれもので綾部などに(くすぶ)つて居るといふのは、兎角(とかく)世間は(まま)にはならぬやうに出来て居るものと見えます。ナニ貴下(あなた)も世界統一に御賛成……これは恐れ入りましたネ。』
『管長さんが拙宅(てまへ)どもに居られました時分は、ホンのまだ若々しい子供(じみ)た人でした。手前どもも今では年齢(とし)を取つてモウさつぱりあきませんが、その時分はまだ若う厶りました。夫婦の間にはその頃子供が二人ばかりも厶りましたらう。所がその頃家内は病身で、流産の癖がついて、一人も満足に育つのがないのは何より難儀致しました。お薬は浴びる程飲ませましたが、さつぱり利目(ききめ)がなく、お医者さんより。手前(てまへ)どもの方で(さじ)を投げて了ひました。所が、管長さんが、之をききつけて、私が鎮魂で(なほ)してやるといふので、家内を其所(そこ)の床の間の前に坐らせ、何やら口の中で咒文(まじなひ)のやうな事を唱へて居ましたが、しばらくして灯明の火を持つて来いといふ御注文です。私は(わき)に坐つて見物して居ましたので、早速御灯明に火を点けて持つてまゐりますと、先生はそれを受取りなされた。一体何をするのかしらと見て居りますと、灯明の(ほのほ)を直接に唇に当てて、スーツと吸ひ込んだのには呆れました。私どもなら唇が焼け(ただ)れて了ふにと思ひました。』
『腹一杯(ほのほ)を吸ひ込んで置いて、灯明を私の手に戻したと思ふ間もなく、ヒラリ! 先生の身体(からだ)が宙に飛び(あが)り、家内の頭の上を越したのには驚きました。危く持つてる灯明を(おと)すところでした。飛び越した先生は家内の背中に向けて、フーツと今吸ひ込んだ(ほのほ)を吹きつけなさる。イヤ()うも其時の私の魂消方(たまげかた)たらありませんでしたよ。元の席に復帰(かへ)るのにも今生は矢張り頭の上を飛んでかへりました。(これでよし!)と管長さんは申されましたが、成程家内の持病はそれきり忘れたやうに全治し、流産の癖も止まつて、引続いて三人も子供が(うま)れました。あれ彼所(あすこ)に居る男の児なども、勿論その後に(うま)れましたので厶ります。兎に角管長さんの霊術だけには私どもも恐れ入つて居ります』
 斯麼(こんな)話なら、その頃の出口先生には山ほどあるやうで、これなどは(けだ)し千百の(うち)のただ一例に過ぎない。この方面に興味を有する人は、園部、八木、亀岡、但しは綾部に来たなら面白い材料を幾らでも蒐集(しうしふ)し得ると思ふ。浅薄極まる物質中毒に(かか)つた現代人は、霊的方面のことさへ見れば(ただち)に迷信と(けな)し、さうするのが自己を偉いもの、聡明なものにし得ることと思うて居る。実に浅墓(あさはか)な考へである。迷信と言はうが言うまいが、活きたる事実は常に活きたる事実だ。メーテルリンクや心霊研究会で(あつ)めた位の事実は、日本国内に腐る程存在する。その活材料を全然無視し、書斎に引籠つて、受売や翻訳でもしようとする今の日本の学者、今の日本の文士の気が知れぬ。御機嫌取や提灯持ちは独り日本の外交官や政治家ばかりではない。どれもこれも比々(ひひ)として皆然りだ。時代の進展、天運の循環には気もつかず、今頃日蓮を担いだり、釈迦を担いだり、何といふ盲者(めくら)聾者(つんぼ)、調子外れの人間の多いことだ。担ぐ者こそ()い気になつて居るが、担がるる日蓮や釈迦やその他の教祖達の霊魂は、()うに国祖国常立尊の神勅を奉体し、屢々(しばしば)大本に出現して、自己を担ぎまはつて鰹節(かつをぶし)にする似而非(えせ)信徒()の腐敗堕落を痛歎して居られるのだ。彼を思ひ此を思ふと、いかに抑へようとしても、ツイ筆は荒びて来る。(せつ)に読者の宥恕(いうじよ)をお願ひしておく。
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