霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(七)

インフォメーション
題名:(七) 著者:浅野和三郎
ページ:208
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c58
『一度に立替を致せば世界に大変な人減(ひとべり)が致すから、時日(じじつ)を延ばして、一人なりとも余計に改心さして助けてやりたいと思へども、()(やう)に申しても今の人民は聞き入れんから、世界に何事が出来(しゆつたい)致しても神はモウ高座(たかみ)から見物いたすから神を恨みてくださるなよ』
病神(やまひがみ)其辺(そこら)一面に()をきかして、人民を残らず苦しめ様と(たく)みて、人民の隙間(すきま)をねらひ詰めて居りても、神に(すが)りて助かる事も知らずに、外国から渡りて来た悪神(わるがみ)の教へた、毒には成つても薬にはならぬヤクザものに、沢山の(かね)を出して長命(ながいき)の出来る身体(からだ)を、ワヤにしられて居りても、夢にも悟らん莫迦な人民ばかり……。口先ばかり立派に申して居りても、サア今といふ所に成りたら、元来利己主義(われよし)の守護神であるから、チリチリバラバラに逃げて了ふものばかりが出て来るぞよ』
『日本の人民の天からの御用は、三千世界を治め、神の王の手足となりて、(わが)身を棄てて神皇(かみ)の御用を致さな成らぬ国であるから、外国には従はれぬ、尊い国であるのに、今の日本の人民は皆、大きな取違ひを致して居るぞよ』
 ()れを読んでも皆その通りその通りとのみ感ぜられた。無論これ()はホンの見本として手当り次第に抜粋したに過ぎぬが、神諭一万巻、何所(どこ)(みな)(しゆ)の教訓ならざるはなしである。この偉大なる教訓に接して、何等の反省もせす、痴呆性濫書(らんしよ)症などと(けな)す人々の霊的準備の不足と良心の麻痺とには、自分は常に同情せずに居れぬ。
 自分は大本神諭の予言警告が絶対的に正確なことをさとり、又その教訓諭告(ゆこく)が痛切的確を極めて骨髄に徹するを感じ、そして全然(この)神の前に叩頭(かうとう)して了つた。神諭の中には()にもまだ一大要素がある。即ち神界の組織系統を暗示したもので、此点は()に落ちぬこと(おびただ)しい。即ち御本尊の艮之金神、元の国常立尊からがテンで判らない。其他(そのた)坤之金神だの、変生男子だの、変生女子だの、天之御先祖様だの、ミロク様だの、稚比売岐美命だの、竜宮の乙姫だの、日之出の神だの、雨之神、風之神、地震之神、岩之神、(あれ)之神だのと、初めてお目にかかる神様のお名前ばかり、是等の神々がいかなる組織、系統、因縁、関係、役割をお()ちになつて神界に活動されて居られるのか、当時の自分には皆目(かいもく)見当が取れなかつた。大本神諭を初めて(ひもと)く人々の多数は、大抵(みな)この大きな謎に呆れて了つて、中には噴鈑(ふきだし)たり、嘲罵(てうば)したりする。自分は其後言霊の鍵もて(ひら)ける古事記の研究やら、聖書との比較やら、幽斎の修行やら、其他種々(しゆじゆ)の方面から、幾分かは手がかりがつかんでもないが、実際掛値(かけね)なしの所を白状すると、判つた箇所(ところ)よりも判らん箇所(ところ)の方が()()け多いか知れない。まして大正五年の夏ときては何事も一切無我夢中、さながら迷宮(ラビリンス)(うち)(さまよ)ふ心地がした。
『日の本に只の一輪(いちりん)咲いた誠の梅の花の仕組(しぐみ)で、木花咲耶姫の霊魂(みたま)加護(てつだい)で、彦火火出見の尊が守護を遊ばす時節が参りたから、モウ大丈夫であるぞよ──』世の中にこんな判らん謎が滅多にありはしない。判らんのが本当で、判るのが間違(まちがひ)だとしか思はれなかつた。
『水晶の身魂(みたま)やら、天地(てんち)の大神の直系(ぢきぢき)御血筋(おんちすぢ)の世に致して、天に()ます御三体の大神様に御眼(おめ)にかけねば成らぬ御役であるぞよ。(おい)(おい)でと松の世を待ちて居りたら松の世の初まりの世がまゐりて……』──書かせて居る神さんには判つて居るだらうが、(それ)を読ませらるる人間に、こんな文句の意味が判つて(たま)るものではない。こんな箇所(ところ)へ来ると自分は屢次(しばしば)憮然(ぶぜん)として(くわん)を投ずるのであつた。
 しかしわれわれ人間が之を読んでも判らん事を、神様は百も二百も先刻(せんこく)御承知の上でかくなされて居らるるのであつた。『判らんといふ事が判れば、それが真実(ほんとう)に判つたのであるぞよ』と屢次(しばしば)戒められて居る通り、神界の組織系統などといふ事は、到底人智には伺ひ知り難く、又さしてその必要もないことらしい。大本信者の中には随分この謎を解かんとして頭脳(あたま)をひねり、一年も二年も暗中模索をやつて居るものもあるやうだが、自分は比較的其方面には苦労しない。判らん箇所(ところ)は判らんままで一箇月でも二箇月でも()つて置く。さうするとチヨイチヨイと何かの機会に(すこ)しづつは覚らされる。(いづ)れ艮之金神様の三千年のお仕組が成就した(あかつき)には、何もかも知らせてやるとのお約束であるから、大本信者はそれを(たのし)みに、余りあせらず、もがかず、気を永くして待つて居るのが得策のやうだ。兎に角大正五年の夏に自分はさう決めて了つた。
 自分には艮之金神様が(はた)して元の国常立尊様だか、大地の御先祖様だか、何んだか十分には判らなかつた。(いは)んやこの艮之金神様と天照大御神様との関係だの、何んだのといふ複雑つた事柄は、到底精確(せいかく)に知るよしもなかつたが、只此神の与へらるる予言警告と、教戒訓諭とに()()で突いた程の欠陥錯誤なきを思ひ、又大本教祖の人格の玲瓏(れいろう)高潔、全然俗界の(ちり)(けが)れの外に超然たるを見ては、兎も角も極度に正しい神、高き神、又力強き神に相違ない事()け痛切に感ぜられた。たうとう自分は八月の半ばに達した時は、心の底に堅く決心した。
『よしよし自分の知識欲はまだ十分満足されないが、信仰の基礎をつくるにはこれで十分だ。一つ奮発して現職を(なげう)ち、綾部に引込んで修業にかかり、その上で之を天下に発表し、奈落の底に向つて沈みつつある世界の人類を救済すべく、微力(びりよく)の限りを尽すとしよう。天地がひツくりかへつても、大本神諭の予言と教訓ばかりは間違ひがない。』
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