霊的には何より愉快であつた綾部三週間の滞在も、体的には可なりに苦しかつた。第一に苦しかつたのは其暑熱で、丹波の山の中はさぞ涼しいだらうなどと思ふと飛んでもない量見違ひ、寒暖計は連日九十二三度の辺を上下する。居る室が室なので、暑いからとてうつかり裸にもなれない。夏といへば海水に浴ることに慣らされた身体には中々の辛抱を要した。
が、暑さよりも一層苦しかつたのは綾部名物の蚊で、日暮になると雲霞の如く押し寄せて来る。下水工事完成以来、これでも以前にくらべると非常に減つたのださうだが、それでも横須賀にくらべると何十倍に上るか知れぬ。団扇でバタバタやつた位では中々追ツ付かない。蚊燻しをやれば煙たし、蚊帳を釣つて中へ入れば暑し、何ちらにしても甘くない。かかる時にいつも自分を救うてくれたのは、実に和知川の清流であつた。晩餐を済ますと自分は大概きまり切つて、ブワリと川べりへ飛び出して行くのを常とした。
綾部に若し和知川がなかつたら、神都の価値は少くとも半減されるであらう。実に善い川だ。石清く砂白く、巨巌所々に突兀として急流と闘ひ、間断なく淙々の声を立てて居る。川の左岸には老松参差として或は高く、或は低く、それが暮靄に包まれでもすると殊に妙である。近くは本宮山が聳えて、その饅頭のやうな姿を水にひたし、遠く上流を望めば稲山、佐根山、奈美山、峰山等の諸山が川の流れに沿ひて立ち並び、翻つて下流の方をながむれば、山又山の奥に、遥かに鬼が住む大江の山の嶺を見る。
川には田舎にしては珍らしい名も綾部の大橋が架けてある。長さは百数十間にも及ぶであらう。その風致も敢へて悪るくはないが、風致よりもこの大橋の上の夕涼みは確かに天下一品である。涼しいといふよりは寧ろ冷たいと言ひ度い風が、何所からともなく袂を払ひ、昼間の暑さは、あれは、夢ではなかつたかと思はれる位爽かに感じられる。これが若し都会地の橋ならば涼を追ふ行客の群に埋もれて居る筈であるのに、綾部の大橋にはそれが全くない。チラリホラリ僅かに三五人の姿を見かけるのみで、橋全体が殆ど自分一人の独占に帰して了ふ。一旦向ふの橋詰まで行つては戻り、戻つては又行き、そして心の中では主に昼間読み耽つたお筆先の中の事を考へる。
ああ綾部の大橋の上の夏の夜の涼しい散歩! 自分は今でも折にふれて当時の境涯を想ひ出す。昼間満腹した神諭の大部は、あの散歩によりて何うやら消化されたやうである。思ひを鎮むる流れの音、愁ひをなだむる山の姿、疲れを医する夜の涼風、広い世界にただ一人の共鳴者を見出し得なかつた当時の自分に、独一の味方をして呉れたのは、実にこの橋と山と川と風とであつた。
いよいよ現職抛棄、綾部籠城の決心のついたときには、自分は成るべくならば、このなつかしい和知川縁に住みたいと思つた。一旦東に帰つて浮世の風に触れると、ひよつとして決心の鈍らぬとも限らぬ。今の中に早く住居を決めて置いて、背水の陣を張らうかしらなどと考へて、ある日の午後半紙を出して造るべき家の間取りを試みに描いて見た。
描き上げたところへ偶然出口先生が現れた。
『何どす、それは家屋の図ぢやおへんか』
『今試みに描いて見た所です。成るべく景色の佳い所へ、こんな破屋でも建てて住まうかと思つて居ます』
『モウ引越すお準備どすか、迅い迅い』と流石に出口先生の満面に喜びと驚きとの色が漲つた。『新しく建てるも結構だが、並松に売家が一軒あります。川縁の家の中では一番上等とて、なんならそれをお買ひなはれ。お望みなら梅原はんを呼ばせます。何んでも二百坪ほどの宅地つきで六百円だとかいふことでした』
『宅地つきで六百円……そりや又莫迦に廉い。見んでも構ひません、是非それを買取ることにします』
世話役の梅原さんが呼ばれ、話は忽ち五分間で決まつて了つた。しかも場所は和知川縁の並松といふので誠に願つたり、叶つたり。余り虫が好過ぎる考へのやうであるが、神様が特に自分の為めに適当なものを備付けておいてくれたのではないかと思はれた。
妻の方からは心配して三日と置かず綾部の動静を尋ねて来るのであつたが、自分は詳しい返事をわざと控へた。いよいよ決心して家邸を買つた時にも、忍耐して沈黙を守ることにした。
『これは帰つた時の土産話に残して置かう。早まつて報知するのは面白くない。』