霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(六)

インフォメーション
題名:(六) 著者:浅野和三郎
ページ:204
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c57
 自分は全力を挙げて大本神諭中の過去の予言を拾つて見た。そして明治二十五年から大正五年迄約二十四年の間に、神諭の予言と世界の事実とが、一から十、十から百迄ぴツたり合一して居るのを確認した時、(すくな)からぬ驚きを以て叫んだ。『大本神諭の予言はこりゃ確実だ。大本神諭に限りて時期その他を明示してない点が、ニセ神のニセ予言でない、最も有力なる証拠であらねばならぬ。神人両界の大改造の全責任を負担して立たれて居る神様が、何の物好きに自縄自縛的時期、方法、順序(など)の予告をされる筈があらう。これしきの漠然たる予言警告でも、神様は避け得る(だけ)は避けられたかつたに相違ない。これでも幾分か御経綸の邪魔にはなる。只いかにせん天下の人心は腐敗堕落の(きよく)に達して目前の利益に汲々(きふきふ)として居る。大体の期限を切つて警告を与へ、或る程度威嚇でも加へねば、到底()をさます人類ではない。それで(ばん)()むを得ず、この警告的予言となつたに相違ない。よし、それならば自分も此神様の御主旨を奉戴して、及ばず乍ら警告を天下に伝へねばなるまい。それで千万人中に一人の覚醍を作り得ば本望である……』
 予言漁りの結果は大体こんなことになつた。
 大本神諭の予言を漁つて居る真最中から、其(うち)の随所に漏らされて居る、神諭一流の教訓が段々厳しく自分の頭に響いて来た。最初は必ずしも善良な意味にばかりは響かない。これは無理だ、こんな事があるものかなどといふ反抗心が、チヨイチヨイ首を(もた)げる。兎角学問をしたものの常として、(おと)なしく黙つて服従が出来ない。事毎(ことごと)に疑問を(さしはさ)み、不服を唱へ、批評を試みる癖がある。例へば、『学や智慧を棄てて了うて、(うま)れ赤児の心に立返らんと見当が取れん……』とあると、戯談(じやうだん)ではない。学問や智慧を悪口(あくこう)する神は、随分偏狭な野蛮神(やばんがみ)だなどと思ふ。『外国は獣物(けもの)()強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ』などに成ると、欧米を以て世界の先進国と(あが)め、万事の理想標準は(ここ)にありと教へられて居る身には、自分の顔に唾液(つば)を吐かれたよりも腹が立つ。其外(そのほか)現代の常識、現代の学問、現代の是非善悪の標準とは、天地の相違がある所の神諭の教訓は、一々異様に感じ、(しゃく)にさはる事ばかりである。当時()し自分に現実の世界の奥に神霊の世界があることが判つて居らず、幽界が根本(もと)で現界は末葉(すゑ)であることの真理がのみこめて居なかつたなら、()ても神諭の前に頭を()げて承認するといふ所には進み得なかつたらうと思ふ。兎も角もそれが(まが)りなりにも出来たのは横須賀に於ける鎮魂帰神の修業が(おも)なる原因を為して居た。あの修業のお蔭で、つくづく神の摂理の巧妙を極めて居ることが判り、神の力の玄妙不可思議なることを実地に見せつけられて居たので、ムラムラと反抗心が(きざ)(たび)(ごと)に、退いて反省し、回顧して見る丈けの準備が出来て居た。顕微鏡や望遠鏡は学界の誇りである。しかし天眼通力と比べて()うか? 高等数学は推理力の極点に近い。しかし一天狗の霊力に比べて優勝の地歩(ちほ)を占め得るか? 西洋医学は形而下(けいじか)学中(がくちう)(すゐ)を集めたものだ。しかし御神徳(おかげ)の前に向ふを張ることが出来るか? (いづ)れも駄目だといふことの実証実蹟が自分の前に既に提供されて居た。
『外国は獣の世』にしてもピンと頭に響き(かた)が、従前とはまるで違つて居た。これは決して抽象的譬諭(ひゆ)的の空言(くうげん)浮辞(ふじ)ではなく、事実ありのままの写生(しゃせい)であゐといふことがつくづく判つて居た。霊魂の実在と神と人との関係が判らぬ間は、兎角(その)眼光が事物の表面を上滑(うはすべ)りする。紫の袈裟(けさ)だの、金ピカの大礼服だの、爵位官等だの、外交的辞令だの、(べに)だの白粉(おしろい)だのが有難くて、全然(これ)(とら)はれて了ふ。そして其裡面(りめん)に潜んで居る所の(きつね)(たぬき)、天狗その他の魔性のものの作用が()つとも見えぬ。それをありありと見せてくれるものは、天地の間にただ一箇(ひとつ)の照魔鏡があるばかりだ。いふ迄もなくそれは鎮魂帰神の神法である。天下の有象(うざう)無象(むざう)が恐ろしがつて、難癖(なんくせ)をつけたがる筈である。しかるに自分にはこの照魔鏡の使用が許され、比較的短日月(たんじつげつ)(うち)に神諭の教訓をそのまま無条件で受け入れることが出来たのは、何といふ難有いことであつたらう。
『外国は獣類(けもの)の世、強い者勝ちの悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人に(ばか)されて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ』──全くそれに相違ないと思つた。
『人民は世が(ひら)けて余り結構になると、元の昔の活神(いきがみ)の苦労を忘れて、勝手気儘に成りて、誠の神の思ひを知つた人民は漸々(だんだん)に無くなりて、利己主義(われよし)行方(やりかた)ばかり致して、此世を強い者勝ちの畜生原(ちくしやうばら)にして了うて、神の居る所もない様に致したから、モウこの(まま)にして置いては、世界がつぶれて餓鬼と鬼との世に成るから、立替を致さな成らんことに、世が回りて来たのであるぞよ。四足(よつあし)の守護神が覇張(はば)りて、(うへ)へあがりて、日本の神国(しんこく)(けが)して了うて、この世は真暗闇(まつくらやみ)であるぞよ』──これも全くその通りと思つた。
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