霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第八節 道の栞 第一巻下(二)

インフォメーション
題名:第8節 道の栞 第一巻下(二) 著者:
ページ:680 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-04-20 14:01:58 OBC :B195501c2408
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正14年9月8日号
道の栞第一巻下(二)
五二 天帝が人種を世界に降し給ふや、黄色い人種もあり、白き人種もあり、黒き人種もあり、赤銅色の人種もあれども、天帝の慈を垂れ給ふ事に於ては、別け隔て無し。皆同じ神の子であるから、何の人種は可愛、何の人種は憎いとの差別を為したまふ道理なし。
五三 然るに其の天帝の御心をも弁へずに、自惚心を起して、日本人のみ神の直系の尊いものなど云ふは、主神に対し奉りて仇となるのであるから、神の道にあるものは、最も慎まねばならぬ。
五四 日本の国の尊き訳は、此の世界を治め給ふ霊の現はれました故である。夫故に殊更に神の御国と称ふと雖も、神は日本許りでなく世界中一様に守護遊ばし玉ふ。
五五 天つ日嗣の永久に変らぬは即ち神代に神定められた国祖大御神の御詔の動かぬ尊き証である。之を見ても日本は世界の司宰となる神が現ると云ふ事が解るであらふ。日本の尊いのは、万世一系であるからである。吾現人神を敬ひ奉るものは、即ち国祖大御神を始め、八百万の諸天使を敬い奉る事になるのである。
五六 是れから世界を統て、神の治めたまふ御国となるのであるから、小さい偏屈な事を云つて、外国嫌ひをして居る者は誠の天津神様の大御心に背くものである。一日も早く心を改めて迷ひを去らねばならぬ。
五七 根の国底の国へ落ち行く者は、却て偏屈頑固な神道家である。かゝる神道家は人々を高天原ヘ導くつもりで、知らず知らず喜んで根の国底の国へ自分も共に落ち行くものである。
五八 根の国底の国へ落ちてから気が付いて、ぢりぢり悶ヘしてみても、歯がみをしても泣いても詫ても、間に合はぬ。一日も早く悔い改めて、瑞の霊の教を守るべし。
五九 国と国との戦ひが起るのも、人と人との争ひが起るのも、皆慾からである。神心にならずして世界の為を思はずして、我国さへ善ければ人の国は何うでも善い、我身さへ善ければ人の身は何うなつても善いと云ふ自己愛から、戦ひや争ひが起るのである。是等は皆悪の行為である。
六〇 神に習ふ事を忘れて、我を出して貪らんとするから得られぬのである。人を殺してまでも人の国を奪ひ、人を倒してでも人の物を奪ひ取らうとするから、却てすこたんを喰うのである。某々両国の今度の行方が世界の悪の鏡である。
六一 人が豊に暮すを見ては嫉み妬み、種々と妨げせんとして却て我身を責るものがある。是等は心の傲ぶりしものにて、神のまします事を知らない愚者である。
六二 世界万物を造りて我等に、体と力と霊とを授け給へる神に近づかずして、却りて道無きの親に仕ふる者は神に仇するものである。神に仇せしものは必ず亡び行く。
六三 道無きの親に仕ふるとは即ち、偶像に仕ふる事である。誠の親なる神に仕へずして、神の仇たる邪神に仕ふるものは、取りも直さず神に仇するものである。
六四 曇りと穢れに充ちたる世を友とするものは、神の御心に背くものである。
六五 神は日々夜昼となく人々の身魂に降りて慈を垂れ給ひ、常に悪を戒め善を勧め玉ふ事を省みよ。我が心、我が心の鬼を責むると思ふなよ。神の霊降りて汝等が心の鬼を責たまふのである。
六六 倦まず撓まず神に従ひ、信仰の力に依りて、胸に潜める悪魔を追出すべし。神の力に非ざれば、心の鬼は、迯ぐるものにあらず。我力を以て悪魔を逐出さんとせば、却りて其悪魔に取りひしがれ、遂には悪魔の捕虜となるべし。
六七 苦しみを以て楽しみとせよ。苦しみ多き者は天命の重きものぞ。喜びを以て心を注げよ。喜びの時こそ諸々の罪を作り災禍をきざすものぞ。苦しみてある時こそ心に慎みの出る時なり、幸ひの種子を蒔く時なり。
六八 神の御前は云ふも更なり人々の前に出でゝも成る丈、己れをヘり下るべし。神は其者を高きものとなし給はん。人の前にても其身を低くせよ。人も亦其人をあがめん。
六九 世界の兄弟を誹る勿れ、其の善悪を分ち審判くこと勿れ。兄弟を誹るものは神の仇なり。兄弟を審判く者は罪なり。
七〇 人を生かし又殺す力ある誠の独り神より外に、人の善悪を審判く権利無し、夫れよりも我身を省みてその足らざるを悲しむべし。
七一 明日の事も知れぬ身であり乍ら、色々と利益を得ん事にのみ心を注ぐ勿れ。先づ神の御許しを得て、商売其外利益を得る事を営め、神の許しなくして吾が力にては如何なる善なりと思ふ事といへども成り遂げぬものぞ。
七二 誇り驕ぶり、我力によりて物事を成し遂げんとする者は悪なり。悪には神守る事なし。
七三 善なりと知りて行はざるものは、神の仇なり。神を祭り又は祈る事は善なりと知りて行はざるものは即ち悪なり。悪事をせぬから神を祭らずとも宜しと云ふもの誇り驕ぶれるものなり。絶対的の善は神を愛するより勝れるは無し。神は人々の必ず祭らねばならぬ尊いお方である。又神に離れては束の間も世にある事は出来ぬものである。今の世の中此事に気の付く人は薬程も無いとは情なきかな。
七四 神道ともつかず、仏道ともつかず、両部神道でもなき怪しき教あり。皆之を淫祠教と云ふ。聖道に居ながら淫経など唱ふるものあり。何れも淫祠教にして神の道を穢す妖教なり。
七五 淫祠教を信ずるものは天の大罪人なり。心に当るものは速に悔い改めて正しき道に赴け。
七六 我は世の救ひ主なりとか、天の岩戸開きを致す役なりとか、何々大御神の霊なりとか、日出の神なりとか唱ヘて世の中の多くの人を欺くものあり。必ず迷ふ勿れ。
七七 口先許り法螺を吹いて実地の力なき神がある。天狗等は常に大きな事を云つて人を欺くものである。
七八 ヤマトスラブの戦ひは、此世始まりてから又無き様な激しき大戦ひであるが、天帝は何方ヘ勝を与へ給ふぞ。天帝は誠の強き国へ必ず勝を与へ給ふべし。
七九 今度の戦ひの起りは、その本は自愛の慾からであるが双方共に善ならず。世界を一目に見給ふ神は必ず少しにても正しき方へ勝利を得させ給ふ事必定である。
八○ 日本は神国、神ある国であるから、神が日本を必ず勝たせ給はんと云ふものがあれど、日本の勝つのは正義がロシアよりも優つてゐるからである。いくら神国なりとも悪が勝ちなば、公平無私なる天帝は必ず露西亜に勝を与へ給ふべし。
八一 今度の戦ひは天の岩戸開きの導火線となるのである。善と悪とが立て別かる発端である。
八二 誇り高ぶる事を知りて、ヘり下る事を知らぬものは悪魔の容物となる。
八三 悪魔は其容物を自由に使つて、善の仮面を被り世界の人を欺かんとするなり。
八四 悪魔の言葉は実に一応尤もらしき事を唱ふれども、仔細に調べ見るときは、何処となく欠点の有り前後の揃はぬものぞ。慾に引かれて妖魅界に落し入れられぬ様心を配りて信神すべし。
八五 巧なる悪魔は天より選ばれたる審神者までも誑らかさんとするものなり。故に人は只瑞の霊の言葉によりて善悪を考へ見るべし。
八六 或時はいづの御魂さへも誑らかさんとしたりし事もあり。
八七 聖人賢人又は偉人と言つても、人間の目から見た聖人賢人であつて、能はざる事なき神の御眼にて見そなはし給ふ時は、未だ全きもの、美はしきもの、偉いものと唱ふる事は、とても出来ぬものである。釈迦孔子イエス等の教は現代神学者の解釈する処を見れば大に誤れり。真の聖賢出でゝ三聖の教を生かす時は来れり。
八八 天が下の穏かに始まる道は、兵の強きがためではない。国民が天道を信じて誠の道を守るに依るのである。
八九 世界中、兵あるが為に、慾も起り戦ひもあるのである。世界の戦いは運不運を嫌ひ給ふ天帝の大御心に叶はぬ事である。雨降つて地固まる、世界穏かの為めには戦も止むを得ぬ次第なれど、戦ひ位世界に無惨ものはない。
九〇 国の強きと弱きとは其の国民の行ひの善悪に依るのである。国民の行ひ正しき時其風俗も美はしく、風俗美はしき時は、即ち一国和合を来すものである。和合して国民が一致した程、世界に強きものはないのである。
九一 風俗美はしからず、国民の心一致せぬ時は幾千万の兵ありとて、直に破れ亡ぶるものである。故に兵士や、戦さ道具では国は治まらぬ。国民の神を厚く信ずる心と、其品行の美はしきによるものである。神の道を信ぜざる国は遂に亡び行かん。神を信ぜざる家は断滅すべし。
九二 神の畏るべきを知り誠の心を持つて善を行ふ。一人斯の如く、一家内亦斯の如く、一国亦斯の如く、天が下亦斯の如くするに於ては、穏かなる風、慈の雨降りそゝぎ、喜びの雲、清涼の空気天地四方に充ちて、目出度き事のみ世界に起るべし。斯くなる時は砲台も軍艦も大砲も、兵士も要らず、天下は太平に治まるのである。天に二つの日なきが如く、地にも一つの王者でなけねば治まらぬ。粟散王の世界は、小言が絶へぬ。
九三 天からの時節が来たので、此の世界は神祖大御神の御子の治め玉ふ世になるのである。
九四 神より見れば一人の生命も大地より重しと為したまふ。其重き所の生命を取り合ふ戦ひこそ悪の骨頂である。
九五 天帝の御心に違ひて、大切なる生命を奪ふ行為は、人を生み給ひし造化の大御心に背き奉る深き罪である。今度の戦ひを起した国人は、天帝に対して大罪人たり。世界に対して平和の仇たり。天帝誠の大小を衡りて此の度の戦ひに勝を得させ給ふべし。今度の戦ひには、生神の助太刀あり。その生神とは高津神の事である。高津神とは天と地との間の守る精霊にして俗に金神と唱ふ。
九六 此の戦ひには、高津神の働き最も著しきものあるべし。高津神の凡ての頭は、艮の鬼門の金神と云ふ荒神にして、此の戦に勝を与へ玉ふ生ける神なり。
九七 神の教盛になり、人々は礼儀を重んずるに至らば、天が下に戦ひや争ひの起るべき道理なし。かくならねば太平にはならぬ。豊葦原の瑞穂の国は、誠の神国にはならぬ。
九八 今より後、偽救ひ主現はれて、我は瑞の霊なりとて多くの人を欺くことあるべし。されど決して迷ふべからず。
九九 瑞の霊は世の光であるから、曲津神は、其光りを恐るべし。故に人此道に入らんとするときは其心の中に潜める悪魔、努めて其正道より外へ迷はしめんとするなり。故に我身我身を取締らざれば、自ら悪魔の餌食となりて亡びを招くべし。
一〇〇 此筆先は神の言葉であるから、写して信者に読み聞かすベし。
心誇りて驕ぶる者は神之を防ぎ玉ふ故に、筆先の意味少しも解らぬ。へり下り見る者に神徳を与へて其深き意味を酌み取らせ給ふぞ。慎み敬いて見よ。
神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり
神人合一して茲に無限の権威と実力を発揮す。
明治三十七年旧四月十五日神示真如
(「神の国」大正十四年九月八日号)

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