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第十節 道の栞 第二巻上(二)

インフォメーション
題名:第10節 道の栞 第二巻上(二) 著者:
ページ:688 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195501c2410
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正14年7月8日号
道の栞第二巻上(ニ)
五一 瑞の霊に背く者は、全く神に背く者ぞ。罵る者は全く神を罵るものぞ。
五二 世界中の生民二十億。皆天帝の御子なり。善人も神の御子なり。悪人も神の御子なり。数限りなき三千世界の霊魂も亦神の分霊にして、所謂神の御子なり。
五三 心を尊み、体を卑しむるは、善をなすの本なり。故に我精神を宝となし、真理を宝とするものは、善の極まりにして、神の御心に叶ひ奉るものなり。
五四 体を尊み心を卑しむるは、悪を為すの始めなり。故に土地、財産、道具等、形あるものを以て宝とするものは、悪を為すの源にして、根の国底の国に落つるものなり。
五五 天が下公の為に為す事は善なり。我一人の利益の為になす事は悪の極みなり、正しき心を以て、徳を行ふものは善なり。正しからざる心を以て、誠の行ひせざるものは悪なり。等しく是善悪共に神の御子なり。
五六 善人も神の御子なり。悪人も神の御子なり。善人はいと美はしく、いと高く、いと栄えに充てる天国の門を自ら開く。悪人はいと低く、いと醜しく、いと苦しき地獄に自ら落ち入るなり。
五七 高天原へ救はるゝも、根の国に落つるも、唯信仰と行ひの如何に因るものぞ。其相隔つる事の道理恰も雲と泥の如し。是そも誰の過ちぞや。
五八 肩書許りの貴人を羨望むなかれ。名刺の上の紳士となる勿れ。金銀のお化けとなる勿れ。彼等は世の中の、毒虫にして、神の御心に叶はざる者なり。
五九 人の見ぬ所、知らざる所に於て、善をなし徳を積むベし。神は明かき暗きの隔て無くして、行う所を能く見そなはし給ふなり。
六〇 天帝の御霊魂を真霊魂と云ふ。真霊魂は不増不減と云ひて、増す事もなく亦減る事もなし。天帝の霊魂は始めもなく終りもなし。
六一 人の霊魂は然らず。必ず増えたり減たりするものなり。即ち善を為せば、其の霊魂を増す。悪を為せば霊魂を減ず。
六二 天帝は人の身に、霊魂を与へ、或は之を奪ふ力ある御方なり。
六三 天地太元は即ち道なり。貴人も道によりて立ち、人民も道によりて立ち、万物も亦、道によりて安んずるなり。
六四 真如を瑞の霊と称ふるものは、五尺有余の肉体の謂にも非ず。その肉体に宿れる、神の分霊たる瑞の霊の言葉なり。誤りて偏り見ること勿れ。
六五 道を聞いて、其行を為さざるものは、神の御心に背くものなり。又己が身を欺くものなり。
六六 取次よ心すべし。我は神の御旨を伝ふる清き者なりと思ひて、誇り顔に道を語る勿れ。神の道を穢す者は、普の信徒よりも、却て取次するものゝ行状及言葉より出づるものなり。
六七 我は神に仕ふるものなり。神に代りて教を伝ふるものなりと思ひて、誇り驕ぶる事勿れ。罪深き者をして神に近寄らせ、悔い改めさせんとなし給へばなり。神に仕ゆる者は、有らん限りの耐ヘ忍びと慎みとを忘るべからず。
六八 誠の愛を以て人を度し、誠の信を以て人を制し、誠の勇を以て人を守り、誠の智を以て足らざる人を補ふべし。
六九 智徳円満なる神の御使ひたるべきものは、全き信仰を養ひ、依怙贔負の業を慎み親しみと和らぎと、卑り下りと慈、とを以て、信仰を正道に誘ふべし。
七〇 神の御子なる信者を、天の御国へ導くべき役目を持てる取次等よ、先づ己れの魂と行状とを清くして、己れ先づ高天原の門を開くべき鍵を握り得たる上にて、始めて導く事に力を尽すベし。
七一 神の道を能く知らずして、取次する事勿れ。是れ神を欺きて道を汚し、自れの心を欺き、遂には人を地獄ヘ落し、自れも亦地獄の火に焼かれて限りなき苦しみを受けん、最も慎むべし。
七二 神の誠の道は、昔も今も更に変る事なし。其の変れる如く見ゆるは、是迄の予言者共の誤りを知らず。為に瑞の霊の教を変はりたる如くに思ふなり。今迄は誠の神の教の其儘を伝へたる予言者は無かりしなり。
七三 富みたる人を敬ひて、貧しき人を蔑むものは、神の御心に叶はざるものなり。神の心は誰彼の隔てなく。富めると貧しきとの別ち無ければなり。
七四 貧しきものは却て信仰に富みて、神の御国に救はるゝ者多し。富たるものは、朽つる宝に眼眩みて信仰に乏し。故に富めるものは、天国の誠の幸ひを味はうこと能はぬもの多し。
七五 富めるものにして、信仰全く行状宜しきものは、此上なき天国の喜びを受くる事一層なるべし。
七六 取次なるものよ。心を潜めて神の正道を正しく悟り、邪に迷ふ勿れ。
七七 自れ先づ迷ひて、次に信者を迷はせる取次最も多し。人を迷はせて其の心を汚す者は、神の国の最も大なる罪人となるべし。
七八 貧しき者を見下し、又愚かなる者を侮る勿れ。神の取次たり信者たるの身を以て是等の慎みなき者は、清き神の御名を汚す咎人となるべし。
七九 信徒を礼拝の席に就かしむる時に当りて、顔の古き新しきによりて、人を別つ事勿れ。亦位記の有る無きによりて、人に高き低きの別を立つる事勿れ。
八○ 神には百八十一の階級あり。是れ天帝の命じ玉ふ所にして、万劫動かぬ定めなり。
八一 人間の手によりて、上げ下げ、奪り与りの出来る階級位記などを以て、神の御前に用ふベからず。
八二 神の子と生れし人達よ。汝等形ある宝に富みて罪を重ね、天の獄屋に繋がるゝを善しとするや。又家は貧しくとも信仰の道に富みて、神の御国へ遊ぶ事を宜しとするや。地の上の富は限りありて、いと短く、天上の富は限りなくして、永久に変る事なし。
八三 地の上の苦しみ即ち肉体の間の苦しみは限りあれば、仮の苦みなり。神界にての苦み、即ち霊魂に受けし苦みは限りなければ真の苦みなり。何時々々までも免がるゝ事能はざるなり。
八四 明治の御代は、信仰の自由を人々に与へられたり。是れ全く天祖の大御心に出づる処にして、天の時到り、大本の改革者現はるゝに就て、先の手順として来れるなり。
八五 此の大本は、今に始まりし教に非ず。世の元の神の誠の教なり。今では悪魔はびこりて、斯道全く現はれざりし。故に此度天より瑞の霊を現はして、斯の教の証を為さしめ給ふものなり。
八六 自由と我儘とを交じゆる事勿れ。如何に信仰自由なりとて、道ならざる道に行くものは我儘なり、我儘は神の忌み嫌ひ給ふ処なり。
八七 道ならざる道とは邪の教なり。異国より参りたるブツの道は、殊更に神の忌み給ふ処なり。
八八 日本に生れし者は、日本の誠の道を歩むべし。汽車はにほんのレールの上こそ自由に運転するなり。其のレールをはづれては一寸も進まず。直ちに転覆すべし。誠の日本の道より外を歩むもの、又遂に顛覆せざるを得ざるなり。
八九 汽車もにほんのレールの上にては、進退共に自由なり、信仰も日本の教に従ふものは自由なるべし。
九〇 信仰自由なりとて、邪神の教に靡く者は我儘者なり。
九一 神を信仰するものは、第一に疑を去るベし。疑ある信仰は恰も浮草の如し。風東へ行けば東へ行き、風西へ行けば西へ行く。
九二 信仰は巌の如く堅くすべし。浮草の如き信仰は一生涯神の御恵を被むる事能はずして、遂には其身も霊魂も亡ぼさるゝに至らん。
九三 神の御恵を蒙らぬものは誰もなし。されど信仰の動くものは、誠の厚き御恵を与へらるゝ事無し。
九四 神の道に従ふものは、心を一つになすべし。二心あるものは、其行状常に定まらずして、遂に清き神の御名までも汚すに至るべし。
九五 涙の海に漂へる如き辛き暮らしをなせる人々よ。尋ねて来よ。救ひの船は今此処に現はれたり。
九六 救ひの船に乗るものは神より限りなきの力と栄とを与へられて、其身を永久に安きに救ひ給ふべし。来れ我が後に従ひて、清き神の道を目当に。
九七 愛しき一粒種子の我子に離れたる人も、いとも愛する妻に離れて悲しめる人も、来りて神の美はしき御声を聞かば、流るゝ涙も喜びの中に、拭ひ取らるゝに到るベし。
九八 神の道を信じたるが為に、人より辰めを受け、我が道の為めに責め苦しめらるゝとも、必ず驚く勿れ。専ら神の御心に委せて、真理を杖として、真一文字に道の真中を進むべし。神の勇によりて能く忍び、神の親によりて交はり、神の愛によりて生き更り、神の智によりて悟るべし。
(「神の国」大正十四年七月八日号)

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