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宗教は酒の如し

インフォメーション
題名:宗教は酒の如し 著者:出口王仁三郎
ページ:132 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195600c26
昭和六年四月二十三日
 宣伝使の中にもいろいろ千言万語を費して名論、卓説を吐く人が沢山あるが、しかしその行いということ──実地に活動せないならば、これは偽りになる。黙って居ても、実地に活動して神の道を伝えることが出来る。それで「沈黙は雄弁に優る」という言葉もあって、沈黙して、そして行いをもって見せて行くのが一番に宣伝の効果が挙がる。本当に誠が通って行くのである。まだ大本は宗教的行為も混って居るけれども、既成宗教のような宗教とは考えてはいないのである。すべて宗教というものは酒のようなものである。「宗教は阿片なり」と言うた人もあるけれども、これは宗教の形体をそなえて実際の宗教でないものを指した言葉であろうと思う。本当の宗教は酒のようなものである。酒のきらいな人はこれを見てもいやなのである。また好きな人は無茶苦茶に好きである。酒を飲んでもめいめいに味が違うのである。飲んで喜んで笑う人と、怒る人と泣く人と、それから乱暴する人がある。人と喧嘩して、警察の厄介にならねばならぬ人も出来てくる。同じ一つの酒であっても、その人々によって皆その結果が違うて来るごとく、同じ大本の道でもその人によって、お筆先にある通り、「身魂の因縁だけよりとれない」ものである。身魂相応よりとれぬのであるから、一般の人に向って「こういう教である」「こういうものだ」というて大本を説いたところでわからぬ人もある。わかる人もある。それで大本というものは一体どういうものであるか、どういう真理があるかと尋ねられたところで、これは説くことが出来ない。たとえて云えば、牡丹餅はどんな味がするか、それを説明せよというのと同じことである。食べてみねばわからぬ。うまければうまいというよりほかはない。それと同じように大本はいい教であるというよりほかに道はない。牡丹餅も七ツ、八ツ位食う人もある。一ツでいやになる人もある。それで人間の言葉で説明が出来るような教であったならば、真の宗教ではないのである。神の教というものはとくにとかれず、ゆうにゆわれず、ハゲ頭のようなものである。
 お筆先に「神が表に現われたら一切のことを暴露する」と書いてある。ツラの皮をひんむいてしまう、そして改心させるとある。大本は尖端を行くのであるから、私は昔からの古キズを「真如の光」誌上に暴露して、暴露戦術をやっている。世の中は暴露戦術をこの頃始めて居るけれども、私は早くからやっている。世の中より先んじてやっている。それで、どんな人も私の「真如の光」を読んだならば、どこか心に当って居るところがあろう。心に当らなかったならば、これは生きて居る人ではない。
 すべての人、特に宣伝使というものは、自分はこんなことをして居ったから恥しいとか、こんなことは云われぬというような、隠すような気があったならば本当に人を導くことが出来ない。私はそう考えて居る。それで私は一般に、一生懸命に大本を信じて来ている人には、私の古キズを発表している。外にも世間の人に、外国にまで行く雑誌にものせている。なかにはこんな先生なら信仰はやめてしまう、という人もあるからも知れぬ。その人は偽善者である。そういう偽善者は大本に寄って貰わないでもいいのである。誰でも考えて見たならば、肉体があれば皆そうである。それがために率先してやっている。誰にもそういう考えをもって自分から暴露せねばいけない。昔は人間は神の分霊であり、いわゆる神様の断片であるから、自分の悪い所を人の前に暴露するのは神を恥かしめることであると云ったが、今日は、神は時宜によるのであるから、この頃にはあてはまっていない。世間で暴露戦術をやっているから、こちらからもやるべきである。それは永遠ではないが、こういう時期が来ているのである。
 反宗教運動がこの頃起って来ているのも、お筆先をよく調べて見ると「神が表に現れるに就ては今までの教会、取次はつらくなるぞよ、すっくりツラの皮をひんむいてしまう」と書いてある。それで反宗教運動は、今までのバイ菌のような不徹底な、地獄極楽をこしらえて命脈を保っているような宗教にはいい薬である。これは一つには神意の存するところであると思う。ついては大本も既成宗教のような真似はしないようにしたい。またこの宇宙の真理というものは、一人や二人の人間から出た言葉で判るものではない。それで大本は開祖が率先してこの理を説かれたのである。
 時代に応じ時に応じて現われるということはいわゆる世の中を順応指導して行くことである。外の宗教は教典教理から、何カ条というものをこしらえてしもうて、そしてそれより動きも、にげることも出来ないようになって居るが、大本の開祖の教は、時と場合によって必要なる教を説いて行くということになっている。それであるから何万年続いても、万古末代続いても、この宗教にはカビが生える気づかいはない。しかし現代の宗教は何千年前の教そのままである。冬の綿入れのようなものである。それを帷子(かたびら)を着ねばならぬ汗の出る夏の暑い時に振り回すようなものである。夏は夏の着物があり冬には冬の着物がある。大本の教はそれである。夏が来れば夏の着物を着せる。冬が来れば冬の着物を着せるようになっている教である。だから世の中がどれほど進んで来ても、大本は決して他の宗教のように、時代に落伍するようなことはないようになって居るのである。
 大本はお筆先にある通り、三千世界の改造である。ただ単なる死後の生活を説いたり、或は死後の生活を説いて死に対する恐怖心を慰安して、それをもって能事終れりとするものではない。実際の宗教というものは政治、経済、法律或は文芸一切のものを包含しているものである。しかるに今日の宗教というものは、じめじめとした婆、嬶の玩具みたいになってしもうている。こういう宗教は有っても無くてもいい、阿片ならまだ気分がよくて酔うたりすることもあるけれども、阿片以上に今日の宗教は役立たぬものになって居る。それでこの頃反宗教運動が起って来ているのも、お筆先から考えて見ると、これが御神意であると思う。それで大本の宣伝使はそこのところをよく考えて頂いて、既成宗教家のような考えを起さぬように、また商売気を出さぬように──商売をする時は一生懸命に商売をすればよい。いくらでも利益をとればよい。けれども神の教を宣伝する時には、慈悲の権化となって人を救わねばならぬ。そして勇猛心を振い起さねばならぬ。勇、親、愛、智の四つがなければいけない。
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