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~出口王仁三郎 大図書館~
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幼ながたり
幼ながたり
1 父のこと
2 母の生いたち
3 因果応報ばなし
4 石臼と粉引きの意味
5 父の死
6 わたしのこと
7 奉公
8 幼なき姉妹
9 母は栗柄へ
10 母の背
11 屑紙集めと紙漉きのこと
12 清吉兄さん
13 蘿竜の話
14 およね姉さん
15 ひさ子姉さん
16 不思議な道づれ
17 仕組まれている
18 おこと姉さんの幼時
19 王子のくらし
20 ご開祖の帰神
21 霊夢
22 教祖と大槻鹿造
23 牛飼い
24 ねぐら
25 不思議な人
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>
幼ながたり
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幼ながたり
> 4 石臼と粉引きの意味
<<< 3 因果応報ばなし
(B)
(N)
5 父の死 >>>
四 石臼と粉引きの意味
インフォメーション
題名:
4 石臼と粉引きの意味
著者:
出口澄子
ページ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B124900c06
001
眼をつむって、
002
じっと過ぎこしかたを振り返ってみますと、
003
人の一生というものは本当に夢のようであります。
004
幼ないころのことが一度に浮かんできまして、
005
あれも書いておきたい、
006
これも書き残しておきたいと思って、
007
ときには筆のはこびが
後先
(
あとさき
)
を違えて走っていることを、
008
書いたあとで気づくのです。
009
私の父は一生の間に三百軒の
棟上
(
むねあ
)
げをやったと言いますが、
010
一代でこれだけの家を建てた大工は珍しいそうです。
011
父は人気のよい大工で、
012
かいわいの仕事はみんな父のところへ来るということになり、
013
他の大工はあがったりということになったのでしょう。
014
本宮
(
ほんぐう
)
に
八郎兵衛
(
はちろべえ
)
という大工がいまして、
015
この人が父の人気をねたみ、
016
妙々
(
みょうみょう
)
さんという神様に父を呪い殺す
願
(
がん
)
かけをしました。
017
ところが
願
(
がん
)
かけの一週間目に
八郎兵衛
(
はちろべえ
)
さんは、
018
明日娘を嫁入りさすという或る財産家の嫁入り道具を盗み、
019
それが
大事
(
おおごと
)
になり、
020
それからの一生を牢屋に入ったり出たりして、
021
とうとう最後には首を吊って死んでしまうということになりました。
022
その
後
(
ご
)
にも
八郎兵衛
(
はちろべえ
)
さんの家からは
盗人
(
ぬすびと
)
が出たということです。
023
そのころの
本宮村
(
ほんぐうむら
)
はそんなに多い家かずでもなかったのですが、
024
宮津
(
みやず
)
の監獄では綾部から来る人はみな
本宮村
(
ほんぐうむら
)
からの人ばかりだといって不思議がったということです。
025
今はだんだんとそうした人はいなくなりましたが、
026
以前はまともな人は二、
027
三軒くらいなものだったでしょう。
028
大本に反対したことでも
本宮村
(
ほんぐうむら
)
の人が一番でした。
029
宗
(
むね
)
さんという人がいましたが、
030
大本のお祭りに地方から大勢の人が参拝に来るのをみて、
031
デンと坐って「何じゃい、
032
大本さん大本さんと阿呆らしい。
033
見てみい、
034
びんぼう人ばっかり来らや」と
悪口
(
わるぐち
)
のありったけを言っている処へ、
035
電報が入り、
036
見ると、
037
妻と子供が鉄道にひかれて片腕をもぎとられた、
038
という
報
(
しら
)
せであったということがありました。
039
藤兵衛
(
とうべえ
)
さんという人は、
040
父を出口家へ入れた
仲人
(
なこうど
)
でしたが、
041
親切ごかしに父に金をかしては田や畑を取り上げて一時は大変
物持
(
ものも
)
ちになりましたが、
042
今はみるかげもなく跡継ぎもなくなるようになり、
043
まことに不思議やと思っております。
044
しかしこういうような
本宮村
(
ほんぐうむら
)
に私の祖先が住んでおり、
045
教祖さまがおいでになって、
046
あるにあられぬご苦労をされ、
047
また私が生まれましたのは、
048
大本のお筆先にありますように太古からの深い因縁によるものであります。
049
明治十六年二月三日の節分、
050
旧明治十五年十二月二十六日
白梅
(
しらうめ
)
の薫る頃、
051
私は教祖さまの三男五女の末っ子として、
052
綾部
新宮
(
しんぐう
)
の元屋敷に生まれました。
053
そこは昭和十年十二月八日におこりました政府の二度目の大本弾圧ですっかりこわされましたが、
054
昭和十年の事件までに綾部の大本に来られた人は知っていられます、
055
あの石の宮のありましたところで、
056
石の宮の天の御三体の大神様がお祀りしてありましたあそこで、
057
私は生まれたのであります。
058
教祖さまが私をお
腹
(
なか
)
に宿されましたのは、
059
教祖さまの四十七才の時で、
060
同じ年、
061
私の姉のおことさんにも赤ちゃんができましたので、
062
教祖さまは恥ずかしく思われてか、
063
腹帯をきつく
締
(
し
)
められていて、
064
近所の人々は教祖さまの
身重
(
みおも
)
なことに気がつかなかったそうです。
065
それで私は近所の人の知らぬ間に生まれまして、
066
人びとは“おなおさんの子はどうしなはったんやろう”と言うたくらいであったと聞いています。
067
私は、
068
七月児
(
ななつきご
)
で、
069
生まれたときは片方の
掌
(
てのひら
)
の上にのったほど小さな赤ん坊だったそうです。
070
産声を挙げると、
071
あと三日ほどは泣かなかったのですが、
072
それが少したちますと、
073
とにかく早くから口が
利
(
き
)
きだしまして、
074
教祖さまも「この子は口が三年先に生まれております」とおっしゃったくらい、
075
ようしゃべったと聞いています。
076
教祖さまが綾部においでになった頃の家は、
077
いまの本宮の
大島家
(
おおしまけ
)
と同じ型でした。
078
大島の家はうちの家を真似て造ったそうで、
079
綾部では
瓦屋根
(
かわらやね
)
をふくには格式がいって、
080
本宮
(
ほんぐう
)
では出口家が許されて瓦ぶきの立派な
建
(
たて
)
ものであったと聞いています。
081
それから三度目に建てた家が私の生まれた家で、
082
四十八坪の土地に八畳と六畳と店に板の間が二畳との小さな家でした。
083
性来
(
しょうらい
)
暢気
(
のんき
)
な父は、
084
自分の大きな家を人手に渡し、
085
その家が
上町
(
かんまち
)
の人の手で
他処
(
よそ
)
へ移されるにつき自分たちの
住居
(
すまい
)
としてさきの小さな家を建てたのですが、
086
普通の人ならションボリとなさけない気持ちでいるはずのところ、
087
ベニガラを塗った
上方風
(
かみがたふう
)
の
建前
(
たてまえ
)
ができ上がった時に、
088
よい機嫌で「稲荷のような家たてて鈴はなけれど中はガラガラ」と、
089
即興
(
そっきょう
)
を唄って、
090
いとも陽気でいたそうです。
091
その家で私が生まれまして、
092
また教祖さまが後に
帰神
(
かむがかり
)
になられたのです。
093
しかしこの因縁ある家も、
094
私が
八木
(
やぎ
)
に奉公にいっているうちに、
095
大槻
(
おおつき
)
鹿造
(
しかぞう
)
さんが
角蔵
(
かくぞう
)
さんに売ってしまいました。
096
父は前に書きました通りの無頓着な人であり、
097
そのころの教祖さまのご苦労はあるにあられぬものになっていたようです。
098
父は町に芝居がかかると、
099
どんな時でも出掛けて行きました。
100
そういう時、
101
いつでも教祖さまは苦しい中から父の好みのものを心配され、
102
父の弁当を作って渡されましたが、
103
父は帰りには必ずお酒に酔って踊りながら「酒ニ酔ッタ酔ッタ
五勺
(
ごしゃく
)
ノ酒ニ
一合
(
いちごう
)
飲ンダラ
由良之助
(
ゆらのすけ
)
」などと唄っていたものです。
104
そんな日が続いても、
105
教祖さまは一心に
石臼
(
いしうす
)
をまわされて饅頭をつくる粉をひかれましたが、
106
ある時、
107
ただ一度、
108
さびしげに
石臼
(
いしうす
)
に半身をもたれ、
109
じっと首を垂れていられたことがありました。
110
私はその時ほんのいたいけな子供でありましたが、
111
なにも分からないうちにも、
112
その時の教祖さまのいつにない寂しげなお姿を覚えております。
113
少し大きくなってからもその時のお顔を思い出して心を痛めることがありました。
114
その時、
115
教祖さまのお気持ちをさびしくしたものは、
116
家の
生計
(
くらし
)
を少しも考えられなかったお父さんのことでなく、
117
私たち子供に
明日
(
あす
)
はどうして食べさしてゆこうという悩みであったのです。
118
遠いおぼろな私の記憶の中では、
119
私が母のふところで眼をさました時は、
120
いつでも
石臼
(
いしうす
)
を手に廻していられました。
121
私がむずかればあやされ、
122
そのうちに眠っていった時のことを私は覚えています。
123
教祖さまの作られた饅頭は、
124
清吉
(
せいきち
)
兄さんやひさ子姉さんが町に出掛けて売りに歩かれました。
125
そのころの出口の家運は衰え、
126
家に残っているものとては、
127
教祖さまが朝に夜に手にかけていられた
石臼
(
いしうす
)
一つだけでありました。
128
しかもこれは出口家先祖代々が使って来たもので、
129
教祖さまはその
石臼
(
いしうす
)
に頼って
生計
(
くらし
)
をたてられたのですが、
130
これには深い意味があることを私は悟らしてもらうことができます。
131
教祖さまのご苦労がにじんでおるこの
石臼
(
いしうす
)
は今でも残っております。
132
これは大変大きな世界の立替え立直しの型だと私は思っています。
133
私たちの住んでいるこの現実界の他に霊界という世界があって、
134
この二大境界によって宇宙はなり立っています。
135
そしてこの宇宙には型という働きがあるのであります。
136
母の使った
石臼
(
いしうす
)
は天と地の二つの型であり、
137
その中心に
要
(
かなめ
)
の棒があり、
138
これをゴロゴロとまわして
粉
(
こ
)
を作るものですが、
139
地の石は地の大神つまり大地の
みろく
さま、
140
上
(
うえ
)
の石は天の
みろく
さま、
141
この天と地の
みろく
さまがカッチリと天地に組み合わされて、
142
要
(
かなめ
)
の神が真中にあって、
143
天地の神様がグレングレンとまわって
子
(
こ
)
(
粉
(
こ
)
)を生む大きな型であったのであります。
144
そして天地の石がピッタリ息が合って初めて
粉
(
こ
)
は出来るのであって、
145
その
上
(
うえ
)
中心の棒がシッカリとしていないと良い粉(子)は出来ません。
146
天、
147
地のみろくさまが天と地(
上
(
うえ
)
と
下
(
した
)
)に組み合い重なってシッカリした棒を中心にしてピッタリ息を合わせて立派な良いサラツの
粉
(
こ
)
、
148
すなわち子供、
149
つまり
まめひと
たちが生まれ、
150
初めて世の中はその新らしい
粉
(
こ
)
、
151
つまり
まめひと
たちによって良い世をつくるという深い深い神秘があると信じています。
152
母は、
153
そのように深いご神意のあります
石臼
(
いしうす
)
を廻して、
154
夜もろくろくに眠らずに励まれました。
155
そのころは貧しいうちにも母さんはいつも私達の
傍
(
そば
)
にいて下さいましたが、
156
その幸いも過ぎてしまいました。
157
父が病気になり、
158
ずっと寝つくということになりました。
159
父の病いは長引き、
160
母の苦労は想像することの出来ないものとなりました。
161
それは今の時代の人にはいうても分かってもらえんご苦労であります。
162
と言いますのは、
163
貧乏人とか労働者とかいうものが、
164
今以上に
虐
(
しいた
)
げられたころで、
165
その時代に女手一人で一家を支えることの至難なことはとてものことでありません。
166
しかし、
167
どのような貧困の苦しいさ
中
(
なか
)
にありましても、
168
教祖さまは世間の人達にありがちな貧乏くずれはみせられず、
169
粗末な着物でも、
170
いつも折り目正しく清潔にされ、
171
髪などもいつもキチンと
結
(
ゆ
)
われ乱れたことはありませんでした。
172
そのことば私の童心にもはっきりとおぼえておりまして、
173
それを私のひそかな誇りとして、
174
母を慕って来たのであります。
175
教祖さまは
饅頭屋
(
まんじゅうや
)
ではいよいよ
生計
(
くらし
)
をたててゆかれなくなりました。
176
そのころの綾部の町には、
177
仕事という仕事がありませんでした。
178
そこで教祖さまは
古
(
ふる
)
ボロを買いに出られることになりました。
179
そのころおひさ姉さんは岡の父の実家に奉公していましたが、
180
教祖さまが病気の父をおいて商売に出掛けねばならなくなって、
181
呼びもどされました。
182
教祖さまは朝早く起きて、
183
先ず
天照大神
(
あまてらすおおかみ
)
を念じておられました。
184
そうして出てゆかれます時はいつもきまって私どもに「家のまわりに雑草一本でも生やさないよう気をつけて採り、
185
内外
(
うちそと
)
を綺麗に掃除して下され、
186
それから
藁
(
わら
)
一
(
ひと
)
すじでも
他人
(
ひと
)
の物に手を掛けてはなりませぬぞ。
187
お前達が浅間しいことをしてくれると、
188
この母の首に縄を掛けることになりますよ」とやさしい声で言われ、
189
姉のおりょうさんと私には、
190
幾厘か残して出かけられました。
191
帰られるのは夜の八時頃はまだ早い方だったと思います。
192
友達はいなくなり、
193
夜遅くまで待っておりましてもなかなかお帰りはなく、
194
他の家々は戸を閉めてしまい、
195
その時の心細さ淋しさはいまだに忘れられません。
196
いつも
上町
(
かんまち
)
の辺りまで迎えに行きました。
197
遠くの方から足音がシトシトと一歩一歩近づいてまいりますので、
198
飛んで行って「お母さん帰って来なはった」といいますと、
199
母も喜びまして一緒に家に帰りました。
200
それから兄と姉が手伝って一つ一つ紙屑は紙屑、
201
古
(
ふる
)
つぎは古つぎ、
202
毛類屑
(
けるいくず
)
は
毛類屑
(
けるいくず
)
と
選
(
よ
)
り分けまして、
203
それを売りに出まして、
204
それからお米を買って
晩
(
おそ
)
い御飯を頂くのでした。
205
その頃は何というても米一升は四銭五厘という時代でしたが、
206
一文銭つなぎの
二拾文
(
にじゅうもん
)
を商売の
元金
(
もときん
)
とされて、
207
米代
(
こめだい
)
だけをもって帰られるのがなかなかでした。
208
今から思ってみると淋しいものでした。
209
そのころ、
210
母は一度も腹一ぱいの食事をされたことがないと聞いています。
211
母の留守中はひさ子姉さんが炊事をやり、
212
おりょうさんと私が父の看病をしました。
213
教祖さまは商売に出かけられる時、
214
よく私とおりょうさんを呼んで、
215
自分の弁当のおにぎりをだして「これをたべよ」と言って、
216
おいてゆかれました。
217
父は病床につきましても「おなおや酒
買
(
こ
)
うて来てくれ、
218
梨
買
(
こ
)
うてきてくれ、
219
甘酒こしらえてくれ」と教祖さまに無理をいっていました。
220
それを教祖さまはそのままきかれていました。
221
三年もの月日、
222
父は
病
(
や
)
みついて母さんに苦労をかけるので、
223
みかねたひさ子姉さんが「いっそのこと父さんが早く死ねば、
224
母さんはこれほど苦労なさらぬのに」ともらしたところ、
225
教祖さまは
歎
(
なげ
)
かれまして「お前にとってはタッタ一人のお父さんやで、
226
鉄
(
かね
)
の
草鞋
(
わらじ
)
で探してもお前のお父さんはここに寝ておられるお父さんより
外
(
ほか
)
にはないのや、
227
また母さんには二人とない夫やから、
228
私はまだまだお世話が足らぬと思っています。
229
もう二度とそんなこと言わずと
按配
(
あんばい
)
よう世話をして上げてくだされや、
230
もしものことがあったら一生くやまねばなりません」とさとされました。
231
父のことは、
232
すべて大本の
教
(
おしえ
)
を開かれました教祖さまのご修行じゃったと思いますが、
233
困窮
(
こんきゅう
)
は
更
(
さら
)
にふかくなり
草粥
(
くさかゆ
)
を食べることが多くなってきました。
234
そんなになっても教祖さまは「私は要りませぬから、
235
お前達が食べなよ」と言って自分は食べずにすごされることがありました。
236
ある冬の日でありました。
237
いつものように教祖さまは、
238
やさしい笑顔を残されて商売に出掛けられましたが、
239
夜になって
何時
(
いつ
)
まで待っても戻ってこられないので、
240
「母さんは!母さんは!どうしちゃったんやろう」と、
241
淋しく眠られない
夜更
(
よふ
)
けを
床
(
とこ
)
の中で姉さんと抱きあって、
242
ただ耳をすまして教祖さまの帰ってこられる足音の聞こえるのを待っていました。
243
教祖さまは綾部から三里、
244
五里も離れたところまで商売に行かれることがありましたが、
245
その日も遠く出られたらしく、
246
その帰り綾部から三里ほど先の
普甲峠
(
ふこうとうげ
)
まで帰ってこられますと、
247
夕方から降りだしていた雪がにわかに激しくなり、
248
たちまちのうちに道も分からないくらいに積もり、
249
引返すことも進むことも出来ず、
250
それまでもこの
峠路
(
とうげじ
)
は三度ばかり死にかけられるような危い目に遭われたところで、
251
丁度峠のなかばごろまで来られますと、
252
教祖さまの体はくたびれきってしまわれて、
253
背に負われた荷物を雪の上におろして、
254
それに身をもたらせながら、
255
どうしたらよかろうかと思案にくれられました。
256
家に帰らねば病気の夫と、
257
夫の世話をしている子供たちが待っているなり、
258
これはこうしておれぬと、
259
そこで勇気をおこして吹雪の峠を越えられ無我夢中で家に帰ってこられました。
260
これまで教祖さまが、
261
そのとき
普甲峠
(
ふこうとうげ
)
で落ちられたと伝わっていますが、
262
それは違います。
263
教祖さまはどうしたものかと悩まれましたことは事実ですが、
264
どんなつらい時でもしっかりと踏んばって進まれました。
265
夜もだいぶん更けて、
266
髮の上や肩の雪を払われながら教祖さまが戸口に立たれました時には、
267
さすがの父さんも床の中から
掌
(
て
)
を合わせて母の姿を迎えていました。
268
それからの父はすっかり変りまして、
269
教祖さまが商売に出掛けられますときにはいつでも母さんを拝んでいました。
270
教祖様はこんなご難儀をなされても、
271
家の生活については、
272
一口も親類の人びとに話されませんでした。
273
一番上の姉はその時分は楽に暮しておりましたものですから、
274
「こんなに苦しんでおるのに母さんは何で言うて下さいませぬか」と母をなじったこともありました。
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