霊界物語.ネット
~出口王仁三郎 大図書館~
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幼ながたり
幼ながたり
1 父のこと
2 母の生いたち
3 因果応報ばなし
4 石臼と粉引きの意味
5 父の死
6 わたしのこと
7 奉公
8 幼なき姉妹
9 母は栗柄へ
10 母の背
11 屑紙集めと紙漉きのこと
12 清吉兄さん
13 蘿竜の話
14 およね姉さん
15 ひさ子姉さん
16 不思議な道づれ
17 仕組まれている
18 おこと姉さんの幼時
19 王子のくらし
20 ご開祖の帰神
21 霊夢
22 教祖と大槻鹿造
23 牛飼い
24 ねぐら
25 不思議な人
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> 6 わたしのこと
<<< 5 父の死
(B)
(N)
7 奉公 >>>
六 わたしのこと
インフォメーション
題名:
6 わたしのこと
著者:
出口澄子
ページ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B124900c08
001
わたしの思い出にあります。
002
その頃の家は長い貧乏でひどくいたんでおりました。
003
屋根には大きな穴があいておりました。
004
雨の降る日には雨が流れるように洩れました。
005
雨の降るたびに家の中の土間がだんだん掘れて、
006
いつかそこに小池ができるようになりました。
007
あの凡帳面な母にとりまして、
008
それはどれだけ気がかりでご苦痛なことであったことかと思いますが、
009
それを修理なさるゆとりもなく、
010
そのままにされなければなりませんでした。
011
そのようなことも
分別
(
ふんべつ
)
ないいとけない私は、
012
雨が降ると家の中に池ができたと言って嬉しがり、
013
早速に尻をはし折り
裸足
(
はだし
)
になって、
014
ビチャビチャとその中を歩き廻ってこころ勇んでおりました。
015
雨の降る日には、
016
また家の前の
小溝
(
こみぞ
)
──それはほら、
017
ずっと
後
(
のち
)
まで石のお宮さんの前にありました狭い
溝
(
みぞ
)
っこ──あすこに
西門
(
にしもん
)
のあった辺りから水が流れて来まして、
018
その流れにどこかの田から落ちて来たのでしょう、
019
小魚
(
こざかな
)
がくだってきました。
020
私はすぐ上の姉のおりょうさんを呼んで、
021
二人で前の溝にせきを作り、
022
魚つかみをしました。
023
そうしてピチピチする魚をつかんで、
024
家の中の土間にできた小池に放して泳がせました。
025
これが幼ない頃の私の楽しい遊びでありました。
026
メダカは幾匹も入れました。
027
モロコも入れました。
028
時には
鮒子
(
ふなご
)
や
鯉子
(
こいご
)
やと言って少し大きな魚も入れました。
029
魚がはねたり、
030
ゆうゆうと泳ぐのをどんなに楽しんで見たことでしょう。
031
それから子供のころ誰でもいちばん楽しいのは、
032
産土
(
うぶすな
)
さんのお祭りと、
033
お正月でありましょう。
034
綾部の町でもお正月がくると、
035
隣り近所の女の子はみんな綺麗な羽子板で羽根をついて遊びました。
036
私は家が貧しくて羽子板など買ってもらえんので、
037
家にあった何かの板切れを
鎌
(
かま
)
でカンカン削って羽子板の形に作り、
038
それから青野の二の宮さんの庭に
無患子
(
むくろじ
)
の
樹
(
き
)
のあったのを思いつき、
039
二の宮さんに走ってゆき、
040
神社の庭の
無患子
(
むくろじ
)
の実をひろってきて、
041
それに鶏の羽根をくっつけて、
042
自分でなにもかも作り、
043
それでみんなと同じように夢中になって羽根をつきました。
044
私のつくったのはそれは不細工なものやったと思いますが、
045
他の子がどんな綺麗な羽子板で遊んでいようと、
046
けなるいとも思わず、
047
ひがむことも知らず、
048
ただもう羽根をつくことが楽しくて、
049
遊びほうけていたのです。
050
母さんが朝早く商売に出掛けられますと、
051
私とおりょうさんは家の格子に体を寄せてじっと外を見ていたものです。
052
そんな時、
053
学校のはじまる前の朝のひとときを、
054
私の家の前を学校に行く子供がゾロゾロと出掛けて来ました。
055
それを見ているとなんとなく急に
悪戯
(
わるさ
)
がしてみたくなってきました。
056
私の
性来
(
しょうらい
)
の権兵衛で何んということなしに
悪戯
(
いたずら
)
がしてみたくなってくるのです。
057
私はトットッと表に走って出ると、
058
通学の子供たちの前に立ちはだかり、
059
両手をパッとひろげると「ここはうちの家の前や、
060
よう通さんぞ」と<
八方
(
はっぽう
)
>をしてきめつけました。
061
子供たちが右に廻ろうとすれば右に廻り、
062
左からぬけようとすれば左につめよるので、
063
子供たちはどうにも困って、
064
すごすごと
引返
(
ひきかえ
)
してしまいました。
065
次の日も同じように格子の間からのぞいていますと、
066
子供たちは私の家の下から遠く
西門
(
にしもん
)
のあった方を廻ってゾロゾロと行きます。
067
これは遠廻りをしているぞと、
068
坂をタッタッタッとかけ上がって、
069
こらっ、
070
と両手をひろげて
とおせんぼう
をしました。
071
今から考えてみますと、
072
私は六、
073
七才の頃で、
074
その子供たちはみんな私よりは年上の子ばかりです。
075
中にはずっと大きい子も混っていました。
076
その子供たちが又トボトボと引きかえして行きますと、
077
こんどは親をつれて出て来ました。
078
「おすみさんや、
079
済まんけどよ、
080
どうぞうちの子を通してやっとくれ」と親たちから言われると、
081
私も「はい」と言ってうなずき、
082
家の中に
這入
(
はい
)
りました。
083
しかし次の朝になるとまた
とおせんぼう
をし、
084
朝々をしばらくこんな権兵衛がつづきました。
085
そんなことがあって私は、
086
とにかくチビのくせにどえらい権兵衛というので“
新宮
(
しんぐう
)
の
男八兵衛
(
おとこはちべえ
)
”と言う名をつけられて通っていました。
087
私が綾部の街を歩いていますと、
088
「そら
新宮
(
しんぐう
)
の男八兵衛が来た」「喧嘩八兵衛のおすみさんが通る」と言うて騒がれ、
089
大人たちまでも表に出て来て「なんした罪のない可愛いい児やいな」言うて「おすみさん喧嘩してゆきい、
090
おすみさん喧嘩して泣かしてやり」と面白がって私をおだてていました。
091
私はおだてられているのも知らず、
092
いい気になって「よし来た」と言っては、
093
男の子でも誰でもかまわず組みついてゆくので、
094
大人たちは「おすみさん
敗
(
ま
)
けるな、
095
もっとやれ」と言って
囃
(
はや
)
したて、
096
私は調子にのって
権太
(
ごんた
)
をするのでした。
097
男の子など相手に喧嘩するときは、
098
パッと小石でも砂でもつかんで、
099
こまのように素早く、
100
投げるので、
101
「こらかなわん」と言って逃げて行きました。
102
袂
(
たもと
)
の中に小石を入れて歩き、
103
袂
(
たもと
)
の横からパーンとぶっつけるので、
104
十五、
105
六の男の子でも私をおそれ、
106
数人の男の子と一度に争って
勝鬨
(
かちどき
)
をあげたこともありました。
107
しかしあるとき反対に十五、
108
六人の男の子に追いまくられ、
109
背戸
(
せど
)
まで逃げて来て中へ入ろうとしたとたんに、
110
スッテンドウとつんのめって、
111
体は半分
背戸
(
せど
)
の中、
112
足は外へ出たまま
背戸
(
せど
)
を閉められて、
113
大したしくじりをしたこともありました。
114
またある時、
115
投げられた石が、
116
まが悪く私の
後頭
(
うしろあたま
)
にカツンと当りまして、
117
それでもやっと逃げのびてヤレヤレと思うと、
118
何やら着物のうしろが冷たいのです。
119
腰の
辺
(
あたり
)
もどうも冷たくて変だと思い桑畑の中に入り着物を脱いで見て驚きました。
120
着物の背のところが真赤に染まっていて、
121
不思議に思って頭に手をやってみると、
122
さっきコツンと投げつけられた石で大怪我をしていることが判かりました。
123
今思いかえしてみましても、
124
あれだけの怪我でよく帰れたと、
125
ゾッとします。
126
家に帰ると、
127
すぐに母に分かってしまいました。
128
母は私のその姿を見るなりびっくりされ「こちらが悪いのだから文句も言えないが、
129
ひどいことをされたなア」、
130
「しかしこの着物、
131
対手
(
あいて
)
の親に見せてやりたい」と、
132
あのつつましい母に似ず、
133
きつく申されたことを憶えています。
134
その他、
135
私の幼少の頃は口に出すのも恥ずかしいような手に負えない
悪童
(
あくどう
)
振
(
ぶ
)
りで、
136
トミさんと言う
男盲
(
おとこめくら
)
が三味線をもって
門付
(
かどず
)
けなどをしておりましたが、
137
ある時トミさんが向こうから来るので、
138
「おりょうさん、
139
ちょっときてんか」と、
140
おとなしいおりょうさんの嫌がるのを無理に呼び出し、
141
片方の縄の端を持たせてジッと息をこらして待ちかまえました。
142
トミさんはそれとは知らずに、
143
縄にひっかかり足をすくわれて倒れ、
144
私は手を叩いて笑いこけ、
145
トミさんは大声で「
大方
(
おおかた
)
こんなことをするのは
新宮
(
しんぐう
)
の男八兵衛やろう」とわめきながら行ってしまう。
146
私がなおも、
147
そっと後をつけて行くと知り合いの家に寄り「
新宮
(
しんぐう
)
の
政五郎
(
まさごろう
)
さんとこの男八兵衛の奴が、
148
わしを縄でひっくり返しやがって、
149
しようがないのや」と言うて、
150
ブツブツぼやいています。
151
私はそれを聞くとまたその後ろにソッとしのび寄ってトミさんの
丁髷
(
ちょんまげ
)
をサッとつかんで逃げる。
152
さあ怒るわおこるわ、
153
こんどは
杖
(
つえ
)
を振り廻しておっかけて来ました。
154
私はこんな
悪戯
(
わるさ
)
をしたのに、
155
みんなからは「そやけどあの子の顔を見たら憎めんな」と、
156
人気者になっておりました。
157
自分としましてはこの頃はまだ、
158
貧しいうちにも子供としての楽しみがありましたし、
159
その上、
160
夜は仕事から帰られた母さんに抱かれて寝ることが出来ました。
161
はじめは何かと寂しいので権太ばかりしましたが、
162
馴れてくると山に
枯木
(
かれき
)
を採りに行ったり、
163
一日じゅう山をかけ歩いて木の実を拾って来て母を喜ばせました。
164
つぎつぎと思い出ひろがり幼などき山に柴刈る姿うかびく
165
みぞれ雪寒さいとわず山の中ごそごそ
廻
(
まわ
)
りて
樫
(
かし
)
の実ひろいし
166
樫
(
かし
)
の実を袋に入れて持ち帰り代用食にいつも食べたり
167
わらび
蕗
(
ふき
)
たんぽぽ
嫁菜
(
よめな
)
りょうぶ
芹
(
せり
)
あさりて幼き日を暮したり
168
稲山
(
いなやま
)
へ枯木集めに行った時、
169
それはそれは沢山の
湿地茸
(
しめじだけ
)
が出ているのを見付け、
170
大きな株のまま家に持ち帰り、
171
おりょうさんと二人で炊いて食べました。
172
その時のなんとも言えない味わいは忘れられないくらいです。
173
そんなことを楽しみましたが、
174
あるとき火のついた柴がくどから落ちて
傍
(
そば
)
の
藁
(
わら
)
にもえ移り、
175
火事になりかけ、
176
運良く裏の人が見付け
組頭
(
くみがしら
)
も飛んで来て消しとめてくれたことがありました。
177
その時、
178
組頭
(
くみがしら
)
の人が「こんな子供に留守番さしとくのは危険なことやし、
179
第一近所迷惑や」と言われ、
180
「あのな、
181
お母さんがもどらはったら、
182
一ペん用があるから
直
(
す
)
ぐに来てもろてや、
183
忘れんとそう言うといてや」と言って帰りました。
184
私は母が帰られると、
185
昼間の自分らのボヤを出したことは言わんと「あのな、
186
お母ちゃん、
187
組頭
(
くみがしら
)
のおっちゃんがお母さんもどりなはったら
直
(
す
)
ぐ来てもろておくれいと言うてはったえ」と言いましたので、
188
母は早速に何やろうと思うて行かれましたが、
189
帰られるなり裏の家に行って、
190
「わしはどうしたらええのやろう」と言うて涙声で話していられましたのを憶えております。
191
そう言うことがあって、
192
それから私たちは昼間は
大槻
(
おおつき
)
鹿造
(
しかぞう
)
の家へ行って母さんの帰られるのを待つことになりました。
193
鹿造の家へ行くといつでも「おゝ、
194
おすみか、
195
ちょっと肩を打てい」と私は小さい手ながらよく鹿造の肩を打たされました。
196
私が肩を打っていると鹿造は「おすみよ、
197
お前は可愛い顔をしているから
町家
(
まちや
)
へ嫁にやって、
198
そこから金と酒をせびってくる。
199
おりょうは田舎の
百姓家
(
ひゃくしょうや
)
へやって
其処
(
そこ
)
からお米や野菜をもらってくる、
200
どうや、
201
ええ思いつきやろう」と、
202
悦
(
えつ
)
に
入
(
い
)
っていました。
203
それから又「
俺
(
わし
)
の言うことを聞かんと
摂州
(
せっしゅう
)
へ年期奉公に出してしまうぞ」「
摂州
(
せっしゅう
)
へ行くとな、
204
お前達は小さくて
目方
(
めかた
)
が軽いから、
205
米搗
(
こめつ
)
きをやらせられる時はな、
206
背中に重い石を負わされて一日
米踏
(
こめふ
)
みをさせられるんや、
207
豆のめしを喰わされてな」と言うのでおびえたことが、
208
耳の底にこびりついています。
209
私はいつでも鹿造が肩を打てと言うと、
210
きさくに打っていましたから鹿造は「おすみ、
211
お前は良い子だから
牡馬
(
めうま
)
のきん
玉
(
たま
)
や、
212
馬の
角
(
つの
)
や豆の葉の雑煮をやるぞ」と憎らしいこと言うてからかっていました。
213
その頃、
214
西町
(
にしまち
)
の大槻鹿造のところに寄ってくるのは妙にばくち打ちのような
無頼漢
(
ならずもの
)
ばかりで、
215
そのうちでもとくに三人で何か相談事をしていました。
216
それは大槻鹿造に
山家
(
やまが
)
の
銀十
(
ぎんじゅう
)
、
217
位田
(
いでん
)
の
儀三郎
(
ぎさぶろう
)
で、
218
鹿造はつんぼ、
219
銀十は目がほとんど見えない
盲
(
めくら
)
同然、
220
位田
(
いでん
)
のギサは片足、
221
これは病気で片足がくさってきた時、
222
自分で
鉈
(
なた
)
を
振
(
ふる
)
って
股
(
また
)
の所からたたき切ったというきつい男で、
223
これら三人が、
224
いつも西町の
今盛屋
(
いいもりや
)
といった鹿造の家の
長火鉢
(
ながひばち
)
を囲んで悪い相談ばかりしておりました。
225
何か
他人
(
ひと
)
の弱味を嗅ぎつけては
悪因縁
(
あくいんねん
)
をつけ、
226
恐喝するので、
227
綾部の人は
若
(
も
)
し、
228
三人が満足な体の持主だったらどんなことを仕出かすだろうと、
229
ひそかに恐れていましたが、
230
特に鹿造は因縁をつけるのがうまいので、
231
いん
鹿
(
しか
)
と
仇名
(
あだな
)
をつけられていました。
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(B)
(N)
7 奉公 >>>
伝記
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幼ながたり
> 6 わたしのこと
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