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五 父の死

インフォメーション
題名:5 父の死 著者:出口澄子
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B124900c07
001 父が病気になりましてから、002私たちは遊ぶにも、003近所で遊ぶことにして、004もし用ができてひさ子姉さんが呼んだら、005()ぐに帰って手伝えるようにしていました。
006 明治二十年の正月がすぎてあるとき、007父は「もう一ペん、008一杯の酒を心ゆくまで飲んでみたいなア」と、009しみじみ言っておりました。010母は「はい、011今すぐ()うてきますから」と言われて出掛けられましたが、012本当は酒を買われるどころか、013その日は一文もありませんでした。014母はいつでも父に、015「早くよくなっておくれなされ、016しつかりしとくなされ、017欲しいもんがあったら何んでも言うて下されや」と言われて、018何を買う金でも始終持っているふうに言われ、019ずっと無理をされていましたが、020とうとうその日は大切な商売道具の(はかり)を売り払う決心をされました。021しかし質屋では、022そんなものは質種(しちだね)にならぬと断わられ、023屑屋(くずや)仲間の一人から、024二銭を貸してもらわれ、025酒を求められることができました。
026 父は母のまごころのこもったお酒を飲みほしますと「あゝうまい、027これでもう思いのこすことはない」と、028身も心も充ち足りた表情で話しました。029これが父の最後の言葉として、030私の耳に残っています。
031 それからしばらくして父の手足に浮腫(むくみ)があらわれてきました。032これを見られて母はびっくりされ、033隣りの大島の(ふさ)はんのところにゆき、034「うちの人は死ぬのではないだろうか、035もしそうなったらどうしよう」と、036心配されていたそうです。037父は母の手厚い看護にもかかわらず、038明治二十年旧二月七日に六十一才で国替(くにが)えをしました。
039 私はその時たしか六つでありました。040母はひどく力を落とされまして「天にも地にもかけがえのない唯一人(ただひとり)良人(おっと)も亡くなってしまわれた。041生命(いのち)は助けて頂けんまでも、042せめてもう少しお世話がしたかった」と申されたことをおぼえています。
043 何を申しましても、044その日その日を人一倍働かねば家族を食べさせてゆかれなかった母は、045家にもどられるのもおそくなりがちでしたので、046父が「おなおはまだか、047わしは腹がへってたまらんが」と言われていたことを、048あとあとまで気にされていました。
049 母は父のためには、050父が普請(ふしん)にゆかれる後からついて行って、051壁下地(かべしたじ)やら、052瓦持(かわらも)ちやら、053土運びなど手伝われ、054また、055父と二人して山から材木を運ばれて、056新宮(しんぐう)坪の内の屋敷にささやかなその時の家を建てられたなど、057その(ほか)女手(おんなで)でよくもと言われるまでつくされましたが、058父の(ほふ)りの式がさびしかったことを嘆かれていました。
059 父が亡くなりますと、060ひさ子姉さんは八木(やぎ)へ奉公に行くことになり、061教祖さまが働きに出掛けられますと、062ひっそりした家の中で私とおりょうさんとが留守をしていました。
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