霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(一)

インフォメーション
題名:(一) 著者:浅野和三郎
ページ:5
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c03
 ()何人(なんびと)の、(いづ)れの方面の研究に(おい)ても(しか)るが如く、自分が最後に霊的研究に(こころざ)すまでの階梯(かいてい)としては『これは不思議だ!』と思つたのが端緒である。林檎が木から地上に落ちる。それは当り前だ──これでは引力説は世に出ない。太陽は東から出て西へ引込む、(わか)り切つた話だ──これでは天文学は(うま)れない。これは不思議だ。何故(なにゆゑ)に然るか──この穿鑿心(せんさくしん)又は好奇心があつて(のち)初めて(ここ)に新研究が現れる。得意、満足、ゴマかし、冷かし、大家(たいか)気取り、独りよがり、嗚呼汝の運命は滅亡である、行詰りである。
 自分は至極平凡な常陸(ひたち)の南端に(うま)れ、又至極平凡な中流の家庭に生長し、そして至極平凡な学校生活を送り、小学より中学、中学より大学と月並至極な行程を踏んだに過きぬ。途中に山もなければ海もない。さながら平板単調な関八州の平野その(まま)の生活を続けた。青年時代の自分は時としていかに此平凡を不本意に思つたことであつたらう。学友の多くは夏季休暇にでもなると、幾十里、幾百里の山河を踏破して故山に帰省する。自分は遊学といふのは名ばかり、たつた一日で飽気なく帰つて了ふ。学友の或者は郷里で寂しく自分を待つ、ただ一人の母を()つのがあれば、又或者は父も母も早亡き数に入り、その代り自分を世話する一人の金満家(かねもち)の叔父があつて、そして其叔父の独りり娘といふが世にも()れなる優しい少女であるといふのもある。いかにも情思(じやうし)をそそるやうに出来て居る。所が自分は父も母も共に健全、兄弟は男子ばかりの三人、そして自分がその(うち)の末弟、七十幾歳の祖父までが矍鑠(くわくしやく)として壮者を凌ぐといふ甚だ岩畳(がんでふ)(むき)粒揃(つぶぞろひ)ばかり……。
 天気に(なれ)ると太陽の難有味が分らなくなるやうなもの、勿体ない話ではあるが、当時の自分は、霊肉共に充実した、張り切つた自分の家庭に対して、格別難有いとも感じないばかりか、(かへつ)(すこ)し欠陥のある、何処かに感傷の涙をそそるやうな、詩的な境遇であつて呉れれば好い位に考へたこともあつたらしい。これは自分の性癖の然らしめたのか、それとも少年時代から盛んに文学書類を耽読(たんどく)した結果であつたか、自身にも解決が付け兼ねる。(おそ)らく双方が因となり、又果となりて、絡み合つて居たのであらう。
 かかる単調平凡殺風景な青年時代の自分に、早くも不思議と感ぜざるを得ざる事が(おこ)つて、そして後年の伏線を成して居たのであるから不思議である。
 それはたしか、自分が二十四の春、帝大の二年生時代の事であつたと記憶する。
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