他の何人の、何れの方面の研究に於ても然るが如く、自分が最後に霊的研究に志すまでの階梯としては『これは不思議だ!』と思つたのが端緒である。林檎が木から地上に落ちる。それは当り前だ──これでは引力説は世に出ない。太陽は東から出て西へ引込む、分り切つた話だ──これでは天文学は生れない。これは不思議だ。何故に然るか──この穿鑿心又は好奇心があつて後初めて爰に新研究が現れる。得意、満足、ゴマかし、冷かし、大家気取り、独りよがり、嗚呼汝の運命は滅亡である、行詰りである。
自分は至極平凡な常陸の南端に生れ、又至極平凡な中流の家庭に生長し、そして至極平凡な学校生活を送り、小学より中学、中学より大学と月並至極な行程を踏んだに過きぬ。途中に山もなければ海もない。さながら平板単調な関八州の平野その儘の生活を続けた。青年時代の自分は時としていかに此平凡を不本意に思つたことであつたらう。学友の多くは夏季休暇にでもなると、幾十里、幾百里の山河を踏破して故山に帰省する。自分は遊学といふのは名ばかり、たつた一日で飽気なく帰つて了ふ。学友の或者は郷里で寂しく自分を待つ、ただ一人の母を有つのがあれば、又或者は父も母も早亡き数に入り、その代り自分を世話する一人の金満家の叔父があつて、そして其叔父の独りり娘といふが世にも稀れなる優しい少女であるといふのもある。いかにも情思をそそるやうに出来て居る。所が自分は父も母も共に健全、兄弟は男子ばかりの三人、そして自分がその中の末弟、七十幾歳の祖父までが矍鑠として壮者を凌ぐといふ甚だ岩畳向の粒揃ばかり……。
天気に慣ると太陽の難有味が分らなくなるやうなもの、勿体ない話ではあるが、当時の自分は、霊肉共に充実した、張り切つた自分の家庭に対して、格別難有いとも感じないばかりか、却て些し欠陥のある、何処かに感傷の涙をそそるやうな、詩的な境遇であつて呉れれば好い位に考へたこともあつたらしい。これは自分の性癖の然らしめたのか、それとも少年時代から盛んに文学書類を耽読した結果であつたか、自身にも解決が付け兼ねる。畏らく双方が因となり、又果となりて、絡み合つて居たのであらう。
かかる単調平凡殺風景な青年時代の自分に、早くも不思議と感ぜざるを得ざる事が起つて、そして後年の伏線を成して居たのであるから不思議である。
それはたしか、自分が二十四の春、帝大の二年生時代の事であつたと記憶する。