自分は三峰山のお婆さんを試験する為めには随分種々の方法を用ひた。が、其結果を何所かの学会に報告する義務もなければ、又論文を作つて博士号でも貰はうといふ野心もあるでなし、ただ自己の研究的良心──とよりは寧ろ好奇心の満足を得ればそれで可かつたので、別に第三者の立合を求めたでもなく、又一々時日其他の詳細なる記録も残して居ない。従つて、今はただ記憶を辿つて其中の二三を勝手に書き並べるまでの事である。細かい事は忘れて了つたのも沢山ある。
一つの実験を試みたのは小雨のそぼそぼ降る薄寒い日曜日の事であつた。自分は洋服、長靴といふ扮装で洋傘を翳して午前九時頃に家を出た。長源寺坂上まで来ると、右へ曲つて稲荷谷の細い暗い急坂を登り、其所に祀つてある稲荷さんの石段を登つた。夫から境内を抜けて間道伝に忠魂祠堂の所へ出た。それから又も横須賀名物の急坂を汐入の方面に降り、牛殺し跡と称する、名前丈は頗る物騒な一区画を横切り、山道伝ひに不入斗の連隊の方へ通り抜け、そらから右へ左へ、上へ下へと、成る可く狭い不便な路ばかり選んで一時間許歩きまはつて帰宅した。
これより先き自分は妻と下女とを三峰山へ遣はして置いて、お婆さんに依んで自分の通つた道筋を霊覚で見させた。例によりお婆さんは祠前で拍子木か何かを叩き乍ら精神統一をしたが、九時頃に私の姿や何かが映り出したものと見え、残る隈なく私の行動を噪り出したさうである。
『浅野さんは今日は洋服で長靴を穿いて今お宅の玄関前をお出掛けの所です。雨が降つて居るので蝙蝠傘をさしてお出でなさる──アレ長源寺坂を降りるのかと思つたら右へ折れて、稲荷谷の方へ曲がつたが一体何処へ行かつしやるのでせう──矢張り稲荷さんの石段を上つて行かつしやる──叩頭もせずに裏へ通り抜けてですよ。アレ彼の悪い坂路をグチヤグチヤ登られる……』
一時間に亘りてこんな事をノベツ幕なしに言ひ続けたさうで、妻はその要所々々を帳面に付け留めて帰つて来た。
『いかがで厶いますか、適中つて居りますか』
『イヤこれは不思議だ、些しも違つた箇所が無い』
自分は少々残念乍ら事実である以上其正確なことを認めぬ訳には行かなかつた。そして憑霊のあることを知らなかつた当時の自分は、彼の頭脳の働きの寧ろ遅鈍な、学問の素養の少しも無い、時に無茶な大食をする老婆が、何うして斯う水際立つた、あざやかな芸当が出来るのかと不思議で不思議で耐まらなかつた。
又或る時は自家の下女が簪を何処かへ落したので、それが実験の材料にされた。無論簪その物は真鍮台の安物で、せいぜい五銭か十銭のものだつたに相違ないが、値段の高い低いなどは問題にも何にもならない。ただ霊眼でその行方が分るか否かが問題であつた。所がこれも見事に言ひ当てられて了つた。
『お宅の物置の内に炭俵が一俵置いてあります。其側に藁屑が溜つて居ますが、簪は藁の中に見えます。帰つて捜して御覧なせいまし』
果して簪は右の藁屑の中に発見された。国元に居る私の母の事などを訊いたこともあつたが、これも正確であつた。概して右に述べたやうな簡単な事柄なら、一から十まで悉く適中すると云うて差支なかつた。
さうする中に兼ねて三峰山のお婆さんの約束の十一月四日が接近した。これが又自分達夫妻に取つては事件中の事件、問題中の問題であつた。三郎の病状は依然として少しも変化がない。三十七度三四分の熱は以前と同じく持続し、衰弱の程度も顔の血色も何等変る所が無かつた。
『本当にその時になつたら癒るものでせうかネ』
と妻は毎度心配さうに眉を顰めた。
『千里眼や透視とは訳が違ふからその時になつて見なければ分らん。しかし心配することも無からう』
自分もこんな気休めを言ふより他に仕方がなかつた。が、疑惑の期間は経過していよいよ十一月四日が来た。朝来自分達は不安と希望と相半しつつ、九時を数へ、十時を数へ、十一時を数へた。体温器は三十分間置きに当られた。所が今日は何うしても三十六度五分を越さない。かくて正午過ぎても熱が出ないのを確めた時には、覚えず自分達は凱歌を挙げた。
『矢張り当つた!』
『当りましたねえ!』
三郎は其日を境として又元の無病の健体となり、血色も直り体量もだんだん殖えて行つた。
『有難い』『嬉しい』『不思議だ』──三箇の感情が巴のやうに入り乱れた。