霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十四)

インフォメーション
題名:(十四) 著者:浅野和三郎
ページ:49
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c16
 此(ゆふべ)を基点として飯森氏は(ほとん)ど連日自分の中里(なかざと)の宅に訪れ、それが翌大正五年の二月頃まで続いた。話に花が咲いて夜が更けると、自宅(うち)離座敷(はなれ)に泊り込んだことも五度や十度はあつたと思ふ。
 飯森さんには一人の婦人の同行者(つれ)があつた。(とし)は四十七八、頭髪(かみ)は無雑作に切り下げ、身には木綿の紋付の羽織をつけ、下膨(しもぶくれ)の色白の顔には始終微笑を(うか)べて居た。一寸会つたところでは、普通の田舎の中婆(ちうばあ)さんとしか見えなかつたが、一旦綾部の神様のお話となると、さア大変、疾風(しつぷう)迅雷(じんらい)一時に到りて、ガラガラピシヤリ! 真夏の時雨(しぐれ)そのままの荒模様となつて了ふのであつた。見る見る(うち)にその顔は熱する。眉は(あが)る、声は高まる、膝は乗り出す、涙は(ほとば)しる。慷慨(かうがい)淋漓(りんり)として一時間でも二時間でも話は滾々(こんこん)として何時(いつ)果つべしとも思はれない。大概(たいがい)有髯漢(いうぜんかん)も共権幕には呑まれて了ひ、気の弱い婦人でもあると其根気と熱情とに僻易して。軽い神経衰弱(くらゐ)(おこ)し兼ねぬ程である。この人こそ皇道大本の創立史とは切つても切れぬ関係ある福島久子さんで、即ち教組直子刀自(とじ)の第三女であるのだ。此人に就きては語るべき奇譚(きだん)が無数にあるが、今それを書いて居る(いとま)は無い。(いづ)れ他の機会を見つけるより外に仕方があるまい。(ここ)では(ただ)此人が不思議な霊示の結果、飯森氏と連れ立ちて関東方面に出かけて来たことを述べることとする。
 兎に角二箇月に亘りての飯森さんや福島さんの熱心な談話のお蔭で、私の頭に朧げ乍ら皇道大本の起原、沿革、使命、其他の概念が入つて来た。教祖のお筆先の写本を飯森さんから(かし)て貰つて、初めて百枚ばかり読んでも見た。神懸りの奇譚(きだん)の数々をも聞いた、教祖直子刀自や教主輔出口先生の風評(うはさ)度々(たびたび)伺つた。立替立直、三十年で世の切り換へとなることも、竜神天狗さては狐狸(こり)の霊の存在することも、欧州大戦が済んだ暁には、引続きて世界が乱るることも、其他大本の布教師(とりつぎ)が口を開けば必ず漏らす種々雑多の大小の話をも大抵きかされた。是等の談話(はなし)が何れ丈の感動、何れ丈の理解、又何れ丈の疑惑を自分に与へたかは今日(こんにち)判然(はつきり)した記憶は残つて居ない。ただ次第々々に自分の興味、熱心が加はつたこと丈は(たしか)であつた。
『意外な話がこの物質文明の現代にあればあるものだ。それにしても、何うしてこれほどの不思議な事実が今まで、まるで世に(うづ)もれて居たのだらう』自分は幾度も斯う(いぶ)かつた。
『お筆先といふものは中々意味が分らないが、しかし八九千冊も書き溜めてあるとは驚いたものだ。一丁字(いつていじ)を知らぬといふ田舎のお婆さんに、そんな事が出来るものだらうか。一度行つて実地を(しら)べなければ容易に信じられない』などとも考へた。時とすると例の文学(へき)がチヨイチヨイ首を(もた)げることもあつた。
『現象世界の事は文学者がモウ大概書き尽して了つたやうだ。事によると此大本の霊的現象は善い材料になるかも知れぬ』
 其他種々(しゆじゆ)の考へが自分の頭の中を去来(きよらい)した。今日から回想するとまるで夢のやうなもので、別世界に棲む、別人の感想を辿るやうに感じられてならぬ。
 年の(くれ)に影の如くに横須賀へ現れた飯森氏は、二月の末に至りて又幻の如く横須賀から消えた。何うして氏と福島さんとが吾妻の空に出て来たのかはその当座自分には判らなかつたが、後日大本へ行つてから初めて其真相を聞いた。大正四年の秋は、神界が余程(はげ)しい活動を起された時で、重大なる神勅が頻々(ひんぴん)として(くだ)り、其結果として大本の役員達は東奔西走、神務の遂行に当つた。後の青少年隊の前身たる直霊軍の組織されたのも此時だつた。飯森福島二氏の出動も、『東の方に求むる人あり』との神命の結果であつたさうである。飯森さんは横須賀滞在中よくこんな事を言つて居た。
『横須賀市内にも(また)逗子鎌倉にも私の友達が沢山居りますから、訪問しかけて見ますが、其都度頭が痛み出すのでドウしても行けません。所がお宅へ来ることになると、即座に頭痛が止むのは不思議です。
 飯森氏()は帰つたが、しかし綾部の事は何うしても牢乎(らうこ)として私の念頭を離れない。一度其根拠地へ行つて見たいと思ふ考へは日一日と強烈の度を加へたが、()(かた)ならず煩悶した。所が三月の末になると、ゆくりなくも其機会が与へられた。外でもない、海軍から大阪へ出張を命ぜられたことであつた。自分は覚えず雀躍(こをどり)した。
『よしよし大阪の用務が済んだら帰途(かへり)に丹波の方へ回つて来よう』
 たうとう自分が綾部の地を踏むべき段取に成つて来た。
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