霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十)

インフォメーション
題名:(十) 著者:浅野和三郎
ページ:35
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142400c12
 一両日躊躇(ちうちよ)して居たが到頭自分は思ひ切つて所謂(いはゆる)三峰山(みつみねざん)へ行つて見ることになつた。場所は(よね)(はま)祖師堂現・横須賀市深田台にある日蓮宗の寺院・竜本寺のこと。「米が浜」は地名。の付近の奥まりたる路次の突当りにある、割合にさつぱりした普通の平家(ひらや)であつた。門には孝信(かうしん)教会と書いた標札がかけてあつた。
 少々キマリの悪いのを我慢して格子を開けて入つて見ると、先づ二十足ばかりの女下駄が目につく。中々()つて居るなと心の(うち)に思ひ乍ら、取次の女中に挨拶して襖を開けて見ると、中は六畳と八畳とが接続(つなが)つて居て、其所(そこ)婦女(をんな)ばかりが大勢集まつて茶を飲んだり、浮世話をしたりして居た。お婆さんも居れば、中年増(とうとしま)も居り、又若いのも子供も居たが、驚いたのは海軍士官の妻君(さいくん)が二人まで(まじ)つて居たことであつた。他の人々と同じく良人(をつと)や子供の病気直しを頼みに来て居ることが後に判つた。兎に角自分は従来十幾年も横須賀に住み乍ら、裏面(りめん)にかかる一種の社会の存在して居ることを更に知らすに(くら)して来たのであつた。が、これは自分のみでなく学校()の人間など日本の社会の表通りのみを見て、簡単明瞭に暮して居つて、瓩会の裏通が種々の葛藤に充ち、奇々怪々な事件に富んで居るのを知らぬが多い。自分にとつて(こと)に意外であつたのは、行者巫女(みこ)などいふものが、日本人の内部生命(せいめい)(むか)つて中々重要な役割を演じて居ることであつた。一体日本の社会学者、宗教学者、実験心理学者などは、まだまだ書斎にばかり閉ぢ籠り勝ちで、活きた事実の調査を閑却し過ぎて居るやうである。それでは要するに他人の糟粕(さうはく)()めるに(とど)まり、とても世間を動かし、社会を導く(ちから)はない。平時(ふだん)はそれでもお茶を濁せるかも知れぬが、真逆の場合には畳の上の水練(すゐれん)趙括(てうくわつ)の兵法と同様に何の役にも立ちはせぬ。自分一人で高くとまつて、学者振り、博識(ものしり)がり、(ひと)見下(みさ)げて威張つて見たところで、段々人が相手にしなくなつて来る。(くち)治国(ちこく)(へい)天下(てんか)を説いて、実は一州一郡の政治すら取り得なかつた徳川時代の腐儒(ふじゆ)(など)も、随分見掛(みかけ)倒しだつたが、宇宙だの、人生だの、社会の安寧だの、学問の神聖だのと文句を並べる丈けで、周囲の圧迫の(もと)(ただ)浮沈する丈けの今の所謂(いはゆる)学者なども余り()められない。一旦天下の形勢が急転直下した暁に、ツブシにして価値のあるものは幾らもありはせぬ。……オツト又話が()れて了つた。
 兎に角自分はこの時(うま)れて初めて教会じみたものの門を(くぐ)つたのであるから、(いささ)か勝手が違ふやうに感じたが、一座の隅に坐り込みて四囲(あたり)を見回した。先づ気がついたのは、此種の教会の通有性たる神仏混淆式の設備であつた。普通の家の床の間を改造して(だん)を設け幾箇も(ほこら)が置いてある。其左右には燈籠、花立(はなたて)木魚(もくぎよ)拍子木(ひやうしぎ)(かね)、香炉、般若心経の折本(をりほん)(など)が並べてあり、壁には種々の掛軸が下がつて居る。
 会衆の中に(まじ)つて、田舎訛りで(しやべ)つて居た五十恰好の婦人が、此処の先生の石井ふゆ(ぢよ)であることが知れた。
『子供のことで飛んだ御厄介に成りました』自分は名前を名告(なの)つて簡単な挨拶を述べると、先方は大変愛想よく『これはこれは()うまアお出でなさいました、お坊ツちやまの御病気で貴下(あなた)にお目にかかるといふのも不思議な御縁……』やや皺嗄(しわが)れ気味の錆声(さびごゑ)で、この不思議な御縁を連発するお婆さんであつた。話は幾らでも連綿と続くが、要領は中々得られないので(すくな)からず自分は悩まされたものだ。それでも二三時間居る(うち)に、此人が横須賀近在木古場(きこば)の出生であること、十三四歳の時分から一種不思議な霊覚がある事、良人(をつと)は工廠の職工で、最初は普通の家婦(かふ)であつたが、段々依頼者が殖えるので現在の教会を設けた事、何百人といふ病人が(なほ)つた事、祀つてある神様は二方(ふたかた)で、一方は金照斎(きんせうさい)、他方は何とかいうて共に三峰山(みつみねざん)のお(いぬ)さまであること、三郎(さぶ)の気管支の故障は十一月四日に平癒する事などを、どうやら聴き取る事が出来た。
()うして身体(からだ)何所(どこ)が悪いといふやうな事が判るのです?』と自分はいささか面喰ひ乍ら()いた。
『有難い事には信心のお蔭で眼に見せて貰ひます』
『では私の懐の蟇口(がまぐち)若干(いくら)(はひ)つて居るかも見えますネ』
『そりゃ貴下(あなた)お易い御用で……』
『実は私も今若干(いくら)入つて居るか覚えて居ないが、一つ試験(ためし)に当てて見せて呉れませんか』と自分は膝を進めて追窮(つゐきう)した。
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