確か十月の初旬のある晩のことであつたと記憶する。夕飯も夙うに済んで、子供達はモウ三人とも臥床に入つて了つた。自分は書斎から六畳の茶の間へ出で来て莨を服んで居ると、火鉢の傍で縫物をして居た妻は、やがて針を棄てて卓を隔てて自分の正面に坐つた。
『実は今晩残らす申上げて了はねばならぬ事がございます』
平常とは違つて、大変真面目な、ツキ詰めた様子であつた。恁麼ことは滅多に無いことなので、聊か自分も眼を円くした。
『何ンのことかネ』自分は態と気軽く述べた所思だつたが、実は早く後を聴きたかつた。
『はやく申上げよう申上げようと思つて居ましたが、叱られることが判つて居りますので、ツイ一日延ばし二日延ばして、モウ十日にもなります。実は三郎の事ですが、余り病気が捗々しくございませんので、あなたには内証で……』と涙ぐんで、言ひ渋るのであつた。
『イヤ構ふことはない。早くお言ひなさい。何うしたといふのか』
『実は……髪結から聞きまして──お祖師様の傍の三峰山といふ女行者の所へ三郎を連れて参りました──大変よくその祈祷が効くといひますので……』
『ナニ女行者?』と自分も奇想天外なるに少からず驚いた。『何故それを早く言はなかつたのか』
『申訳がございません。申上れば必然お止めなさるだらうと思ひまして、今度ばかりは生れて初めて内証事を致しました。何時見付かつてお叱りを受けるかと真実に此十日ばかりといふものは辛い思ひを致しました……』
『うむ、左様か』と言つて、自分も暫時黙つて腕を拱いて了つた。
段々訊いて見ると、其女行者といふのは本名を石井ふゆと称し、孝信教会といふ看板を掲げて居るが、普通は三峰山といふ名称で通つて居るさうである。もと海軍工廠の職工の女房であるが、いつしか其一種の霊術が呼び物になり、殊に病気直し、当て物等には不思議な力量を具へ、其実例は無数にあるとの事である。『お医者様の方で癒らぬといふのなら、一遍お宅のお坊つちやまも連れて行つて御覧あそばせ』との髪結の勧めに任せ、自分には内証で十日程前にたうとう出掛けて行つたのださうである。
之を聞いた時に、自分は先づ一種の侮辱を感ぜない訳に行かなかつた。いかに子供の病気が不治で困らうが、行者の許に行つて、加持祈祷の如きものを受けようといふ考へは爪の垢ほども起らなかつた。生れ落ちてから四十二歳の当時に至るまで、彼麼ものは全然別世界の人間の為る事位に思つて居た。然るに自分には内証であつたとはいへ、自分の家族が、今女行者の門をくぐる! 実に何ともいへぬ不快な感じであつた。迷信といふ事は人間の弱みに付け込み、恁麼風に其の手を延ばして行くのだらう、などとも考へた。自分の顔は恐らく羞恥の為に赭くなつた事であつたらう。腋の下からはポタポタ汗が垂れた。
が、自分は其時何ういふものか、怒つて妻を叱る気にはなれなかつた。心の底では、加持祈祷などは九分九厘まで駄目なものと決て居たにも拘らず、暫時の後には妻に向つて次ぎのやうな事を訊く丈けの心の落着を有つて居た。
『その女行者は年齢は何歳位か』
『四十八九か五十位にもなるでせう』妻は天下の形勢が案外穏かであるのを見て安心したといふ風に、
『頭髪を切下げにしたお婆アさんで、一寸見た丈けでは別に変つた所はございません』
『三郎の病気に就いて什麼事を言つたかネ』
『不思議な事を申しましたよ。何んでも気管支の上部にソラマメ位の庇があつて、それが癒りかけては磨りむけ、癒りかけては又磨りむける。それで低い熱が出るのださうです。お婆アさんには身体の内部まで透視が出来るらしいのです……』
『それで、其病気は癒るといふのか?』
『ええ、随分治し難い病気だが、神様にお縋りして頼んであげたから、十一月の四日には全治すると申しました』
『本当だらうか』
『請合つた上は一日でも違はないと、そりゃ確い事を申しました。兎に角あなた一遍お出でになつて、査べて戴けませんか』