霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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インフォメーション
題名: 著者:出口王仁三郎
ページ:198
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2016-11-28 01:11:33 OBC :B195301c32
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]写本(成瀬勝勇筆、大正14年3月、大本本部所蔵)
  大本略義
    大正五年九月口述 出口瑞月 口述
 
 
   序
 
 近来(しき)りに「世界改造」だの「理想世界の将来」だのという文句が、漸次(ぜんじ)日本の言論界の流行語と成り掛けた。しかし一般世間から度外視されつつある綾部の大本では、明治二十五年から主として此事(このこと)ばかり呼号して()た。近くは大正六年一月から雑誌「神霊界」を刊行し、引続きて(これ)に関する研究書類をも発行し、大正維新、世界改造の意義等を解説し、三千年来の世人の惰眠(だみん)()ますべく全力を尽した大本は、(すくな)くとも十年余りは一般世間よりも先んじて居る(わけ)だ。霊覚の発達した人、先入的偏見の少き人、誠意に富んだ人達は、既に之によりて動かされ、数十百里を遠しとせずして、陸続綾部に参集し、真面目なる研究と実修との途に()かれた者が尠少(せんしょう)ではない。
 中には()う無意義に近き従来の職務を棄てて綾部に来り住み、白熱的信仰の途に入り、国家人類の()め、神界の為めに献身努力、寝食を忘れて自己の天分を尽さんとして居る。足は未だ一度も霊地を踏むには至らねど、内部の生命に向って一点の霊火をを投ぜられ、参綾の意念勃々(ぼつぼつ)として()み難く、神縁の熟し切って()る方々は、幾百千人に(のぼ)って居るか、(ほと)んど想像に余りあるのである。現在世界の大勢に(かんが)み、一片の至誠ある人なら、此際(このさい)()うしても安閑としては居られない(はず)に成って居る。五年に(またが)りし欧州の大戦は、『大本神諭』の教ゆる通り、昨秋を(もつ)一旦(いったん)落着したものの、此数年の間に起りし幾多の現象は、果して()う解釈して()いであろうか。実に考えれば考える程、身の毛のよだつ様な事が続出して居るではないか。『大本神諭』には、「今度の世界大革正(おおたてかえ)は、罪穢(めぐり)劇甚(ひど)い所、遠い所から始まるから、(その)懲戒(みせしめ)を見て改心せよ」との意を、明治二十五年から繰り返されて居るが、欧州方面の状態を()れば観るほど、げにもと首肯(うなずか)さるる事ばかりである。
 財足り、敵少く、世界の楽隠居を以て任じつつ、淫蕩(いんとう)の甘い空気の(うち)に浸って居たベルギイは、真先きにあの大懲戒を受けた。歌舞文芸の本場を以って(ひと)も許し、(われ)も誇り、肉感肉欲の奴隷(どれい)となり切って、世界の道楽者のあぶく銭を吸収するに全力を尽して居たフランスは、徹頭徹尾、あの苦しい(みじめ)苦楚(くそ)()め続けた。世界最強の海軍国を以て自認し、世界の土地と貿易とを我物顔(わがものがお)に占領して意気傲然(ごうぜん)たりし迄はよかったが、戦争中、敵の潜航艇、飛行機、飛行船の来襲に悩まされ続け、何よりも先ず食糧問題に(つまず)いて、米国の為めに、自己の生命の(かぎ)を握られた気味のある英国は、あれが果して()う成るであろう。殊に印度(いんど)方面の裡面(りめん)の動揺、愛蘭(あいるらんど)問題の欝屈(うつくつ)等、其前途は必ずしも楽観を許さない。露国の無秩序に至りては言語道断。学問万能、武力一点張り、世界征服の夢を見て無鉄砲にも横紙破りをした独逸(どいつ)はあの通りの有様である。最近図に乗りて急に鼻息を荒くし、正義だの自由だの、平和だのという有り合せの鳴物(なりもの)を入れて、実は(あく)まで黄金力、物質力で全世界を(おの)が脚下に蹂躙(じゅうりん)せんとする某国の如き、(その)一挙一動は、独逸よりも余程(よほど)不淡泊で、そして英国よりも一層不躾(ぶしつけ)、無作法である。その爪牙(そうが)は既に欧州方面にも現われて居るが、更に東洋方面に(おい)て一層露骨に現われて居る。支那(しな)、南洋、シベリヤ等、何処(どこ)にもその(きば)()まれ、爪に()かれぬ処はないのだ。
 由来日本人は、二千年来外国文物の吸収を(もつ)て国是とした習慣から、ややもすれば新規なもの、突飛なものを見れば直ちに之に感服し、二流三流以下になると、真に真に(ろく)でもない事物に心酔し、模倣する悪癖がある。現に欧州戦争開始以来の様子を見ても、最近迄、独逸(どいつ)式の軍国主義に敬服し切って居るものが、決して少数では無かった。(また)現在では、米国大統領などの振り(かざ)す看板に釣り込まれて、その提灯(ちょうちん)を持ちたがる学究などが、()お少々見受けられるようだ。吾々(われわれ)は今日から振り返って、吾々祖先の陥った印度心酔、支那崇拝を(わら)うが、今日でも矢張り、長い間の習癖は決して脱け切れては居ないようだ。
 日本が東洋に孤立せる一小島国として、呑気(のんき)に世界の文物の吸収に没頭する事を許されて居た時代には、心酔も崇拝も格別の損害には成らなかった。過去の日本は修学時代の学生の如きもので、其間に何を研究しても、何を模倣しても差支(さしつかえ)えはない。所謂(いわゆる)「多々益々弁ず」であって、要は世界中の()らゆる文物を吸収し、あらゆる事物を理解し、よく(これ)咀嚼(そしゃく)し消化して、他日、独立独行、大成飛躍の素地を築きさえすればそれで()かったのだ。思えば、ほんに気楽なりしは過去二千年の日本の境遇であったが、人間生まれて何時までも親の脛嚙(すねかじ)りをして、学生たることを許されないと同様に、一国民も、(いたず)らに修行、研究、模倣、崇拝ばかりを続けて行く(わけ)には行かない。
 国民自身は、従来毫も気付かずに、地上に於ける一山(ひとやま)百文の人類であると思惟(しすい)して居たが、実は吾々は、世界経綸(けいりん)の指導者たるべき重大責任が(かか)かって居たのであった。かかるが(ゆえ)に、日本人の修業時代が、()くの如く、他の何処(いずく)の国民よりも遥かに長く、又(その)必修科目も他の何れの国民よりも複雑多種であったのだ。活眼を開いて世界を一覧するが()い。何処に、二千年懸りて、東西両洋に(またが)れる形而上(けいじじょう)(ならび)形而下(けいじか)のあらゆる文物を吸収した国民が居るか。これは、決して浮世知らずの御国自慢でもなければ、一時の快を買わんとする大言壮語でもない。歴史が証明して居る。吾々の祖先は先ず支那(しな)の文物を吸収し、次ぎに印度の思想哲学を吸収し、次ぎに欧州の学問文芸の吸収という順序で、今日に及んで居る。これ(だけ)の総過程を修めた国民が、地上何れの所にも無い事は、公平な観察者には直ちに分かる。支那人も最近少しく覚醒して、留学生などを海外に派出するように成ったが、無論()と通り初歩を修めたというに過ぎぬ。欧米人士は、世界の最大知識、世界の先進先覚を以って任じて居るが、実は欧米人士は、ただ自己の国土内に発達した学問文芸の修業者であるという(だけ)で、印度、支那、就中(なかんずく)日本の国土内に起った霊妙深奥な学問文芸等に対しては、全然盲目ではないか。()くの如く、全世界の国民に対する理解と知識と同情とのない者が、全世界を指導するの資格が()るものか。真正の資格が完備して居るのは、(ひと)り神の選民あるのみである。けれども、現在に及んで、いよいよ神国民の修業時代も終結に近づいた。これからはいよいよ世界の表面に立ちて(その)蘊奥(うんのう)を傾注し、世界経綸の大事業に真正面(ましょうめん)から従事せねばならなくなった。日本人がいくら従来の通り引込思案で、親の脛嚙(すねかじ)り下宿住いで我慢して居たくても、ひしひしと四方八面から押し寄せて来る世界の大勢が許さない。四年半越しの欧州の戦乱は一旦落着したようなものの、社会の奥底、人心の根本から(ゆる)ぎ出した世界の大動揺であるから、動き切る迄は()うしても動く。戦争、疫病、天災、内乱、飢餓、一波は万波を生み、一事は万事を(はら)み、動揺を起すべき材料の全滅する迄は決して()まない。言わば、天地の創造の際から規定されたる約束の大動揺である。
 欧州もこれから本気に動き出すが、東洋方面も、無論これから本当に動くのだ。就中(なかんずく)、北米の動き方に至りては、尚更(なおさら)真剣だ。此の間に立ちて、日本独り動かず、超然として成金の夢を見、自然主義の実行を(ほしいまま)にして居る訳には行かぬ。最後には、動いて動いて、動き方にかけても(また)、世界第一であらねばならぬ。
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