日本で書道の大家と云へば小野道風、菅原道真それに弘法大師の三人であるが、三人共まだ拙筆の域を脱していない。その点になると開祖様のお筆先の文字は一見甚だ拙いやうに見えるが、既に愚筆の境地に達した大文字である。二代の書もさうだ。
愚筆の文字は必ず筆の中心が働いてゐる。筆の心で字が書かれてゐる。弘法大師の文字は筆の中心から少し離れたところがある。愚筆の文字は稽古したからと云つて、又書こうと思つて書けるものではない。本当に自我を離れて、自然に筆を動かすやうな境地にならないと書けるものではない。知名の士の書の中に、一見甚だ上手な書を書いてゐる人があるが、大抵は技巧が上手な丈で愚筆の境地からは甚だ遠いものが多い。