自称武甕槌命は威儀儼然として、審神者を眼下に見おろしながら命令を下すのであつた。
『浅野はまだ鎮魂の修業が十分でない。この方がこれから鎮魂をしてやる。ねむれ!』
『私を鎮魂してやると仰しやる?』
『さうだ!』
自分はこの数日、他から鎮魂して貰ふことが出来ぬのが不平でならなかつた。他人を鎮魂してやるばかりで、自分の修業がまるで出来ない。何といふ割の悪い役割に当つたものであらうと思はれてならなかつた。所が今思ひもかけず、自分の製造した神憑者から、鎮魂をしてやると言はれたのだから、聊か無気味な話ではあつたが、他方に於て『占めた!』と歓ばざるを得なかつた。たうとう言はるるままに審神者の自分が眼をつぶつて坐り、そして宮沢君が神懸り状態に於て自分を鎮魂するといふ奇現象を呈するに至つた。譬へて見れば裁判官と罪人とが位置を顛倒したやうなもので、裁判官が、アベコベに罪人から審判さるる事の不合理であると同様に、審神者が神憑者から審判さるるといふ事は不合理なのである。この不合理を平然として実行して、しかも内心好機会を捕へ得たと喜んだのであるから、お目出度いといはうか、阿呆らしいと言はうか、実に言語道断の沙汰なのである。
しかし天狗さんは一所懸命、力一ぱい、勢一ぱいの努力をこの鎮魂に払つて呉れた。真紅になつてウンウン霊をかけて、時々大きな声で呶鳴りつける。
『浅野、何故さう種々の事を考へるか! 鎮魂にならん!』
まるで、平生の穏かな宮沢君の声とは似てもつかぬ、権柄づくの声である。人格がすつかり変り切つて居る。それを眼のあたり見るにつけても、自分の頭脳の中はつくづく憑霊現象の微妙不可思議なる事を考へずには居られなかつた。かくて考へは考へを孕み、思想は思想を誘ひ、無念無想どころの騒ぎではなかつた。所が、それが天狗さんに感応するものと見えて、二三十分間坐つて居る間にも数回叱言が出る。ツイ可笑しくなるので微笑を浮べると、先方では益々怒ると言つたやうな有様、第一回の鎮魂はたうとう可い加減に終つて了つた。
けれども天狗さんは容易に匙を投げない。二度、三度、五度と幾晩かに亘つて根気よく同一事を繰り返して居る中に、次第々々に効果が現はれて来た。多分第七回目か第八回目かの時かと記憶する。顕着なる変化が自分の身に起つて来た。先づ組める両手が全く感覚を失つて了つた。やがてそれが腕に及び、胴体に及び、足に及び、総身は全く其存在を失つて、さながら空中に浮べるが如く、畳の上に坐つて居るやうな感じなどは何所にもなくなつた。が、肉体の感覚の、かく蕩尽さるるに反し、不思議にも頭脳の中はさえにさえて、木の葉一枚、針一本動くのも聞き逃し、見逃すことは出来ぬまで透明照徹の状態に齎された。『うむ、これが禅坊主などの覗つて居た境涯だナ』自分の頭脳はしきりに働く、『面白いものだ、まるで身体の所在地は判らない。自分の頭部が何所にあるかもはつきりせぬ。そのくせ自分は立派に存在し、何所かで自己の肉体の無感覚になつたことを客観して居る。この分なら今晩はうまく行きさうだ。そろそろ神の姿も拝することが出来るかも知れぬ……』
すると此時不図自分の眼の裡に、一種の変化が起りつつあるのに気がついた。閉ぢたる眼の裡が妙に明るく且奥深く感ずる。最初は赤や紫などの色が勝つて居たが、だんだんそれが蒼ずんで来た。例へば波しづかなる青海原、但しは晴れわたれる秋の夜の空を連想せしむる感じである。自分の注意は自づと眼の方に集注された。その状態が何秒つづいたのか、又何分に亘つたのか自分には判らない。忽然として、その蒼碧の雰囲気の裡に一箇の人の姿が現れた。
『オヤツ!』
且驚き且怪しみ、自分は一心に其方を見つめた。距離は自分と約一間許り離れて居る。身には衣冠束帯をつけ、やや斜に、自分と向きあつて立つて居るが、しかし俯目勝にして居るので眼と眼とは合はない。年齢は先づ五十有余、豊頬にして長髯、畏れ多い話だが、ちらと見た瞬間の第一印象は○○の大宮様かと思はれたが、よく見ると大分違つて居るのを発見した。少しづつ動いて居る。
『これが神霊かな……』
といふ考へが自分の頭脳に電火の如く閃く。
『何誰の神霊かしら?』
とつづいて疑問が起る。何れにしてもよく見て置かうと思ふ瞬間に、烟の如く其姿は眼底から消え失せて了つた。其出現の時間はよくは判らぬが一分か二分でもあつたらう。
鎮魂を終つてから自分は天狗さんに、今見えた神様の誰なるかを質問すると、大喝一声、
『汝の守護神ではないか!』
自分が己の守護神をかくゆツくり拝したのは実にこれが最初であつて、又最終であつた。