『まアまアまア御親父さん、お鎮まりください。たださう昂奮しても仕方がない──又宮沢君……イヤ宮沢君の御守護神もそれでは余りに大人気ない。判らぬ人間を相手にして御怒りになられても詰らん。先づお坐りください』
審神者だか、喧嘩の仲裁役だが判らぬ自分の役割、随分弱り果てたが、それでも兎も角もなだめつ、すかしつして二人を坐らせる丈けは坐らせた。双方しばらくは、気息をはづませて、反身になつて眼ばかりギロギロ。
この無言劇がものの十分間も続いたらう。漸く天狗さんの方から言葉を切つた。
『さてさて人間といふものは訳の判らんものだ。止むを得ない、この方が予言をしてやる。そんな事で宮沢の親爺も段々悟つて行かんければ可かん。』
『予言?』と親爺さんはまだ鼻の先であしらひ気味だ、『それが出来れば大したものだ……』
『イヤ確に出来る! やつて見せてやる!』
『什うだか……』
『まだ疑ふか、無礼千万な!』
無言劇から又も立回りの活劇に変じさう。自分はあわてて傍から口を添へた。
『御親父さんも、只さうあたまから仰しやるのは面白からぬことと思ひます。予言をやるといふ以上、一度それを御聴きになるのが正当と思ひます。あなたには神憑りといふ事がお解りになつて居ない。只今言葉をきいて居るのは宮沢君ではない、宮沢君の肉体を使つて居る神様なのです。どうぞ其おつもりで聴いてください──神さんの方でも、この際しツかり神力を見せていただきたい。さもないと人間は誰も信仰は致しません』
『さうですさうです』と親爺さんも初めて相槌を打つ。『私だツて徒らにただ反対するのではない。是は不思議だ、有難いと思はるる事を眼前見せられるなら、歓んで信じます。ただ伜のやうにイキなり乱暴なことを呶鳴るのでは、到底信仰どころの話ではありません。以ての外の振舞です』
『よし判つた判つた』と天狗さんは案外軽く出た。『誰でも早く申し出るがよい。何なりと教へてつかはす』
何を注文すべきかにつきては自分達も一寸当惑した。宮沢老大人は些し考へて、
『それぢや○○の病気は癒るか癒らぬか、又癒るなら何時までに癒るか、はツきりした返事をききたい』
何んでも親戚の病人のことらしかつた。天狗さんは、
『むむあれか、あれは……』と一寸間を置いて、『あれは癒る。二十五日目には神が床を離れるやうにしてつかはす』
自分は又自分で取敢へずヴエルダンの要塞戦の結果を質問した。当時独逸皇太子軍は、其全力を挙げてヴエルダン要塞に肉薄し、新聞の外国電報も其記事で埋もれて居た。勝敗の数はこの一戦によつて決するといふ程のもので、天下の耳目は之に集中して居た。
『いかがでせう、ヴエルダンは今度陥落しませうか?』
『ヴエルダンか、むむあれはモウ神界で運命がきまつて居る』と、天狗さんは、さも神界の参謀本部長と言つたやうな口吻。『あれは陥落する』
『何時頃陥落しますか』
『時期か……』と少々言ひ淀んで居たが、『陥落の時期は来月の十六日だ』
『六月十六日ですナ』
『むむさうだ』
『発表しても差支はありませんか』
『発表か、一般に発表するのは可かんナ。しかし海軍部内の同僚とか少数の友人間位なら差支ない』
『六月十六日といふと』と宮沢君の親爺さんは傍から口を挿んで、
『かれこれ、まだ一と月も将来だ。其れが立派に的中すれば私も信仰するかも知れませんが、それまでは信仰するでもなく、せぬでもなく、当分形勢観望、局外中立といふことにしませう』
至極尤もなことを言はれたので、信仰問題は当分お預かりといふ事になつた。天狗さんも断念たものと見え、それなり引込んで了つた。霊が引込めば人間の宮沢君は穏かなもので、親に喧嘩を売るどころか、極めて謹直な態度である。
『イヤどうも発動して来ると、とても抑へ切れないから弱つて了ふ。僕がやつて居るのでも何でもないのに、お父さんが混線して怒るものだから実に困る』
宮沢君の家族の人達も、平生の通りの宮沢君に接したので大に安心した。宮沢君はその晩から自宅に泊ることとなつた。自分は暫時雑談の後、十一時頃単身で帰宅した。
『甘くこのままで落ちつけばよいが……』自分の胸の底にはまだ八分の懸念が残つて居る。