第一㈠ 被告人王仁三郎は前記亀岡町天恩郷に於て、
㋑ 昭和七年六月三十日前記霊界物語第六十巻の再版を発行するに当り、其の第四二七頁以下に「天の岩戸開きが段々と近寄りたから是までの如うな事には行かんから一か八かと云ふ事を悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の番頭のフナフナ腰では兎ても恐がりてコンナ事を書いて見せて遣るだけの度胸はありは致すまいなれど、神の申すやうに致したら間違は無いぞよ。一の番頭の守護神が改信が出来たら肉体に胴が据わるなれど到底六ケ敷いから、今に番頭が取替へられるぞよ。もう悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひに致すぞよ」なる天皇を称するに「悪の頭」なる語を用ひて退位を暗示したるが如き記事。
㋺ 同年十月三十日同物語第七巻第三版を発行するに当り、其の第六一頁に「月の光昔も今も変らねど 大内山にかかる黒雲」なる皇室に不祥事あることを暗示するが如き短歌。
㋩ 昭和八年四月十日同物語第三十八巻第四版を発行するに当り、其の第九四頁に「千歳経し聖の壺も地震の荒びに逢はばもろく破れむ」「つがの木の弥つきつきに伝はりて 宝の壺もひびぞ入りぬる」なる皇統の危機を暗示するが如き短歌。
㋥ 同年六月十日同物語第六十一巻大本讃美歌上の巻第四版を発行するに当り、其の第一九七頁に「現世の君より外にきみなしとおもふ人こそ愚かなりけり」なる天皇と対等者あるを暗示するが如き短歌。
㋭ 昭和九年十二月二十五日同物語第十巻第三版を発行するに当り其の第二八五頁に「日の光昔も今も変らねど 東の空にかかる黒雲」なる皇室に不祥事あることを暗示するが如き短歌。
㋬ 昭和十年四月一日前記瑞祥新聞第二四一号を発行するに当り其の第八頁に「邪鬼は世界中を自由自在に荒廻りて斯世を乱さうと掛りて居るから、八頭八尾大蛇は露国の土地に育ちて唐天竺までも混ぜ返し、其の国の王の身魂を使うて色々と体主霊従の仕組を致して終には、其国の王まで苦しめて世に落し、露国と独逸の王を亦道具に使うて同じく其王を苦しめて世に落し、悪魔は蔭から舌を出してまだ飽き足らいで大海を越え更に仕組を致して最後には日の本へ渡りて来る悪い経綸を致して居るが、道具に使はれる肉体は真に気の毒なものであるぞよ。今に神国へ手を出したら亦露国や独逸の大将のやうに落ちて苦しむが、神は世界の人民が可哀相なから三千世界の総方の守護神に地の高天原から気を注けてやりて居るなれど、余りの甚い曇りかたであるから、ちつとも理解が出来ぬから残念乍ら目に物見せてやらねば改心させて助ける方法がないから、是からドンナ事が出て来るかも知れんから、世界中の守護神に重ねて気を附けてあるぞよ」なる天皇を称するに「道具に使はれる肉体」なる語を用ひて、其の施政を誹謗するが如き記事。
㋣ 昭和九年十一月九日昭和十年日記を発行するに当り其の第三四七頁の欄外に「言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ 山河海の神もなげきて」なる天皇の施政を誹謗するが如き短歌を掲載せしめ以て天皇に対し不敬の行為を為し、
㈡ 被告人重雄は早稲田大学英文科を卒業し、中学英語教師台湾総督府商工課嘱託と為りたる後、東京市所在の極東書院に雑誌編輯員として勤務し居りたるものにして、相次家庭の不幸に精神的打撃を打けたる際大本の存在を聞知し、大正九年六月初旬前記綾部町本宮に赴きて神霊の実在等に関する講話を聴き且鎮魂帰神の実習を受くるや深く感動し、直に入信して奉仕生活に入り爾後大日本修斎会出版局編輯員、霊界物語筆録者、大本瑞祥会長、天恩郷宣伝課長、特派宣伝使、皇道大本本部海外宣伝課長、同編輯課長、同教務部次長、大宣伝使、昭和神聖会参議等に歴任したるものなるところ昭和九年十二月以降翌年四月迄前記亀岡町天恩郷内皇道大本本部に於て出版発行したる、昭和九年十二月二十五日発行第三版霊界物語第十巻の編輯者、毎月定時発行の機関新聞紙、翌年四月一日発行第二四一号瑞祥新聞の編輯人として之が編輯を為すに際し、
㋑ 昭和九年十二月二十五日頃右霊界物語第十巻第二八五頁に前示第一の㈠㋭掲記の如き皇室の尊厳を冒涜する短歌を掲載して出版し以て天皇に対し不敬行為を為すと共に出版法違反の行為を為し、
㋺ 翌年四月一日頃右瑞祥新聞第二四一号第八頁に前示第一の㈠㋬掲記の如き皇室の尊厳を冒涜する事項を掲載して発行し以て天皇に対し不敬の行為を為すと共に新聞紙法違反の行為を為し、
㈢ 被告人助三郎は実父の大本入信に因り一家相亜ぎ入信したる為其の感化を受け且身体虚弱なりしより夙に信仰生活を渇望し居りたる折柄、大正十二年の関東大震災に感動を受け同年九月石川県立第二中学校を中途退学の上綾部に赴き大本に入信し奉仕するに至りたるものにして、其の後亀岡天恩郷に於て皇道大本本部編輯課員として大本刊行物の編輯事務に従事中前記機関紙瑞祥新聞の事実上の編輯担当者として右新聞昭和十年四月一日発行第二四一号を編輯するに際し其の頃同新聞第八頁に前示第一の㈠㋬掲載の如き皇室の尊厳を冒涜する記事を掲載して発行し以て天皇に対し不敬の行為を為すと共に新聞紙法違反の行為を為し、
第二 被告人与之助は農業を営み居りたるものなるが大正十年頃以来胃病を患ひ病弱の身と為り更に昭和四年頃右顎に肉腫を生じ困憊し居りたる際、大本信者石田卓次より大本神を信仰祈願せば如何なる難病も治癒する旨告げられ、翌年三月下旬病気治癒の目的を以て亀岡天恩郷に至り、一週間の修業を為し神徳に感動して直に入信し其の後宣伝使試補、准宣伝使等と為り、昭和七年一月頃大本伊豆別院管事安藤唯夫より所謂十二段返の歌と称し「いまのてんしにせものなり」なる文献を詠み込みたる歌詞を説示され、且其の後同年十二月頃迄の間に同人より筆先及大本教旨等の解説を受くるに及び被告人王仁三郎か神の命に依り世界を統一し其の統治者となるものなりと盲信するに至りたるものなるところ、
㈠ 昭和七年八月頃静岡県榛原郡吉田村神戸鈴木ツネ方に於て同人に安藤唯夫より貰ひ受けたる十二段返の歌と称する縦横十二の仮名文字より成り、其の第八段目に左より右に「いまのてんしにせものなり」と記載しある不敬文書を閲読せしめ、
㈡ 同日同県小笠郡佐倉村志光事植田太一方に於て同人及小原トキヱに対し右不敬文書を閲読せしめて、其の意を説示し、
㈢ 翌年八月頃浜松市寺島町井口太郎吉方に於て同人及被告人仙蔵、由太郎等に対し右不敬文書を閲読せしめて、其の意を説示し以て天皇に対し不敬の行為を為し、
第三 被告人由太郎は静岡県立見付中学校第二学年を中途退学し左官職を為し居りたるものなるが、両親の宿痾快癒せず困憊し居りたる折柄、大本信者木野某より大本神を信仰祈願せば如何なる難病も治癒する旨告けられたる〔に〕より、昭和七年七月頃右病気治癒の目的にて亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上直に入信し、爾来大日本武道宣揚会中泉支部長、宣伝使試補等を為し居りくるもの、
被告人仙蔵は浜松市に於て尋常小学校卒業後鉄工見習となり肩書住居に於て織機附属品の製造業を経営し居りたるものなるところ、実兄一雄が精神病者と為り、之が治癒に焦慮し居りたる際義兄武田福八より大本に於て病気平癒の祈願を為し居る旨聞知し大本信者染葉某より之が祈祷を受け更に同人等の勧誘に因り、昭和六年十月頃前記天恩郷に至り一週間の修業を為したる上入信し、其の後大日本武道宣揚会浜松支部長宣伝使試補等を為し居りたるもの、
被告人徳太郎は静岡市私立実践商業学校第一学年修了後錻力職を為し居りたるものなるが、昭和六年満洲事変勃発後非常時局の声高かりし際偶大本信者杉山某より、該事変も大本に於て主張せる立替立直に関係するものなる旨大本の主義主張を聞知して、其の所説に共鳴し且其の頃家庭問題にて煩悶し居りたるにより、信仰に依り之を解決すべく同人の勧誘に因り昭和八年二月頃前記亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上入信し、其の後大日本武道宣揚会助手、東海主会愛知県聯合会豊橋東光支部長等と為り居りたるもの、
被告人弘は肩書住所に於て農業を為し居るものなるところ肋膜炎を患ひ大本信者木野某より御取次と称する祈祷を受け快癒するに至りしより、大本神の御陰に因るものなりと信じ、且同人の勧誘に因り昭和五年七月頃前記亀岡天恩郷に到り一週間の修業を為したる上入信し、其の後宣伝使試補と為りたるものなるところ、
右被告人四名は何れも入信後井口太郎吉及藤原章雅と共に先輩信者たる被告人与之助の指導を受け居りたるものにして、同被告人より前示十二段返の歌/解示を受け或は筆先等の不敬なる解説を受くるに及び大本の根本目的は被告人王仁三郎に於て世界を統一して、其の統治者となるに在りと盲信するに至り、昭和十年九月七日被告人由太郎の当時の止宿先なる名古屋市南区千年平畑、富田滝三郎方に会合し王仁三郎に対し皇道大本の根本目的を認識し、其の目的達成の為献身的活動を為し居ることを表明せんことを相謀り同所に於て大本文献の記事を参酌引用して、大本の主義主張を称揚すると共に天皇陛下は御退位になり、聖師と仰ぐ王仁三郎に於て皇位に即くべき目の近きにある趣旨を表明せる「聖師登極の日近し」なる文詞を記載し六名連署の王仁三郎宛の不敬文書を作成し、翌八日右六名相携へて亀岡天恩郷透明殿に到り同所に於て王仁三郎に該文書を手交し以て天皇に対し不敬の行為を為し、
第四 被告人愛隣は岡山県私立閑谷黌第二学年を修了し、造化、小間物、盆製造業等を営み居たるものにして、病気治癒の目的を以て大正八年四月頃大本に入信し爾来正宣伝使、大本幹事、大本瑞祥会山陽分会長、皇道大本岡山分所長等に就任し居りたるものなるところ、昭和九年五月頃被告人肩書居宅なる岡山分所に於て藤津進より縦横各十二の仮名文字より成りその八段目に左より右に「いまのてんしにせものなり」と記載しある不敬文書の提示を受け知合の信者に示す為之を写取りて所持し以て天皇に対し不敬の行為を為したるものなり。
被告人王仁三郎、重雄、与之助、由太郎、仙蔵、徳太郎及弘の各不敬の所為は夫々意志継続に係るものとす証拠を案ずるに判示冒頭の事実中大本の発端より昭和十年十二月上旬迄の経緯に関する事実並大本主祭神、大本教典、同補助教典、大本主張の根本目的みろく神政成就を必要とする理由に関する大本教説並被告人王仁三郎の国常立尊及素盞嗚尊の顕現霊代関係に関する事実は被告人王仁三郎の当公廷に於ける同趣旨の供述に依り之を認め、大本文献には敬神勤皇愛国を高調せるもの多々あるに拘らず、不敬と解せざるを得ざるが如きもの尠からす、為めに信者中に不敬思想を懐く者を生ずるに至りたる顛末に付きては、後記判示第一乃至第四認定の証拠及治安維持法違反事件の説示を綜合して之を認定し、
判示第一の㈠乃至㈢の事実は、
一、被告人王仁三郎の当公廷に於ける私が判示第一の㈠㋑乃至㋣の作歌及神諭を同判示各著作物又は新聞に掲載して発行頒布せしめたることは相違なき旨の供述、
一、被告人王仁三郎に対する予審第五十一回訊問調書中、私は昭和七年六月三十日に亀岡町の大本本部に於て北村隆三其他の天声社の係員をして第四百二十七頁以下に判示第一の㈠㋑記載の如き記事を掲載せる霊界物語第六十巻の再版を天声社より発行せしめたり、右記事は神諭天之巻第九十九頁にある神諭の字句を私が数箇所訂正して掲載せしめたるものにて、右記事中の「悪の頭」とあるは天皇陛下のことを指して申したるものなり、
又同年十月三十日に右同所に於て桜井重雄其他の天声社の係員をして、第六十一頁に私の作りたる判示第一の㈠㋺記載の如き短歌を掲載せる霊界物語第七巻の三版を天声社より発行せしめたり、此短歌は日月の光又は撞の大神の威光は昔も今も変り無きも現御皇室には黒雲がかかり居るとの意味にて、御皇室に凶事の起ることを暗示して詠みたる歌なり、
又昭和八年四月十日に右同所に於て桜井重雄其他の天声社の係員をして第九十四頁に私の作りたる判示第一の㈠㋩記載の如きに首の短歌を掲載せる霊界物語第三十八巻の第四版を天声社より発行せしめたり、右短歌中前者は千歳経し金甌無欠の御皇室も地震に会はば脆く破れると云ふ意味を暗示したるものにて、後者は皇統連綿と伝はりたる御皇室にもヒビが入りたりと云ふ意味を暗示したるものにて、恐れ多きことなるが御皇統の断絶を暗示したる短歌なり、
又昭和八年六月十日に右同所に於て北村隆三其他の天声社の係員をして第百九十七頁に私の作りたる判示第一の㈠に記載の如き短歌を掲載した霊界物語第六十一巻の第四版を天声社より発行せしめたり、右短歌は日本の天皇陛下の外には天皇陛下はないと思ふて居る人は愚な人なりと云ふ意味にて、其の反面に於て天皇陛下の外に私が存在して居ると云ふ事を暗示したるものなり、
又昭和九年十二月二十五日に右同所に於て桜井重雄其他の天声社の係員をして第二百八十五頁に私の作りたる判示第一の㈠㋭記載の如き短歌を掲載せる霊界物語第十巻の第三版を天声社より発行せしめたり、右短歌は太陽の光は昔も今も変らぬが、御皇室には黒雲がかかり居る、従つて御皇室に凶事が起ると云ふ意味を暗示して詠みたる歌なり、
又私は昭和八年三月頃大本の機関紙瑞祥新聞の編輯人桜井重雄及天声社の編輯係員に対し、同年四月一日以後に発行する瑞祥新聞に掲載する神諭は編輯係の者をして神霊界に掲載したる神諭中より選択せしめ、其の選択した神諭のゲラ刷を私の所へ持ち来させ、私が其の神諭を瑞祥新聞に掲載する事を承認した上同新聞に掲載させ居りたるものにて、昭和十年四月一日発行の瑞祥新聞第八頁に判示第一の㈠㋬記載の如な記事を神諭名義にて掲載発行せしめたり、右記事中に「道具に使はれる肉体」とあるは天皇陛下の御事を指したるものにて、此記事は恐れ多きことなるが日本の天皇陛下を没落したる印度の王、支那、露西亜及独逸の皇帝に対比し、日本の天皇陛下の御退位を暗示したるものなり、
又私は昭和八年頃に判示第582一の㈠㋣記載の如き短歌を作りたり私の作りたる歌は天声社にて整理させて、大本発行の書籍、新聞、雑誌等に随時掲載発表することを私に於て承諾し居りたるものにて、昭和九年十一月九日に天声社より昭和十年日記を発行する際私の作りたる同短歌を同日記の第三百四十七頁の欄外に掲載して発行したるものにて、右短歌は現御皇室の統治せられて居る此の世の中は忌々しいと云ふ意味を暗示したるものなる旨の供述記載、
一、被告人出口王仁三郎事件の押収証第三、五五一号霊界物語第六十巻に判示第一の㈠㋑
同証第一、九五六号同物語第七巻に判示第一の㈠㋺
同証第一、九五〇号同物語三十八巻に判示第一の㈠㋩
同証第三、四〇三号同物語第六十一巻大本讃美歌上の巻に判示第一の㈠二
同証第四、一六〇号同物語第十巻に判示第一の㈠㋭
同証第四、二二七号昭和十年四月一日発行第二四一号瑞祥新聞に判示第一の㈠㋥
同証第四九五号昭和十年日記に判示第一の㈠㋣記載と同一の記事及短歌の記載あり
右記載が夫々判示の如き趣旨を含むものなることは行文上明なり、加之同証第一、二六四号大本神諭天之巻第九九頁同証第一〇一号、瑞祥新聞昭和八年七月一日号第三二頁に依れば判示第一の㈠㋑は天之巻に「云々是までの如うな事には行かんから一か八かと云ふ事を向ふの国の悪の頭に書いて見せて置くが良いぞよ。今の日本の番頭のフナフナ腰では云々」と在りしを判示の如く書き改め更に其の後瑞祥新聞に「云々一か八かと云ふ事を向ふの国の悪の頭に書いて見せて云々」と訂正掲載しあり、是に由り之を観れば判示「悪の頭」が天之巻記載の意味とは異なり読者をして不敬の趣旨を含むものと解さしむるに至りたることは、王仁三郎等幹部に於て既に已に知了し居りたることを認め得べく、王仁三郎は当公廷に於て判示第一の㈠㋩の短歌二首は真言宗の本山に罅が入り、本当の精神なしとの趣旨なりと供述すれども其の次に「曲神は天と地とにみちとせの夢は破れん、夢の世の中」なる一首掲載せられあるにより之を観れば右供述は弁解に過きざること明なり、前掲霊界物語第六十一巻大本讃美歌上の巻百九十六、七、八頁に依れば判示第一の㈠に記載の短歌は十首の聯歌の一にして其の前後の歌詞より推考すれば、判示短歌の「きみ」は救主又は岐美にして救世主と解せらる、
而して王仁三郎が大本に於て救主、救世主と称へられ居りたることは被告人吉三郎の当公廷に於ける王仁三郎を救世主と申し居りしも、夫れは同人の別名には非る旨の供述、同証第三六三号神の国創刊号、道の栞(裏の神諭)第七六頁「日本は真の天国なり、神の楽園なり故に救主現はる往古は速須佐乃男命瑞の霊に由りて、天つ罪国つ罪許々多久の罪を贖なひ玉へり、今や又々瑞の霊は救主として下土に降れり瑞の霊の救主たる事を知る者は限り無き権力と平安とを与へらるべし、只信ぜよ人心小智の疑ふも及ばざる所なり」同第八〇頁「吾に従へ、吾を信ぜよと云ふ者は栄枯死生ある所の五尺有余の肉体にあらず、其の肉体に宿する瑞の霊の言なり、吾は救世主なりと呼ぶ者又同じ」「王仁自ら吾は救主なりと曰へる事あり、之れ肉体の王仁にあらずして神人感応したる時の言辞なり、自ら神なり、救主なりと呼ぶ者は本気の沙汰にあらず、されど吾が体の中に天使の霊憑り玉ひて教へらるるなり、故に吾言は神なる事あり、人なる事あり、誤解する事なかれ」との記事に依り明なるを以て判示短歌は王仁三郎が皇統と対等の地位にあるが如き趣旨を含むものなることを認め得べく。
一、被告人重雄の当公廷に於ける判示第一の㈡冒頭記載と同旨の供述。
一、同被告人に対する予審第十六回訊問調書中私は昭和七年八月より皇道大本編輯課長として、京都府南桑田郡亀岡町天恩郷内、皇道大本本部編輯課に於て大本関係の単行本雑誌及新聞の各編輯事務に従事中出版法に依り出版したる霊界物語第七巻第三版、第十巻第三版、第三十八巻第四版の各編纂者となり、又新聞紙法に依り発行したる瑞祥新聞の昭和九年九月一日号、昭和十年三月一日号、同年四月一日号の各編輯人となり編輯発行したり、右霊界物語第十巻第三版二八五頁に出口師作の判示第一の㈠㋭記載の如き和歌が掲載しあり、之は東都に不祥事が起ると云ふ事を黒雲がかかると云ふ言葉にて表はしたるものにて、御皇室が没落されることを暗示したるもの、右新聞昭和十年四月一日号八頁に判示第一の㈠㋬記載の如き神諭掲載しあり、此中「道具に使はれる肉体」は恐れ多くも陛下に当るので全体の意味は結局、日本の御皇室も露国や独逸と同様の運命に陥られると云ふ事を暗示した不敬な文句にして、以上不敬な和歌や神諭を掲載することに付ては皇道大本編輯課長として実際其の編輯に当り居りたる為当初より其の和歌や神諭の内容及意味を知り居りたり、右瑞祥新聞に載せたる神諭は既に神霊界に発表されたるものの内、神諭類纂に纒めたるものより順次抽出発表したるものにして夫れに付き出口師に伺を立てたるところ出しても宜敷いとの許可を得たる為、其の後昭和八年四月より瑞祥新聞に掲載したるものなる旨の供述記載。
一、同被告人の当公廷に於ける霊界物語の編輯手続は普通王仁三郎より私の方へ原稿が廻ると、私は夫れを一通り見て単行本主任に廻し、同主任は原稿に活字の号数を入れて印刷部に廻し印刷部にてはゲラ版を単行本主任に廻し、同主任は夫れを私の方に廻し来り、私は誤の有無を調べ校正の上時に王仁三郎に見せ、印刷に廻し、印刷が出来上ると王仁三郎に差出し当局に届出て居りたり、再版以後の場合は王仁三郎に話すこともあり、旅行中の場合等は予め私に再版にすることを許され居りたる為、誤植等を訂正して再版に為し居りたるも本件が起る一年程前からは再版以後にても必ず見せよと云はれたる為夫以来必ず見せ居りたり、雑誌、新聞の発行手続は編輯の方にて膳立して原稿を貰ひ夫れを私の方で見て編輯の方へ廻し、其処で活字の号数を入れて印刷の方へ廻し居りしものにて、出来上りたるものは必ず王仁三郎に差出し当局へ届出て居りたり、私は編輯者として判示第一の㈡㋑㋺記載の短歌や記事を夫々同判示の霊界物語や瑞祥新聞に掲載したることは相違なき旨の供述。
一、被告人助三郎は当公廷に於ける判示第一の㈢冒頭記載と同旨の供述、
一、同被告人に対する予審第十一回訊問調書中瑞祥新聞の編輯より発行迄の経過は同新聞の大半を占め居る神諭は、亀岡本部編輯課備付の大本神諭類纂より予め課長の承認を得て私が適当な部分を原稿用紙に写し取りて原稿を作り、神諭以外の記事は私が王仁三郎及日出麿の旧著述中より適宜選択抜萃して原稿を作り、一般信者投稿の原稿等と組合せ、之を課長の手許に廻し其の承認を得た上天声社の印刷工場に廻し、印刷工場より其のゲラ刷を編輯課に廻し来り、私が之を校正し課長の承認を得た上工場の方へ本印刷に下げ、印刷が出来上ると二部編輯課に納むることとせり、私が全責任を持ち此の編輯を担当し居りたるものにて桜井重雄は昭和十年十二月本件検挙当時の編輯課長にて昭和七年春頃より、編輯課に来り居りたる様に思ふ旨の供述記載、
一、同第十二回訊問調書中昭和十年四月一日号瑞祥新聞は私が前述の如き方法順序にて編輯したるものにて同新聞七頁以下の、大正八年一月十九日付神諭中の「邪鬼は世界中を自由自在に荒れ廻りて云々」の中には「道具に使はれる肉体」と云ふ不遜不逞な言葉を以て畏くも天皇陛下の御事を暗示し居るものなる旨の供述記載
一、同被告人の当公廷に於ける私は昭和九年一月より本件検挙迄瑞祥新聞の事実上の編輯担当者として判示第一の㈢記載の如き記事を掲載したることは相違なき旨の供述
一、被告人浜中助三郎事件の押収証第九号昭和十年四月一日発行瑞祥新聞第二四一号中判示第一の㈢掲記の如き記事を綜合考覈して之を認定し、