霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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控訴審判決書(5)

インフォメーション
題名:控訴審判決書(5) 著者:
ページ:585
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-06-16 00:41:19 文字数:9976 OBC :B195503c220605
 判示第三の事実は、
 一、被告人由太郎、仙蔵、徳太郎及弘の当公廷に於ける判示第三冒頭記載の各自の学歴、経歴、大本入信の動機及大本役職に付夫々同旨の供述、
 一、被告人由太郎に対する予審第五回訊問調書中、昭和七年暮頃のことと思ふが、私は静岡県志太郡焼津町の大本信者中野与之助と知合になりたり、中野は其後毎月一回位の割にて私の知合の浜松市寺島支部長井口太郎吉方や同市元目町の武田仙蔵方に来り二、三日乃至十日間位滞在して十数名の大本信者や未信者に対し、大本の話を致し尚熱心な信者等は話の後も居残り中野の話を聞きたり、昭和八年七、八月頃多分浜松の井口太郎吉方なりしと思ふが平素通り座談会の後にて中野は、私や井口の前に平仮名にて十二字で出来て居た歌を十二行書並べたるものを出して読み見よと申すに依り、私は右の紙片を読みたるに更に歌の様なものが書きありて、右の十二の歌の第四段目を右の方より読み見るに「あやべにてんしをかくせり」と読まれ第八段目を左から読み見るに「いまのてんしにせものなり」とありて私は右の歌を読みて、大本にては予て立替立直と申し世界の大改革が行はるることを予言し居り、又現代は体主霊従と申し物質文明が盛に行はれ人心は非常に堕落して所謂弱肉強食、優勝劣敗の世となり乱れ居るが、国常立尊や素盞嗚尊の統治される国は霊主体従にて世の中には争もなく、人々は平和幸福に暮すことが出来る様になると申し居るのは、即ち我国の現御皇室が我国を治めて御在てになることは間違にて、出口王仁三郎が本当の我国の天皇として我国を治め行かねば我々が幸福に暮す世にならぬと申し、出口王仁三郎が現御皇室に代りて我国を治めることになるのが大本の所謂立替立直の事なることが判りたり、而して出口王仁三郎が真実の日本の天皇となるべき人なることが判りてより、大本の筆先を読み見るに段々筆先に書きあることが判り始め更に大本の話や大本の書物を読むに従ひ、一層大本の根本目的も明かとなり来りたり、御示しの被告人中野与之助に対する押収証第一号は私が昭和八年七、八月頃浜松市寺島支部長井口太郎吉方にて中野与之助より見せ貰ひくる十二段返の歌と同様のものなり、私は予め中野よりお筆先や霊界物語に書きあることは普通人には判らぬと聞き居りたる処、右の歌に依り大本の一厘の仕組を知りたる次第にて当時は非常に之を喜びたる旨の供述記載、
 一、被告人徳太郎に対する予審第五回訊問調書中、昭和八年十月頃浜松市地方の大本信者井口太郎吉、武田仙蔵、竹原弘、関由太郎等と知合となり、其の後も時々会合し段々親密になり、昭和九年五月頃には浜松市寺島町井口太郎吉方又は同市元目町武田仙蔵方にて開かれた座談会に出席致す様になり、右座談会に於ては静岡県焼津町の信者中野与之助が中心となりて浜松市附近の信者を集めて大本の話を断片的に致し呉れたり、其の頃私は中野与之助より
 ㈠大本にては⦿と書きて之をスと読ますとは統治即ちスベル事にして、出口王仁三郎が素盞嗚尊の顛現者として主神であり、将来は日本の天皇になり、後には世界を統一して世界の王になるものなること、
 ㈡王仁三郎の拇印は⦿の形を為し、又王仁の王字の上に天の一霊が落ちて主仁となれば之即ち主人となる事、
 ㈢主師親の三徳は世界の天皇となるべき資格ある人の具有する三徳にして出口王仁三郎は世界の救世主として、主師親の三徳を具へて居る事、
 ㈣大本にては現代を称して大の字逆様の世と申し、大とは之を分解すれば一人となり一人とは上御一人即ち天皇の意なる故、真に天皇の位に立つべき者が臣下に降つて居るとの意にして出口王仁三郎が真に我国の天皇の位に立つべき人にして、現御皇統は其の御資格を有せられざる事、
 ㈤大本神諭火之巻四百九十二頁に「地は出口の霊統○○は伊勢の元の天照皇大神宮の御血筋で末代続かす仕組が仕てあるから、天と地とを揃えて太古の神代へ立替るぞよ」と云ふ筆先があるから出口直の血統は地の大神であり、出口王仁三郎は天照皇大神として天の大神なりし処王仁三郎が出口家に養子として這入り直の死亡後に於ては天地の大神を一身に兼ね万古末代続く処の神代に此世を立替へるとの意なること等を聞きたり、
 又中野与之助が、関由太郎からか大本には王仁三郎の作りたる、十二段返の歌と云ふのがありて十二の歌を並べそれを右から読むと「あやべにてんしをかくせり」となり左から読むと「いまのてんしにせものなり」と読まるる歌ありと聞きたり、私は中野や関等の浜松の信者から前述の様な話を聞き出口王仁三郎が我国の天皇となりて、我国にみろくの世を建設し漸次世界を統一して世界の大救主即ち王となる事が大本の主張する立替立直なることが判りたる旨の供述記載、
 一、被告人弘に対する予審第五回訊問調書中、私は大本入信後見付支部長木野幸国方や袋井支部長吉田惣四郎方等に於て行はれた月次祭に参拝して先輩の信者より大本の話を聞き、又木野より大本神諭天之巻や霊界物語を借り受け読み居りたり、大本にては開祖出口直が国常立尊の神懸に依り筆先を書いて三千世界の立替立直の行はれる事を予言し、出口王仁三郎は天の先祖の神のみろくの大神や、地の先祖の神の素盞嗚尊の神懸として乱れたる現代の悪の世を立替へてみろくの世と申す善の世界を建設し、地上を精神的道義的に統一し、世界の大救世主になる様に説き私も初めの間は左様に思ひ居りたり処が大本神諭天之巻を読み居ると種々と疑問が起り来り、例へば大本神諭天之巻一頁以下に「神が表に現はれて、三千世界の立替立直を致すぞよ云々、この世は全然新つの世に替へて了ふぞよ」とあり、同第三頁には「てん○○綾部に仕組が致してあるぞよ」とあり、同第四頁には「東京は元の○○に成るぞよ、永久は続かんぞよ云々」とあり、同第五頁には「綾部宜くなりて、末で都と致すぞよ」同第八頁には「お照しは一体七王も八王も王が世界に在れば此世に口舌が絶えんから、日本の神国の一つの王で治める経綸が致してあるぞよ」同第十一頁には「東京へ攻めかけるぞよ、○○○は綾部に守護が致してあるぞよ、あとは宜くなりて綾部を都と致すぞよ」とあり、私は之等の筆先をよく読み見るに出口王仁三郎が日本の統治者になり、後には世界を統一して其の主宰者となるに非ずやとも思はれる様になりたり、
 然し木野幸国の話に依ると太古に於て素盞嗚尊が八岐大蛇を平げて大蛇から出て来た宝剣を天照大神様に献上した様に、出口王仁三郎も世界を統一して至仁至愛のみろくの世を建設して之を我国の御皇室に献上致すものなりと説明されて居たる為、或は左様なるかとも思ひ実は半信半疑の儘で居りたるところ昭和七年八、九月頃以降静岡県焼津町の信者中野与之助が袋井支部長吉田惣四郎方掛川支部長永田トミ方浜松市の井口太郎吉方や武田仙蔵方に宣伝に来る様になり、私は中野より㈠素盞嗚尊は海原の統治神にて主の神なること大本にては主を⦿とも書き⦿とはすべる事にて統治の意にして王仁三郎の拇印も自然に⦿の形を為して居ること、㈡主師親三徳は世界の王の持つべき資格にして出口王仁三郎は世界の救世主として主師親の三徳を具へ居る事、㈢大本なる字を分解すると大は一人となり本は十八一となり、一人とは上御一人の事にて天皇の意十は神の徳を表はし八は開く意一は始め、又は統一の意なる故大本とは大本神が天皇として世界を統一するの意なること、㈣お筆先に大の字逆様の世とあるが大は一人にて天皇の意となり、天皇の位に即くべき者が下に降り天皇の位に即く資格の無き者が其の位に止り居る故、大の字逆様の世と云ふこと等其他の説明を断片的に聞き、昭和八年六月頃に至り出口王仁三郎が我国の現皇統に代りて天皇となり、我国を統治する様になると申すことに気が付きたる旨の供述記載、
 一、被告人仙蔵に対する予審第五回訊問調書中私は昭和七年十一月頃大本信者中野与之助を初めて知り、其後同人は昭和八年一月頃より毎月一回か二ケ月に一回位の割にて私方や井口太郎吉方に参り、大本の話を致す様になり、其間中野からお筆先には大の字逆様の世とあるが大は一人即ち上御一人にて、我国の陛下のことにて現在の陛下は其の御資格を有せられざる方が其の位置に御在てになることが大の字逆様の世と云ふこと又大本には十二の歌を並べ之を横から読むと「あやべにてんしをかくせり」とか「いまのてんしにせものなり」と読まるる様に仕組まれた歌があり、中野は之を伊豆の信者安藤唯夫から教へられたること、其他種々の話を聞き出口王仁三郎が日本の天皇になるものなることが判りたる次第なる旨の供述記載、
 一、同第十一回訊問調書中私が昭和八年八月頃中野与之助より縦横十二の仮名にて出来た歌の中に「あやべにてんしをかくせり」「いまのてんしにせものなり」と云ふ文句を読み込みある、所謂十二段返の歌のあることを聞きたることは前述の通りなるが私が中野より右の歌を書きたるものを見せ貰ひたることに就きては確かな記憶なきも、中野が其の頃井口太郎吉方にて私に対し十二段返の歌を示したことありと申し居るとせば私も中野より右の歌を見せ貰ひたるやも知れずと思ふ旨の供述記載、
 一、被告人由太郎に対する予審第十四回訊問調書中御示しの自分に対する押収証第五号の昭和九年日記四月九日欄に記載の「思はざる所に君の拝謁を賜り無上の光栄を受く」なる歌の君は自分が出口王仁三郎を指して詠みたるものにして当時の自分の信仰程度が判ると思ふ旨の供述記載、
 一、同被告人に対する押収証第五号昭和九年日記中四月九日欄「思はざる所に君の拝謁を賜り無上の光栄を受く」一月二十三日欄「中野先生より井口武田氏と共に神業の重要事を聞く」三月三十日欄「湯ケ島に安藤氏より重大なる天下経綸の話を聞けり」五月五日欄「聖師様、二代教主様に拝謁吾唯嬉びに堪へず」五月九日欄「師の君に随ひ関東別院に聖師の拝謁賜りしなり」なる記載、
 一、判示第二事実認定の証拠中被告人中野与之助事件押収証第一号中所謂十二段返の歌
 一、被告人由太郎、徳太郎及弘の当公廷に於ける判示日時場所に於て判示井口太郎吉、藤原章雅と共に判示書面を作成し、之を其の翌日判示場所に於て出口王仁三郎に手交したることは相違なき旨の各供述、
 一、被告人仙蔵に対する予審第九回訊問調書中、私は昭和六年十月頃大本に入信したるものなるが、昭和八年一月頃より焼津支部の信者中野与之助が私方や井口太郎吉方に毎月或は二ケ月に一回位の割にて来る様になり、中野は二、三日乃至一週間滞在して主に信者を集め大本の宣伝を致し居りたり、私は同年六、七月頃から出口王仁三郎が日本の天皇になり、後には世界を統一して世界の王になるのが大本の大目的なりと聞き之を知る様になりたる次第なり、昭和十年九月八日私は井口太郎吉、藤原章雅、富井徳太郎、竹原弘、関由太郎と共に亀岡天恩郷に於て出口王仁三郎に面会致したり、其の目的は其の頃私共の研究し居りたる天津金木の図面に就て批評を求め之と同時に私共が皇道大本の真目的を知り、大本神業の為献身的に活動し居ることを書きたる書面を王仁三郎に示し、私共が将来大本の宣伝を為すに就て王仁三郎より直筆の証明書様のものを貰ひ受くる為なりし旨の供述記載、
 一、同第十回訊問調書中、昭和十年九月七日を期して名古屋市南区千年平畑の関由太郎の止宿先に私共六名が集合し同所に於て私共は王仁三郎に提出すべき書面を作成致し、同夜名古屋市を出発して亀岡に向ひたる次第にて右九月七日午後六時頃私が右関由太郎に参りたる際既に他の五名のものが集合し居り、大本関係の書籍を参考に致して書面の原稿を作り居り、私共一同が書面の原稿に付て考へたるも纏まらざりし為、関由太郎が主となりて原稿を認め之に私共も意見を述べ、藤原章雅が清書致し私共が各自署名拇印して作成したるものなりお示しの出口王仁三郎事件証第千二十四号(一、○四二号の誤記と認む)の書面にて、右書面中「百度維新以下天神地紙に謹で感謝す」までの大意は艮金神即ち大本開祖出口直や出口王仁三郎が出現して世界を統一して之を主宰するに至る大業の成就すべき時節が来り、私共が其の大業に参加し得ることを天地の神に感謝すとの意味「掛巻も畏き大日本の国は以下神勅の時差はす節変らす正に実現せるもの也」とあるのは最上最貴撞賢木厳之御魂国盛留瑪之御魂の大神が日本の中心地なる綾部の鶴山山上に出現して大本開祖の筆先に依り、世界統治の大宣言を為したる如く之を実現せしむるに至ることは、恰度古事記に記載されあるが如く、天津神諸々の命以て伊邪那岐、伊邪那美命に此の漂へる国を修理固成せよと天の沼矛を賜ひし事実及天照大神様が天孫瓊々杵尊に豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は我皇孫命の統治すべき国なりとの御神勅を降し給ひし事実に相当致し居るとの意なり、
 而して茲に最上最貴撞賢木厳之御魂国盛留瑞之御魂の大神とあるは厳瑞両霊を兼ね、伊都能売の大神として出現したりと称し居る出口王仁三郎を指し従て出口王仁三郎は天の沼矛を給はりし伊邪那岐伊邪那美命にてもあり、又皇孫命にてもあることとなるなり「抑々何を以てか天之沼矛と言ふ以下惟れ王化の鴻基邦家の経緯焉」とあるは、天之沼矛とは三種の神宝即ち天津金木、天津菅曾、天津言霊の事にして出口王仁三郎は此三種の神宝を運用致し、古事記の序文に記載しある通り天下を統治すべき経綸を行ふべき資格を有すとの意にして次に「現今世界は動揺の中にあり、以下神勅を奉じて神業に参加為したるものなる事を謹みて上奏す」とあるは、昭和六年九月十八日に勃発したる満洲事変は大本の主張する立替の第一歩にして、聖師即ち出口王仁三郎が世界を統一し其の主宰者となるべき日も近付き居ることと思ふが故に、私共六名は昭和十年九月八日を期し高天原即ち出口王仁三郎の住み居る処に至り其の命を奉じ大本の主張する世界統一の大業に参加し、其の目的達成の為努力し居ることを王仁三郎に申し上ぐるとの意なり、尤も茲に登極なる文字が天皇の御位に即くことを意味し居ることは右書面作成せし際に私は知らざりしも併し「聖師登極の日近し」とあるのは、出口王仁三郎が世界を統一して世界の主宰者となる日が近付き居るとの意味なることは右書面作成のときに判り居りし旨の供述記載、
 一、被告人弘に対する予審第十回訊問調書中、昭和十年九月七日名古屋市の関由太郎の止宿先に私共同志六人が集合し右会合に於て私共は出口王仁三郎に提出する為、私共の決意を表示した書面を作成することとなり、関由太郎が其の草稿を書き他の同志が幾分之を訂正増補して書面を作成し、私共六人の者が之に署名拇印したり、翌八日午前十時過頃亀岡天恩郷の透明殿の応接室なりしと思ふが出口王仁三郎に面会し、先づ井口太郎吉が関の予て作成したる金木の図面を王仁三郎に示し私共の研究したる金木の図面を見て呉れと申し、王仁三郎は右の図面を手にして之を一覧したり次に井口太郎吉は私共が作成したる書面を、王仁三郎に示したり、王仁三郎は右の書面を手に致し一読したるも文中「聖師登極の日近し」とある部分を読みたる時王仁三郎は「こう云ふ字を使ふと誤解されるといかぬでな」と申し筆を取り「登極の」とある部分を墨にて消し「聖師の日」とすればよいと申し傍に「の」の字を加筆したり、お示しの証第一、〇四二号(被告人出口王仁三郎事件)の書面が王仁三郎に提出したるものなり、此書面中最後に大厳瑞出口王仁三郎聖師とあるは、王仁三郎が厳瑞両霊を兼ね大元帥陛下なりとの意なり、要するに出口王仁三郎が天の先祖の神のみろくの大神地の先祖の神の素盞嗚神の顕現として我国の天皇となり、世界を統一すべき日近きにあることを知り、私共は出口王仁三郎が我国の天皇となるに至るまでの世界の立替立直即大変革に際し王仁三郎に協力して其の大業に参加すべき決意を有する者なる事を明かにしたるものなる旨の供述記載、
 一、被告人徳太郎に対する予審第十二回訊問調書中、静岡県焼津町の信者中野与之助を中心とする私共静岡県下の信者中皇道大本の真目的を知り其の実現の為舎身活躍を誓ひ居りたる同志関由太郎、武田仙蔵、竹原弘、井口太郎吉、藤原章雅及私の六名は昭和九年頃より皇道大本に於て最重要視し居りたる言霊金木、菅曾の研究を致し、昭和十年九月一日頃武田仙蔵方に右の同志六名が集合し、関が其の頃完成したる金木の図面に就き王仁三郎の批判を求めることとなり、同月七日名古屋市の関の止宿先に同志六名集合した際王仁三郎に面会する機会に於て私共六名の同志は王仁三郎が日本及世界を統一して其の主宰者になると云ふ皇道大本の真目的を知り、王仁三郎に協力して之が実現を期する為舎身活躍すべきことを期し居ると云ふ私共の所信を書面に認めて之を王仁三郎に示す事になり、竹原、関及私が右書面の原稿を試みたるも結局関の原稿を基本として清書し持ち行くことになり斯くして私共六名は同月八日天恩郷透明殿に於て、王仁三郎に面会したる際王仁三郎が私共の提出したる書面を閲読して非常に狼狽の色を表し「聖師登極の日近し」とある処に至り此様な事を書いては困ると申し「登極の」とある部分を墨にて消し其の傍に「の」の字を加へ聖師の日近しと訂正し之で良いと申したり、お示しの出口王仁三郎事件証第一、○四二号の書面は私共が右九月八日王仁三郎に提出したる書面なり、要するに右書面中に将来出口王仁三郎が我国の天皇の位に立つものなりと述べある故其の反面に於て我国の現御皇統が我国を統治され居ることを否認する趣旨の事が記載され居るものなる旨の供述記載、
 一、被告人由太郎に対する予審第十二回訊問調書中、昭和十年八月浜松市の井口太郎吉方に武田仙蔵、竹原弘、富井徳太郎、藤原章雅、井口及私の六名の同志が会合し、其の席上に於て相談の結果私の研究した金木排坐を図面に現し、之を出口王仁三郎に示して其の批判を求めることになり、同年九月七日名古屋市南区千年平畑の私の止宿先に右六名集合し、其の際私の作成したる金木の図面を持ち行くこととし、其の機会に於て我々同志は皇道大本の真目的を知り且之が実現の為舎身活躍して居るものなりと云ふ我々の所信を書面にして、之を王仁三郎に披瀝仕様と云ふ事になり、富井や竹原も其の書面の原稿を試みたるも結局私の原稿を藤原が清書し、之を王仁三郎に提出することに致したり斯くて私共六名は、同日午後十二時頃熱田駅を出発し、翌八日午前七時頃亀岡駅着同日午前十時頃亀岡天恩郷透明殿の応接室に於て王仁三郎に面会したり、王仁三郎との応対は私共の内年長者なる井口太郎吉が致したるものにて、其の模様は王仁三郎は私共が示した金木の図面に付きては大体に於て間違ひ居らぬと云ふ趣旨の事を申し次に井口が提出したる前述の書面を読み非常に当惑の色を現して、右書面中の登極の文字を墨にて消し斯様な事を書いては困ると申し、軈て其の傍に一字を加へ之でよいのであると申し、右の書面を懐に納ひたり、御示しの出口王仁三郎事件証第一、〇四二号の書面は私共が昭和十年九月八日出口王仁三郎に呈示したる書面に相違なく、御示しの書面の文書は私が大本関係の書籍、雑誌等を参酌して書きたるものにて其の文章中「現今世界は動揺の中にあり云々以下上奏す」とあるは昭和六年九月十八日満洲事変が勃発し、大本にては其の主張する立替が愈々本舞台に入りたりと申し居る故、聖師出口王仁三郎が大日本国の天皇の位に即く日も間近に迫り居り斯くの如き大本として重要なる時に私共同志が大本の真目的を知り且王仁三郎に協力して、其の実現を所期して居ることを王仁三郎に告ぐとの意なり、右本文の末尾にある各自署名は何れも自署したるものにして世木由太郒「郒」は底本では「郎」の左側+「邑」。とあるは私の署名なり、以上要するに私共が大本の真目的即ち出口王仁三郎に於て世界を統一し、之を主宰するに至ると云ふことを知り且私共が王仁三郎に協力して其の目的達成の為、舎身活躍すべく所期し居ることを王仁三郎に告げたるものにして其の裏面に於ては恐れ多くも、現御皇統が我国を統治遊ばす事を否認し居ることが記載されあるなり、而して御示しの書面中「登極の」なる部分は王仁三郎が之を墨で抹消し、其の傍に「の」の字を加へたるものなる旨の供述記載、
 一、被告人王仁三郎の当公廷に於ける昭和十年九月八日井口太郎吉外四、五人の人と亀岡天恩郷の透明殿にて会ひし時、言霊学を書いたが見て呉れとて紙に書きしものを出し其の時証第一、〇四二号の手紙を一緒に差出したり、其の言霊学は極く浅薄なるものにて其の手紙を見ると、聖師登極の日近し等と書きありし為私はこれは不都合だ斯様なことを書かれると困ると申したり、言霊学にはトウキヨクと云ふ言葉はあるも其のトウとは物価騰貴の騰と云ふ字にて春の彼岸より秋の彼岸迄を地気騰極と云ひて空が温くなり、地が冷くなることを云ひ秋の彼岸より春の彼岸迄を天気降極と申して、大気が冷え地が温くなることを云ふのでそれは私の所に在る大石凝先生の書面にあり、私は此の手紙を見て斯様なことは不穏当だ、斯様なことは書いては困ると申したるに井口等は夫れは言霊学から出たのだと申したので、私は言霊学の字は之と違ふと申し「登極の」の三字を消し又之は不可ぬと云ふて「イエス」「ノー」の「ノ」の字を入れたり、斯様な不穏な書面は破るか焼くかすべきなるも、当時静岡に一厘組とか申す妙な連中が居ると聞き居りたる為、之が一厘組に非ずやと思ひ、一度幹部と相談して取調べ様と思ひ書面を其の儘にし居りたる処急に旅行せねばならぬ用が出来て、其の儘になりたり、之を見たるとき非常に不敬不逞な書面と思ひたり、登極と申せば陛下の御即位のことにて、恐多いと思ひ斯様なことを書くから誤解を受けるのだと怒りたり「登極の」の三字を消して又「ノ」の字を入れた訳は英語の「イエス」「ノ一」の「ノ一」と書くのを片仮名で「ノ」と書きしものにて、其はこんな事は不可ぬ此書面は駄目だ同時にお前達の考も駄目だと云ふ意味にて「ノ」と書きしものなり、之にては其の意味は判らぬが聖師登極の日近し等とは不穏当にて恐多く、登極の字が其の文のポイント故其の所を消せしものなり、「登極」の二字を消すのを誤て「登極の」と三字を消したので聖師の日近しとする為又「の」の字を入れしものとは違ふ、予審で聖師日近しでは意味をなさぬから深い考もなしに「の」の字を入れたとは述べず勝手に書かれしなり、此井口太郎吉外五名の信者等は誤解して居ると思ひたり、私が直ぐ幹部に相談せざりしは不都合なりしと思ふ旨の供述。
 一、被告人出口王仁三郎事件押収証第一〇四二号(上と表書したる奉書包の奉書書状)中「誠信謹白百度維新天運循環して正に煎豆に花の咲くてふ艮の金神出現の神世に到来して、十曜の神紋八咫に輝き霊威照々として光明無碍世界を掩ふ大統一の錦旗の本に参上るの光栄を得たるを、天神地紙に謹みて感謝す、掛巻くも畏き大日本の国は天津神諸命以ちて是の多陀用幣流之国を修理固成せよと天之沼矛を賜ひて言依し給ひき也、顕の顕なる地上完成に当りて神誓神約なる三千年の艱難辛苦は今正に報ひられて最上最貴撞賢木厳之御魂国盛留瑞之御魂の大神は淤能碁呂嶋の中心地綾部鶴山山上に天降り給ひて、三千世界一度に開く梅の花艮の金神の世に成りたぞよ、梅で開いて松で治める神国の世に成りたぞよ、須弥仙山に腰を掛け鬼門の金神守るぞよと明治廿五年正月元旦寅の刻世界統治の大宣言をなされたのである、是れ正しく天祖の皇孫命に下されし神勅にして、豊葦原の千秋の長五百秋の瑞穂の国は我皇孫命の知行さむ国と言依し給ひし神勅の時差はす節変らず、正に実現せるもの也、抑々何を以てか天之沼矛とは言ふ夫れ天神の真宝地神の秘宝塩満玉潮涸玉正真三種之神宝こそ正に天之沼矛であるのである、神往神来然り而して三種の神宝とは至真大道大度衡天造之神寄木也、天造之菅曾也、天造之言霊也、こそ正に三種の神法の御鎮坐是也、六合を貫徹し八紘を掩ひて宇となし正を立つれば国安く本を顕せば四海治まる噫尊哉三種の神宝真に惟れ王化之鴻基邦家之経緯焉現今世界は動揺の中に在り、昭和六年九月十八日シベリア線を花道に愈々本舞台に入つたのである、聖師の日近し、此処に於て吾等同志は昭和拾年九月八日を期し高天原に参上り神勅を奉じて、神業に参加したるものなる事を謹み謹みて上奏す、昭和拾年九月八日井口太郎吉、藤原章雅、富井徳太郎、竹原弘、武田仙蔵、世木由太船、大厳瑞出口王仁三郎聖師」なる記載を綜合考覈して之を認定し、
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