第十一 被告人重雄は大正九年六月初句大本に入信し爾来大正日々新聞記者、大日本修斎会出版局編輯員、霊界物語筆録者、大本瑞祥会長を経て天恩郷宣伝部宣伝課長と為り、大本の活動に従事中昭和二年初頃王仁三郎が前示教義に基き所謂みろく神政成就なる不逞目的の実現を企図するものなることを察知したるも、之に共鳴の上活動を続け次で昭和三年三月中前記の如き我国体の変革を目的とする大本なる結社が組織せられたることを諒知するに至りたるに拘らず、依然大本に留り其の目的達成の為王仁三郎等と協力せんことを決意し引続き右宣伝課長として、亀岡町天恩郷に於て活動を継続し以て其の頃右結社に加入し、爾来昭和十年十二月上旬迄の間に叙上活動方針に基き大本の拡大強化を図る目的を以て、右天恩郷宣伝部宣伝課長の外特派宣伝使、皇道大本本部海外宣伝課長、同編輯課長、同教務部次長、大宣伝使、昭和神聖会参議等の役職に歴任したる上、
㈠ 昭和三年四月以降昭和五年八月迄及昭和九年八月以降昭和十年十二月迄の各期間右亀岡町天恩郷に於て大本の宣伝に関する内部的事務に従事する傍同所大祥殿に於て條業者に対し、大本の主義、主張等に付講話を為して信者の獲得に努め、
㈡ 昭和五年九月以降昭和七年一月迄の間東海道地方及九州地方を巡回し、大本関係の講演会、講習会、座談会等を開催し、又昭和九年末頃広島県、山口県等に昭和十年一月頃京都市に各出張し昭和神聖会関係の講演会、座談会を開催し同会の主義、綱領を説明する等夫々大本の主義思想の宣伝に努め、
㈢ 昭和七年八月以降昭和十年十二月迄の間右天恩郷に於て大本の主義、主張等を宣伝そ、へき諸刊行物の編輯事務に従事したる外昭和四年三月以降昭和十年十二月迄の間二十数回に亘り同所に於て発行せられたる機関雑誌神の国に右主義、主張等を宣伝するに足る自己の所説を投稿掲載して信者の獲得及其意識昂揚に努め、
以て右結社に加入し其の役員たる任務に従事し且該結社の目的遂行の為にする行為を為し、
第十二 被告人雄次郎は大正八年七月大本に入信し爾来権大教監、大本瑞祥会副会長、同会地方課長、特派宣伝使等に就任し、大本の活動に従事中大正十四年十二月頃王仁三郎が前記教義に基き所謂みろく神政成就なる不逞目的の実現を企図するものなることを察知したるも、之に共鳴し、特派宣伝使として活動を続け次で昭和三年三月三日のみろく大祭に参列したる上同年四月中旬頃同大祭に関する記事等を掲載せる真如能光及瑞祥新聞を繙読するに及び、前記の如き我国体の変革を目的とする大本なる結社が組織せられたることを諒知したるに拘らず、該大本の目的達成の為王仁三郎等と協力活動せんことを決意し、依然大本に留り引続き特派宣伝使として台北市に於て大本の主義、主張の宣伝に従事し以て其の頃右結社に加入し、爾来昭和十年十二月上旬迄の間に叙上活動方針に基き右大本の拡大強化を図る目的を以て、
㈠ 特派宣伝使として台湾各地の分所、支部並に公会堂等に於て数十回に亘り大本信者及未信者に対し、大本の主義、主張の講演、講話を為し信者の獲得及其の意識の昂揚に努め古川辰夫外五十数名を大本に入信せしめ、
㈡ 人類愛善新聞社営業局長又は同社専務理事として右亀岡町天恩郷及東京市四谷区霞ケ丘町の同新聞社に於て同新聞の編輯及発行を指揮監督し、
㈢ 天声社長補として右天恩郷内天声社に於て大本機関紙其の他大本の刊行書の印刷及発行の指揮監督を為し、
以て右結社に加入し其の役員たる任務に従事し且該結社の目的遂行の為にする行為を為し、
第十三 被告人義邦は大正八年六月半頃大本に入信し爾後大日本修斎会長秘書、同会地方局次長を経て人類愛善会綾部支部長、大本信教宣伝使と為り大本の活動に従事し居りたるが、大正十四年末頃王仁三郎が前示教義に基き所謂みろく神政成就なる不逞目的の実現を企図するものなることを察知したるも之に共鳴の上活動を続け、次で大本瑞祥会近畿第一分会次長と為り、昭和三年三月二十日頃前記真如能光等に掲載せられたる同月三日のみろく大祭に関する記事等に依り前掲我国体の変革を目的とする大本なる結社が組織せられたることを諒知したるに拘らず、依然大本に留り其の目的達成の為王仁三郎と協力せんことを決意し、引続き同分会次長として右綾部町本宮に於て管下各聯合会と本部との連絡事務等に従事し以て其の頃右結社に加入し爾来昭和十年十二月上旬迄の間叙上活動方針に基き、右大本の拡大強化を図る目的を以て大本瑞祥会近畿第一分会次長の外、同会奥丹聯合会長、エスペラント普及会綾部出張所主任、人類愛善新聞社営業局長、同経理局長、大本瑞祥会関東特派宣伝使、昭和青年会管掌兼同会東京聯合会長、大本紫雲郷別院講師、人類愛善会亜細亜本部理事、同宣伝部長、皇道大本参事、昭和神聖会総本部次長、同会参議等に歴任したる上、
㈠ 昭和三年三月下旬以降昭和六年四月迄の間綾部町に於て大本瑞祥会奥丹聯合会管下各分所、支部と本部及配下主会との連絡並右各分所、支部の指導増設等の事務に従事する傍、人類愛善新聞の販路拡張を図りエスペラント普及会に依るエスペラント語の普及を策して信者の獲得に努め、
㈡ 昭和六年四月以降昭和七年二月迄の間東京市に於て人類愛善新聞社の営業若くは経理事務に従事したる外其の間昭和六年五月中旬より約半ケ月間福島県下に出張して、王仁三郎作品展覧会及講演会を開催し大本の主義、主張を宣布して信者の獲得に努め、
㈢ 昭和七年二月以降昭和九年二月迄の間東京市に於て大本瑞祥会(昭和八年一月以降は皇道大本)関東主会管下各聯合会及支部、分所の大本活動全般に関する指導監督に任ずる傍同市皇道大本紫雲郷別院に於て大本の主義、主張の講話を為し且東京府及神奈川、福島、千葉各県に出張して講演会及座談会を開催し、大本の主義、思想等を宣伝して信者の獲得及其の意識昂揚に努め、
㈣ 昭和七、八両年に亘り東京市に於て昭和青年会員及昭和坤生会員に対し団体訓練を施したる外、昭和七年夏同市両国国技館に於て開催せられたる、満洲国大博覧会に大本に依り特設せられたる人類愛善館の常務委員と為り、満洲に於ける大本の所謂人類愛善運動等に関する諸材料を出品紹介して、大本を宣伝し且昭和九年二月以降同年十月迄の間同市に於て、大本の宣伝事業たる愛善陸稲栽培法の普及を図りて信者の獲得に努め、
㈤ 昭和九年七月以降昭和十年十二月迄の間東京市等に於て昭和神聖会の地方本部及支部の結成に努むる等同会内外の要務に参劃する傍、同会と愛国諸団体との連繋を図り同会関係の各種講演会を開催する等大本の所謂神聖運動発展の為種々奔走して信者の獲得に努め、
㈥ 昭和六年四月以降昭和十年十二月迄の間数回に亘り綾部町本宮及亀岡町天恩郷に於て開催せられたる各種会長会議に出席して、大本の拡大強化に関する諸運動の実行方法に付協議し、
以て右結社に加入し其の役員たる任務に従事し且該結社の目的遂行の為にする行為を為し、
第十四 被告人新衛は昭和五年五月大本に入信し、亀岡町本部作業課及大本瑞祥会編輯課の各雑役として奉仕生活に入りたるものなるが、同年六月頃大本は前記教義に基き王仁三郎が日本の統治者と為るべきものなりとの理由の下に我国体の変革を目的とする結社なることを諒知するに至りたるに拘らず、其の目的達成に協力せんことを決意し依然大本に留り、右各役職に相応する活動を継続し以て其の頃右結社に加入し爾来昭和十年十二月上旬迄の間、大本編輯課員皇道大本天津分院及人類愛善会華北分会係員、人類愛善会、総本部係員、同会総本部主事補兼亜細亜部長、昭和神聖会参事及宣伝使等に累進したる上皇道大本の拡大強化を図る目的を以て、
㈠ 昭和五年十月以降翌年末頃迄の間亀岡町天恩郷に於て機関紙瑞祥新聞、神の国及真如能光等の校正等の編輯事務に従事し、
㈡ 昭和八年一月以降同年七月中旬迄の間支那、天津に於て人類愛善会員の入会手続に関する事務に従事すると共に機関紙人類愛善新聞の講読者獲得に努め、
㈢ 昭和九年一月以降翌年十二月上旬迄の間亀岡町天恩郷に於て人類愛善会の満洲、支那、南洋及シヤム方面に於ける支部等設置並に人事異動に関する事務を司り、或は同方面に於ける活動状況を屡々大本機関紙真如能光に発表する等同会の発展並に本部との連絡を図り、
㈣ 昭和九年四月一日発行の皇道大本機関紙瑞祥新聞紙上に南蒼穹なる名義にて「風土と人種」同年九月発行の同機関紙神の国に南松翁なる名義にて「神より来るもの」同年十一月発行の同誌上に同名義にて「天命を確知せよ」なる孰れも大本の主義、主張を宣伝するに足る記事を寄稿して信者の意識昂揚に努め、
以て右結社に加入して其の目的遂行の為にする行為を為し、
第十五 被告人猛彦は大正十一年春大本に入信し、其の後大本佐世保支部長、正宣伝使、更始会委員、同直参会員及大本九州分会長等を歴任し、大本の活動に従事中、昭和五年春頃王仁三郎は前記教義に基き日本の統治者と為るべきものなりとの理由に依り、大本は我国体の変革を目的とする結社なることを諒知するに至りたるに拘らず、之に共鳴し該結社の目的達成の為協力せんことを決意して依然大本に留まり、引続き大本九州分会長として、熊本県鹿本郡吉松村なる同分会に於て大本の活動を為し以て其の頃右結社に加入し爾来昭和十年十二月上旬迄の間大本の拡大強化を図る目的を以て、大本九州分会長の外大本九州別院及佐世保別院管事、大本総務、大本及昭和青年会、昭和坤生会の各九州第二主会長(後肥前主会長)、大宣伝使、更始会会監、兼監事、人類愛善新聞社地方幹事及長崎支社長並昭和神聖会九州地方本部長(後肥前本部長)等に就任したる上、
㈠ 昭和五年春頃以降昭和十年十二月上旬迄の間前記九州第二主会管下なる長崎、熊本、佐賀、宮崎、鹿児島等の各県下分所、支部に組織及活動方針等に関する大本亀岡本部の指令を伝達し管内の活動状況を右本部に報告する等本部と管下信者との連絡を図り、且管下分所、支部の統制及活動等の督励を為し、
㈡ 同期間長崎、熊本の各県下等に於て人類愛善新聞の販路拡張、昭和神聖会の会員及賛同者獲得に尽力し或は九州別院及佐世保別院等に於て、特派宣伝使の講演会を開催し、或は自ら大本の主義、主張に関し座談的講話を為す等、大本の主義、思想の宣伝信者の獲得及其の意識昂揚に努め、
㈢ 同期間前記主会管下に於て昭和青年会員の訓練統制及指導に当り、
㈣ 同期間に私財約八万円を投じて皇道大本佐世保別院を建設して、之を王仁三郎に寄附したる上九州別院と共に右別院の維持、経営に当り或は大本神殿造営費として数回に金六万数千円を寄附し、或は前記主会管下信者に対し大本の神殿造営費又は活動資金出捐方を督励する等大本の発展及基礎確立に努め、
㈤ 昭和五年九月十四日以降昭和十年十一月上旬迄の間毎年四回の大本大祭の際綾部町本宮の大本総本部に於て開催せられたる定例総務会議に出席して、大本の組織及活動方針等に関する重要事項の協議に参与し、
以て右結社に加入し其の役員たる任務に従事し且該結社の目的遂行の為にする行為を為し、
第十六 被告人純一は大正七年秋頃大本に入信し其の後皇道大本広島支部詰又は東京分所なる東京確信会詰等として勤務し、大本の活動に従事中大正十一年末頃王仁三郎が前示教義に基き所謂みろく神政成就なる不逞目的の実現を企図するものなることを諒知したるも、之に共鳴の上活動を続け其の後大本広島分所長に累進し次で昭和三年三月三日のみろく大祭に参列し且帰任後同月中真如能光、神の国及瑞祥新聞に掲載せられたる右大祭に関する記事を繙読して、前記の如き我国体の変革を目的とする大本なる結社が組織せられたることを諒知したるに拘らず、之に協力せんことを決意して依然大本に留り、引続き大本広島分所長として広島市段原町なる同分所に於て、該大本の主義、主張の宣伝等の活動を為し以て其の頃右結社に加入し、爾来昭和十年十二月上旬迄の間大本の拡大強化を図る目的を以て右広島分所長の外、人類愛善会総本部幹事、同会及大本の特派宣伝使、更始会幹事、大本亀岡本部会計課長、大本参事、正宣伝使、昭和青年会管掌、昭和神聖会統管部参事及同会参議等に就任したる上、
㈠ 昭和三年三月以降同年十二月初旬迄の間右広島分所に於て活動方針等に関する大本亀岡本部の指令を所属信者に伝達し本部との連絡所属信者の統制及督励に努め、或は各種祭典に際し大本の主義、主張に関する座談を為し、又右分所に諸種の大本刊行書を備付け随時信者に之を閲読せしむる等、大本の主義、思想を宣伝して信者の獲得及其の意識昂揚に努め、
㈡ 昭和四年旧五月以降翌年九月上旬迄の間及昭和七年二月上旬以降昭和十年十二月上旬迄の間亀岡町天恩郷に於て更始会の事務の整備会計事務及本部と地方会員との連絡統制に関する事務等を掌り、大本の財政上の確立発展に努め、
㈢ 昭和五年九月上旬以降昭和七年二月上旬迄の間に特派宣伝使として四国及近畿地方に十数回出張して大本の主義、思想の宣伝、信者の獲得及其の意識昂揚に努め、
㈣ 昭和七年二月上旬以降昭和十年十二月上旬迄の間天恩郷に於て亀岡本部の会計事務を担当し、大本の財政の整備確立に努め、
㈤ 以上の傍昭和四年一月頃以降昭和九年中頃迄の間天恩郷大祥殿に於て修業者に対し、大本の主義、主張に関する講演を為し信者の獲得及其意識昂揚に努め、
以て右結社に加入し其役員たる任務に従事し、且該結社の目的遂行の為にする行為を為し、
第十七 被告人田中省三は大正十五年八月大本に入信し其の後大祥殿講師に任ぜられ、昭和三年七月頃大本は前示教義に基き我国体の変革を目的とする結社なることを諒知するに至りたるに拘らず、其の主張に共鳴し、其目的達成に協力せんことを決意し依然大本に留りて、右大祥殿講師として引続き大本の主義、主張の講演を為し以て其の頃右結社に加入し、爾来昭和十三年十二月上旬迄の間、右大祥殿講師の外特派宣伝使、北海主会長、朝鮮主会長、朝鮮弁理心得、満州弁理心得及正宣伝使等に歴任し右結社の拡大強化を図る目的を以て昭和三年十一月頃迄の間亀岡天恩郷大祥殿に於て以後昭和八年四、五月頃迄の間北海道に於て以後昭和十年七月末頃迄の間朝鮮に於て以後昭和十年十二月上旬迄の間満洲に於て、或は講演及出版物頒布等に依り大本の主義、主張の宣伝を為し信者の獲得並其の意識の昂揚に努め、或は亀岡本部よりの組織及活動方針等に関する指令を管下分所、支部に伝達し本部に対し管下の活動状況を報告して、本部と管下信者との連絡を図ると共に管下信者の指導活動の督励並に其の統制に努め、尚北海道に於ては信者より資金を調達して土地を購入し諸種の建物ふ造営して北海別院の拡張発展に努め、
以て右結社に加入して役員たる任務に従事し且其の目的遂行の為にする行為を為し、
第十八 被告人勇造は大正十二年十一月頃大本に入信し其の後大本松江分所長、賛裏、幹事、宣伝使等として松江市に於て大本の活動に従事中、昭和三年六月頃大本は前記教義に基き王仁三郎が日本の統治者たるべきものなりとの理由の下に我国体の変革を目的とする結社なることを諒知するに至りたるに拘らず、右結社の目的達成に協力せんことを決意し依然大本に留り引続き同市に於て松江分所長等として活動を為して其の頃右結社に加入し爾来昭和十年十一月末に至る迄の間右結社の拡大強化を図る目的を以て、
㈠ 皇道大本松江分所長、島根別院管事、山陰分会長、満洲特派宣伝使、満洲主会長等として島根県下関東溯及満洲国等に於て其の管下の聯合会分所、支部の指揮統制を図ると共に大本の主義、主張を宣伝して信者の獲得こ努め、
㈡ 人類愛善新聞社亀岡天恩郷分社長として京都府、大阪府外十五県下に於て大本の機関紙人類愛善新聞の販路拡張に努め人類愛善会亜細亜本部理事として、東京市に於て同会の庶務、会計の事務を担当し、或は大本の主義、主張を宣伝し又同会満洲特派員として、関東洲及満洲国に於て同会員の獲得に努め、
㈢ 大本の機関雑誌明光及神の国に大本の主義、主張を叙述したる和歌、冠句及記事を投稿し之を掲載発行せしめて其の宣伝を為し、
以て右結社に加入して役員たる任務に従事し且其の目的遂行の為にする行為を為し、
第十九 被告人市左衛門は大正七年十二月大本に入信し其の後松江市島根別院理事を経て昭和七年六月関東特派宣伝使に任命せられ、東京市杉並区方南町紫雲郷別院に於て活動中、同年十一月頃大本は窮極するところ前記教義に基き王仁三郎が日本の統治者と為るべきものなりとの理由の下に、我国体の変革を目的とせる結社なることを諒知するに至りたるに拘らず、其の目的達成に協力せんことを決意し依然右特派宣伝使として活動を継続し以て其の頃右結社に加入し、爾来昭和十年七月末頃迄の間右特派宣伝使兼紫雲郷別院事務主任及取締、昭和青年会指導員、満洲特派宣伝使兼満洲別院事務主任及取締等に就任し、同結社の拡大強化を図る目的を以て其の間、
㈠ 右紫雲郷別院に於て皇道大本東京聯合会、満洲国奉天、満洲別院に於て人類愛善会満洲本部の各庶務会計事務を主管し且同各別院内奉仕者の取締に従事して、大本の基礎確立を図り、
㈡ 右紫雲郷別院其の他東京市内各所及関東洲大連に於て皇道大本講座を開講し、若は講演会、座談会を開催して、大本の主義、主張等を宣伝したる外干葉県下に於て機関紙人類愛善新聞の販路拡張を図り、静岡市に於て昭和神聖会静岡地方本部沼津市に於て同会沼津支部の各設立に奔走し、右紫雲郷別院に於て「お取次」と称する病気平癒祈願行為に従事し夫々信者の獲得及其の意識昂揚に努め、
以て右結社に加入して其の目的遂行の為にする行為を為し、
第二十 被告人靖都は大正八年八月大本に入信し、其の後亀岡町天恩郷に於て亀岡大道場若は大祥殿講師として、大本の主義、主張の宣伝に従事し居りたるが、大正十四年末頃大本の強調せるみろく神政成就は窮極するところ、前記教義に基き王仁三郎が日本の統治者と為るべきものなりとの理由の下に、我国体を変革することを目的とせるものなることを感得したるに拘らず、該教義を信奉し其の目的達成に協力せんことを決意し、次で昭和三年三月三日みろく大祭に参列し同月五日大本総務東尾吉三郎より、同大祭の意義に関する説話を聴きて同月三日王仁三郎に於てみろく神政成就の為、大本幹部役員と共に前記結社を組織したることを諒知しながら、右決意を持続し依然大祥殿講師の職に留りて其の活動を為し、以て同日組織せられたる大本と称する我国体の変革を目的とする結社に加入し、爾来同結社の拡大強化を図る目的を以て、昭和十年十二月上旬迄の間右大祥殿講師の外人類愛善会幹事、大本瑞祥会祭祀課次長、特派宣伝使、関東主会長等に就任し其の間、
㈠ 右亀岡町天恩郷に於て修業者及信者に対し大本の主義、主張の講話を為したる外北陸、関東、東海道及台湾各地方並に上海に於て信者未信者に対し、前同旨の講演、講話及座談を為して其の宣伝、信者の獲得並其の意識の昂揚に努め、
㈡ 右亀岡町天恩郷に於て人類愛善会幹事として綾部町本宮に於て大本瑞祥会祭祀課次長として、又東京市杉並区方南町紫雲郷別院に於て関東主会長として、夫々大本の内部事務を処理すると共に右関東主会管下の分所、支部の指導、統制を図り以て大本の基礎確立に努め、
㈢ 大本の機関紙神の国に数回同人類愛善新聞二十数回夫々大本の主義、主張を宣伝するに足る記事を投稿掲載せしめくる外、右同旨の内容の「大本の出現とそのあかし」と題する書籍を著作発行せしめて信者の獲得及其の意識の昂揚に努め、
以て右結社に加入して役員たる任務に従事し且其の目的遂行の為にする行為を為し、