㋺ 立替立直の思想が大本の根本思想を成すものなることは既に説示したり、而して所謂三千世界の立替立直を為す神、即ち立替立直の担当者が艮金神なることは教祖ナカの明治二十五年、旧正月の初発の筆先に現はるる所なるが艮金神が国常立尊なりと称せらるるに至りたる事情に付きては王仁三郎に対する予審第五回訊問調書中、自分は明治三十三年の初頃静岡の下清水に行き永沢先生に直の話をし直が艮金神であると云ひ戦争が始まるなどと申して居るが、艮金神では八卦見の神様の様であるから、日本の神様らしい名を付けて下さいと申したるに、永沢先生は鎮魂帰神をし戦争の事を云ふて居るのなら、艮金神は武力の神様だろうから国武彦命と云ふ名にしたら良かろうと申し、神様に国武彦命と云ふ神名を報告して祝詞を上げて呉れ其の神名を奉書紙に書き呉れたる故、綾部に帰り直に夫を見せ右の次第を話したるに直は、明治三十二年旧十二月に艮金神も国武彦命と御名を戴き、之で表になりたぞよと云ふ筆先を書き、其の後直は艮金神国武彦命と云ふ様になりたり、明治三十七年秋頃直が艮金神国常立尊と現はれたと云ふ意味の筆先を書きたる故、自分は驚き直に態々静岡県迄行き、永沢先生より国武彦命と云ふ神名を貰ひたるに何故こんな事を書くのかと云ひたるに、直は永沢先生が云ふた名は間違ふて居る、艮金神は国常立尊に相違ないと云ひ夫以来俺の身体には国常立尊の霊が宿つて居ると申し居たり、何故直が国常立尊と云ひ出したるかに付ては、直が右の筆先を書く数日前に直の長男出口竹蔵の後妻で以前天理教信者の家に嫁し居たる女が、天理教の国常立尊外九柱の神名を書きたる巻物を直に見せ天理教の祭神の話をした為、直が夫を聞き艮金神国常立尊が現はれたと云ふ筆先を書き夫以来俺には国常立尊の霊が宿つて居ると云ひ出したるものなる旨の供述記載に拠り、艮金神国常立尊の名称はナカが当初より言ひ居たるものに非ず明治三十七年秋頃に至り初めて之を使用したるものなることを認め得べく、前記初発の筆先に艮金神国常立尊と現はされたる事情に就きては、王仁三郎に対する予審第七回訊問調書中神諭天之巻第一頁以下に掲載したる、初発の神諭の日附は明治二十五年旧正月□□□日となり居るが、初発の神諭は、自分が教祖直より斯う云ふ事を怒鳴つて居たのであると聞き居たる故、大正時代になりてより教祖から聞き居たる断片的の意味不明瞭なるものを組合せて意味の判る文章にし、大正六年四月の神霊界に掲載したるものなり、夫が為初発の神諭中に国常立尊云々の記事あるも明治二十五年正月頃に教祖が艮金神国常立尊の仕組云々と申し居たるにはあらず、国常立尊の事を云ひ出したるは前述の如く明治三十七年秋頃なり、夫以前の日附の神諭中に国常立尊の事を書きたるものあれば自分が神霊界、天之巻、火之巻に神諭を掲載する際書き入れたるものなる旨の供述記載に拠り、王仁三郎が神霊界大正六年四月号に初発の筆先を掲載するに当り、艮金神を国常立尊と為したるものなることを認め得べし、而してナカの筆先中、国常立尊の隠退及再現の教義(教義と云ふは措辞妥当ならざるも、暫く之に従ふ)に付比較的詳細に記述したるものは、火之巻第一七五頁大正三年旧五月二十四日附筆先中、此方は一度宣言した事は違えられんなり、方便といふ事は一言も申されず請合つた事は何処までも実行な成らず、上下揃ふての神政霊治であるから八百万の神様が斯の施政方針では日々が苦痛と衆議決定て、此の鬼門の神を大将に致すなら能う勤めんと揃ふて、天の御先祖様へ上奏弾劾を為されたので止むを得ず大勢の申す事を採用なされて、御先祖の御勅令で艮へ押込まれたのであつたぞよ。
同第二五一頁大正五年旧五月十四日附筆先中、斯の世の御先祖様が地の泥海の中に御出来なされたなり、霊能大神どのも同じ泥海の中で御出来なされたのであるぞよ……地の先祖を直きの御血筋に成されたのは、限り無い末代の世を持たす為に地の先祖の霊魂が大国常立尊の身魂の性来であるから、如何いたしても余り強い霊魂であるから此霊魂があつたら叶はんと申して皆の神々が同意いたして無に致さうと思ふても煮ても焼てもタタキ潰しても引裂いても誰の手にも合はん神であるから天のミロク様が夫々の霊魂を拵へて御出でますのであるから、普通の後世から出来た神は矢張り枝神であるから枝は枝の様に余り覇張らんやうに致して、我の霊魂の性来の事を為て居りたら斯の世は穏かに世が治まりて行けるなれど、霊魂の性来の悪いのが経れて行きよると悪い謀反が元からの性来が可かんのであるぞよ。
同第三三五頁大正六年旧九月三十日附筆先中、大国常立尊は余り力が強すぎたので斯んな猛烈き神を斯世の大将に仕て貰ふたら外の神は一柱も能う勤めむと神々の心が一致して、王のミロクの大神様へお願ひありた故、夫れなれば一柱と多神とは代えられんと仰ありて艮へ押込めよとの御命令が下り、八百万の神に艮へ追退られて艮能金神と名を付けられ独神となりて、日の本の大神が仏事の守護致して茲までは来たなれど何彼の時節が廻りて来て仏事の世の終りが末法の世と申して未だ万年も続くのでありたのを、世を縮めて艮の金神の世と致して結構な神世に捻ぢ直すのであるぞよ、艮の金神は永らく世に押込られて苦労艱難悔し残念を堪り詰めて来た報で太初からの経綸通りの世が循りて来たから、霊主体従の経綸通りになりて善と悪との立別けを致す世になりたから、悪の身魂は隠しても隠されず我と我身に露はれて来るのが天地の冥加に尽たのであるぞよ、天地の先祖の苦労で創造た斯の世界を悪魔と四足との自由自在に致したが茲まで斯の世を持荒したら本望であらう、
同第三九七頁大正七年旧正月十二日付筆先中、至仁至愛神の御出ましに成る時節か参りたぞよ、天ではミロク様なり、地の世界は大国常立尊が守護ねば立ちては行かぬ斯の世であるぞよ、根本の天の御先祖様を口で崇めて心の中では斯の世に無くても宜いと云ふやうに成りて了ふて居りた故に、地の先祖を押込ねばならぬやうに成りたのであるぞよ、地の先祖の大国常立尊は神力が有り過ぎて邪神の手には合はんから邪神の精神が皆一致して瑞霊大神への御願を致して、此方を艮へ押込みてさあ是で安心ぢやと申して皆の悪神が喜びて斯の世を自由に致して茲まで乱したのであるぞよ、
同四一三頁大正七年旧二月二十六日付筆先中、天ではミロク様なり地の世界は大国常立尊が構はねば外の御魂では到底此乱れ切つた世を立直して、誠一つの神国にいたす事は出来ぬぞよ。大国常立尊は表面から見れば悪に見えるから悪神にしられて除名れて茲までは斯の世にない神となりて、幽界から守護を致して居りたなれど陰斗りの守護は先へ行くことも跡へ戻ることも出来ぬやうになりて居る是れ迄の世の持方を、全然替るには表面になりて天晴れ活動かねば物事は成就いたさんのであるぞよ、等なり、
国常立尊の隠退及再現の教義は王仁三郎がナカの筆先を骨子と為し古事記の国常立神、豊雲野神、少名毘古那神及大国主命の記事弥勒下生経の弥勒菩薩下生の予言並キリスト教のキリスト再現の教等を取捨参酌して之を構成したるものなることは、王仁三郎に対する予審第七回訊問調書中其旨の供述記載に拠り明なり、右教義に関し王仁三郎の執筆に係る主なる文献は太古の神の因縁(最初神霊界大正七年二月号第九頁以下に掲載せられ、王仁文庫第二篇国教論集第八九頁以下に転載せられ、出口王仁三郎全集第一巻第三篇第一五〇頁以下に収録せらる)国祖御隠退の御因縁(霊界物語第一篇第二十二章に掲載せられ右全集第三巻第九七頁以下に収録せらる)盤古大神及八王大神は霊界物語第二篇総説に掲載せられ右全集第一巻第五一九頁以下に収録せらる)霊界の情勢は霊界物語第一篇第十八章に掲載せられ、右全集第三巻第七四頁以下に収録せらる)等にして、其要旨は撞の大神は国常立尊を大地球の先祖として大地の修理固成を命じ給ひたるを以て、同尊は地上の主権を帯び国土を統治し給ひたるが其施政方針大本の所謂霊主体従厳格強直に過ぎたる為、部下の万神は衆議の結果撞の大神に国常立尊の隠退を奏請し、撞の大神は已むなく国常立尊に艮へ退去すべしと厳命され潔く退辞せば、時期を待ちて再び主権者に任じ汝の大業を補佐すべしとの神勅を下されたるを以て、国常立尊は無念を忍び隠退して艮金神と為り、其妻神豊雲野尊も坤へ隠退して坤金神と為られたり、然るに其後優勝劣敗、弱肉強食の惨状を呈し国常立尊の再現を要する機運到来したるを以て撞の大神は艮に隠退せる国常立尊に再び地上の主権を付与し給ひたり、因て同尊は豊雲野尊と共に綾部に再現し現在の混乱せる日本及世界を立替立直して、至仁至愛の世と為し又撞の大神は神勅実行の為地上に降臨して国常立尊の神業を補佐することに為りたりと謂ふに在りて、右事実は被告人等の争はざる所なり、
而して国常立尊の隠退及再現に関する公訴事実中撞の大神は国常立尊を大地球の先祖として大地の修理固成を命じ給ひたるを以て、同尊は地上の主権を帯び国土を統治し給ひたりとは右挙示の文献に依拠したるが如きも、地上の主権とは地上神界の主権を意味するや、或は現界の主権を意味するや明ならず、然れども右国祖御隠退の御因縁の記事中には、大地の霊界は前述の如くに大国常立尊之を司り給ひとあり、又霊界の情勢の記事中には地上神界の主宰者たる国常立尊とあるにより右要旨の地上とは地上神界の意義と解すべきものとす、次に公訴事実には国常立尊隠退後地上現界に於ては支那に生れ給ひたる盤古大神即ち瓊々杵尊が日本に渡来せられ国常立尊の後を襲ひ給ひとあるも国常立尊隠退後盤古大神の渡来せられたるは、地上神界にして地上現界に非ざることは前段認定の如くなるのみならず、瓊々杵尊は天照大御神が素盞嗚尊との天安河に於ける盟約に因り生み給へる正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の御子に坐しまし、天照大御神が天界に於ける理想世界を地上現界に実現せられんが為、其の大権を授けて地上現界に降臨せしめ給ひたるものなることは大本文献(例ば大正七年八月十五日号大八洲号掲載皇典釈義の記事)の示す所なれば日の大神即ち伊邪那岐尊の御油断に由りて手の俣より潜り出て現今の支那の北方の地に降り給ひたる神にして、国常立尊隠退後の地上神界に渡来せられたりと謂ふ盤古大神とは別神なること明なり、他に盤古大神即ち瓊々杵尊と認むべき証左なきを以て右公訴事実は謬見なりと謂はざるべからず、従て国常立尊の隠退及再現の教義に関し国常立尊の隠退後瓊々杵尊が日本に渡来せられ、其の御系統に坐します現御皇統に於て日本を統治し給ひたる為大本の所謂体主霊従(物質主義)悪逆無道の現社会を招来し優勝劣敗、弱肉強食の惨状を呈するに至りたる旨大本に於て主張し居るが如き公訴事実は肯定し得ざる所なり、国常立尊の再現に就きては項を改めて論ぜんとす、