判示第二の事実は、
一、被告人与之助の当公廷に於ける経歴大本入信の動機及大本の役職関係に付判示第二冒頭記載と同趣旨の供述
一、被告人与之助に対する予審第七回訊問調書中皇道大本はみろく神政成就の暁に於て日本の統治者となるべき者は出口王仁三郎なりと説き居ることは大本出版に係る書籍雑誌等に依り窺はるるも、尚次に先輩の大本信者より聞きたる処に依り申せば、私は昭和七年一月頃静岡県田方郡湯ケ島村の伊豆別院管事安藤唯夫方にて、同人より西洋紙にペンにて認めありし十二段返の歌を貰ひたり、十二段返の歌と申すは十二文字の平仮名にて書かれし歌が十二行あり、其の四段目を右方より読むと「あやべにてんしをかくせり」となり、第八段目を左方より読むと「いまのてんしにせものなり」と読まるる様に仕組まれたる歌なり、安藤は右の歌には御皇室に対して真に恐多きことが書きある故、無暗に持廻り誰にても見せざる様申し居りたり、私も「いまのてんしにせものなり」と読まるるを見て真に恐多き不敬なることが書きあるものと思ひ驚きたり、然し「あやべにてんしをかくせり」とも読まるる様に出来て居る故実に不思議なる歌なりと思ひ、家に持ち帰り考へたるに今迄大本の話に聞き居りたる通り王仁三郎が神の命に依り、本当に日本の天子様になるものなりと云ふことを表はした不思議な歌なることが判りたり、
又昭和七年一月頃から同年十二月頃迄の間に安藤唯夫から附大本神諭天之巻三頁に「てん○○綾部に仕組が致してあるぞよ○○○○○○を拵へて元の昔に返すぞよ」とあるのは「てんしは綾部に仕組がしてあるてんしてんかを拵へて云々」と云ふ事にて王仁三郎が日本の天子になり、天下を統治するものなりとの事、㋺同四頁に「東京は元の○○に成るぞよ」とあるのは「東京は元の野原になるぞよ」と云ふこと、㋩同五頁に「金輪王で世を治めるぞよ」とある金輪王は王仁三郎のことなること、㋥同二十七頁に「牛糞が天下を取る」とあるは王仁三郎が天下を治めると云ふことにて、王仁三郎が若い頃牛乳屋を致し居りくることある故、王仁三郎のことを牛糞と云ふこと、㋭大本神諭火之巻三百四十頁に「上が下に、下が上に大の字逆様の大きな間違が出来て来る事が能く見えて居りたから」とある大の字は王仁三郎のことにて王仁三郎が天子となるべき筈の処今は下になり、天子にあらざる筈の者が上になり居ると云ふ意味なること、㋬王仁とは王の人即ち天子とも読めること、㋣王仁三郎は有栖川宮の落胤なること、㋠大本教旨に「神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり云々」とある、人は王仁三郎のことなること等即王仁三郎が日本の統治者となるべき人なりと云ふ事や、又日本の統治者となるものなりと云ふ事を屡々聞かされ居りたり、御示しの押収証第一号は私が安藤唯夫より貰ひ受けたる、十二段返の歌の内容と同様のものにて唯裏面の上部に書きある歌のみは無かりし様に思ふ旨の供述記載、
一、同第十回訊問調書中昭和七年八月頃私が曾て宣伝に行き知合となりたる静岡県榛原郡吉田村神戸の遠州神戸支部長鈴木ツネノが明光社の歌の宗匠を致し居りたることを知り、私が安藤唯夫より貰ひ受けたる、十二段返の歌の下方に書きある説明書の部分の意義が判らざりし為、之を右鈴木ツネノに説明し貰ふ考にて鈴木方に参り右の歌の写を同人に示したり、同人は十二段返の歌の写を読み笑ひ乍ら下方の説明書の部分の意義等判らずともよしと申し、私に右の写を返し呉れたり、同人は歌の宗匠にてもあり右の歌の意義がよく判りたるものと思はれたり、同日更に同県小笠郡佐倉村の信者植田志光方で歯科医を為し居りし小原トキエも亦歌を詠む大本信者なりし故、小原方に参り同人に対し十二段返の歌の説明文の意義を尋ねたる処小原トキエは十二段返の歌を読み説明文の意義が判らぬ様に申し居りたる故、私は小原に対し安藤より教はりたる通り、十二段返の歌の四段目を右より読めば「あやべにてんしをかくせり」となり、第八段目を左より読めば「いまのてんしにせものなり」と読まるることを教へやりたり、昭和八年八月頃同県浜松市寺島町の浜松寺島支部長井口太郎吉方に於て、大本信者武田仙蔵、井口太郎吉及関由太郎等にも安藤より貰ひ受けたる十二段返の歌の写を示し其の読方をも教へたる旨の供述記載.
一、同第十二回訊問調書中私が昭和七年八月頃静岡県小笠郡佐倉村字玄坊の植田志光事太一方にて、同人に雇はれ居たる小原トキエに対し十二段返の歌を示し其の密意を教へ造りたる際、右植田太一も同席に居りたる為右十二段返の歌の密意を私より聞きくるものと思ふ旨の供述記載、
一.証人植田太一に対する予審訊問調書(被告人中野与之助事件)中私は静岡県佐倉村字玄坊にて歯科医院を経営し居りたり、昭和七年頃小島藤一の紹介にて大本信者の中野与之助を知り当時私は歯科医の小原トキエを雇入れて居り、同人も大本信者にて私に入信を勧め呉れたり、昭和七年七月頃中野与之助が私方に来り私と小原トキエに対し、原稿用紙の様なものに平仮名のペン字にて書かれありし様記憶するが御示しの証第一号の如き形式の大本宣伝歌様のものを示し夫を読み見よとのことなりしが、私と小原トキエとは右の歌を読みたるに其の意味が判らざりし処、中野は右の歌の四段目を右の方より読めば「あやべにてんしをかくせり」と為り、第八段目を左の方より読めば「いまのてんしにせものなり」と為る様に書きあるものなることを教へ呉れたり而して中野は私共に対し此歌は覚えて置いた方がよいと申し右の紙片を手渡し呉れたるを以て小原トキエが之を写し取り居りたり、右の大本宣伝歌中には御皇室に対し誠に不敬に亘る事が書かれあることを知りたる旨の供述記載、
一、証人小原トキエに対する予審訊問調書(被告人中野与之助事件)中私は静岡県小笠郡佐倉村玄坊植田志光事太一方に歯科医の助手として雇はれたる際右植田の紹介にて、大本教宣伝使中野与之助を知りたり、昭和七年八月中と記憶するが中野与之助が宣伝に来り植田方茶の間にて紙に幾つかの歌の様なものを片仮名にて書きたるものを見せ、読み見よと申すに依り読み見たるに何だか意味の判らぬものなりき、其の時中野は私に之は普通に読めば何でもなき様なるが斯様に読みては如何とて指をさされたので、其の指に随ひて読み行きたるに「あやべにてんしをかくせり、いまのてんしにせものなり」と読めたり中野は兎に角勉強せよ、霊界物語を読めば総てのことが判る、此の歌を写し取り置けと申すに依り私は非常に意外の様な気がしたるも霊界物語を読めば其の歌の本当の意味が判ると思ひ、中野に云はるる儘に其の場にて同人の前にて私の紙に其の歌を写取り置きたり、其の後佐倉村の信者伊藤伊助に其の事を知らせ同人の依頼に依り私が同家に在りたる便箋に其の歌を写し遣りたるが只今お示しの証第一号証なる旨の供述記載、
一、証人井口太郎吉に対する予審訊問調書(被告人中野与之助事件)中昭和八年の夏頃中野与之助は私方にて、縦横十二の平仮名にて書かれありたる歌の様なものを私に示し右の歌を横から何段目から読めば「いまのてんしにせものなり」と書きてあることを教へ呉れたることあり、中野の話に依ると右の歌は十二段返の歌と称し伊豆湯ケ島の大本信者安藤唯夫が作りたる歌にて、中野は同人より教へられたる様聞き居る旨の供述記載、
一、判示第三事実認定の後記証拠被告人由太郎に対する予審第五回訊問調書中の供述記載並被告人仙蔵に対する予審第五回及第十一回訊問調書中の供述記載、
一、被告人中野与之助事件の押収証第一号中
かみのあれにしりうぐうの
たかきやかたをなにそしれ
かみすべたまふのちのよの
あやのにしきをものされて
ひろきてんかにせんでんし
こうてんこじきにつぽんの
もとつしぐみをしらしめつ
よびとをかいしんだい一と
ときつかたりつてるた江の
たまのくもりをのこりなく
とりてせかいにまことなる
ただ一りんのみいづあふがんなる記載
を綜合考覆して之を認定し、