判示第四の事実は、
一、被告人愛隣の当公廷に於ける判示第四冒頭記載と同旨の供述、
一、同被告人に対する予審第十四回訊問調書中昭和九年五月頃藤津進が私方に来り、私に此様な筆先があると申し縦三寸横四寸位の紙に縦横十二文字の平仮名にて書かれたる筆先を手帳の間から取出して示して呉れ、特に右筆先の第四段目を右から第八段目を左から夫々横に読んで見よと教え呉れたので、藤津の示した通りに読み見たるに第四段目には「あやべにてんしをかくせり」とあり、第八段目には「いまのてんしにせものなり」と書かれあり、私は形式から考へて右の筆先を出口王仁三郎の筆先なりと直感し、私は知合の信仰の進みたる信者に右筆先を示す為又私自身も筆先の全文を暗記致すことが出来ぬ為、不取敢右筆先を有合の紙に写取り置い其後更に之を縦二寸横三寸位の雁皮紙に筆にて写取り之を守袋に入れ、絶えず身に付け居りたり、被告人中野与之助事件の押収証第一号に書かれあるものの中十二段十二通りの歌の部分と同様なりしと記憶する旨の供述記載、
一、当審相被告人藤津進に対する予審第十五回訊問調書中、お示しの被告人中野与之助事件押収証第一号に記載しある歌は私が昭和六年秋頃特派宣伝使として名古屋市に行きたる際、信者の江粛より雑記帳に平仮名計りにて縦横列を正しく書き並べられた右の新体詩と同じものを見せられ、初めて知りたものにて江氏が右の歌の四段目を右から又八段目を左から指にて示し読方を教へ呉れたので、其の通り読むと「あやべにてんしをかくせり」「いまのてんしにせものなり」とありしため私は之は御皇統を否認し、王仁三郎が天皇たるべきものなりと云ふ、大本教義の密意を露骨に表はしたるものと思ひ、江氏に対し注意して取扱ふべく注意し尚其の際其の歌を右雑記帳の白紙の一枚を貰ひ書取り置きたり、其の後昭和九年の秋頃より同十年初頃迄の間のことと記憶するが、亀岡天恩郷にて東尾吉三郎に右歌を示し其の読方を教へたるところ、東尾は之は僕が預り置くと申し、同人の手許に納めたり、其後暫くして東尾は私に対しあれは焼いて仕舞つたと申し居りたり、先之私は昭和九年春か夏頃岡山の中国別院に行き、森国幹造や木下愛隣に会ひたることあり、同人等に右の歌を見せ遺りたることあるやも知れぬ、同人等が私から見せ貰ひたりと申すならば私が見せたるものと思ふ旨の供述記載、
一、判示第二事実認定の証拠中被告人中野与之助事件押収証第一号中所謂十二段返の歌を綜合考覈して之を認定し、
意思継続の点は夫々短期間内に同種の行為を反覆累行したる事蹟に徴し之を認定す、
仍て判示犯罪事実は何れも其の証明十分なりとす、
被告人王仁三郎の弁護人は同被告人は犯時精神に障害ありたるものと主張するが如しと雖も王仁三郎の本件犯行の弁明に関する予審及原審調書の供述記載並当公廷の供述其他長期間に亘る当公廷に於ける態度等に徴すれば、同被告人は本件犯行当時心神の喪失乃至耗弱の状態無かりしことを認め得るを以て右主張は採用せず。
法律に照すに被告人王仁三郎の判示不敬の所為は刑法第七十四条第一項第五十五条に該当し被告人重雄の判示所為中不敬の点は各同法第七十四条第一項出版法違反の点は出版法第二十六条刑法施行法第十九条第二条第二十条新聞紙法違反の点は新聞紙法第四十二条に該当するところ、右不敬の所為は意思継続に係り、且之と新聞紙法違反並出版法違反の所為とは夫々一個の行為にして数個の罪名に触るるを以て刑法第五十五条第五四条第一項前段第十条に則り一罪となし、最も重き不敬罪の刑に従ふべく被告人助三郎の判示所為中不敬の点は同法第七十四条第一項新聞紙法違反の点は新聞紙法第九条第一号第四十二条に該当するところ右は一個の行為にして、数個の罪名に触るるを以て刑法第五十四条第一項前段第十条に則り一罪と為し、重き不敬罪の刑に従ふべく被告人与之助の判示不敬の所為は同法第七十四条第一項第五十五条被告人由太郎、仙蔵、徳太郎及弘の判示不敬の所為は同法第七十四条第一項第五十五条第六十条被告人愛隣の判示不敬の所為は、同法第七十四条第一項に該当するを以て叙上各被告人に対し、夫々所定刑期範囲内に於て主文の刑に量定処断すべく同法第二十一条に依り主文掲記の原審に於ける未決勾留日数を夫々各本刑に算入し、被告人王仁三郎事件押収証第三、五五一号霊界物語第六十巻同第四、一六〇号、霊界物語第十巻及同第四、二二七号瑞祥新聞昭和十年四月一日号中の各不敬事項記載部分は同被告人の判示不敬行為より生じたるもの、被告人助三郎事件押収証第九号の瑞祥新聞昭和十年四月一日号は同被告人の判示新聞紙法違反行為を組成したるものにして、何れも右各被告人以外の者に属せざるを以て、同法第十九条第一項第一号第三号第二項に則り之を没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第二百三十七条第一項を適用し主文掲記の如く之を負担せしむべきものとす。
本件公訴事実中、
一、被告人王仁三郎が京都府亀岡町天恩郷に於て、㋑昭和八年七月一日発行瑞祥新聞第七頁及第八頁に、㋺同年十月一日発行同新聞第五頁に、㋩翌九年九月一日発行同新聞第七頁に、㋥翌十年三月一日発行同新聞第七頁に、㋭同年四月一日発行同新聞第六頁に夫々天皇の施政を誹謗する記事を掲載せしめ、天皇に対し不敬の行為を為したりとの点、
二、被告人重雄が同所に於て、㋑右瑞祥新聞の編輯人として右一の、㋑乃至㋭掲記の如き記事、㋺雑誌神の国の編輯人として昭和十年八月一日発行神の国第一頁に天皇の尊厳を冒涜する事項を掲げ天皇に対し不敬の行為を為したりとの点、
三、被告人助三郎が同所に於て右瑞祥新聞の事実上の編輯担当者として右一の㋥㋭掲記の如き記事を掲載して天皇に対し不敬の行為を為したりとの点、は何れも犯罪の証明なきも右一に付きては王仁三郎の判示不敬行為と連続犯の関係あり、右二、三に付きては夫々重雄及助三郎の各判示不敬並新聞紙法違反行為と連続且牽連犯の関係ありとして、起訴せられたるものと認むるを以て特に主文に於て無罪の言渡を為さず。